パラティッシと剣聖
灼熱の太陽に照らされる、砂漠に囲まれた白亜の神殿。
その中にある一室、水冷魔法で空調が整えられた執務室にてこの国の王であるシン・パラティッシは昨夜に発生した軍団魔法とその被害状況の報告を確認していた。
「まさかこの国全体を覆っていたとは、賢者の名は伊達ではないのか」
訪れた光の賢者が放った軍団魔法はこの国を苛んでいた怪物達を全て打ち滅ぼしていた。
神竜教の本部のあるこの首都、そして砂漠の各所に存在する小さい町にまでその魔法は行き届いていた。
「あれだけの広範囲、それもあの怪物だけを仕留めるとは。もしやシースをも上回る存在か?」
シンの確認している書類に記載された内容は、いずれも『被害無し』の記述ばかり。
家屋や家畜、無論市民にも一切の被害は確認されていない。
あの光を浴びた者達に変化はなく、怪物だけがまるで浄化されるように滅んでいったとのこと。
それどころか怪物に襲われていた市民が神の助けだと勘違いし、神竜教への信仰がより高まったという報告もある。
図らずも諸悪の根源が持て囃される羽目になり、苦々しい顔をしながらシンが今後の手立てを──賢者の活用法を考えている時だった。
「王子! 大変です‼︎」
慌てて駆け込んできた大柄な男は彼の親友であり、この国で唯一の腹心。
公爵家当主のアバローナ・ベイロンだ。
生まれも育ちも大貴族である彼は、その豊富な人生経験もあって滅多なことで動揺する人物ではない。
シンも長年彼と組んでいたこともあり、彼の胆力の大きさは熟知していた。
唯一、彼が激しく動揺し感情をあらわにしたのは初老に差し掛かる彼が初めてもうけた最愛の娘の追放を決めた時と、そしてその娘が戻ってきた時である。
そんな老公爵が血相を変えて執務室に飛び込んできた事実にシンは驚き、何事かと作業を中断して彼を出向かえた。
「どうしたアバローナ? お前がそんなに血相を変えるなど不安しかないぞ」
「た、たった今このパラティッシに軍隊が向かっています!」
「何⁉︎ 馬鹿な、どこの軍だ⁉︎」
一気に切迫する空気。
内乱が治まってまだ間もないこのパラティッシには、他国と戦争ができるほどの余力はない。
「まさかインスタシア?」
西側に位置するのはインスタシア共和国であり、何もない不毛の荒野を挟んでではあるが国境が一番近い国だ。
共和国と名乗るだけあって一方的な侵略をする国ではないが地理的に一番可能性がある。
混乱している王に追い討ちをかけるように、更なる情報を公爵が告げた。
「いえ、砦からの報告によれば掲げている旗はマケドニアの国旗です」
「マケドニアだと⁉︎」
発せられた名前はこの世界一の大国マケドニア。
覇王と名高いアレキサンドロスの治める国であり、パラティッシとは国土も兵力も天と地ほどの差がある。
「場所は?」
「現在、北部にあるイシス砦を目指して進軍中とのことです」
「あり得ん……飛竜山脈を越えてきたというのか?」
このパラティッシは内乱の歴史は長いが、他国から侵略された経歴はない。
魔石という資源はあるが、国土のほとんどが不毛な砂漠であり侵略のメリットが他国になかったからだ。
地理的にもパラティッシを攻めるには砂漠越えという難問が突きつけられる。
また仮に砂漠を越えようとしても、砂漠を囲う飛竜の巣食う山脈を最初に越える必要があり、平野から進むには西方のインスタシアを通らなければならない。
インスタシア共和国も東方に位置するパラティッシからの侵略を警戒こそすれ、魔石しか資源のない砂漠へ侵攻するメリットもなく、過去ずっと砂漠の国は他国との戦争に無縁だった。
資源不足と過酷な環境が守ってきた不侵神話。
それが魔獣対策に設けた北方のイシス砦からの報告により突如として崩れ去ってしまった。
「おそらくそうでしょう。砂漠の北部に突如として出現したとの報告です」
「マケドニアの軍隊は飛竜の山などものともしないのか……しかし何故」
シンの頭に湧いた疑問は深まるばかりだった。
魔王出現前には覇権を争い、マケドニアと同じ国力のエリュシオン帝国との二国間の緊張が高まっていた。
しかし奇しくも魔王の出現によって、世界戦争に発展しかねないその緊張は解かれたのだ。
エリュシオンの滅亡という誰もが予想だにしなかった結果によって。
今のマケドニアには小国を侵攻するメリットはない。
彼の国にそこまでの価値はないのだ。
もしマケドニアと唯一共通する何かがあるとするなら、それは──。
「神竜教団か! まさか、マケドニアが神竜教を滅ぼそうとしているのか⁉︎」
「そう考えるのが妥当でしょう。我が国にかの大国が侵攻するメリットはありませんから」
「しかし今は賢者が裁判中のはず……」
そこまで言ってシンは気付いた。
神竜教と賢者の戦いが齎した勢力図の変化に。
裁判の結果がどうなったのかを。
「アバローナ、こうしてはおれん。これはまさに千載一遇の機会だ。我らもマケドニアの軍と協力しよう」
「どういうことです? 」
シンは己が国に巣食う巨悪を討つべく、即座に思考を切り替える。
王の思考に追いつけないアバローナが疑問を尋ねた時、代わりに答える声があった。
「話が早くて助かるわ」
「誰だ⁉︎」
一切の気配を感じさせず、王の執務室に現れたのは赤い髪の女性だった。
側には青い髪のメイドを従え、鎧と聖剣を携えた女騎士がじっと二人を見つめていた。
「突然の訪問を失礼しますシン国王。私はナナリー。今回の神竜教討伐に関し、全権指揮官を任されている者です」
「ば、バカな。剣聖が何故……」
あまりの有名人の出現に二人はただただ驚くばかりであった。
そんな二人を前にしてたナナリーの心に浮かぶのは、喜びと興奮。そしてささくれのように今も残る僅かな悔恨。
それらの感情を押し殺し、彼女は淡々と告げたのだった。
「我が友であるカルエル・メノンの要請に応じて私は参戦しています。無論、現在北に展開中のマケドニアの軍も同じです」
「光の賢者が……」
「事情を説明しますので、速やかにご協力をお願いします」
こうして砂の国はかつてない波乱を迎えることになる。
それは過去の内乱を大きく超える、国の存亡が関わる事態へと発展していくのだった。
 




