神竜教の中和剤
色とりどりのガラスから漏れ出る光が、礼拝堂の中を照らし神秘的に彩る。
ステンドグラスと呼ばれるカラフルなガラスに描かれている絵は巨大な竜の姿。
一歩中に足を踏み入れると、古い木材の匂いが満ち、僅かなほこり臭さが鼻に芳る。
この匂いのおかげだろうか?
荘厳で神秘的でありながらも、不思議と安堵を覚えるような場所だった。
床に引かれたカーペットの上を歩くと、祭壇の前で男がこちらを向いて待っていた。
教父の服とはとても言い難い豪華な装飾が施された教皇服。
しかし何故かこの質素な礼拝堂の中で見事に溶け込んでいた。
「まさか応接室ではなく、礼拝堂の中でとはね」
「ククク。潔白を誓う場としてここ以上に適した所はないでしょう? ねえ賢者殿?」
なるほど、彼のいう通りである。
オレたちが中和剤を見せろと言ったのは神竜教の中和剤こそが諸悪の根源であると疑ってのこと。
自分達の潔白を証明する意味合いもあるのだろう。
だがまあ、そもそもシースはオレに潔白を証明しろとこの場所を用意していたのだ。
いつまでも裁く側を気取るのは構わないが、いい加減、彼にもこちらの土俵に降りてきてもらうことにしよう。
「ええ、そのようですね。でもいいのですか?」
「何がです?」
「あなたは竜神に清廉を主張できる身ではないでしょう?」
この男はもしかして教皇でありながら、竜神への信仰がないのだろうか?
オレが潔白なのはオレと周りのごく一部のみが知る事実ではあるが、そうなると彼らの主張が嘘であることを知るのは教皇と周りのごく一部のみとなる。
いかに自分が嘘を突き通すことに自信があるとしても、前提として嘘は嘘なのだ。
にも関わらず平然と竜神の前で潔白だと主張するなど、とても信仰のある人間とは思えない。
「クフフ、流石に失礼ですよ、賢者殿?」
「おお、これはこれは。少しオレも感情が昂っていたようです」
「ええ、しっかり身の程を解ってくださるのであれば──」
「──しかしこれもさっさと中和剤を見せてくれない、せこい教皇に対する怒りだとすれば、竜神様もきっとお許しくださることでしょう」
「……せこい、ですと?」
「……身の程、ですと?」
笑顔で睨み合うオレたち。
瞬間、互いの魔力が急速に高まる。
魔力を持たぬ一般人でさえも目に見える形で発現したオレとシースの魔力の塊が、色を伴い正面からぶつかりあった。
赤いシースの魔力と黒いオレの魔力。
赤黒く絡み合いながらも、混ざり合い反発し合うソレは教会の中に強烈な波動を撒き散らした。
「教皇⁉︎」
「会長⁉︎」
耐えきれなかったのは周囲の者だ。
ロンも、アメリさんも、そして神竜教の幹部と思わしき連中も、皆が一様に汗を流して血相を変えて互いの首領の名を呼んだ。
「ええ、なんでしょう?」
「ああ、どうした?」
途端に、魔力の奔流が収まり、先ほどまで礼拝堂に満ちていた荘厳さと静粛さが戻った。
オレとシースは互いにまだ睨み合いながらも、声だけを己が配下へと掛ける。
無論、互いに何事もなかったかのように取り繕っているのだが、そんなオレたちに応答したのはアメリさんだった。
「お二方、目的を忘れないでいただけますか? まさか裁判中の身でありながら力で解決しようというおつもりですか? でしたら今回の判決は両者とも──」
「おっとそれには及びませんよ、裁判長!」
「そうですよ、アメリさん! 今のはほんの戯れです」
「ええ、賢者殿の力、存分に堪能させていただきましたよ!」
途端に笑顔を貼り付けて同じ反応をする男が二人。
しかし残念ながらロンもアメリさんも、そして何故か神竜教の幹部もオレとシースへ向ける視線は冷たかった。
「こちらこそ、教皇ともなると素晴らしいお力をお持ちのようですね!まるで竜種を殺して奪ったかのような力です!」
「あはは! 賢者殿もまさか黒い魔力とは! 魔王でも殺して奪ったかのような力でしたね?」
「あははは…」
「くふふふ…」
「「……」」
またもや互いに魔力が高まりかけたその時だった。
「──警告はしましたよね、お二方?」
同じことを繰り返そうとしたオレたちに間髪入れず、アメリさんが冷徹な声で仲裁に入った。
「ロン、オレの代わりに」
「リーザ、私の代わりに」
頭で分かってはいるのだが、どうしても感情が昂ってしまいシースを相手にすると我慢ができなくなってしまう。
今はまだ言葉の応酬だが、こんなに身近にシースと居ればきっと間違いを犯してしまうだろう。
そしてそれは向こうも同じ様子。
互いに腹心を代理に立て、これ以上事態をややこしくしないように即座に行動に移った。
「似た者同士かよ」
ぼそっとロンが呟いた声だが、静かな礼拝堂ではしっかりと聞こえる。
途端に心外だと顔を歪めるオレとシース。
しかしその仕草までもが同時だったので、なおさらロンが呆れてしまった。
「はあ、やれやれ。それで、中和剤は用意されてるのですね?」
「ええ、はい。今、お持ちしますね」
「よろしいですか、裁判長?」
「かまいません。進行もロンさんとリーザさんのお二方でお願いします」
「かしこまりました」
「わかりました」
そう言いながら、リーザと呼ばれた女性とアメリさん、ロンの3人がオレとシースを心なし蔑んだ視線で見てきた。
びっくりした様子のシースが、気まずげに顔を逸らす。
これは、いい気味である。
ちなみに、オレはこんな視線を向けられることなど日常茶飯事。
今更感じ入るものなど何もないのだ。
「いや、会長も反省してくださいね?」
「おっと、心を読むのは反則だよロン君」
「そんなことできるわけないでしょう。顔に思いっきり出てますよ」
リーザさんから中和剤を受け取り戻ってきたロンに早速、叱られてしまった。
っていうかリーザってどこかで聞いたことあるような。あれはエレノアの──
「それでこれが──」
「はい、神竜教が作った中和剤です。って、どうしました会長──⁉︎」
ロンが持ってきたのは何気ないガラスの小瓶に入った、真っ赤なポーション。
我が商会で作った中和剤よりもその色は鮮明で、オレの中和剤が朱色ならこの中和剤は真紅のように鮮やかで色濃い。
──いつか見た、雪の降る神殿で彼女が流していたあの血のように。
「か、カルエル殿⁉︎」
その中和剤を見た瞬間、抑えきれない魔力が暴風となって礼拝堂を駆け巡った。
「か、カルエル殿、一体どうしたのですか?」
こちらを心配するアメリさんの声に応える余裕が今のオレにはない。
自身の内側に生じた怒りを抑え込めることに必死だったからだ。
「会長……」
らしくないオレを、らしくない声でロンが心配そうに呼ぶ。
中和剤のその色が、そして微かに感じる魔力の残滓が、この原料が何であるかを示していた。
抑えきれない怒りが、日頃から抑えに抑えている魔力を伴いどうしても漏れ出てしまう。
先ほどの戯れの小競り合いとは比べ物にならないくらい程の量の魔力が黒いオーラとなって立ち上った。
「素晴らしい、これ程とは」
だがその元凶は、瞳に暗い歓喜の感情を滲ませながらオレを素直に賞賛していた。
ああ、今はまだ早い。力づくなどという手段は決して取るべきではない。
商会の力で人生を取り戻した人々を必死で思い浮かべて激情を収めようと心を引き締める。
アランも、ナナリーも、ユーリも、そして働く今の仲間たちも。
守るべきものがいるこのオレが一時の感情に任せてはいけないのだ。
──そして何より大切な彼女との約束。
もう二度と彼女が悲しまなくて済むように。
孤独にならずに済むように。
裏切られずに、済むように。
あの時交わした、彼女の新たな居場所を作るという約束のためにも。
「アメリさん、これを分析鑑定にかけても?」
「え、ええ構いません」
一息ついて自分の精神を落ち着ける。
途端に息苦しいほどまで濃密に放たれたオレの魔力も一気に霧散した。
アメリさんも護衛の騎士も、そしてこちらの幹部連中も皆が一様にほっとしている。
ただ一人、まるで愉悦を抑えきれないと言わんばかりに獰猛な笑みでこちらを見るシースを除いては。
「それではこちらはリビアに持ち帰り検証を進めさせて頂きます。鑑定にはカルエル殿もお立ち会いに?」
「ええ、もちろん」
アメリさんがいつもの調子を取り戻し、オレに話しかけた。
裁判長として振る舞わなければならない彼女には、いらぬ苦労をかけ過ぎだろう。
そんなことをふと思って何気なしに彼女を見ると、キッとした目で一瞬睨まれてしまった。
(いい加減にしてくださいね?)
(すみません‼︎)
どうやら彼女にはオレの魔力は刺激が強すぎたようだ。
自分の鼓動を必死で落ち着かせようと胸に手を当てているアメリさんに涙目で睨まれては、流石に罪悪感を感じてしまう。
気まずさに愛想笑いを浮かべているオレにロンが小声で話しかけてきた。
「会長、さっきのは」
「ああ、すまなかったな。つい取り乱してしまった」
「それで、あの中和剤の原料はやっぱり……?」
「ああ、間違いない。彼女の──エレノアの血だ」
つまり奴らも小細工はせず、しっかりとした中和剤をこちらに渡してきたようだ。
「それではこれにて。シース教皇、ご協力に感謝します」
「ええ、構いませんとも。これで我らの潔白が証明されると同時にメノン商会の悪事が暴かれることを祈ります」
「シース殿……」
アメリさんが呆れるようにぼやきながら、ちらっとオレを様子見た。
また暴れ出しかねないかと心配している様だが、もう大丈夫だと目配せで告げておく。
さっきのは少し感傷も伴っていた。
それに一つ目の確証が得られた以上、もう一つの証明を持って教団を詰みとするための算段を構築していて心に余裕もある。
今のうちに好きに言わせておけばいいと、単純にシースの軽口に反応しなくなったのはある程度目処がたった安堵感のおかげだろう。
ま、我ながら感情に任せて暴発仕掛けるなど子供染みているとは思うので、少し反省しておこう。
「大丈夫ですよ、アメリさん。リビアにはどうされます? 今のこの場でオレがお送りしましょうか?」
「いえ。それには及びません。流石にシン国王との会談中に突然消えたまま国を去ったとあっては我がインスタシアの名を落としてしまうので」
「それはそれは! 確かにアメリさんのお立場なら、そういう訳にもいきませんね」
「ですからこちらの同意を得ない転移は今後はおやめくださいね?」
「いえ、これはちょっと緊急……」
「やめてくださいね?」
「はい!」
笑顔で二度も念押しされてしまえば黙ってうなづく以外に選択肢はなかった。
そのまま彼女はお供の騎士を連れて王宮へと戻っていった。
オレも途中までの道を彼女と一緒に歩く。
そんなオレたちを神竜教の信者たちは、じっと感情の読めない目で眺めていた。
◇
「それで彼女からの報告は?」
「ええ、やっぱり教団本部の最奥に開発部屋があるようです」
「ふむ、どうにかしてそこを暴けば全容を明らかにできるかもな」
「どうします? 彼女にこのまま潜らせますか?」
「いや、流石に危険だ。場所さえ教えてもらえばオレの方で──」
以前から別目的で教団に潜り込ませていた自分のスパイからの情報を確認していると、先ほど王宮へ向かったはずのアメリさんがこちらに向かってくるのが見えた。
どうやら彼女と護衛の騎士だけでなく、隣には大柄な老人も一緒のようだ。
確かあれは国王の横にいた人。
アメリさんも一緒ということは何か急用でもあるのだろうか?
「チっ」
その老人の姿を見た瞬間、隣のロンが忌々しそうに舌打ちをする。
苦虫を潰したような表情から察するにどうやら因縁深い相手の様子。
「これはこれは、確か国王の側近の……」
「ええ、正式なご挨拶は初めてになりますね光の賢者カルエル・メノン様。私の名はアバローナ・ベイロン。この国の公爵です」
「公爵様でしたか」
公爵となると多くの国において国王に次いでの地位だ。
大体は国王の遠縁の血筋がその爵位を受け継ぐ場合が多いが、この国ではどうなのだろう。
遠縁と言っても遠すぎるのか顔は全く似てはいない。
「──聞いておられませんでしたか」
「え? ええ、まあ」
だが意外にも向こうはオレがその情報をすでに知っていると思っていたようだ。
さっぱり意味がわからない。
オレがこの国に来たのはついさっきであり、そうここの国の情勢に通じでいるわけでもないというのに。
だが次に公爵はとんでもない事実を教えてくれた。
「そしてそこにいる不肖の娘、エリザベス・ベイロンの父親です」
「……エリザベス?」
そう聞いて振り向いたオレに、ロンはぶすっとしながらも、少し紅潮した顔でオレを睨み返した。




