婚約破棄
呆然とする私に、シンはもう一度宣言する。
それは先の私に向けた言葉とは違い、この場の貴族に宣言するためのもの。
──私との訣別を宣言するためのものだ。
「我、シン・パラティッシはエリザベス・ベイロンとの婚約をここに破棄する‼︎」
堂々と、まさに王のように、シンは覇気のある声でそう告げた。
謁見の間に響き渡ったシンの言葉を聞き、貴族達から嘲笑が漏れ始めた。
『女のくせに、王子の権力の笠に着て好き放題していた報いよな。いい気味だ』
『あれは頭は冴えるが、いかんせん性格に難がありすぎる。どこか貰い手はあるのかな?』
『サラド公爵が欲しがっていたではないか? ちょうど良いのではないか』
『哀れな。サラド様は女の扱いが酷いと聞くぞ……クククク』
この静かな謁見の間では、小声でも鮮明に聞こえてくる。
無論、シンもそして私の父にもその声は聞こえているはず。
でも二人は、私への中傷を聞いても表情ひとつ変えずに私を見ている。
そこになんの情もない、とても冷たい目で、私を見ていたのだ。
──ああ、あなたもそんな顔ができたのね
冷淡に私を見据えるシンと父に、そんな場違いなことを思いながら、貴族達の嘲笑を私は黙って聞いていた。
ああ、でも確かめないと。
ふとそう思い立ち、何の考えを張り巡らせることもなく私はシンに尋ねた。
「シン……本当なの?」
「くどい」
かろうじて絞り出した私の問いに、シンはとても冷たく言い返した。
私の知っているシンは昨夜でいなくなったのだろうか。
彼のこんな姿は今まで見たことがない。
溢れそうになる涙を必死でこらえて、最後にひとつだけ彼に問うことにする。
「っ! わかりました……でもお願い、理由を教えて」
何かの策でも演技でもなく、本当に婚約を破棄しようとしているシン。
『我はお前以外の女など妃に迎え入れるつもりはない』
でも、昨日優しくそう言ってくれたシンの言葉を何度も思い返してしまう。
だから、だろう。
まだ、どこか今の彼の言葉を信じられない。
その豹変ぶりに、何か私の知らない訳があるのだと思ってしまう。
いや、思おうとしてしまうのだ。
周りの目がある以上、本来ならこの場では素直に引き下がるべきだ。
本当に何か裏があるのなら、後で要件を聞くべきなのだ。
でも私は思い切ってこの場で理由を尋ねてみることにした。
私が必死で抱こうとしている希望とは裏腹に、こちらを見据えるシンと父の顔が、その表情と声色が、本当に私を排除しようとしているのがわかってしまったから。
「──よかろう」
シンの眉間に皺が寄る。
若干の戸惑いを見せたその表情に、私はやっぱりと安堵し、僅かな淡い期待を灯した。
これはシンと父が考えた何かの策で、私の知らない窮地を打破するために、こんなことをしているのだと。
──でも、それはとんでもない勘違いだった。
「エリザベス・ベイロン。長期に渡り我の婚約者という立場を隠れ蓑にして行った悪道の数々、お前を王妃にすることなどとてもできん」
「え?」
言っている意味がわからなかった。
今日はなんだかいつもと違い、意表を突かれてばかりいる。
またもやキョトンとした私に、シンは不快そうに表情を歪ませながらその内容を口にした。
「お前の悪行は昨夜のうちに洗い出した。貴族への脅迫、王家の宝である水源の私的利用、および水源を利用した収賄の数々。間違いなくお前が犯した罪であろう」
──何を、言っているのだろう。
水源の私的利用? それに収賄?
心あたりはもちろんある。
でもそれはシンにも、そして父にも事前に報告と擦り合わせをして、この国の発展のために行ったことだ。
この国の水源は全て王家の所有と決まっている以上、反乱に加担する貴族達に使わせることなどできはしない。
そして反乱を起こそうとする者達に、諸外国とこの国の商人達が取引をしないよう水源という大きな資産を盾に言うことを聞かせてきた。
時には有利に便宜を図り、時には排除を行いながら、シンを筆頭とする王家と敵対すればどうなるのかを示してきた。
それも全てこの国のため……いや、シンが王になった時、彼の王政に仇なす者を排除するためだ。
なのに……。
「いずれもこの国に災いを招くものであり、王家の信頼を著しく損なうもの。その所業、まさに極刑に値する!」
「なんで、どうしてなのっ……!」
必死で堪えていた涙が、どうしようもなく溢れてしまった。
ずっと、私を信頼してくれていたのに。
私のおかげだと、あんなに優しく微笑んでくれていたのに。
だから私は、父と王子以外の周りからどれほど疎まれ、憎まれても。
シンが安心してくれるのなら、と。
シンが王になった時、彼が無事にこの国を治めることができるようになるのなら、と。
それだけで私は頑張ってこれたのに。
全ては嘘だったと言うのだろうか。
「答えてよっ──シン‼︎」
涙ながらに叫ぶ私に、シンは冷徹な瞳で淡白に言い返す。
「お前がこんな女だとは思わなかったよ。残念だ」
──ああ、ようやくわかった。
シンの隣ではサラドが勝ち誇るように笑っている。この上なく愉快そうに、どうしようもなく楽しそうに。
そしてサラドが勝ち誇り、満足げに視線を送る先にいるのは神竜教のシース教皇。
父は黙し、王子はつまらなさそうに私を見ている。
そう、わかっていたことではないか。
貴族というのは、とても醜悪な生き物なのだ。
己の権威を、財を保つためならなんだってする生き物。
その手段に善悪はなく、あるのは自己保身を求めるひたむきな純粋さのみ。
「だが、ベイロン家の当主であり、長きに渡り我が右腕として王家を支えてきたアバローナ・ベイロンの功績に免じその罪を減刑しよう」
この言葉も、事前に父と擦り合わせていたのだろう。
ベイロン家に害が及ばぬよう、私一人に罪を負わせることで周りの貴族を納得させるために。
疎まれ、憎まれていた私なら、きっとそれは十分な効力を発揮するから。
「これが元婚約者としての最後の我の情けだ、エリザベス」
「……」
決して情けなんかじゃない。
私はシンと父の保身のため、切り捨てられたのだ。
サラドと教皇を己の身内に招き入れ、王家と公爵家の権威を保つために。
今までのサラド一派との確執は、私に罪を押し付け断罪することで落とし所とするために。
「ベイロン家よりエリザベスを除籍。またこの国を永久追放するものとする」
これまで尽くしてきたこの国は、簡単に私を切り捨てた。
全ては王子の地位と、公爵家の権勢を保つために。
私個人が切り捨てられても、父がいればサラド程度が相手ならベイロン家はいかようにでも返り咲ける。
年老いてから生まれた私だが、父は決して子を作れない歳ではない。
亡くなった母の代わりに、若い女性を娶れば、まだ子を成せる機会はある。
ショックを受け呆然としているくせに、自分がいなくなった後の家の状況を冷静に分析していることに、自分で内心驚いた。
『おー、怖い怖い』
『ふん、平民となってこの国を追放か。他国ですぐに娼館にでも売られるのが関の山だろうな』
周りの貴族は既に色々好き勝手言ってくれている。
でも、彼らの言葉など少しも私に響かない。
私を揺らがせるのはこの場でただ一人。
そんな彼は、最後だと言って私に話かけてきた。
「一応聞いておいてやる。申し開きはあるか、エリザベス」
「……」
黙る私に、早くしろと言わんばかりにシンが表情で催促した。
こうなれば、どうしようもない事など分かっているだろうと、言葉を発さずとも悠然にその表情が語っている。
「──いいえ、ありません」
涙を流し、俯きながらようやく返事をする私。
でも、シンは私の返答に満足するかのように笑みを浮かべると、参列していたシース教皇へと語りかけた。
「では、これにて我が国を毒のように蝕んだ悪を排除する。シース教皇、我にあの女の本性を教えてくれたあなたに感謝を……」
「とんでもございません! 私は第三者として、この国の貴族達の意見を王子にお伝えしたに過ぎませんよ」
「どうやら我の目は曇っていたようだ。あなたのおかげで晴らすことができた」
「いえいえ、自分で真実を視れるのも、シン王子の器の大きさ所以です。それに私とて、まだ成人前の少女がこのような目に遭うのは心苦しい」
そこまで言うと、シース教皇は申し訳なさそうに私を見た。
「王子さえよろしければ、彼女を我が教団に預けてもらえませんか? 竜神の教えに触れれば、彼女もきっとその善性を取り戻すことでしょう」
「なんと、教皇は本当にお優しい。ですが、あれはダメだ。下手に頭が回る分、きっとそちらの教団にも災いをもたらすでしょう。あれは清純を装うのが非常にうまいのです」
蔑みを伴う声色で、シンはわざと周りに聞こえるように大きな声で言い放つ。
「我との子が出来たと、嘘をついた時のように」
ああ、シンは本当に私をこの国から追い出すつもりのようだ。
この場にいた大臣や、魔術師長といったサラドの一派でもない貴族達も、今のシンの言葉に表情を歪ませた。
「なんと、昨日のあれは嘘でしたか……」
「ああ、そうなのだ。もはやその所業、許し難い。国境を越えるまで衛兵を監視につける。二度とこの地に戻ってくるなエリザベス」
先ほど王子に断罪されている私に、何か事情があるのではと、心配そうに見ていた大臣達の目が憎しみを伴うものに変わった。
「衛兵! 彼女を馬車まで送るのだ。決して逃がさぬようにな」
「はっ!」
「アバローナ。お前も彼女に着いていけ」
「畏まりました、王子」
王子の言葉に従い、衛兵が私の左右に陣取った。
決して触れてはこないが、真っ直ぐにしか歩けないように私の位置を固めると、彼らは前に歩くよう促してくる。
「お父様……」
私の前には険しい表情を浮かべた父が、黙って馬車までの道を先導する。
私の問いかけを無視して、控えていた衛兵が開けた謁見の間の扉を黙ってそのまま出て行った。
もうこの場に私が戻ってくることはない。
だからきっと、これがシンと会う最後になるだろう。
あんな目に遭わされながらも、何故か私は気になってシンの方を振り向いてしまった。
そしてすぐに後悔する。
シンの横には、とても綺麗な女の人がいた。
神竜教の教服に身を包んだ、とても綺麗な女の人。
そんな彼女に嬉しそうに、楽しそうに──まるで昨日の私と一緒だった時のように優しく微笑むシンの姿を見てしまったのだ。
きっとシンは自分の王位を確固たるものにするため、神竜教との関係を深めていくのだろう。
民の支持を集め、世界規模の影響力を持つ神竜教となら、王家にとってはきっと大きなメリットになる。
そんなことをすぐに理解できてしまう自分の賢しさが、今だけはとても恨めしかった。




