賢者の誤算、再び
赤を基調とした竜神のエンブレムが描かれた豪華な衣装を身に纏うその姿。
「……」
神竜教の枢機卿カドックは黙ったまま、この場の全員に目を向けた。
シースと同じように微笑みを浮かべるその表情。
しかし彼と決定的に違うのは、その瞳に含む他者への侮蔑の感情を隠そうともしないことだ。
「どうされました枢機卿? 反証をどうぞ」
アメリに続きを促されても、彼は冷たく彼女を一瞥するだけ。
押し黙るその雰囲気が、妙な威圧を周囲に与えていた。
「反証できないのであれば、このまま決着でいいかな?」
続きが進まないのでは話にならない。
こっちは既に時限爆弾の解除に当たっているんだ、さっさとしてほしいという感情を全面に押し出しカドックにぶつけた。
「──では、今からこのカドックが賢者の陰謀を暴きましょう」
彼は芝居がかった口調でそう言うと、アメリさんにその不敵に笑みを向けた。
先ほどからまるで切って張り付けたように浮かべているその表情。
裏側にドロドロした感情が渦巻いているであろうことが、容易に感じ取れる。
「我が神竜教の中和剤には確かにエレノア皇女の血による回復の効能が含まれています」
ああ、でも。
すまない、カドック。お前が今更何をしても全てが遅いんだ。
裁判は始まる前に終わっていたのさ。
オレをパラティッシに招いたのが運の尽き。
それがわかっているからこそ、シースも今日この場に来なかったのだろう。
「ですがそれは魔力を暴走させるような効果はありません」
「ほう?」
「彼女の血は伝説の通り、相手の傷や病を癒すもの。魔力をどうこうするものではありません」
「つまり、あなた方の中和剤も魔力に影響はないと?」
「ええ、そうですアメリ裁判長」
ふむ、と。アメリさんが思考を整理するために一息ついた。
その瞬間を狙い、カドックが言葉を畳み掛ける。
「私は先の賢者の言葉を疑っています」
「え? それはどのような……」
「星垓魔力と賢者殿はおっしゃられましたが……そのような魔力、本当に存在するのでしょうか?」
「そ、それは」
「どこかの学術機関で証明でもされていますか?」
予想通り、枢機卿はオレの証言の信憑性を下げる手段できた。
確かに証明という話になると、それ相応の論文などによる証拠が必要になるだろう。
「それは……どうなのでしょうか、カルエル殿」
「もちろん、ありません。星垓魔力は七賢者のみが研究しており、公にはしていませんでしたから」
「ほらそうでしょう! そもそもあなたの言うことはどれも証拠がないのです!」
そう、こちらを糾弾するカドック。
だがそれをいうならそっちも同じだろうに。
「ではお聞きしますが、エレノア皇女の血を一般人に流用して、本当に副作用は起きなかったのですか? 仮にも竜種の覚醒者ですよ?」
「ふん、それは彼女の伝説でも証明されているではないか! 死にかけた英雄すら救ったのだと」
「た、確かに……」
皆の視線が、傍聴席にいるアレキサンドロス大王に集まる。
その当人は、険しい顔でカドックを見つめていた。
「いや彼は竜種と人族のハーフです。残念ながら参考にはならないかと」
「なんだって⁉︎」
さらっと大王のルーツを暴露するオレに周囲の皆が驚いた。
彼の視線がオレの背後に突き刺さるのをヒシヒシと感じるが、無視しておく。
……でも怖いので後でしっかり謝っておこう。
「ちなみに彼女の血は万能薬ではありますが、同時に劇薬でもあります。当たり前ですが、起源魔法を連発するオレよりも豊富な魔力量をその身に宿す覚醒竜種の力が、微量な魔力しか持たない一般人に本当に薬になると思いますか?」
オレの問いに皆が混乱していくのがわかった。
「ふ、フハハハハ! なんで彼女の血をあなたがそれほど知っているのです? 我が教団が一番詳しいに決まっているではないですか!」
「いやあ、それはどうでしょうかね」
多分、オレが瘴気に次いで詳しいのが、彼女の血だろう。
「よくわかりませんが戯言で惑わす作戦ですかね? それに、さっきも言いましたがあなたは自分の発言を証明する手段はないでしょう?」
「それはそちらもそうでしょう?」
「お忘れですか? 今回の被害者は皆が中和剤を使用した結果、魔力暴走したと証言しているのです! それが何よりの証拠ですよ!」
「──つまり、証言があれば証拠になると?」
「当たり前でしょう? 何を言っているのですか?」
よしよし、これで言質は取った。
面白いようにこちらの策にハマってくれる枢機卿に感謝状を送りたいくらいだ。
シースめ、人選を間違えたな。
「裁判長も。エレノアの血が劇薬であるという証言があれば、証拠として採用すると言うことで構いませんね?」
「え、ええ。しかし、誰がその証言を?」
念の為、アメリさんにも確認しておく。
カドックと彼女がOKと言うのなら、この裁判は間違いなくオレの勝ちで終わるのだから。
「くくく、あなたのお仲間にでも頼みますか? あなたの関係者からの証言がどれほど信憑性を保証するのかはわかりませんが」
それが例え勇者でもね、と。
陰湿に囀るカドックを、自分の有利を疑わない彼を、オレは冷めた目で見ていた。
じゃあ、そろそろ彼女を有効活用するとしようじゃないか。
「そうですね。確かに彼女はオレの関係者だ」
「彼女? そういえば先ほど大王とも話されていましたが、新たな証人がいるのですか? 私には事前に何の申し立てもありませんでしたが」
あの大王が驚いた人物に周囲も興味津々のようだ。
無論、知っている人は体を強張らせ、不測の事態に備えてこそっと魔力を体に巡らせて身を守ろうとしている。
「申し訳ありません、裁判長。彼女の存在は訳あって隠していたものですから」
「それはどういう──」
「エレノアの血が、本当に劇薬でないのかどうか」
勿体ぶるように、一呼吸をおく。
するとアメリさんの顔が、もしかしてと驚愕に染まっていくのでちょっと面白い。
「本人に聞いてみましょう」
「「「えっ」」」
オレの発言に、この場に集まったほぼ全ての人々がそんな言葉を漏らした。
カドックですら理解が追いついていないと言う顔をしているのだから愉快でしょうがない。
そんな諸侯を前にして、オレは彼女を呼ぶために制約の力を使った。
「さあ来い、エレノア」
「なっ!!?」
異質な魔力がこの法廷に吹き荒れた。
それはオレの魔法の行使にあらず。
彼女の行動を縛り、強制するもの。
つまり、彼女自身が自分の魔力でこちらに転移してきたのだ。
「あ──」
思わずそう呟いたのは、彼女の生存を知らぬ者たちではなく、この場に呼び寄せたオレ自身だ。
この場に突然現れたエレノアを見て、オレとの関係を知っている聖女達までもが驚愕している。
(──あ、やばい)
無理もない、オレも大きく驚き、自分のしてしまったことを後悔しているのだから。
そう、オレはとんでもないミスをやらかしてしまったのだ。
ここ一番のタイミングで彼女を強制召喚したオレの緻密な法廷ストーリーは完璧だった。
彼女の存在を知らしめる絶好の機会であり、彼女の証言さえ取れれば、何が真実であるのか確定しこの裁判に圧勝できるように持っていったのだから。
無論、最初からこうなるように、カドックを追い込んでいたのだ。
──でも。
オレは肝心なことを忘れていた。
それは何故、彼女が今のこの場にいなかったのかである。
彼女と連絡が取れなくなったのは、魔国連邦で彼女が温泉の話を嬉しそうに語った時からだ。
だからオレはきっと、彼女が気に入った温泉の、その源泉にでも浸かって時を忘れているのだろうと考えていた。
ロンにもそう説明し、彼女が全てに気付くまで、彼女がその力を持って事態を収集不可能な状態にする前に、どうにかしようと動いていたのだ。
紆余曲折はあったものの、それは無事果たされた……いや、今まさに果たされようとしていた。
──だから、である。
もし今、彼女を強制召喚したら。
源泉に浸かっているであろう彼女が当然のように一糸まとわぬ姿であることは、容易に想像できたことだろう。
そんなこと、少し考えればわかることだったであろう。
だが、全て自分の策略通りに裁判が進みカドックを追い詰め、いつもオレを小馬鹿にしていたロンを驚かせて気分をよくし浮ついたオレは、一番重要なそこを忘れていたのだ。
「──マスター?」
久しぶりに聞く最愛の妻の声が、死刑宣告に等しく聞こえてしまう。
キョトンとしていたエレノアだがすぐに事情を把握し、この原因を作ったオレに優しく微笑みかけてくる。
瞬時に魔力を纏い、自身の魔力で編んだ服を身につけたので、その美の彫刻のような体はすぐに隠されてしまった。
──威風堂々と、無言で彼女がオレに歩み寄ってくる。
しかし、である。
一瞬ではあるが、我が妻の美しい裸体はこの衆目に晒されてしまったのだ。
七賢者随一の有名人であり、教本にすら描かれる伝説の滅竜皇女エレノアの裸が、この場の皆に晒されてしまったのだ。
──この上なく綺麗な、まるで天上の女神のような微笑みを浮かべて。
きっとそれは、この場の皆の度肝を抜いたことであろう。
彼女が生きていることだけでも驚くのに、その上で彼女が全裸で現れたのだから。
今の今まで敵対し憎しみをたぎらせていたカドックや、覇王と名高いかのアレキサンドロス大王ですら、ポカンと口を開いて意識が追いついていない様子なのだ。
──その全身から、憤怒の化身のようなオーラを漂わせながら。
もちろんこれは全て、オレのせいである。
ここまで非常に順調にきていたオレの命運は、もしかしたらここで潰えるのかもしれない。
──彼女は咄嗟にオレが展開した魔力防壁を、いとも容易くぶち抜いた。




