去る者と残る者
父に連れられて戻ったベイロンの家で、私は自分の部屋に軟禁されていた。
他でもない、父の命によって。
部屋の扉の外には衛兵が立って警護に当たっている。
もちろん、私が逃げ出さないよう監視するためだ。
(シン……)
ようやく自分の中で理解が追いついてきた。
馬車の中でも、隣に座る父の感情のない顔を見ても、どこかフワフワと、頭の中がぼうっとしていたのだ。
でも家に着いた時、つい先刻は笑顔で送り出してくれたエヴァンスを含む家令たちが、来客に向けるかのようなよそよそしい態度で私を迎えた時、ようやく実感した。
もう、私の居場所はここにはないのだと。
「……っ」
シンの前では涙を見せてしまったけど、馬車の中でも、エヴァンス達のよそよそしさを目の当たりにしても、私は顔色ひとつ変えなかった。
気丈に、全てを分かっているように見せて、精一杯強がっていた。
──それでも。
部屋の中、一人で父からの沙汰を待つ間、どうしようもなく涙が溢れ、とうとう感情が抑えきれなくなってしまった。
「ううっ……ひぐっ……!」
扉の前に立つ衛兵達に、泣いているなんて知られたくない。
私はそんな、か弱い女なんかじゃないのだから。
だから仕方なく、私はベッドにうつ伏せになり枕に顔を埋めて声が漏れないようにしばらく泣いた。
※
「エリザベス」
どれほど時間が経っただろう。
とっくに涙は止まり、ぼうっと窓の外を眺めていた私に、父が声をかけ部屋に入ってきた。
一度勝手に部屋に入ってきたことを怒って以来、ノックをして入室の許可をしっかり取ってくれるようになったのに。
今はもう、そんなことに気を遣う必要もないということだろうか。
「お父様、あなたも加担していたんですね」
窓から見える、幼い頃から慣れ親しんだこの景色を少しでも目に入れておきたくて。
私は父に振り返らず、そう尋ねた。
「荷物はまとめておいた。十分な金貨も用意してある。さあ、出立の時だ」
父は何も語らない。
当然のことのように、ただ私が取るべき行動を指示してくるだけ。
公爵家を除籍され、もう娘でもない私と話す必要などないということだろう。
「答えてよっ⁉︎」
まるで昨日のように、私はつい感情を爆発させまた父に詰問する。
でも、父はそんな私に眉ひとつ動かさず、厳格な公爵としての態度で答えた。
「お前を自由にしていたのは、それがこの公爵家にとっても有意義だったからだ」
非情で、淡々としたビジネスライクなその言葉。
決して家族に……娘に向けるようなものではないだろう。
それが父の中で、私の存在が今はどういうモノに変わったのかを如実に物語っていた。
「お前は優秀だった。しかし今は神竜教……そしてサラドと組んだほうが、王子と儂にとってメリットが大きいのは理解できるだろう」
「……ええ、そうですね」
「お前は表立って動き過ぎた。その結果がこれだ」
父は硬い声でそう言い放った。
そう、今までのことはただ私を甘やかしていたわけじゃないのだ。
父は私を自由に泳がせ、もし仮に何かあれば責任を取らせるつもりでいた。
それを私は勝手に、娘に甘い父親だと勘違いしていたのだ。
表向きは厳しくても、実は娘を溺愛している不器用な父親という像を、勝手にアバローナ・ベイロンに作っていたのは私の方だったのだ。
「何よりも優先するべきはこの国の安定。お前ならわかるだろう?」
いつか私がシンに言ったことのある言葉。
まさか父から言われる日が来ようとは流石に私も予想だにしなかった。
──ああ、でも。
私が彼に言ったあの時と、明確に違うことが一つだけある。
それだけは正しておかないととそう思って、私は言わなくてもいいことをつい言ってしまった。
「あなたとシンが守りたいのは自分達でしょうに」
私の言葉に父は何も言い返さない。
ただ黙って、家から出るように扉を指差した。
「言われなくても、出ていきます」
誰に先導されるでもなく、私は自分の足で門の外にまつ馬車へと向かった。
ズカズカ進む私に慌てて、衛兵が急ぎ追いかけてきてもお構いなしだ。
なんならこのまま置いてけぼりにしてやろうかと、そう思った時、私はふと足を止めた。
「エヴァンス……」
家の扉から出ようとしたまさにその時。
背の高い、慣れ親しんだ父の執事が私を黙って見下ろしていたからだ。
私を目の前にしても、彼がもう、いつものあの完璧な礼をすることはなかった。
「あなたも、なのね?」
「私はベイロン公爵家に仕える者。そしてあなたはもうこの家の者ではない。それだけのことです」
「っ‼︎ そう、もういいわ……」
他の家令も、エヴァンスも、もう誰も扉を開けてくれはしない。
自分で家の扉を開けるという、当たり前のようで、私にとっては当たり前ではないことをする。
泣かないように気をつけながら、家の外に一人で出ていく。
「さようなら」
家の扉を出た後のその一瞬、振り返ることなく言った私の最後の挨拶に、エヴァンスは頭を下げることなく直立したまま黙って家の扉を閉めた。
まるで一人で暮らす家から出かける時のように、生まれ育った公爵家から私は孤独に去っていく。
エヴァンスは私にもう、何も言わない。
私は振り返ることなく、表に停まっている馬車へと歩いていった。
自分の馬車の扉を閉め、近衛の乗る馬車に尾行されながら向かう先はこの国の国境だ。
本当に、この国を去る時が来てしまったようだ。
『後は頼んだぞ』
「御意」
最後だというのに、父は私に一言も話しかけなかった。
ただ御者の持った雷光水晶を通じて、彼に私をしっかり国外まで連れ出すようにと言い含めただけだった。
魔石を原料とする魔道馬車が、御者の運転によって動き出す。
(あっけないものだったわね。なんだったのかしら、私の人生は……)
動き出した馬車に揺られ、虚しさを感じながらもふと、生まれ育った自分の家を振り返った。
どうやら私はこの時、まだこの国に、自分の家に未練があったのだと思う。
二階にある私の部屋。そこの窓にはエヴァンスが立っているのが見えた。
意外にも、去りゆく私を彼はこっそりと見送ってくれたようだ。
きっと、もう会うこともないのだろう。
エヴァンスに心の中で別れを告げる。
その時、エヴァンスの口が動き、私に何かを語りかけた。そんな気がした。
『──、────。──────』
ああ、きっとこれは勘違いだろう。
この期に及んで昔の優しい思い出に縋る、みっともない私の未練が見せた幻なのだろう。
エヴァンスが私を見ていたのも、本当に見送ってくれたのかどうかすら怪しいのだから。
彼が私に良くしてくれたのは、公爵家の娘だったから、それだけだ。
だって、さっき彼自身がそう言ったのだもの。
彼が私にかける言葉など、もうないはず。
だからもう、エヴァンスの唇を読んだ私が、彼の言葉を気にする必要なんて、全くないのだ。
『さようなら、お嬢様。どうかこの国のことなど忘れ、その才覚を持って世界に生きる場所を見つけてください。あなたなら、きっと……』
──そう思いたかったのに。国境に着くまでの間の馬車の中で、私はまたずっと泣いてしまった。
次に投稿するロンとカルエルの出会いで過去編は終了です




