それぞれの思惑
「二年前。エリザベスをこの国から追放した、そのすぐ後だ……」
訥々と、シン王は悔しげな表情を浮かべて当時のことを語り出した。
それは無力な己を恥じる為政者の姿のようでもあり、とてもロンを追い出すような人物には見えなかった。
昼間の謁見の間で出会った時とは大きく違うその態度。
王は包み隠さず、今この国に何が起きているのかを話した。
「夜になれば、奴らが現れ出すと?」
「ああ。なぜか昼間には出てこない。どこに潜んでいるのかも掴めていないのだ」
「……なるほど」
魔王軍と戦った時、そんなことは一度もなかった。
魔王の尖兵と化した魔獣たちに身を隠す知恵はなく、あるのは上位存在──つまり魔王ヨルムンガンドの思念を受け人の多い場所を襲うというひどく原始的なもの。
そんなモノ決まった時間に現れてこの国を襲う。
しかも塀の外ではなく、街の中にいきなり現れるとなると……。
「神竜教は?」
無論、この国に本部のある彼らも例外ではないはず。
何かしらの被害が自分たちに出ている以上、放置はしないだろう。
「ああ、彼らは魔物避けの魔具を民に向けて配り出したよ」
どうやらその魔具のおかげで、設置した家の中までは魔獣たちは入ってこなくなったらしい。
「それはすぐに?」
「ん? ああ、次の日にはこの町の皆に配り始めたな」
それはなんとも出来過ぎた話だ。
明らかに怪しい行動をとる神竜教が全ての糸を裏で引いているのだろう。
そう考えたのは、当然オレだけではない。
「そんなの、仕込まれたに決まっているじゃない。まさか知ってて彼らを放置したの?」
ロンが昔の口調で王を責める。
そんな彼女を気にすることもなく、王は淡々と事実を話す。
「無論、そうだ」
王たちも神竜教が怪しいと知って放置したのだと、そう答えた。
「……まさかそこまでとは、呆れ果てたわね」
「ああ、そうだな」
ロンの侮蔑を含んだ言葉を、王は怒るわけでもなく粛々と受け止める。
「あれらの方が今は民の支持も高い。雨を降らせて水を行き渡らせ、今度は魔獣の被害から救ったのだからな」
手出しできるはずもない、と。
諦観の様子を滲ませながら、王は静かにロンに釈明した。
「でも、民に被害が出てるじゃない! 放置するなんて王としてありえ……」
「ロン、抑えろ。それは彼が決めることだ」
「ちっ」
たしなめるオレにロンは舌打ちで返す。
もう自分には関係ないと割り切ってたくせに、為政者としての態度に怒るとは、貴族としての誇りはまだ失われていなかったようだ。
態度は悪いが、本当に真面目でいい子だと思う。
「で、どうするんですか会長?」
ここまでの話を聞いて、今後の方針をロンが尋ねてきた。
と言っても、さっき奴らは全て滅ぼしたから後は特にすることはない。
明日再開される裁判を待つだけた。
「なに。もう証拠も証言も十分に揃った。王の話は神竜教のとある悪事を示している。明日の裁判で全て証明してみせるさ。それに今、彼のおかげで証明するためのストーリーも組み上がったことだしな」
「え? 本当に大丈夫ですか? シンの話はあくまで疑いがあると示すだけで、なんの証拠もありませんよ?」
不安そうにロンが言う。
どうやらまったく信用されていないらしい。
まあ、先日のオレの法廷ストーリーを見れば無理もないことだが、ここまで来てオレもミスは犯さない。
「もちろん、わかっているよ。でも大丈夫だ。オレの中で全てがつながった」
「どういうことです?」
「オレは恐らく、今この世界で一番瘴気に詳しく精通している。人の中に潜んでいるかどうかの判別もできる程度にはな。意味はわかるな?」
「……まさか⁉︎」
どうやら彼女も思い出したようだ。
最初に出会った時、彼女の中を蝕む瘴気をオレがどう扱ったのかを。
「まったく、この国がこうなっていては仕方ない。本当はオレもはここまで大事にするつもりはなかったんだがな」
「ふふ、商会立ち上げ時、神竜教のアポも会談要請も全て断っておいですか?」
「いや、敵対するつもりはあっても、奴らの衰退か自滅を促すつもりだったんだよ」
直接手を下す場合は、彼女がそうしたいと思ったのならとしか考えていなかった。
だが意外にもエレノアは魔力を取り戻し、体を回復させたあとも教団に手を出そうとはしなかったのだ。
あれほどの仕打ちを受けておきながら、オレの好きにしろと言った時は驚いた。
苛烈な彼女らしからぬ、その言動。
エレノアの過去を詳しくは知らないが、彼女の情が残るほどの何かがあそこに──シースにあるのかもしれない。
それでも、今回の光景を見て決心したことがある。
「オレは、神竜教団を滅ぼすよ」
この国の現状と、王を取り巻くその環境──ロンに降りかかったその災難を知って、オレはそう決心したのだ。
「……会長は意外と怖い人ですね」
「おいおい、当たり前だろう? オレは魔術師だぞ? ユーリのような聖女じゃないんだ」
一般的に魔術を扱う者は計算高く、冷酷であることが多い。
そう言われると、まあ確かにオレは一般的な魔術師像とは違うのかもしれないがな。
故郷を滅ぼされ、自分に適合する力を身につけた結果、魔術師になったオレは研究やら真理を求める連中は違うのもしょうがないだろう。
「なら後はもう力で攻めればいいのでは? 奴らの悪事を証明できるなら、律儀に裁判する必要もないでしょう」
それだけの力を持っているでしょうにと、ロンが不思議そうに言う。
「そんな暴君みたいなのはオレに似合わないだろう? こんな善良な賢者、そうはいないぞ?」
軽くふざけるオレにロンは笑うことなく文句を言ってきた。
「にしては普段がだらしなさすぎますよ」
いや、今のは笑うところだろうに。
そのままロンは呆れたようにオレに不満をぶつけてくる。
「もっとしっかりしてくれれば、私の苦労も減るのですが……」
「おいおい、なんてことを言うんだ。オレは上司だぞ? 君の上司!」
「はっ」
おい、鼻で笑いやがったぞこの野郎。
「賢者よ、聞きたいのだが……奴らはもう現れないのか?」
なんてロンと戯れていたら、王が割って入ってきた。
「ええ、大丈夫ですよ。奴らの正体もわかりました」
「本当か⁉︎」
驚く王にオレは一番大事なことを確認する。
「ところで、シン王。神竜教の作った中和剤を使用されましたか?」
「いや、あれは奴らの教団の信者の一部にしかまだ使われていない」
「そうですか。その信者たちには申し訳ないことをした……」
「どういう意味かな?」
「だって、オレがさっき滅ぼした魔王の尖兵。彼らは昼間、敬虔な信者として奴らの本拠地に居た者たちなんですから」
「「なっ⁉︎」」
そう、なんのことはない。
ヤツらは最初からこの国の中にいたのだ。
昼間のシースに賛同した信者の面々、その異様さとあの時不思議に思った僅かな違和感。
先ほどの軍団魔法で対象を選定する時、魔獣たちの中を探り、教団の敷地まで索敵したのが功を奏した。
あそこにいた人間の数がどうみても減っており、あの時に感じた僅かな魔力は間違いなく先ほどの──。
「忠告です。裁判が終わるまでの間、神竜教が差し出てくるものには御用心を」
「──わかった」
特に言い返すこともなく、王はオレの言葉を受け入れた。
「シン王、失礼します」
その時、控えていた公爵が王に近寄りそっと耳打ちする。
「ふむ、賢者よ。あなたが一掃してくれたおかげで魔獣たちの被害を抑えれたようだ」
「それはよかった」
「だが、あの光の雨について民のみならず、隣国からも問い合わせが入っている。よければ──」
「オレは明日の裁判を待つ身。あなたと同行はできませんが、正直に話してくださって結構です」
「──そうか」
彼の言わんとしていることを察して先に釘を刺しておく。
本当は日を改めて、さっきの便宜を図ると言ってくれた内容についても詳細を詰めたいところだが、想像以上の神竜教の状態に、オレも方針を転換せざるを得ないのだ。
「後日、改めてお会いしましょう」
「──わかった。この場所は好きに使ってくれ」
王はそう言い残し、やってきた衛兵たちと共に、公爵を連れてこの屋敷から出て行った。
街の無事を見回り、事後処理に追われるのだろう。
そんな彼らの背中を見て、どうしても気になることがあったので彼女に尋ねてみる。
「なあ、ロン。もう一度シン王、そしてアバローナ公爵とも話し合った方がいいんじゃないか」
「結構です」
「そうか……」
そう、冷たく断るロン。
この子は知らないので、無理はないだろう。
過去の話を聞いている間、彼らがぐっと怒りを我慢していたことを。
彼らの盗聴している時の様子を魔法による索敵で見ていたオレは、だからきっと何か訳があるのだろうと、彼らのロンに対する態度を問い詰めることはしなかった。
(オレが迂闊に踏む込むことでもないけど……)
彼らが何かを隠しているなら、安易にオレが関わることもない。
「それで、明日が裁判なのでしょう? 一体何をするつもりですか?」
「ああ、まあ助っ人にも手伝ってもらおうと思ってな。相手は神竜教、オレも自分の手札にあるカードを惜しみなく使うさ」
ちょうどその時、オレの持つ雷光水晶に通信が入った。
相手はリオン王国に居を構える、オレの昔の仲間。
彼女の側近の、レイという名のメイドからだ。
『カルエル様。国王に言伝された件、ナナリー様は快諾されました』
「そうか! 助かったよ」
「ナナリー? 剣聖の?」
ロンには何も言ってなかったので首を傾げている。
この屋敷に来る少し前、アメリさんが帰る時に頼んでいた内容を無事にリオン国王に伝えてくれたようだ。
パラティッシは至る所に神竜教の目があるので、彼女に直接連絡を取るのをためらったオレは、ナナリーへの依頼をアメリさん経由でリオン国王に伝えるようお願いしたのだ。
一応リオン国王の許可も、形式的とはいえ取る必要もあったから、一石二鳥だろう。
いくらかつての仲間とはいえ、ナナリーは剣聖であり、リオン王国の主要人物であり主力戦力。
彼女を動かすとなれば、国王にも話を通しておかなければならないからな。
『カルエル様。ありがとうございます』
「おいおい、礼を言うのはオレの方さ」
『あの人は……ずっと自分を責めて、塞ぎ込んでいました。あなたに頼られ、ようやく前を向くきっかけを見つけたようです』
「自分を? まったく……なあ、レイ。この言葉を彼女に伝えておいてくれないか」
『はい?』
「──ありがとう、ナナリー」
『ぐすっ……』
『うふふ、畏まりました』
どうせ通話を拡張音声にしてレイの隣で聞いていたのだろう。
雷光を終える前、彼女が泣き出すような声がした。
それにしてもまだ、オレのことを引きずっていたとは、少し複雑な心境だ。
「だが、まあこれで憂いは無くなったな」
準備は整った。
あとは証拠を揃えて明日の裁判で決着をつけるのみ。
幸い、あの大魔術を使用しても彼女に感知はされなかったようだ。
いや、他に夢中で後回しにしている方が正確かもしれない。
まあ、彼女には後で参加してもらうことにして、ようやくヤツらを追い詰めることが出来る。
「さあ、シース。明日が年貢の納め時だ。行くぞ、ロン」
「はい!」
神竜教に最後のトドメを刺すべく、オレはロンと一緒にリビアへと移動した。
※
賢者の言葉に嘘はなく、あの光の雨は本当にこの国に蔓延った魔獣のみを滅ぼしていた。
全ては光の賢者による軍団魔法の行使であることを外交ルートを通じて諸外国に伝達した王が部屋に戻ったのは、カルエルたちが去ってから数時間後の深夜だった。
「よかったのですか、王子?」
ぐったりと、疲れたようにソファーにもたれかかるシンにアバローナは声をかけた。
「お前こそ、アバローナ。あと、もう王子ではないぞ? 二人の時に昔の癖が出るのは治らんようだな」
「ふむ、これは失礼」
二人の間に堅苦しさはなく、まるで彼女がいた時のような軽い雰囲気で会話を始めた。
「それで、エリザを襲った者はやはり?」
「ええ、すぐに調べました。間違いなく、サラドの息の掛かった者かと……」
「奴の飼い犬か。まさかそこまで多いとはな」
大きくため息をついて、頭を抱えたシン。
ソファーの前に置かれたテーブルの上に、アバローナは今しがた用意したコーヒーを、置いた二つのカップに注いだ。
「あの御者は貴族達が使用する商会から派遣された者でした。無論、我が公爵家も、そして王家もそこを使用していましたが……」
当たり前のようにシンが用意されたカップを口に運ぶ。
アバローナも王の対面に座ると、コーヒーを口にした。
王と公爵の間には礼儀作法といったものはなく、気軽に接している。
不意に、シンが疲れたように語った。
「やれやれ。貴族による魔道馬車の私的雇用を禁止し、全てを民間商会に外注で済ませようとしたことが仇となったか」
「それは仕方ありません。内乱による経済停滞打開のため、貴族に金を使わせ、新たな雇用を生み出そうとしたのは間違いではありませんから……」
次の瞬間、アバローナの持つカップが割れ、中身が彼にこぼれた。
見ればカップの持ち手が粉々に砕けている。
「ただ、まさかヤツがそこに間者を潜ませていたとは。本当に、どこまでも忌々しい愚物めっ……‼︎」
どうやらあり得ないほどの力を入れたようで、そんな彼を困ったように笑いながらシンは嗜めた。
「そう怒るなアバローナ。あの子が無事であったのなら、まずはそれでいい」
「──はい」
簡単な浄化魔術で服の汚れを落としたアバローナは、壊してしまったカップをすぐに片付けると何事もなかったかのようにもう一つ用意して、シンの正面に座る。
「さて、サラドに落とし前をつけさせてやりたいが……」
「今はまだ時期尚早かと」
「だな。しかし、賢者があそこまで規格外だとは思わなんだ」
「ふふふ、本当にすごいのはあの子です。エリザベスにはやはり才覚がある。まさかあの賢者の側近になって、しかもメノン商会の中心的存在にまで昇り詰めているとは。王子の予想が当たりましたね」
「──ああ、そのようだな」
相変わらずの親バカめ、とシンは笑う。
ここ最近、いや彼女が去ってから気苦労が絶えることのなかったシンだが、久しぶりに笑えるような心地よい気持ちになった。
「アバローナ、シースは油断ならない男だ。エリザベスは賢者に任せよう」
「御意」
「くくく、だがまたこうして生きてエリザベスに会うことができるとは……サラドはよほどの無能だったとみえる」
「ええ、流石にシースもサラドを擁立することはできなかったようですね」
「まあ、我らにとっては幸運だった」
「はい」
その有様は主従というよりは、慣れ親しんだ友のようだ。
新しいカップを用意したアバローナに、シンがポットに入ったコーヒーを注ぐ。
王の行為を気にすることもなく彼は一口飲むと、気になっていることを聞いた。
「賢者殿は果たして、シースに勝てるでしょうか?」
「おそらくは、無理であろうな。賢者も規格外だが、あれは得体が知れん。あるとすれば、せいぜいが痛み分けではないか?」
「やはり、王子もそう思いましたか……」
「いずれにせよ、だ。あの時に話した通り、我らに先はない。賢者に期待するのは、いささか無謀であろう」
「ええ、期待など抱いておりませんとも。覚悟はあの時に済ましておりますので」
二人の会話は、いったんそこで落ち着いた。
ずずっとコーヒーを啜る音だけが、真夜中の執務室に響いている。
「──エヴァンスの墓参りくらいは許してやってもよかったのでは?」
「なりません。この国はもう、我らの国ではないのです。悪戯に国内に留まれば、あの子の身に何が起きるか……」
唐突に会話を再開したシンの問いに、アバローナがはっきりと否と示す。
「それに墓参りなら、全てが終わった後──我らがいなくなった後でもできます」
「くくく。頼りない王ですまないな、アバローナ」
落ち着いたように話す二人の男。
それはかつて彼女が愛した光景であり、彼女が愛した二人のままだった。
「あの時、話した通りです。最後までお供いたします、王子」
「ああ」
彼女の知らない二人の男の物語が、誰に気づかれることもないままそっと、終わりを迎えようとしていた。




