巨神顕現
「あ、あがア、ヒイ、ヒイアアアアアアア‼︎」
サラドの悲鳴と同時に、彼の全身から膨大な瘴気が放出された。
赤みを帯びた瘴気の奔流は物理的な威力を伴い、塔の天井を突き抜け雲にまで届く。
周囲に砕かれた瓦礫が降り始め、幾人かの兵士がその下敷きとなった。
「みんな、逃げて‼︎」
幸い、塔は揺れるくらいでこの程度ではびくともせず崩壊とまではいかなかった。
それでもナナリーは先ほどのシースの言葉を思い出し、塔の外に出るよう皆の避難を急ぐ。
──巨神、そして封印。
シースが言ったその言葉。
きっとサラドは生贄にされたのだとナナリーは理解した。
生贄とは、かつて魔王が現れる前に脅威として存在していたこの地上の生命体の敵、『悪魔』と言われるモノ達が次元を渡ってこの世界に現れる際に必要とする触媒の術式だ。
呪具なのか、はたまた生きた動物なのか、触媒となる物の質にもよるが、召喚された悪魔は通常であれば魔力のある一兵卒でも対応が可能。
しかし稀に現れる異質で圧倒的な力を持った高位存在は、時にはかつての七賢者が相手をしなければならない場合もあった。
そんな高位存在の悪魔がこの世界に現れる時に、決まって生じる空間の歪。
瘴気を操る魔王軍と戦う最中、人々の怨嗟を糧にして自力でこの世界に顕現した悪魔と戦った彼女は、その光景を幾度か目にしたことがあった。
天井を吹き飛ばし雲にまで届く瘴気の奔流は、そのまま巨大な歪みとなり空間に侵食を始め、別次元に存在するモノをこちらに呼ぶ巨大な門となっていた。
「ちょ、ナナリー様! な、なんなんですかあれ⁉︎」
「多分、悪魔召喚の……」
「悪魔⁉︎ 瘴気と悪魔に関係があるのですか⁉︎」
「わ、わかんないわよ!」
避難せずナナリーの側に留まっていたメイドのレイが彼女に話を聞くが、専門外の事態にナナリーが理解できることは少ない。
「じゃあカルエル様に連絡してください! 瘴気に一番詳しいのはあのお方でしょう⁉︎」
レイの最もな言葉に、サラドを見ていたシンもナナリーに目を向けた。
昨夜に光の雨を降らし瘴気の怪物を消し去った光の賢者と連絡が取れるならこの異様なプレッシャーの中でも希望が抱ける。
瘴気に精通しているらしい彼なら、きっとこの状況を打破できるのはと淡い期待が王の心に宿った。
「え⁉︎ ええと……」
「早く!」
だが肝心のナナリーは何故かレイの言葉によって狼狽を始める。
一刻を争うこの状況で、剣聖の態度に僅かに苛立ちを見せながらシンも彼女に叫ぶように声をかけた。
「剣聖よ、賢者との連絡手段があるのか⁉︎ なら早く頼む! 肌にまとわりつくように感じるこの異様な重圧、猶予はなかろう⁉︎」
「え、まあ、あるにはあるけど……」
「急いでくれ! アレは異様だ! 今までの瘴気の怪物とは明らかに様子が違う!」
「で、でもカルの波長は知らないから伝心魔法使えないし……雷光水晶も持っていなし……」
尚も言い訳を重ねるナナリーにメイドの叱責が飛ぶ。
「こんな時に逃げないでください!」
「に、逃げてないわよ! 本当にカルの魔力波長を知らないの!」
「じゃあ聖女様なら繋げれるでしょう? あの方も確かリビアにいらっしゃるはずです!」
「あ、そっか。ユーリに言えばいいんだ」
あっけらかんと言ったナナリーだが、いざパスを繋げようとすると深呼吸を始めた。
この状況で何に緊張しているのかと皆が顔を顰める。
「まったくもう! ナナリー様ったらこんな時にまで!」
「た、頼むぞ剣聖よ……」
呆れるメイドと、シン王の焦りの声に意を決したナナリーは、恐る恐る伝心魔法を発動させた。
※
「やあみんな……ってなんだこりゃあ⁉︎」
「カル‼︎」
ナナリー達のいる神竜教本部に転移して最初に見たのは塔を突き破り天まで登る赤い瘴気。
瘴気に精通したオレでも初めて感じる力は、魔王ヨルムンガンドのものとはまた違う異質な力だった。
「シン、どういうこと⁉︎ あれは一体何⁉︎」
「エリザ⁉︎ 何故ここに来た! 危ないんだ、さっさと帰らぬか!」
「うるさい! いいから説明しなさい!」
「お、おお……」
鬼気迫る勢いで質問するロンに押されるシン王。
彼の説明をかいつまむと、どうやらシースがサラドを生贄にしたようだ。それも独自に改良した瘴気を使用して。
姦しく口論しているシン王とロンの横で、オレはナナリーと相対していた。
「久しぶりだね、カル」
「ああ。久しぶり、ナナリー」
久しぶりに見た彼女は、やっぱり綺麗で昔のままだ。
少し前にリオン王国で再会した時にあった顔の傷も、どうやら薬が効いたようで跡すら残っていない。
記憶に残る、かつて愛したナナリーの姿がそこにあった。
傷ついた姿を見た時は焦燥感を覚えたけど、無事元通りになった姿を見て安心する。
「あの……その……」
「お、おう……」
ナナリーが気まずそうにするので、こちらも気まずくなってしまう。
オレとしては思うところはもうないのだけど、彼女からしたらそうじゃないようだ。
モジモジしながら、それでもオレに何かを言おうとしているのを感じたので言葉の続きを待つ。
すると──。
「ナナリー様! この状況で何をマゴマゴしてるんですか⁉︎」
鬼気迫った顔をしたナナリーのメイドに怒られた。
無表情な印象かない彼女が、ここまで表情を変えているのを初めて見る。
いや、この状況じゃ当たり前だな。
「え、えっと、私は──」
「もう結構です!」
必死で何かを言おうとするナナリーを遮って、メイドのレイはオレに顔を向けた。
「カルエル様、アレをなんとかできないでしょうか? 吐きそうになる程の嫌な気配が漂って来るのです」
彼女が指差すのは天に昇り続ける赤い瘴気。
発生源に目を向けると、そこにいたのは丸い体をした男が一人。
こいつがロンを追いやった黒幕のサラドか。
「まさか、瘴気を生贄術式に転用するなんてな」
サラドに大した魔力はない。
故に生贄として捧げれば、下位の悪魔を召喚できるかどうかが関の山だっただろう。
瘴気の発生源であるサラドという男は、身体中から触手を生やして最早別の生命体に変貌していた。
悲鳴とも雄叫びとも取れない声を上げながら白目を剥き、触手をくねくねと轟かせるサラド。
まるで何かに寄生されているような有様は、ナナリーが斬るのに二の足を踏んだことが理解できるほどに気持ち悪い。
「まずいぞマスター、あれは……」
そういえば、と。
彼女に声をかけられて、ようやくエレノアが大人しいことに気づいた。
どうしたのかと思えば、エレノアは緊迫した面持ちで空に出来た赤い歪みを見ている。
彼女がこんな表情を浮かべるなんてゾッとしない。
「で、その巨神とやらは君でも手に余るのかい?」
「父が手こずったのだ、私でも勝てる保証はない」
「マジか……」
まさか、エレノアでも手に負えない存在がいたとは。
カドックを葬り、教団を窮地に追いやる。
多少の抵抗は覚悟していたが、こちらの保有戦力を考えれば勝利は確実だった。
例えシースが何をしようとも、最悪オレが出張ればいい。
必勝の算段を描いていたオレは、エレノアの様子を見てこちらの優位性は完全に無くなったのだと悟った。
「なら先手必勝だな──起源魔法:ライトオブグルーデリィ」
サラド──或いはだったモノ──に向けて魔法を放つ。
分子レベルまで対象を分解し消滅させる極大の光線が、一直線にサラドへ向かった。
「………‼︎」
脅威を察知した触手達が一気にざわめいた。
本能的に防御姿勢を取ろうと、瘴気を転用した赤い魔力防壁を展開する。
だが──
「しょ、消滅しただと……」
あっけないサラドの最後に、呆然とした顔でシン王が呟いた。
眩い光は、赤い障壁すら飲み込み白く染めた。
極光がサラドの背後にあった壁を貫通し通り抜けた後には、もう何も残っていない。
「さて、これで空に生じた歪みも──」
期待して空を見上げたが、予想通りまだ歪みは消滅していない。
だが、もう時間の問題だろう。
瘴気の供給源を失った歪みは、ゆっくりと薄れていった。
エレノアですら勝利を断言できない怪物なんて、この世界に出現したら一体どうなってしまったことやら。
「やったか?」
「カル、それは言わない方が。あなたはそう言って昔も……」
「え?」
安堵と共につぶやいた一言に一緒に着いてきたユーリが突っ込む。
確かにかつての戦いの中では、倒したと思った敵が倒し切れていないことなどざらにあった。
油断するアランやオレ達を叱る聖女の姿は懐かしい。
だが、流石に今回は大丈夫だろう。
巨神とやらの復活も、そもそも未然に防げたのだから。
現に、空に浮かんだ門の役目を持った赤い瘴気の歪みはもう──
「あ……」
「だから言ったじゃない!」
──閉じかけた赤い歪みの内側から、何かが生えた。
いや、生えたように見えただけで、巨大な指が消えかかった瘴気の歪みを内側から掴んだのだ。
「おいおい、マジかよ……」
魔王軍と戦い、賢者として名声を高めた今の自分でも目の前のこれは初めての経験だ。
中にいるモノは──それにとっては──僅かな隙間を広げるように挟んだ指を勢いよく左右に開く。
ポッカリと、大きく開けられた空の穴。
中は暗く、瘴気にも似た黒い空気がこちらの世界に漏れ出した。
太陽の光が空間にあいた穴を僅かに照らす。
真っ暗な穴の中から、爛々と輝く紅い二つの瞳がじっと地面にいる者たちを見据えていた。
『グモオオオオオ‼︎』
オレ達の立つ半壊した塔が咆哮と共に軋んだ。
ただの声が物理的な振動を伴うなんて……生物としての本能がガンガン警告を鳴らしてくる。
皆が呆然と空を見上げていた。
種族覚醒者も、竜種も、アレの出現を前に等しく肌を粟立たせている。
今ここに、世界の危機が訪れた。




