妻の怒り
「ゲフゥ‼︎」
王侯貴族が集うこの大勢の前でみっともなくぶっ飛ぶ男。そう、オレである。
証言台の場所から、傍聴席の入り口にまで簡単に吹っ飛び壁にめり込んだその衝撃はこの場にいる全員に伝わったことであろう。
世界樹ユグドラシルで作られたこの裁判所はちょっとやそっとの衝撃では揺るがない。
膨大な魔力を宿した神秘の大木は、その頑強さもただの木材とは異なるからだ。
しかしオレは鉄よりしなやかで、鉄以上の強度を持つこの木々で作られたの壁に叩きつけられ大きなクレーターを作っていた。
「「「おおっ⁉︎」」」
そんな世界樹の施設を簡単に破壊するほどの威力で衝突したオレに対し、感嘆の声をあげている諸侯。
感動している場合ではなく、これは間違いなくこちらの心配へのをすべきことだろうに一体どうしたことか。
「か、カルエル殿⁉︎」
唯一アメリさんだけがオレの心配をしてくれた。
やはり彼女は優しい。
はるか遠くではあるがオレの名前を心配そうに呼んだ彼女の優しさは、物理的に打ちのめされているオレの心に深く染み入った。
事が終わり次第、メノン商会から特別の御礼品を差し上げよう。
なんてことを壁にめり込みながら考えていると、誰かがオレの頭を掴んで壁から引き抜いた。
「マスター? これは一体どういうこと?」
猫を撫でるような、いつもより甲高い声でオレを呼び丁寧な口調で心中ブチ切れていらっしゃる我が妻エレノアである。
いきなり衆目に裸を晒されたのだ、その怒りも理解できる。
裁判のことしか考えず、彼女の状況を全く考慮しなかったオレの愚行ゆえ、彼女の怒りを受け止めるのはやぶさかではないのだが……。
彼女の力が強すぎで、ちょっと逃げ出したい。
低位の軍団魔法なら防げるオレの魔法防壁を簡単に突破された挙句、身体強化を施したというのに全身の骨に異常をきたしたのだ。
そう思っても無理もないことであろう。
「じ、実はこれには訳があって……」
「訳? 私の裸を公衆に晒すことに訳があるの?」
半端な言い訳は火に油だった。
笑顔がより綺麗になり、それに比例するかのように彼女の怒気が増していく。
「ごめんなさい! 本当にごめんさい!」
彼女に顔を掴まれたまま持ち上げられ、みっともなく許しを乞う男の姿。
きっと今頃は先ほどオレに感心し見直したはずのロンが、呆れを通り越し蔑みの表情すら浮かべていることだろう。
「それで、ここは……」
エレノアはそのまま コンサートホールのような広いこの場を見回した。
そこでようやく、さっきオレの横にいた人物を認識する。
「──ほう? 貴様はカドックではないか」
「え、エレノア……!」
「久しぶりだな。確かあの時、瀕死だった私に攻撃魔法を叩き込んでくれて以来じゃないか?」
かつての光景を思い起こしたエレノアの手に力が漲る。
彼女の放っていた怒気が殺気と混ざり合い、一般人には耐え難い覇気となってこの空間を侵食し始めた。
圧倒的強者しか持ち得ないその覇気は、この場にいる彼女以外の全員に生物が持つ根源的な恐怖を呼び覚ました。
当然、そんな怒れる彼女に掴まれているオレの頭が無事なはずもない。
ミシミシと、いつかのアイアンクローよりも強い力がオレの頭蓋を苛む。
咄嗟に強化魔法をかけていなければ、この場で非常にグロテスクな光景をお見せしたことになっていただろう。
これは全てカドックが原因ではあるが、きっかけはオレなので一応文句は控えて注意を促すだけにする。
「痛い、痛いよーエレノア? オレの頭蓋骨から変な音がしてるよー?」
若干理性が飛びかけていた彼女に小声で話すと軽い浮遊感が身を包み、頭の激痛から解放された。
だが次に襲ってきたのは体全体を打ち据える重い衝撃。
「がはっ‼︎」
なんのことはない、彼女が距離十メートルはあろうかという証言台までオレを放り投げたのだ。
当然、そこに設置してあったいろいろなものにぶつかりながらオレの体は勢い止まず進んでいく。
最終的にはアメリさんの座る高台に激突してようやくオレは停止した。
もはや裁判もへったくれもない。
ロンは早々に関係者席から避難を完了させており、こんな時に不届き者を懲らしめるはずの騎士達は何もできずに固まっている。
「だ、大丈夫ですか?」
ぼうっと高台に激突したまま現実逃避をしていたオレにアメリさんが心配して駆け寄ってきてくれた。
ああ、なんて優しい人なんだ。
思わず差し出された手に頬擦りしたくなる。
「マスター?」
無論、そんなことを許す彼女ではない。
カドックに注意を向けていたはずのエレノアはアメリさんに意識を向けたオレに目ざとく気づくと、この僅かな距離をテレポートしてきて仰向けに倒れていたオレの片足を掴む。
そしてそのまま後方にぶん投げられたオレは、勢いのまま証言台にぶつかりその台をぶっ飛ばした。
世界樹が放つ神聖で厳かな雰囲気までも無惨に壊され、オレはそのまま傍聴席の前にある柵にぶつかって停止する。
仰向けに倒れるオレを覗き込むように見るはの呆れた顔の大王と聖女だった。
身体強化したとはいえ、背中に生じた激痛で軽い呼吸困難になっているオレを無視してエレノアがアメリさんに絡み出す。
「え、エレノア様⁉︎ あ、あの、本当に貴方様なのですか……」
「なんだ貴様は? 我が夫に何か用か? 」
「「「夫⁉︎」」」
彼女の発言に、この場の皆の視線が再びオレに集まる。
皆が驚愕の表情を浮かべる中、この上なく綺麗で人形のようだったハイエルフのアールヴァン族長がよく見ると震えていた。
この場に満ちるエレノアの怒気は素人でも肌がピリつくように感じ取れるほどに濃厚だ。
そんな彼女の姿に、きっとエレノアとの過去にあった確執を思い出しているのかもしれない。
美白の極みのような白い肌を持つ彼女の顔が若干、青ざめてみれるからあながち間違いではないだろう。
「──まさか貴様もあの女のように我が夫を誘惑するつもりではあるまいな」
そんな怒気を今一身に浴びているのは彼女の前に立つアメリさんである。
どうやらエレノアは、いつかのナナリーのことを思い出したらしい。
事実無根な疑いを掛けられたアメリさんが涙目になりながら全力で首を横に振っていた。
「え、エリィ! オレが悪かったから事情を説明させてくれ!」
このままでは何かの間違いが起こるかもしれない。
アメリさんの命を守るため、オレは急いで体を起こすとエレノアに話しかけた。
オレに向き直る彼女、どうやら有無を言わさないあの状態からはいくらかの冷静さを取り戻したらしく話を聞いてくれるようで安心した。
先ほどの怒りはきっと、不埒者に誅を下したことにより一旦は落ち着いたのだろう。
またぶっ飛ばされるんじゃないかと、こっそりさっきよりも頑強な防壁を用意していたのは内緒にしておく。
「マスター。この女の格好といい、この場所は裁判所か?」
「うん、そうだよ。彼女はアメリさんと言ってね、オレが訴えられた裁判の判事を務めてくれているんだよ」
「訴えられた?」
仕方なくオレは彼女に今までの経緯を説明する。
彼女と雷光通信を終えたあの後、神竜教が中和剤に言いがかりをつけてきたこと。
そして今、まさに証言と証拠を持ってこの裁判で無罪を勝ち取ろうとしたこと。
そのためにエレノアをこの場に呼び寄せたことを。
「なんだそういうことか」
黙って聞いていた彼女は、意外にも怒らず淡々とそう言った。
せっかく落ち着いたのにまた怒り出さないかと心配していたが、彼女は平然としている。
そんなエレノアの姿を息を呑むようにこの場に集った諸侯が見守っていた。
彼らの気持ちもわかるが、エレノアだってオレの言うことを聞いて正体を隠したり、顔を隠したりできるほどには理性的なのだ。
伝説が伝説なので仕方ないが、しっかり話せばわかってくれる人なのだ。
最初は怒り心頭だったが、今はどうやらオレの言葉と気持ちが通じたようで安心する。
「わかってくれ──」
「そんなの消せばいいだけじゃないか」
「──え?」
平然と、そんなことを言ってのけるエレノア。
何の前触れも、予備動作もなく、エレノアの恐ろしいほどの魔力が一瞬で彼女の片手に集まった。
その圧倒的な力に、この場の全員の顔が一瞬で引き攣る。
エレノアが片手に宿した魔力は尋常な量ではなく、きっとこの首都を簡単に滅ぼせるだけの威力秘めているだろう。
そんな危険極まりない片手を彼女はそのままカドックに向けた。
「ちょっ待っ⁉︎」
オレの制止を無視してエレノアはなんの躊躇も見せず、カドックに向けてその魔力を解き放ったのだ。




