エリザベス・ベイロンの凋落
──その日、王子が教皇と密談に出かけた日の夜のこと。
「何故です⁉︎ お父様、シンは一体何考えて……!」
「落ち着けエリザベス。王子が決定を下した以上、どうすることもできん」
間も無く神竜教の教皇を歓待する晩餐会が開かれようとしている時、一度戻ったベイロン家の屋敷の中で、私は父に詰め寄っていた。
「サラドを招いておきながら私を外すなんて!」
「う、うむ……」
元の予定では晩餐会に招くのは神竜教のトップのみ。
サラドを外し、こちら側に教皇達を取り込むために仕組んだ会だというのに……。
あろうことかシンはサラドを招き入れ、私を外したのだ。
(一体何があったのよ、シン)
思えばシンの様子はずっとおかしかった。
王家の墓で、あの雨を見た時からずっと……。
「やはりこれからシンに会いに行きます」
いてもたってもいられなくなり、私は直接シンに会いに行こうとした。
場所は王宮。国賓をもてなす場所といえば、本殿から少し離れた場所に隠されるように建つアヴェリア神殿だろう。
嘘か真か、かつて竜神が座していた場所とされている。
神竜教をもてなすというのなら、ここより適した場所はないはずだ。
でも──。
「ならん。お前は家で待機しろ。一応、私が招かれてはいるのだ。今は大人しくしていなさい」
「……っ‼︎」
そう言って父は私を引き留めた。
外されたのは私だけ……一体何があったというのだろうか。
柄にもなく苛立ちを隠せない私に父は更に言い放つ。
「最近のお前の行動は少し目立ちすぎる。一部貴族の間ではお前が王子を傀儡にして──」
「そんなの言わせておけばいい‼︎」
激情に駆られ、つい父に八つ当たりしてしまう。
言って思わずハッとなる。
「あっ」
そんな私に父は眉を顰め、いつになく厳しい表情を浮かべた。
「ほう?」
「っ! し、失礼しました、お父様……」
普段は私を自由にしてくれているが、仮にも公爵家の頭領。
目に余る行動をとる娘に、いつまでも甘い顔はしてくれない。
そんな父の心情の変化を察し、すぐに私は謝罪した。
「これ以上言葉はいらないな。家に残り頭を冷やすがいい」
「……はい」
それだけ言い残すと、待たせてあった魔道馬車へと父は向かっていく。
さすがにこうなってしまえば、どうすることもできない。
仕方なく、私は自分の家で待機することにした。
──でも。
「自惚れ……ではないはずだけど」
いつも私を頼ってくれていたシン。
この国の舵取りならば、自己の利益しか考えない有象無象の貴族たちの誰にも負けない自信があった。
全てはこの国の将来と、我がアバローナ家、そして何より王位を継ぐシンを護るため。
例え相手がいかなる大貴族であったとしても一歩も引けを取らなかった、そのはずなのに。
そんな私だったはずなのに。
「はぁ、護られていたのは私だったのかしらね」
自分の知らぬところで動くシンと父、そこに絡むサラドと神竜教。
一人になった瞬間、この現実を前に、自分が実は何もできない無力な小娘に思えてしょうがなかった。
「いいえ、違うわ。明日になればきっと何かがわかるはずね」
その日、私はシンと教皇との晩餐会に参加した父が帰るまで、ずっと起きて待っていた。
母が私の出産と同時に亡くなってから今まで、まだ幼い頃にこうして帰りの遅い父を待っていたのを思い出しながら。
でも結局その夜、父が家に帰って来ることはなかった。
※
「お嬢様」
「ん、んん……え? もう朝⁉︎」
「いえ、もう昼過ぎでございます」
応接室の机で寝る私を起こしたのは父の執事であるエヴァンス。
家を不在にしがちな父の代わりに、ずっと私の面倒を見てくれたいた、私にとって二人目の父とも言える存在。
そんなエヴァンスが苦笑まじりに、私の寝坊を教えてくれる。
「ふふふ、昔はよくアバローナ様のお帰りをこうして待っては、お疲れになって眠り、学校に遅刻していましたね」
「ちょっと! いつの話よ、私がまだ十歳にも満たない時のことでしょ?」
「おやおや、そうでしたかな? この爺にとってはつい先日のことのように思えます」
「ふん、私はもうそんな歳ではないわ。いつまでも子供扱いしないで」
「これは失礼しました、お嬢様」
エヴァンスはよく昔のことを持ち出しては私のことをからかってきた。
正直、ちょっと疎ましかったので早々に話題を変える。
「それで、お父様は?」
「まだお戻りにはなっておりません」
「え?」
時計を見ると時刻は昼時をとっくに過ぎており、子供がおやつを食べる時間に差し掛かっていた。
「何かあったのかしら?」
「雷光水晶にて連絡は取れておりますので、あまり心配することでもないと思いますが」
「そう、わかった。私はこれより王宮に向かいます」
「アバローナ様より大人しくするように言われているのでは?」
どうやら父はエヴァンスにも私のことを抑えるよう頼んでいたようだ。
でも問題ない。エヴァンスは父より私の味方なのだから。
「昨日は大人しくしていろと釘を刺されたけど、日を改めたのでもう問題はないでしょう」
「ホホホ、そう言うと思って既に馬車を手配しております」
「まあ! さすがねエヴァンス!」
「これでもお嬢様の教育係でしから」
そう言ってスラリとした姿勢を曲げ完璧な礼をするエヴァンス。
父より老齢のくせに、一向に彼の腰が曲がる気配はない。
生まれた時からずっと背筋がピンとしていたのではないかと思うほど、完璧な所作の彼に促され私は身支度を整えた。
「では行ってきます」
「ええ、行ってらっしゃいお嬢様」
王宮へ向かう私をエヴァンスをはじめとするこの家の家令の皆が門の前まで見送ってくれた。
それぞれ仕事があるのだから、こんな見送りなどしなくていいといつも言うのだけど、彼らは笑って誤魔化すばかりで頑としていうことを聞かない。
好きでやっていることだからというのだけど、ちょっと出かけるだけも仰々しく見送られるのはなんだか気恥ずかしいものだからやっぱりやめて欲しい。
「帰りは遅くなるかもしれないわ」
「かしこまりました」
頭を下げる家令たちを背に、私は王宮へと向かう。
いつもの光景と、いつもの道。
勝手知ったるこの国で、なんの気負いもあるはずのない日常。
しかし何故かこの時ばかりは、王宮へ向かう道中、私の心の中にはどうしようもない不安が燻っていた。
※
「エリザベス・ベイロン様がお越しです」
「入れ」
王宮に着いた私は、衛兵に用件を告げるとすぐに謁見の間へと案内された。
どうやら私が来たらそうするように、事前に通達でもあったようだ。
いつもなら、シンや父が仕事の話をしている彼の執務室に案内されるはずなのに、何故か真っ直ぐにここへと連れてこられた。
「失礼します」
心に宿った不安と、王宮に入ってから感じ続けている明確な違和感に戸惑いながら、私はシンの言葉に従い入室する。
「待っていたぞ、エリザベス」
「こ、これは……」
目の前に広がる光景に思わず驚いて声が漏れてしまった。
玉座に続く赤い絨毯の両脇、そこにずらりと並ぶのは全てがサラドの息のかかった貴族達。
王の側には、右に父のアバローナ、そして左に立つのは大きなお腹をこれみよがしに曝け出すサラド。
そう、彼が立つのは私が昨日まで立っていた場所──。
「お前に大事な話がある」
いつになく厳しい顔で、シンが私にそう告げた。
あの朗らからで、鋭くも優しい眼差しではなく、王子として、そして貴族としての冷徹さと覇気を感じさせて。
「ど、どうしたのシン……なんだか様子が変だけど」
唖然とする私の問いに答えず、シンは信じられないことを言い放った。
「エリザベス、お前との婚約を破棄する」
「──え?」
私の耳に届いたシンの言葉。
確かに聞こえたはずのその一言を私は一瞬理解できなかった。
父は顔色一つ変えず、厳しい表情のまま私を見ている。
サラドの顔に浮かぶ満面の笑み、そして両脇に並ぶ彼の派閥の貴族達から漏れ出始めた失笑を前に。
私は呆然として立ち尽くすのみだった。
ロンの過去はさっと終わらせるつもりが、意外に長くなってしまいました




