第8話 ボス
「演技下手じゃなかったかな」
カラータウンに戻った茜はそのまま宿へと向かう。相手を騙すことに成功したため、再びクーラの塔に行っても良いのだが、樹と楓が最上級モンスターの連続クエストを受けた以上、レベル上げをしている場合ではない。
宿へ戻りながら、茜は自身が受けたダメージ量を確認する。
先ほどの戦いで受けたダメージ。茜の膨大な体力の前では、誤差にも等しい。かすり傷にも及ばない。そのダメージをあたかも食らったかのように演技するのは、茜にとって難しく、何より恥ずかしいものであった。
そして自身の自尊心も傷つけられる。
弱い相手に、ワザととは言え一度負けたわけである。
「それに、この程度の相手にも気を使ってブドウたちを酷使する必要、ないよね? もう十分かな」
ブドウを山崎に尾行させ、続いて斎藤に尾行させた。楓を襲っていた男たちが所属するギルドの情報はだいぶ集まったし、何よりまだあきらめていないことも茜は知っている。
これ以上情報はいらないのではないか、とも思い始める。
「シャドースライムは燃費良い方だけども、それでも一週間以上連続して召喚し続けると数日の間召喚できなくなるし」
樹からお願いされた以上、問題解決までずっと召喚しなくてはいけないわけではない。
樹がここまでしろと言ったわけではないし、楓を助ける時だけの話であった。樹自身は相手の情報を一切知らない。
それでも樹のために茜が周囲の警戒を怠らないのは、茜から樹に対する感情が大きく関わっている。
双子の関係、樹は茜の方が強いと思っているが、茜は樹の方こそ強いと思っている。樹に何かお願いされれば、何だかんだ言って受け入れてしまうのが茜である。
強いよりも樹に対して弱いが言葉として適切だろうか。
「そう言えば、樹に相手の情報何も話していなかったね」
もしかしたら襲われるかもしれない。
その情報なく不意打ちで襲われたら樹はどんな反応をするのだろうか。
シャドースライム、アンズを樹たちのすぐそばに潜ませている。何かあったらアンズに楓を守らせることができる。
最もすぐ近くに樹いるのが、何よりも安全への第一歩であることは間違いない。そして、出来ることならそんな樹に楓を守ってほしい。
「私の作戦がうまく行けば良いのだけれども」
同時刻。
「ダメでしたか?」
楓からされたお願いに対して、樹は悩んでいた。
そういえば、結局しっかりと話し合っていなかったのを思い出したからだ。
そして、どうして二人きりの時に話すのだろうか、と。こういった話は茜がいないと答えるのは難しいことぐらいわかっているはずだ。ならば二人の時にあえて話したのだと、樹は思ってしまう。
「ダメかどうかは、茜に聞いてみないと。二人で話すべき内容じゃないと思う」
「そうですか? 茜ちゃんは樹君の話なら、何でも聞きそうですが」
「そんなことないよ。いっつも茜からお願いされる。立場はあっちの方が上」
立場はあっちの方が上。
なんと悲しい言葉なのだろうと樹は思う。
納得した様子ではない楓が不思議そうな表情をする。
「ちなみにですが、樹君自身の考えはなんですか?」
「僕自身?」
「賛成ですか? 反対ですか?」
「さあ、どうだろう。どちらとも言えないが今の状況かな」
「どちらとも言えない…………ですか?」
どちらでもないというのはどういう意味なのか。
楓がさらに不思議そうに首を傾げるものだから、樹が説明をする。
「茜がさ。まだ周囲の警戒を解いていないんだ。多分だけども、楓さんを襲った相手はまだ諦めていないのだと思う」
「そうなのですか?」
「あくまでだけどね。で、仮にそうだとしたら、ここで楓さんと別れたらまた襲われるかもしれない。それは避けたい」
「つまり、あの方たちとの問題が解決したら、私たちと別れるつもりということですか?」
「始めは最上級モンスター討伐が終わるまでのつもりだったけども、そうなるかな」
「それはつまり、反対とも言えるのでは?」
楓の言葉に確かにと樹が頷く。
「やっぱり私は迷惑でしたか?」
「本当に迷惑だと思っていたら。あの日、助けようとはしなかったよ」
安心させるように、笑顔で。樹はそう答える。
それに楓は安堵した表情を見せた。
不安なのは分かる。仲間の良さも分かる。樹も楓と同じ立場を経験したことがある。だからこそできることなら楓の気持ちに答えてやりたい。
しかし、樹にはしなくてはいけないことがあり、その足かせになる。
この二つの感情が樹の中で渦巻いていた。
「宿に戻ろう。茜と合流したい」
「はい」
歩き出す樹の隣に楓が駆け足で寄る。
「樹君は優しいのですね」
「そう、かな」
「それでいて、強いです」
「ステータスは強い方かもね」
「ステータスとかレベルの話ではなく、樹君自身の話です」
「そんなことないよ」
そう否定する樹に対して楓はどういった意味を込めてか、微笑みを浮かべた。
ギルドに戻った斎藤はすぐにボスの部屋へと向かった。
このギルドの建物は街から金で買い取ったものである。このゲームでは家を買うことができ、そして家具も豊富にある。
一度買えば毎日の宿代が不必要になるし、何よりプライベートの空間を作ることができるのが何よりもの良さである。
そんな建物の中で唯一、一人部屋を持つのがボスである。
そんなボスの部屋の前に立つと、心を落ち着かせてから扉をノックする。すると、すぐに返事が返ってくる。
「誰だ」
「斎藤です」
「入れ」
その言葉で斎藤は扉を開けて、中に入る。
ギルドのボス、轟一也が椅子に座って待っていた。
この男、でかい図体と強気な性格の中、妙に慎重な男でもある。獅子は兎を狩るのも全力を出す、の言葉を体現するような男。だからこそボスに向いているともいえるのだが。
轟はそれでと斎藤に聞く。
「何か有益な情報を手に入れたのか?」
「相手の片方は少なくとも、俺で勝てる強さでした」
「ほう」
その情報に轟は喜びの表情を見せる。
「殺したのか?」
「途中で逃げられました」
「そうか。まあ良い。圧倒的な力の差がなければ、プレイヤーキルをしようとしても逃げられるものだ。それで、それはどっちだ?」
「二人のうち女の方です」
「男と女のパーティーだったな。その女のステータスの予想はつくか?」
「俺と同じです」
「ならば、純粋なレベル差か装備の差か。よし、良いぞ。有益な情報だ」
轟の言葉に斎藤は安心したように頭を下げる。
「ありがとうございます」
「それで、男の強さはどれぐらいだ?」
「それは分かりません。ですが、二人の関係は同等に近いそれでした。ですので、二人の実力差はないと言えます」
「ふむ」
轟が少し、険しい表情をする。
「そうか。二人の実力が図れるのであれば、戦いも良かったが。それができないようならば、まだ手を出すべきではなかったな」
「そうですか?」
「逃げられる」
その理由に、斎藤は少し考え、自身の失態に気づく。
戦いを仕掛けたということは、相手にこちらが狙っていることを教える行為に繋がる。
轟としては、二人の実力が分かれば、すぐにでも襲おうと考えていたが、これではもう片方の男の実力を図る前に逃げられる可能性がある。
「仕方ない。部下の失態は俺の失態でもある。安全に難はあるが、お前の言葉を信じよう。すぐに準備を始めるぞ。相手に逃げられる前にな」
その優しい言葉に再び安堵の表情を見せる斎藤は、ふと今回逃げられた理由である上位転移アイテムの存在を思い出す。
「轟さん」
「どうした?」
「相手は上位転移アイテムを持っていました。これはどうしましょうか」
曖昧な質問だったが、その意図を読み取ってくれた轟は何か問題でもあるのかと言わんばかりに答える。
「なんだそんなことか。考えたことはないか? 転移アイテムを阻害する阻害アイテムがあり、これが効かない上位転移アイテムがあるならば、さらにそれに対する上位の阻害アイテムがあると」
「轟さんはその上位の阻害アイテムを持っているのですか?」
「当たり前だ」
その頼もしい言葉に、斎藤は改めて自身のボスへ尊敬のまなざしを向けた。




