復讐の始まり
立ち込める灰色の粉塵に視界が覆われている。
発生源は頑丈さが売りであるユグドラシルの木材だ。
目に映るのは瓦礫と世界樹の残骸。砂のように砕けた石灰と炭とかしたユグドラシルが合わさり空中に漂っている。
「ゲホ、ゲホっ‼︎」
「大丈夫かロン?」
大きくむせるロンを心配しながら、空を見上げた。
澄み渡る青い空。空に輝く太陽は地上にその明るい日差しを降り注いでいる。
空気中に漂う塵芥が太陽光を反射させキラキラと光っていた。
こんな街中の真っ昼間にも関わらず、まるで森林蛍の群れの中にいるような光景だ。
ほんの少しだが幻想的にすら思える。
「な、何が起きたんですか⁉︎」
「何がって……おいおい、言わすな。エレノアがキレてしまったんだよ」
「そ、それは分かりますけど」
そう言ってロンは周囲を見回した。
当然、これは我が妻であるエレノアの仕業。
この場──というよりこの国にいる人間種を滅ぼそうとした彼女の起源魔法が放たれたのだ。
その結果がこの倒壊した司法裁判所。
神秘的で厳かな雰囲気のあの場所が一瞬で廃墟と化したことに驚きつつも、ロンは当然の疑問を口にした。
「……死者はいないようですね」
ロンの言う通り、エレノアが明確な殺意を込めて放った魔法であるにも関わらず死者はいなかった。
無論、そうならないように咄嗟に障壁を展開したのだが、なんとか間に合ったようだ。
まあ建物は間に合わず倒壊してしまったが。
それに家屋の倒壊のせいでこの場にいた皆がその身分に関係なく灰を被っている。
そんな中で、唯一身なりが綺麗な二人。大柄な男とエレノアの会話──もとい口論が聞こえてきた。
「エレノア様、流石にこれはやり過ぎですぞ。カルエルが防がなければ、余と聖女以外の多くが死ぬか重傷を負っていたことでしょう。この国ごと滅ぼそうなど……」
「ふん、マスターも相変わらず甘い。それよりもだ、坊主。貴様がいるのに我が夫への嫌疑が進むとはどう言うことだ? 裁判などというくだらん児戯に巻き込ませるとは、お前がいればこんな茶番どうとでもなっただろう!」
あの大王がエレノアに責められている。
かの豪胆で行動予測がつかず周囲を振り回すことに定評のあるマケドニアの王が、困ったように誰かを諌める光景など中々に観られるものではないだろう。
「ご理解ください、エレノア様。カルエルが商会という組織を保つ以上、世界中の人々へ裁判で勝ったという結果が必要だったのです」
さすがは大王だ。何故オレがこんなにも裁判で勝つという形式にこだわったのかをしっかりと事情を考慮した上で彼女に説明してくれている。
無論、本来ならそれはオレの役目だがここは成り行きにまかせて大王に譲ろう。
「会長……」
なんてことを考えていたらロンが侮蔑するような目でオレを見てきた。
なんてやつだ、けしからん。上司に向ける態度ではないと心の中で悪態をついておく。
だって何か言い返されても面倒だし。
「はあ……」
そう心の中で折り合いをつけたら、呆れるようにため息を吐かれた。
こいつは心を読めるのだろうか?
光の賢者となったオレでも読心魔法は会得できないのに。
「本当に仕方のない人です、あの場にいきなりエレノア様を呼ぶなんて。こうなることくらい予測できるでしょう! 何考えてるんですか会長は‼︎」
おっとロンが珍しく本気で怒っている。
しかしオレにだって考えがあったのだ。
いくらいつも口論では勝てない優秀な部下が怒っているからって、こちらも黙ってはいられない。
「いやだって、裁判で勝利を掴むためにはこの上なくいいタイミングだっただろ⁉︎」
「それがこの結果ですか⁉︎」
「おいおい、それは結果論だぞロン。オレもまさか彼女が裁判そのものにあんなに激怒するなんて思わなかったんだ」
そう言いながらも、エレノアが語った怒りの理由にほんのちょっと嬉しくなったのは内緒だ。
どうやら彼女のオレへの評価は、オレが思うより高いらしい。
てっきり彼女が好意を示してくれてこうして夫婦になれたのは、その命を救ったからだと思っていたけど。
彼女の矜持に、オレはうまく合っていたようだ。
「一応、みんな無事だったからいいじゃないか。流石にエリィを新たな魔王にする訳にはいかないからな。しっかり防がせてもらったよ」
「防いだって……。まあ、会長も副会長も人外ですから理解出来ないことには慣れましたけど」
「おいこら、人外って言うな」
「いや十分人外でしょう? あんな威力の魔法も見たことありませんけど、それを死者なくあの一瞬で防いだのもおかしいですよ」
ロンの言うとおり、エレノアの魔法は混じり気無しの純度100%の殺意が込められていた。
彼女からすれば粛清のつもりだったんだ、仕方ない。
我に返ったオレは普段自分にかけている障壁の範囲を広げ、強度を最大限に上げることで対応したのだ。
「障壁魔法“玄武”の起源化かしら。カル、玄武はあなたの得意技だったわね。防いでくれたことには感謝するわ」
「やあユーリ。皆さんも無事だったようですね」
声の方に顔を向けると、そこにいたのは聖女と傍聴に訪れていた王侯貴族の面々。
ただ、そのいずれもが灰塗れの顔と恨みがましい目でオレのことを見ているではないか。
しかもその中にはアメリさんまで含まれている始末。
エレノアの相手も面倒だが、こちらもかなり面倒そうだ。
「まさに前門の虎、後門の狼と言うやつか。正確には前いるのは竜だけど」
「ふざけてないで説明しなさいな、カル?」
ユーリの声が普段よりも幾オクターブ高い。
まずいな、非常に怒っていらっしゃる。
それに怒っているのは彼女の隣に並ぶアールヴァン族長にミドラス魔王、ナライア首相も同じだ。
この世界の中心的存在である大国の長達が、それはもう恐ろしい目でオレのことを見ていた。
ついでにリオン国王も混じっているが、彼は多少オレと親交があり勇者側というだけあって明確にオレを責めていない。
むしろユーリ達の怒りにあわあわしている。相変わらず使えないおっさんである。
「説明と言っても……ほらさっきの裁判で神竜教の中和剤にエレノアの血が使われていることをカドックが認めただろう? ならあのタイミングで彼女を呼べば、完全に証明できるじゃないか。それに彼女ならその血の効能が伝承通りの万能薬なのか、はたまたそうじゃないのかの真実も語れるし」
彼らに嘘をつく必要もない。
オレは真実を話して怒りの目を向ける彼らと友好的に会話を進めようとしたのだが、ユーリより先に反応した女性がいた。
「そんなのはどうでもいいのだわ! 一体どういうことよ光の賢者⁉︎ エレノアが生きてるですって⁉︎」
最初に出会った時のクールで知的で美の化身のような印象をかなぐり捨て、オレに詰め寄り声を荒げたのはハイエルフのアールヴァン族長だ。
「え? まあ、はい。オレが初めて瘴気をどうにかしたのは彼女だったので。そこで親交を持ちまして……」
「なんで私に真っ先に報告しないのよ⁉︎」
「えぇ?」
とんでもなく理不尽なことを言うお方である。
そもそも、親交のないアールヴァン殿へ最初に報告というのも無茶な話だ。
「賢者よ。エレノア殿が生きていたことにも皆は驚いているが。まさか結婚しているとはな。それなら知らせて欲しかったぞ」
「これはこれミドラス魔王。先日はエレノアがお世話になりました」
「全く、いきなり生きて顔を見せたかと思えば、二言目にはメノン商会と取引しろと迫ってきたからな。どういうことかと思っていたが、なるほど。伴侶の商会ということなら頷ける」
「ちょっと、ミドラス。あなたは知っていたのかしら?」
エレノアとの会談時の状況を話したミドラス魔王にアールヴァン殿が反応した。
かつてエルフの国とエレノアの間に確執があったのは知っているが、この態度を見る限り今でも良好ではないようだ。
ミドラスさんにも喧嘩を売るような勢いで迫り出したため、これ以上話がこじれない内に訳を話しておこう。
「アールヴァン殿。訳あってエレノアの生存は秘密にしていました。彼女のことを知っているのはリオン国王とミドラス魔王、それにあそこで彼女を宥めているアレキサンドロス大王のごく少数のみです」
「大王はともかくリオン国王も?」
そう言って彼女はリオン国王の顔を見た。
何やら不満気な視線だが、まあ理解できなくもない。
先だっての魔王軍との戦いでの最前線に位置したリオン王国だが、言ってしまえばその国の価値はその程度だった。
戦時中は世界連合の本拠地としての役割と、堤防としての役割を持っていはいたが、元はエリュシオン帝国とマケドニアの間に位置した小国。
今は勇者を血筋に迎えることで国際的な地位が多少は上がったが、エルフの国や魔国連邦と比べれば格下であることは否めない。
「リオン王国では勇者たちの慰労会が開かれていましてね。元勇者パーティの一員として顔を出した時に一悶着あったんですよ。そこでエレノアの存在がリオン王国の一部に知られてしまったのです」
「そういうこと。剣聖の戦闘力を元に戻した魔装義手、中和剤すら効かなかった聖女の危篤を救った情報は得ていたけど……まさかエレノアが」
「そういえばあなたの国の新聞にはいろいろと書かれましたねえ。エレノアが妻である以上、女遊びが激しければオレがどうなるかは想像できるので、これは図らずもあなた方の捏造を証明する形にもなりましたか」
「うっ⁉︎」
さらっと嫌味も混ぜておく。
関係を良好にするのに越したことはなく、いずれは取引を願いたい国ではあるが少しばかり弱みとして覚えてもらえればこの後の交渉も有利になるとの打算もあってのことだ。
まあ、ちょっとはこっちだって言い返したいって気持ちもあるのだが。
「チッ、だから大王は昨日の夜にあんなことを言ったのね。これは面倒なことになったのだわ」
最早アールヴァン殿に最初のイメージはない。その超絶な美とは裏腹になかなか人間味のあるお方だ。
まあ、こちらの方が親しみやすいのでいいかもしれない。
「という訳で我が商会の嫌疑はこれにて晴れた、ということでよろしいですかな?」
笑顔で彼らを見回しながら肝心なことを尋ねてみる。
ここにいる連中なら分かるだろう、エレノアは天災のようなものだと。
だから重要なのはもしあのまま裁判が続けばということであり、神竜教の嘘が証明されたことである。
「アメリさん、先のエレノアの証言は証拠になりますよね?」
「カルエル殿……確かにそうですが裁判をこんな形で台無しにされてしまえばいくら証拠があろうとも」
「おっと、つまりエレノアのせいで我が商会の負けということですか? これは全てエレノアのせいだと?」
「うっ、それは……」
オレの意地悪な質問に返答に窮するアメリさん。
当たり前だが、彼女が神竜教の勝訴と言えばエレノアと本格的に敵対することになる。
彼女は公正な裁判長ではあるが、国の存亡がかかるとなるとこれは法ではなく政治の問題になるだろう。
当然、事情を理解しているナライア首相がアメリさんへと声を掛けてきた。
「アメリ長官。エレノア様の関与がある以上、これは司法で裁ける範囲を超えました。どうやらあなたの出番はこれまでのようですよ」
「ナライア首相……それは確かにそうですが」
頭では理解しても、感情では納得出来ないらしい。
まあ無理もないだろう。
最後は暴力でどうにかなるなら司法の意味はないからな。
彼女の気持ちも汲むべきだろう。だからオレはアメリさんに代替え案を提案することにした。
「ご安心ください、アメリさん。オレは法をなるべく守りますがエレノアは人間社会の枠組みに縛られません。これは天災のようなものということで、ここはひとつご理解ください。つきましてはエレノアの証言までを裁判の範囲として受け入れられてはいかがでしょうか」
「……それでエレノア様がまたこのようなことをしない保証になるのですか? 裁判であるなら、私はどこまでも中立です。あなた方に不利な結果が出た時に、またエレノア様が暴挙に出るようなことになるなら、この会話に意味がありません」
「ええ、おっしゃる通りです。しかし、問題ありません。神竜教の虚偽は証明され、エレノアと協力し神竜教の中和剤こそが今回の事件の元凶である証拠を提出しましょう」
「そんなことができるので?」
「無論です。エレノアの協力があれば──つまり彼女の血液サンプルがあれば、神竜教の中和剤の成分と比較できます。オレ達のような魔力で解る者以外にも、魔導科学で証明できることでしょう」
「むう、それは確かにそうですが……」
筋は通っているはずだ。最もそこまでこちらもするつもりはない。
この言葉はあくまで司法を尊重するというメノン商会の会長としての対外的なポーズにすぎない。
ちょうどいい案を今朝に思いついたのだ。もっと早く、シンプルな方法で証明するとしよう。
「──いいでしょう。エレノア様が生きていて、神竜教の証言を否定した。そもそもこれだけで十分、判決はでます」
「おお、話が早い。では──」
と、その時。
話がまとまりそうなこの場に水を差すように、怒りの声が聞こえてきた。
「ふ、ふざけるな貴様ら! この茶番は一体なんだ⁉︎ いかにエレノアが生きていたからといってこんな無法が許されるのか⁉︎ アメリ裁判長、あなたもだ。我ら神竜教を敵に回すことになるぞ‼︎」
見れば灰に塗れたカドックが歯を剥き出しにしながらこちらを睨んでいるではないか。
普通に考えれば神竜教を敵に回すよりも、エレノアを敵に回す方が面倒だと思うのだが。
カドックはそんなこともわからないのだろうか。
しかし、アメリさんにとっては彼の言葉も重要な意味を持つ。
エレノアか神竜教か、いずれにせよ敵に回すには彼女、ひいてはこの共和国にとって強大すぎる相手だろう。
「敵に回すかどうかで判決は決めません。証拠と証言を持って判決します」
それでも毅然と言い返したのだから、アメリさんはやはりすごい。
だがそんな彼女の高潔な人間性もカドックには通じないようだ。
「覚悟しておけ」だの「もう終わりだ」だのと大きな声で叫んでいる。
「もうなりふり構ってませんね。あんなのをちゃんと助けるなんて、ほんと会長もいい人ですね」
「いや、そうでもないぞ?」
「え?」
カドックを助けたのには訳がある。
彼のことは、万が一裁判が負けそうになった時の保険として使おうと思っていたのだ。
そしてその使い道はまだ十分に残っている。
「パラティッシの件はシースにとっても予想外の訪問だったのだろうな。おかげでオレはこの方法を思いつけた」
昨日のパラティッシで行った索敵は、オレにとって重要なメリットをもたらした。
「ククク。今日の裁判に出廷したのがシースではなくカドックだということも、まさに天がオレに味方したような幸運だったよ」
「か、会長?」
では、そろそろ仕上げといこうじゃないか。
オレの目的は最初から裁判で勝つことだけじゃない、神竜教を滅ぼすことだ。
──カドック、お前個人に恨みはないが精々利用させてもらうとしよう。
ロンが驚いた表情でオレを見つめている。
そう言えば彼女はいつか話していたな、オレのことを魔術師らしくないと。
でもオレが今から行うことを知ればその認識を改めるだろう。
それはまさに非情で冷徹な、計算高い模範的な魔術師としての在り方なのだから。
「賢者よ、貴様も調子に乗るなよ⁉︎ 例えエレノアが居ようと偉大なシース教皇が率いる我が教だ──」
カドックの言葉はそこで終わる。
「が、がああああ⁉︎」
今、カドックの口から漏れているのは悲鳴。
そして目と口、鼻という顔にある穴から漏れ出る大量の灰色の気体だ。
「こ、これは一体⁉︎」
周囲の人間が、彼の異変に驚きの声を上げた。
「会長、この現象はまさか昨日の⁉︎」
「心配するなロン」
「心配するなってあれは瘴気じゃないですか! これじゃパラティッシみたいに、あいつも魔王の──ってまさか」
目の前の現象を不敵に笑うオレを見て、どうやらロンは気付いたらしい。
その顔が驚愕に染まっていく。
だからオレはとても愉快な感情で告げた。
「それでは始めようじゃないか、神竜教団の終わりを」
世界を救い続けた英雄──我が妻を裏切り苦しめたその裁きを。




