女神の抱擁
「なるほど、禁呪なだけのことはある。まさか一発でここまで持ってかれるとはな」
エレノア程とは言わなくても、とんでもない魔力保有量を自負するオレの身体からごっそりと魔力が消費された。
いや、消費というよりはまるでナニカに捧げられ強制的に抜かれたような感覚だった。
──起源魔法:大地母神の慈悲。
この魔法は女神教によってその存在を封印され、長く歴史の表舞台に出ることはなかった。
仮にも神の一部を地上に擬似顕現させる神秘の魔法は、一度放たれれば相手を必ず死に至らしめる威力を持つ。
必殺の名に相応しい魔法なだけに、当然その消費魔力は尋常じゃない。
種族覚醒を果たし、瘴気を取り入れたオレの魔力量だからこそ普通に発動できたのだ。
常人であればそもそも発動するだけの魔力がなく、複数の魔術師が命と引き換えにようやく放つ魔法になるだろう。
だからこその禁呪──そう思っていたが、どうやらそれだけでもなかったようだ。
オレとカドックの戦いの余波から皆を守るため、結界を展開していたユーリの顔が蒼白に染まり強張っている。
一見、女神の一部を擬似顕現する魔法に驚いているようにも見えたのだけど。
彼女からは焦燥感にも似た感情が見てとれる。
まるで知られてはいけないものを知られてしまったような、そんな雰囲気を感じたのだ。
『土塊を女神の腕に変える魔法だと? ふん、貴様らしい派手なだけの見掛け倒しの術だなぁ‼︎』
土や岩石で構成されていたはずの塊は、いつしか白く美しい柔肌を持つ女性の腕ヘとその姿を変えていた。
それはまるで母が我が子に愛情を示すかのように、巨竜の姿に変身したカドックを抱きしめる。
神々しさを感じるほどの美しい両の腕だが、地面から不自然なほどに長く伸びる光景に伴い、違和感を禁じ得ない不気味な点を一つだけ見せていた。
──関節がひとつ、多いのだ。
肘だけでなく、女神の腕には二の腕に該当する箇所にも曲がる関節が存在していた。
『なんだ……ただの土塊の癖にワタシに触れるな、離せ‼︎』
カドックもその異質さに気づいたようで余裕の笑みを浮かべていた表情から一変、焦りの声をあげた。
当たり前だが、彼を抱えようとするのは腕のみ。胴体に当たる部分はないので、一見逃げようと思えば簡単に逃げれそうなだけの空間が空いている。
しかしカドックはその抱擁から逃れられず暴れ出した。
術をかけられた者にしかわからない、縛りか阻害でもあるのだろう。
女神の腕に雷撃を放ち、それでも己を包む力が一向に弱まらないと悟ると物理的に爪や牙で攻撃し始め、女神の腕に傷を負わした。
パラパラと、女神の白い腕から構成物質である土砂が舞い落ちる。
だがそれは、より深刻な事態を招くことになった。
カドックの攻撃を認識した途端、攻撃魔法とは言い難かった女神の抱擁、その雰囲気が一変したのだ。
不気味さを含みつつも、神々しい美しさを見る者に与えていた女神の抱擁が、対象を死に至らしめる死神の抱擁へと姿を変えた。
抑えた殺意を解放するように。
その邪悪な本性を曝け出すように。
カドックを捕らえた女神の腕はその姿を現した。
『な、なんだこれは⁉︎』
女神エレイシア。代々女神教の聖女がその名を己の姓として継承する、この世界の創世神とされる存在。
しかし彼女は地上に降臨していた竜の神──エレノアの父と違い多くを語られておらず、神話の中にしか登場しない。
一説には旦那がいたとも、数多の神々を産んだ母ともされているこの世界の女神は、繁栄を司り豊穣と慈愛の性質を持っている。
しかし女神教の信者が集う本殿、聖女たちも住むその神殿の最奥に安置されているとある古文書には全く違う記述が載っていた。
その内容から、女神教は代々その古文書が世に公開されないよう厳重に秘密を守っている。
女神についての描写が一番詳しく語られているにも関わらず、彼女たちはその古文書を聖書と呼ばない。
世界に公開されていない古文書にはこんな記述があったのだ。
──曰く、エレイシアは冥界を治める神であると。
ただ神として別の側面があるというだけで、彼女たちも秘密にしたわけじゃない。
死と腐敗を司どる冥界の女神エレイシアの挿絵は、世に伝わる慈悲深く優しい美女の絵画とは異なる、おぞましい異形の姿で残されていたのだ。
それは慈愛の女神を信じる者たちには到底受け入れられない忌むべき姿。
あまつさえ、掠れて解読が不能になった古文書にはわずかに『イザ──ミ──コト』というオレたちの知るエレイシアという呼称ではない、別の名まで記されいていたのだ。
「なるほど、古文書の内容はあながち間違いじゃないのかもな」
誰もが信じないであろう、女神エレイシアのもう一つの顔。
しかし目の前の魔法を見れば、その現実を受け入れざるを得ないだろう。
カドックを抱きしめた女神の腕が痩せ細り、皮と骨の姿へと変貌していった。
「うわあ……」
もはやそれに美しさはない。
綺麗な爪はひび割れ尖り、干からびた指と相まって、まるで童話に出てくる魔女の手のようだ。
語られぬ伝承の真実性を示すように。
女神は冥界の主人に相応しい、邪悪な本性を現した。
「って、おいおい。あの挿絵はイメージじゃなくて本物だったのかよ……」
賢者として、または聖女の盟友として。
古文書の存在と内容は知っていても、まさかこの魔法が女神教の秘匿事項を体現してまうとは予想外だった。
種族覚醒を果たしても、全力で戦う相手なんていなかったのだ。ましてや命の奪い合いなど、魔王を勇者が倒した時点で終わっていた。オレが種族覚醒を果たして以降、全力を振るう機会はもう訪れなかったのだ。
しかし今、暫くぶりに力を試せる相手に──殺意を持って全力を出していい相手に──渾身の禁呪を試したのだが、これでは女神教を敵に回しかねない。
幸い、ユーリもこの魔法を見るのは初めてだったようで、カドックを抱く女神の腕を驚嘆の表情で見ているだけだった。
ちゃんとユーリに謝っておいた方がいいだろう。
カドックを始末した後で。
「賢者よやりすぎではないのか⁉︎」
「カルエルよこれは不味いぞ」
ユーリに対して謝罪の念を向けていると、大王とミドラス魔王が慌て出した。
見れば二人がふらついている。
まとも立っていられないほどに、地面が揺れ出したのだ。
カドックの攻撃魔法を間逃れていた建物も、突然発生した地震に次々と倒壊していった。
それはただの地震ではなく、地中から何かが迫り上がってくる予兆。
『あ、あれはなんだ……? くそ、離せっ⁉︎ 離せええええ‼︎』
またカドックの叫びが聞こえてきた。
どうやら己の真下を見て焦っているようだ。
「なるほど、とんでもない魔法だ」
女神の腕が生えていた地面が陥没するように地割れを起こした。
それでも女神の腕は生えている。
陥没した地面の穴……その奥に空いた暗闇の中から直接彼女の手は伸びていたのだ。
──ズルズルと、カドックを抱いたまま女神の腕が奈落の底へと引っ込んでいく。
『ちょ、調子に乗るなあ‼︎』
だが、さすがに黙ってやられる程にはカドックも弱くないらしい。
秘めた全ての力を解放するように、カドックから大量の瘴気が漏れ出した。
己を引き込む女神の腕に対抗するように、空に駆け上がろうとその竜翼を大きく羽ばたかせる。
そんな神の力に逆らう愚者に、彼女の怒りが現世に響き渡った。
──キイイアアアアアアアア‼︎
その音に皆が一斉に耳を押さえた。
心の底から怖気を覚えるような、甲高い気味の悪い女の声がそうさせたのだ。
『ああ、あああ……な、なんなんだアレは……』
──声の方向に目を向けたカドックが怯え出す。地上にいるオレたちには穴の底は見えないが、彼は何かを見てしまったのかもしれない。
『い、嫌だ……嫌だああああ⁉︎』
何かを目撃したであろうカドックが、半狂乱になってありとあらゆる魔法を発動させた。
──死に物狂いの有様で。
──地の底にいるナニカから逃れたい一心で。
それが功を奏したのだろう。
仮にもヨルムンガンドの瘴気を大量に宿したカドックの力は女神の抱擁と拮抗を始めたのだ。
「往生際が悪いなカドック。でもその抵抗は無駄だよ」
だからオレは、抵抗する女神の供物をさっさと捧げることにした。
『ワタシは選ばれたのだ……シース様に選ばれ全てを凌駕する力を手に入れたのだ……こんな所で終わる訳がない‼︎』
「終わるのさ」
『け、賢者……⁉︎』
抵抗を続けるカドックに言葉が聞こえるように、オレは彼の側まで飛んでいった。
『な、何を……』
女神の腕の中でもがくカドック。
溢れる瘴気が彼に力を与えるというのなら。
それは全てもらおうじゃないか。
『う、嘘だろ⁉︎ 』
側に浮くオレにカドックの瘴気が引き寄せられる。
彼の力の源が、余すことなくオレに吸い込まれていった。
『ああ、やめろ……やめてくれ……』
オレの力が増すに連れ、次第に弱体化を見せるカドックはその巨竜の姿に似合わず弱々しい声をあげた。
これではまるでただのか弱い人間のようだ。
純真さを取り戻した子供のように弱々しく許しを乞うカドックの姿には、もしかしたら同情する者も出てくるのかもしれない。
でも──。
「大切な思い出を汚すお前たちに、エレノアがそう言った時どうした?」
『そ、それは……』
あの時。神殿を女神の息吹で包んだ際にオレは視てしまったのだ。
あの神殿で起きた過去の光景を。
こいつらが最後に彼女に何をしたのかを。
エレノアはあの時もう気絶していたので覚えていないだろう。
倒れ伏すエレノアに火を放ったシース。その後、意識を失ったエレノアから血を抜きとり終えるまで、彼女を痛ぶり踏みつけた微笑うカドックたちの姿を。
『い、嫌だ‼︎ た、助け……』
「──助ける訳ないだろう」
心からの殺意を込めて告げると怯えた目でオレを見た。
『ひい⁉︎ 頼む……ワタシが悪かった、過ちを認める! だから助けて──』
「──ああ、わかった。大丈夫だから安心しろ」
笑顔を貼り付けそう言うと、露骨に安堵の表情を浮かべるカドック。
しかしオレが言った次の言葉に表情を一変させた。
「シースもすぐにお前のそばに送ってやるから」
許す訳が無い。
ようやく堂々と力が振るえる日が来たんだ。
徹底的にやってやるさ。
「あ、ああ……そんな、ワタシの力が……」
最後まで抗うその力の源を余さず奪うように、カドックから漏れた瘴気は全てオレに吸収され尽くした。
その結果、女神の腕の中でカドックはついに元の人間の姿に戻ってしまった。
「ご馳走様。さあ、これで心気なく女神の元に向かえるな」
「ひいい⁉︎」
人間に戻ったヤツに女神の抱擁から逃れる力はない。
「い、嫌だ、助けてくれ……」
全ての得た力を失い、慟哭の叫びを上げ許しを請いながら。
異形の腕に引き込まれ、カドックは姿を消した。
同時に割れた地面は元に戻り、辺りに静寂が戻る。
全ては初めからなかったことのように、カドックはその生涯を終えたのだった。




