賢者の選択
幼馴染としてはもう二十年の付き合いになる。
恋人としての期間は、どのくらいだったろうか。
初めて告白し、魔王を倒したら結婚しようと約束をした時から考えると十年にはなるだろうな。
ナナリーにキスをされながら、そんなどうでもいいことをオレは考えていた。
「……」
「……」
それなりに付き合いが長いにも関わらず、オレとナナリーのキスはこれが初めてだ。
なんだか無駄に長くプラトニックな関係だったなと、冷静にそんな感想を抱いた。
一度体験してしまえばどうってことない気もするが、あの時はお互いに一線を超えるタイミングに慎重になっていた。
そういえば、結局ナナリーは初めてを全部アランと済ませたんだよな。
いや、別に初めてにこだわっているわけではないのだけど、ほんの少しだけ喪失感を覚えてしまうのは何故だろう。
まだオレは、心のどこかでナナリーに執着でもしているのだろうか?
いやでも、昔からの親友が、自分の知らない他人とめちゃくちゃ仲良くなってたらちょっとショックだよな。
僅かではあるものの、ふと湧き上がったこの感情はそれに近いものかもしれない。
ちなみに、エレノアは長く生きている癖にオレが初めての相手だった。
あれほどの美人、長い人生の中で言い寄る男は星の数ほどいただろうに不思議なことだと思う。
けど流石に、かの滅竜皇女を口説こうという男はいなかったのかもしれない。
そんな事が出来そうなのはアレキサンドロス大王あたりだが、彼は彼女を師のように敬愛していたから恋愛対象にはならなかったのだろう。本人は知らなかったが甥と叔母の関係だしな。
大王にエレノアと恋仲になったことを報告した時の彼の驚いた顔は今でもいい酒の肴だ。
覇王とも名高い大英雄の目を点にしたのだから、ちょっとした自慢である。
すると大王はニヤつきながらナナリーはもういいのかと言ってきた。
……その時のエレノアの表情はすごかった。
すぐにオレの元恋人との関係について、根掘り葉掘り詳しく聞いてきた。
それはもう、怖いくらいに鋭い視線で、嘘は許さないと言わんばかりに。
大王が自分を驚かせた意趣返しを仕掛けてきたのは明らかだ。
「──カル?」
なんてことを考えていたら、ナナリーが唇を離し伺うように名前を呼んだ。
口付けを交わしているオレの反応に違和感を感じたのだろう。
彼女は不安に揺れる瞳で、オレを見ている。
「ナナリー」
オレも彼女の名を呼ぶ。
いつもと変わらぬ気持ちで、彼女の告白に答えるように。
しっかりと自分の意思を込めて、彼女の視線を受け返す。
「──もう、ダメなのね」
「──ああ」
ナナリーは表情を暗くしてそう言った。
彼女の頬を、一筋の水滴が流れていく。
オレの感情に変化がないことを察したのだろう。
オレの答えを理解したのだろう。
「愛しているわ、カル」
「愛していたよ、ナナリー」
その言葉を聞いて、彼女は俯いてしまう。
満点の星空の下、地面には水滴が落ちている。
その量が、次第に増していった。
だからオレは──
「さようなら」
そう言い残してその場を後にした。
彼女が望む関係を作ることは、もうできない。
ならば、今のオレにできることは何もないのだ。
これ以上この場にいても、無駄に彼女を苦しめるだけ。
背を向けて去っていくオレに、彼女も声を掛けることはしなかった。
それに、あまり彼女の悲しむ姿を見ていたくない。
泣かせたくないし、悲しませたくないし、出来れば笑顔でいてほしい。
許されるのなら、抱きしめたいとさえ思ってしまう。
自分でさえ、この期に及んでまだ自分の中にこんな想いが残っていたことに驚いた。
もともと、オレがナナリーを嫌いになって距離を置いたわけじゃない。
オレの感情は変わらなかったが、彼女の方から離れていってしまった。
きっと、それが原因なのだろう。
オレの中にある、彼女に対する想いがまだ僅かに残っていたのは。
別に彼女に愛想を尽かした訳じゃない。それは今も変わらない。
オレはただ、彼女が自分から離れていくことを受け入れ、諦めただけ。
どれほど苦しくても、どれほど惨めでも。
それでも彼女を嫌いにはなれなかった。
だから、これでいいのだ。
オレにはナナリーとエレノア、両方の気持ちを汲むことなんてできない。
オレが自分の気持ちだけを優先させれば、結局大事な人を傷つけてしまう。
だから、これでいい。
結果としてナナリーとは終わってしまったけど、それでも彼女と過ごした日々に幸せを感じていた時は確かにあった。
あの時、あの瞬間。彼女の隣にいれたオレは、確かに幸せだったんだ。
ナナリーに感謝を。
その後に起きたことは、もういいだろう。
結局は彼女との関係に執着し、手放そうとしなかったオレの自爆な部分もある。
もっと早くに見切りをつけておけば、あの時あんなに傷つくこともなかったんだ。
だから彼女にも、オレに対する執着を手放し、早く前を向ける日が来て欲しい。
オレ以上の男なんてすぐに現れると考え、前に進んで欲しい。
世界を救うために戦った彼女、その人間性だって素晴らしい部分もいっぱいある。
彼女が望んでいれば、きっと良い人が現れるとオレは自信を持って言える。
──ありがとう、ナナリー。
心の中でそっと、彼女に感謝を告げる。
オレは友人として、この先も彼女のことを応援しよう。
困ったことがあればいつでも助けに行く、いつでも相談に乗る。
彼女のこれからの幸せを本当に願っている。
それが生まれ育った街の、二人しかいない最後の生き残りであり、初恋の幼馴染へできる友情の証だ。
「──っ、────っ!」
背後の暗闇からは、彼女の嗚咽まじりの泣き声が風に乗って聞こえきた。
だけどもう、オレは振り向かない。
 




