訪れた悪意
──貴族というのは、元来とても醜悪な生き物なのかもしれない。
公爵家の娘であり、王子の婚約者でもある自分がそういうのも変な話だけど、事実として私とシン、そして父のような関係の方が珍しいのだ。
自分の勢力、権力を強めるためならあらゆる手段を行使する。
敵対勢力の排除、勧誘、そして結託と追従。
用いられる手段に善悪はなく、あるのは自分が富と権力を得るという目的のみ。
貴族の本質とはこの上なく生き汚く、それこそ魔王よりも醜いものなのかもしれない、と。
目の前でこちらに黄色い歯を見せ笑みを浮かべるサラドを見て、ふとそう考えさせられた。
「お久しぶりですな、王子。陛下の病床でお会いして以来です。ご健勝そうで何より」
謁見の間にはたくさんの人で溢れていた。
中央の玉座へと続く紅い絨毯の両脇に侍るのはこの国の有力貴族。
サラドが用意した彼の派閥の貴族たちだ。
(この数、まさか自分の派閥全てを招いたのか?)
(ええ、そのようですお父様)
当たり前だが、こんな数を謁見の間に入れるなどあり得ないことだ。
ここは王の座する場所。
来訪者以外、王の認めた者しか立ち入ることは許されない。
いかなる大国の使節旅団であっても、数名の従者を除けば大広間にて残りの者を控えさせるのが慣わしだ。
当然、これはパラティッシ以外の国でも当てはまることなのだけど……。
(きっとゴリ押ししたのでしょうね。サラドは腐っても王の近親ですから)
(この場の大臣たちや衛兵ではサラドは止められんか)
玉座に座る王子の左右に侍る私と父は、視界一面に映る頭を垂れる総勢100名以上の人間を眺めながら、その意図を探っていた。
そんなことを小声で話す私と父の言葉をシンもしっかり聞いている。
こちらの話に合わせるように、シンがサラドへと声をかける。
「御託はいい。随分と大勢で押しかけたようだなサラド。己の傘下の総勢で来るとは、まさかこの場で謀反でも起こすつもりか?」
不敵な笑みを持って問いかける王子の言葉に、控える衛兵の表情が強張った。
有事においてすぐ様対応できるように、手に握る槍に力が入るのが見て取れる。
この場にいた王宮魔術師長も、そっと杖に魔力を込めた。
「とんでもない! 私はこの国の王になるつもりなどありません! 私には王子のようなカリスマ性や統率力があるわけがありませんから」
そう答えるのは、まんまるに太った醜い容姿の男。
あれでも若い頃はシンと同じ精悍な顔の持ち主だったはずだが、今は見る影もない。
肌の色も、瞳の色も、シンと同じものを持っているはずなのに。
脂肪にまみれた無様な体が全てを台無しにしていた。
王族に近しい貴族というよりは、成り上がりの悪徳商人の様な風貌の男。
そんなサラドがおどけたように答えるのは非常に様になっていた。
無論、彼に向ける私と父の視線は厳しいままだが、サラドは一瞬、私に視線を向けると再び黄色い歯を剥き出しにして語りかけてくる。
「まあ、そこのエリザベス嬢が私の妻になってくれるというのなら話は変わりますが……」
「あり得ません」
「ほう? 我の婚約者を奪うと?」
即座に言葉を返す私とシン。
シンが割と本気の怒りを込めてサラドを見たが、彼は涼しい顔で言葉を続けた。
「もちろん、冗談でございます。私はただ、エリザベス嬢の能力の高さをお褒めしたにございません。私のような凡才でもエリザベス嬢と一緒なら、という比喩ですよ」
朗らかに笑って話すサラドに呼応するように、彼の派閥貴族から笑いが漏れる。
一見、和気藹々と談笑で盛り上がる様を見せる謁見の間。
もちろん、内情はそんな生やさしいものではない。
自分の一派を引き連れてこの場に現れたということは、きっとこの国に大きな変化をもたらす確証を得てのことだろう。
それはきっと、シンと我がアバローナ家、そしてこの国の民にとっても良くない変化のはずだ。
「ではこの場に何の用だ? 今日はここのアバローナが貴様と会談する予定だったのだろう?」
「今日はこの国にとって、この上なく有益な話を持ってきたのです。どうか警戒を解いていただきたい?」
「有益な話? それがこの神竜教の神官たちという訳か?」
王子が目をやるのは来訪した神竜教の教皇が率いる教団の面々。
いずれもが見るからに豪華な祭服を来ていることから、きっと教団の上位勢なのだろう。
サラドは自身の傘下の貴族だけでなく、神竜教の幹部勢もこの場に招き寄せたようだ。
(数が多いですね。30名以上でしょうか……)
(ふむ、神竜教の指導部が総勢でお出ましか)
王子の前に控えるのはサラドとシース教皇と、この国の有力貴族のみ。
彼らから少し離れた入口の扉付近には、神官たちがこちらに頭を垂れ跪いていた。
「世界に名だたる神竜教が、こんな小国にいかなる用だ?」
「こちらのシース教皇は水不足に悩む我が国に是非とも協力したいと申しておりましてな」
「王子、発言しても?」
名乗りをあげて以降、黙って頭を垂れていたシース教皇は伺いを立てる。
シンは黙ってうなづき、発言を許した。
「簡潔に申します。私たちはこの地に本山を移行したいと考えております」
「本山を? また急な話だ。今はマケドニアに本拠地を構えていたと記憶するが……」
「ええ、そうです。ですが事情が変わりましてね。少しお恥ずかしい話なのですが」
困ったように苦笑し、好青年然とした雰囲気でシース教皇は会話を続ける。
周りの貴族達は大教会のトップの意外な、その見た目もあいまっての好感度の高さに関心を向けていた。
「ふむ? その事情とやらは?」
「魔王との戦いでエレノア様がお亡くなりになった弊害が大きくてですね……」
「ああ、かの滅竜皇女か。確かに、あのお方の影響力は計り知れぬだろうな」
「ええ、あのお方がいらっしゃるからこそ守れられていたものが、段々と無秩序になってきたのですよ。特にかのアレキサンドロス大王が相手となると、流石に私では荷が重く……」
いやはや、お恥ずかしい、と。
自分の実力不足を晒しながら、実情を語るシース教皇の姿。
弱さを堂々と曝け出す彼に、周りの警戒心が少しだけ緩んだ。
そしてその瞬間を狙ってか、シース教皇は具体的なメリットを掲示する。
「我々の奇跡を持ってすれば、この国に雨を降らせることができます。いかがでしょうか?」
「つまり交換条件ということか?」
「本来であれば、教義に従い無償で施すのが道理ですが……ご理解ください、王子。私も多くの信者を束ねる立場にあるので、その、心苦しいのですが……」
真実はどうであれ、まるで誠実を体現したかのような好青年にしか見えない彼は、周りを信じさせ引き込むような一種のカリスマ性まで備えていた。
その証拠に少なくとも、この場の皆は彼の言い分を深くは疑っていなかったはずだ。それはシンも私の父であるアバローナ公爵も例外ではない。
ただ私はこの時、何かとても嫌な予感がして、つい反射的に彼の会話に入ってしまったのだ。
「失礼、王子。急な会談で予定が押しております。シース教皇とは夜にでも改めて会食の席などを設けてはいかがでしょうか」
「うむ? お、おお……そう、であったな」
シンは理由が分からずとも、この会談を止めようとする私の意図を察して話を合わせてくれた。察しのいい彼で助かった。なんとかそのままこの会談を打ち切るように持っていこうとしたのだけど、でも流石に簡単にはいかなかった。
「待たれよ」
当然、ここで攻勢に出ようとしていたサラド公爵から待ったがかかったのだ。
「王子の予定? この国の最重要問題についての話を後回しにするほどの、火急の用などなかったはずだが?」
「うむ……それは、だな」
言い淀むシンに代わり、サラドへの説明を変わる私。
「王子はこの後、私と共に陛下の病床へ見舞いに行く予定だったのです」
「はあ? エリザ嬢、嘘はいけませんな。あなたは私と会談する──」
「父一人で向かう予定でした。あまり先の長くない陛下のことを第一に優先してのことです。ご理解を」
そう言って頭を下げる私。
病床の陛下を話に出せば、サラドもこれ以上は強く出れない。
ただ、平然と危篤の父親をダシに使った私に王子はこっそり苦笑し、私の父は一つ小さなため息を吐いた。
「──そうでしたか。なるほど、なるほど」
忌々しそうに私をみるサラド。
顎の髭を撫でながら、思考を巡らせ次の手を考えているようだ。
「では、私も行きましょう」
当然、予想の範囲内だがサラドは同行を申し出た。
自分を外し勝手に教皇と会談されてはたまらぬと、平静を装いながら、必死で食らいつこうとしているのだ。
「それには及びません」
「何故です? 私はこれでも現国王の親戚ですぞ?」
「実は……今回のは、その……私と、シンの……」
「なっ⁉︎」
俯きがちにお腹を撫でる私。少し頬を紅潮させておくのもポイントだ。
それだけで周囲は勝手に勘違いを始めてくれた。
「なんと⁉︎」
「こ、これはめでたい!」
「もしや王子にもお世継ぎが……⁉︎」
もちろん、何もない。
切り札『思わせ振りに照れる乙女』を使った私に、サラドは不愉快そうに顔を歪めている。
そもそも隙あれば迫ってくるシンをたびたび撃退している私をよく知る人は、そんな風には思わないだろう。
父もシンも当然わかっているし、サラドは私の猫被りを見て怒り心頭の様子だ。
「という訳だサラド、下がれ。シース殿、追って使いを出す。魔石しか取り柄のない我が国ではあるが、よかったら観光でも楽しんでくれ」
「ご配慮、畏れ入ります。王子」
サラドは下がり、教皇は頭を下げて、それ以上は何も言わなかった。
これで圧倒的にサラドに有利だったこの状況を仕切り直すことに成功した。
全ては私の思惑通り。
機転を利かせ、自分の有利な状況を作り物事を推し進める。
貴族として当然のこと。
大事な王子とこの国のため、私が簡単に丸めこまれたりしてはいけないのだ。
──ああ、でも。この時、私はきっと大きな間違いを犯していたのだと思う。
「おのれ、エリザベスめ」
「ふふふ、非常に聡明なお方ではありませんか。あんな方が将来の妃なんて、喜ばしいことではないですか」
怒るサラドを宥めながら。
シース教皇は王子と去る私のことを眺めていた。
「くくく、お陰で見つかりましたよ。この国の堕とし方がね」
まるで獲物を見るような目で、私たちのことを見ていたのだ。
今でもたまに思うことがある。
この時、私があまりでしゃばらなければ、もっと上手く立ち回ることができたら、あんなことにはならなかったのだろうかと。
サラドに対して思ったことを、もっと自分事として捉えていればよかった、と。
貴族というのは己の勢力を守るためならいかなる事をも平然と行う生き物。
それはシンも、父も、例外では無いのだ。
これが私が王子に婚約を破棄され、この国を追放される前日のことだった。




