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チート!チート!チート!

作者: スプライト

 気分転換。

 甲高いブレーキ音。くるくると回る視界。効かない身体。舞う鮮血。身体のどこかで、何かが壊れた感覚。それが何かはわからないのに、絶対に壊れてはいけないものだという事だけは不思議とわかって。


 そうか、俺は死んだのか。


 そんなあっさりとした理解で、俺の人生は幕を閉じた。


   *  *  *


 ……はずだった。


 真っ白い空間にポツンとただ1人、俺はいた。ここはどこだろう、そんな疑問を発しようとした時、いつの間にか、目の前に人が立っていた。

 神様だと、理由もなくわかった。


 ――俺は、死んだんですか。


 そうなるのぅ、と神様は優しげな笑みを浮かべた。


 ――これからどうなりますか。


 二つの道がある、と神様は両の手の平を見せた。地球と、それからもう1つ見たことない惑星がその手の上に浮かんでいた。

 好きな方を選ぶと良い、神様は選択を委ねてくる。同じ世界か、ディセンションか。


 ――ディセンション?


 次元を下るという意味だ、そう丁寧に説明をくれる。次元を下れば相対的に魂は大きくなる。溢れた分は対価として得ることができる、と。


 ――どこかで聞いたことがあるような。


 そう思ったのだが、頭に靄がかかったように、それがなんだったのかどうにも思い出せなかった。


 対価は好きなものを選ぶと良い、と神様は手を翳す。部屋に無数の光る球体が浮かんだ。それら1つ1つが才能そのものであることがわかった。

 1つ1つ手に取り確かめ、3つに絞る。だがどうしても、それ以上絞れない。成長する才能、創造する才能、見識する才能。


 ――全部欲しい。


 そんな本音は神様にはお見通し。強欲は人の性じゃのぅ、と笑う。それから、謙虚は人の美德であるぞ、とも尋ねてくる。本当に良いのか、と。

 最終確認のような問いに躊躇いを覚え、しかし。


 ――全部欲しい。


 本音は変わらない。

 神様は、ならば好きにするが良い、と長い髭を撫で付けた。お主の魂であれば3つ分ほどの溢れはあるだろうて、と指を振った。3つの光の玉が、俺の体内へと入っていった。


『汝の幸福を追い求めなさい』


 視界が眩い光に覆い尽くされた。最後にふぉっふぉっふぉっという笑い声を聞いた気がした。


 そして、おぎゃあという声が自分の口から発された。


   *  *  *


 俺の意識がはっきりとしたのは3歳になった頃だった。それまでは脳が記憶や思考力に追いついていないのか、まるで夢でも見ていたかのようにあやふやで、そして一瞬で過ぎ去っていった。


 それと共に、気付く。これは、異世界転生だと。神様と話しているうちは全然そのことに気付かなかった。夢の中では、異常を異常と認識できないように。

 だが今となっては、これはわかりやす過ぎる程に異世界転生だった。


 さて。

 俺にはチートがある。それらを用いてこの世界を無双するのが、俺の目標だ。


 世の中の異世界転生モノは、チートの使い方が甘い、というのが俺の持論。チートを勿体ぶったり、チートを全力では使わなかったり……舐めプだろうか?


 俺は違う。成長チートで徹底的に効率よく強さを追い求め、無敵になる。創造チートでは銃ではなく惑星破壊爆弾だって作って世界を支配する。見識チートを用いればこの世の全てを俯瞰し、管理する事さえ可能だろう。


 全知全能。すなわちそれは、神だ。俺は異世界における神になるのだ。あらゆる分野における頂点に立つ。チートとは本来、それだけのポテンシャルを秘めているのだ。


 そうと決まればまずは知識だ。この世のことを知らねばならない。そう、俺は本のページを捲った。


   *  *  *


 あっという間に6歳になった。


 ここは異世界らしい異世界だった。中世ヨーロッパ風。中世ヨーロッパに程近いが、糞尿の垂れ流しはなく、日本人顔の美男美女が多い。加えて、心臓とは反対側に特殊な臓器があって魔法を使えたり、100年も前には魔王が復活して魔獣を従えてたり、と随分ファンタジーな世界だった。

 俺が生まれたのは、そんな世界の片田舎だった。


 すでに俺は天童として、村では名を馳せ始めていた。当然だ、この世界よりもよほど高等な教育を受け、高い精神年齢を備え、更には村長の家に入り浸って書物を読み漁ったのだから。


「ではみなさん、並んでください」


 俺たち、村の子供達は皆、広場に集っていた。今日は特別な日だった。都市から派遣された神官の儀式を受け、将来を決定する。具体的に言うと、鑑定魔法を受けるのだ。


 能力を見れば職業の向き不向きがわかる。そして、7歳からは鑑定結果に従い、各々の道へと進む事になる。自分の能力に合った職業から親方を見つけ、弟子になる。あるいはもっと優秀な能力を持っていた場合、都市学校に招集され教育を受ける事となる。


「次の子、来てください。あなたの名前は?」


「コルディスです」


「いい名前ですね。それではじっとしていて下さい」


 神官が錫杖を掲げ、振るう。


「《アナライズ》」


 カッと神官が目を見開く。そして「おぉ!」と声をあげた。


「お父様、お母様、この子は非常に高い能力をお持ちです。ぜひ、都市学校へと招待させて頂きたい」


「そ、それは本当ですか! ありがとうございます神官様!」


「流石はコルだわ! あなたは都市学校へ行けるのよ!」


 そうだろうそうだろう。俺の基礎能力値は前世分と努力とで底上げされている。選ばれないわけがない。周囲の者たちも、流石は天童だと唸っている。


 そして俺は、悠々と広場を離れようとして。

 背後で大歓声が上がった。


「素晴らしい! 素晴らしい素晴らしい素晴らしいぃい! この子には特別なスキルがあります! 【剣豪】のスキルです!」


 今までパッとした所のなかった、名前も思い出せない男の子が、そこには立っていた。

 俺は愕然としていた。ちょっと待て、なぜその歓声が俺には上がらないんだ、と。俺には神から貰った才能、いやチートスキルが3つもある。俺は賞賛どころか崇拝されるはずなのだ。


 だが、俺は同時に自覚もしていた。もし、俺にチートスキルがあったなら、あの程度の能力の伸びで収まるはずがない。非効率な農具で田畑を耕し続けたはずがない。そして何より、自分のステイタスがわからないはずがないのだ。


 そう、だから全てはとっくにわかっていた事。ただ、それが今、確定したというだけ。すなわち、そう。俺には、


 ――チートなんて存在しなかった。


   *  *  *


 今になって思えば、あの神様の問いは、本当に最終通告だったのだろう。神様はどうやら随分と、強欲な人間がお嫌いだったらしい。


「びぇえええん! またコルがいちばんやだぁあああ! なんでかてないのぉお、びぇえええん!」


 都市学校に入学してから半年。チートがなくとも、俺は学年1位の成績を収め続けていた。例えどれほどの天才でも、大人に勝てる子供はそうそういない。それも、手を抜かない、本気の、大人げない大人相手では。


「まぁまぁ、そう泣くなよ。お前は頑張ったよ」


「コルのあほぉお! ばかぁ! しねぇえええ! びぇえええん!」


 俺に突っかかってきて、勝手に負けて、そして泣きわめくその女の子を見て苦笑してしまう。子供というのはなんと素直なことか。そんな笑みを見て「コルがまたわたしのことバカにしぁああ!」と泣き声が一層大きくなる。


 先生が困ったように「次、頑張りましょうねユニさん!」と励まし、宥めていた。


「しょうぶするのぉおおお! つぎはわたしが、かつのぉおおおお! びえぇえええん!」


「はいはい」


 次のテストも俺の勝ちだった。女の子はまたしても大泣きした。


   *  *  *


 都市学校に入学してから1年と少しが過ぎた。

 クラス替えがあり、俺は最優秀クラスへと配属された。そして、


「あしたのテストでしょうぶよ、コル!」


 当然のようにあの女の子、ユニも同じクラスに配属されていた。しかもずっと俺に付きまとってくる。俺は本を閉じて彼女を叱る。


「図書館ではお静かに」


「うっ、ご……ごめんなさい」


 子供の成長とは早いもので、ユニは謝る事が出来るようになっていた。ほんの少し前までは俺が何を言っても、ばかぁ!あほぉ!としか返ってこなかったのに。


 そんな事を思いながら、静かになったので俺は読書に戻った。「む、むししないでよぉ」と途端に情けない声をあげてユニが引っ付いてきて、本を覗き込む。


「ぜ、ぜんぜんよめない」


 寧ろ、読めたら困る。他国の、それも魔法に関する専門書だ。俺だって辞書と照らし合わせながらようやく解読している状態だ。


 ユニは怯むように後ずさり、「つ、つぎのテストでしょうぶだからね! おぼえてなさいよ!」と捨て台詞を残して去っていった。だから、静かにと言ってるだろーに。子供特有の有り余る元気さに、俺は苦笑した。


 次のテストも俺の勝ちだった。


   *  *  *


 時間が過ぎるのはあっという間だ。3年生にもなると勉強の内容も大きく変わってくる。この世の神秘、魔法に関する実技が始まった。

 俺は最優秀クラスだけでなく、学年1位を維持し続けていた。そして他にも変わらないものが。


「コル! 勝負よ! 明日のテストは、今度こそ絶対になんとしてでもわたしが勝つんだから! 魔力操作はわたし、すっごく上手いんだからね!」


 廊下のど真ん中。立ちふさがって俺を指差すのはユニだった。


「はいはい、頑張ってね」


「むぅううう! もっと焦りなさいよ!」


 俺は肩をすくめて受け流す。周囲はそんな俺たちを「まーたやってるよアイツら」と揶揄する。無情のコルと次点のユニ。それが二人の通称だった。

 ユニの脇を抜けて廊下を行く。


「待ちなさいよ! コル最近、放課後どこ行ってるのよ! 教えなさい!」


「秘密」


「むぅ〜っ! べぇーっ、だ。じゃあ好きにすれば! ふんっ!」


 と言ってユニは去った、フリをして物陰からこちらを伺っていた。子供の浅知恵。俺は寄り道してトイレに入った。

 この学校のトイレは全て個室の汲み取り式だ。致した後は桶の水で尻を洗い、布で拭く。日本のトイレは恋しいが、もう慣れた。村よりはずっとマシだ。


 それはさておき。こっそり様子を伺うと、ユニがふらふらと行き場に困っているのが見えた。ユニは暫くするとトイレ前で待機し続けるのが恥ずかしくなったらしく、今度こそ本当に去っていった。

 それを見て俺は、本来の目的地へと足を向けたのだった。


 翌日の魔法実技も、俺の勝利だった。


   *  *  *


 俺たちは4年生になった。

 最優秀クラスのメンバーはほとんど固定になっていた。しかし、そんなメンバーの関係性には少し変化が訪れていた。


「きゃー! きゃー! やっぱりコル君ってかっこいいよねー!」


「ねー! かっこいいよねー!」


 おませな女の子達が、恋愛に興味を持ち始めていた。その中でも成績1位、それは勉学だけではなく運動においても1位を総なめにし、そして何より、同級生の中でも飛び抜けて大人びている俺は、モテないわけがなかった。


「コル君とユニちゃんって、やっぱり付き合ってるのかなー」


「付き合ってないらしいよー」


「そーなの!? じゃあ私、告白しちゃおっかなー!」


 そんな会話が聞こえてくる。そんな中、ガタンと音を立ててユニが立ち上がった。そしてズカズカと俺の席まで来て、ビシィッ!と効果音が聞こえそうなほどの勢いで指を差してくる。


「勝負よ、コル! 次の《ソード》の試験こそ、わたしが勝つんだからね!」


 ユニは変わらなかった。中庭で騎士ごっこをしている男子と同レベルの思考回路だった。そんな彼女に思わず苦笑する。


「はいはい、好きにすれば」


「ふふふっ! 見てなさい! 今回は秘策だってあるんだから!」


 しかし、勝ったのは俺だった。


 翌日、俺はクラスメイトさら告白を受けた。断った。流石に、小学生を恋愛対象として見ることはできなかった。


 それに、何より。ユニの秘策は確かに機能していた。ユニは俺にあわや届くかという評価を叩き出していた。俺には、遊んでいる暇などなかった。


   *  *  *


 5年生、つまり12歳になった。

 本来の中世ヨーロッパは平均寿命が25歳程度だったと言われている。そういう意味では人生の折り返し地点だ。といっても、魔法のおかげで、この異世界ではもう少し長いようだが。


「コル! 勝負!」


「はいはい」


 ユニは未だ、俺に勝負を挑み続けていた。彼女は諦めるということを知らない。それと同じくらい努力を苦にしないし、才能もある。

 特に彼女は魔法に関しては天賦の才が、具体的にはスキルがあった。スキル名は【賢者】。効果は、魔力に対する極大の、知力に対する大幅の補正だった。


「次のテストは《エクスプロード》ね! わたしが一番得意な魔法だわ!」


 魔法のテストでは毎回、魔法を1つ指定される。その発動の早さ、規模、精密さなどが比較され、評価が決まるのだ。


「見てなさいよコル! 今度こそはわたしが勝つんだから!」


 いつも通りのテストだった。今回も勝ったのは俺だった。ユニはいつも通り悔しさに呻き、これまたいつも通り次こそは!と俺に突っかかって来ていた。俺もいつも通りに、はいはい、と流した。


 ただ1つだけ、いつもと違う事があった。俺は自分の評価シートを見る。Sが並ぶ中、たった1つだけAがあった。規模の項目だった。

 それから、もう一つ。ちらりと見えたユニの評価シート。その規模の項目にはSが付いていた。


   *  *  *


 6年生、初等教育はこれで終わりになる。

 7〜9年目ではクラスで共通科目を学ぶのではなく、研究室に所属して専門的かつ実践的な事柄を学ぶこととなる。


 それが終われば、卒業だ。在学中に発表した論文や功績、成績なんかによってはスカウトが来たり、あるいはどこかに就職することとなる。それらは実質、研究室で決まる。所属した研究室の質や先生のコネ、研究内容との相性など、皆、それらを見定める為、方々に足を向けている。

 はずなのだが、変わらないのが一人。


「コル! 次の勝負こそわたしが勝つわ!」


「いや、それよりもお前は研究室決めたのか?」


 ユニの実力ならば研究室の方から勧誘が来るだろう。が、いつもがいつもだけに思わず尋ねる。


「研究室? もちろん決まってるけど」


「そうか。それならいい」


 取り越し苦労だったか、と首を振る。


「ところで、コルはどこの研究室なの?」


「魔法工学研究室だけど」


「奇遇ね! わたしもよ!」


 ふんすっ、と胸を張るユニ。男勝りな性格に合わせたのか、その胸はまだまだ成長の様子が見られなかった。

 ではなく。


 俺はしまったと顔を歪めた。気を抜いて口を滑らせたがコイツ、俺の話を聞いてから決めたんじゃないのか。

 とはいえ、今更に志望を変えることもできなかった。


「それよりも明日の勝負、忘れないでよね!」


 その勝負も勝ったのは俺だった。

 ただ、二人の差はもうほとんどなくなっていた。


   *  *  *


 7年目、専門教育が始まった。

 魔法工学研究室では、魔法の発動を補助する道具、いわゆる魔道具の改良や開発を行っていた。


「コル、聞いたわよ!? あなた初等の時からここに入り浸って、魔法を教えてもらってたのね!?」


 バレたか、と肩をすくめる。そう、俺は3年の頃から、魔法のテストが始まる少し前頃からここに来ていた。この研究室を選んだのも、その恩義があるからだ。


「別にタダで教えてもらってたわけじゃないぞ。代わりに、魔道具の起動実験を手伝ったり、発動効率や費用対効果なんかの計算を手伝ってた」


「ふーん。ま、別にいいわ! それよりも次こそ勝つわよ! 勝負よ!」


 なんとさっぱりとした性格に育ったことか。少し前なら、ズルいと泣き叫んでいたろうに。


「はいはい」


 勝負の内容は、先生が学校に提出する評価シートで行う事になった。それは、研究室であげた成果や貢献度で決まるものだった。


 勝負は俺の勝ちだった。


 魔道具の実験は多量で難解な計算によって多くが占められていた。前世の知識を持ち高等数学を駆使する俺に、勝つのは非常に難しいことだった。


   *  *  *


 8年目。この年からもう卒業発表に向けた準備が始まる。先生の研究を手伝う合間に、時には先生の知恵や研究室の器具を借り、研究を形にしていく。


 魔法工学研究室では、論文だけでなく何かしらの魔道具を自作することが義務付けられていた。それには勿論、論文で発表した新技術や新理論が使われている事が求められる。


「コル! 勝負!」


 ユニは、変わらない。


「……コル? どうかしたの?」


「いや、なんでもない。勝負か。評価シートでいいか?」


「そうだけど、」


「なんだ、敵の心配か? はっ、まだまだガキにゃあ負けねぇよ」


 俺は負けなかった。

 ただ、俺は勝てなかった。成績は完全な引き分けを示していた。彼女の計算能力は既に、高等数学を使った俺と並んでいた。ユニはきらきらとした目で、引き分けになったその評価シートを眺めていた。


   *  *  *


 そして、9年目。学生最後の年が訪れる。


「コル! コル! コル!」


 引き分けたあの日から、ユニは一層俺に絡んでくるようになった。俺たちは研究室に入り浸り、研究に打ち込んだ。最後の勝負内容は、言わなくても分かっていた。


「明日だね、研究発表。わたし、次は絶対に勝つから」


 まっすぐと俺の目を覗き込んでくる。いつもとは、違う空気。俺はそのまっすぐな目から逃れるように、視線を逸らした。


「勝つのは俺だよ」


「ううん、わたしの研究は革新的だよ。勝つのは、絶対にわたし」


 確信さえ含んだ声音で言うユニ。

 俺は身体を椅子の背もたれに預け、天井を見上げる。お互いに、お互いの研究内容は知らなかった。しかし、既にやることは終わり、論文や魔道具は提出済みだ。命運はもう、決まっていた。


「いいや、勝つのは俺なんだ」


 ただの事実として、俺はそう口にした。


 翌日の研究発表会、最優秀に選ばれたのは俺だった。ダントツだった。その発表された魔道具は後に”銃”と名付けられた。


 高名な研究者や貴族が賞賛していた気がするが、どうにもその内容は思い出せなかった。ただ、愕然とこちらを見ているユニの目だけが強く記憶に残った。

 俺はただ、そんなユニを見ていた。


   *  *  *


 卒業から、数年が経った。

 俺は国営の魔道具研究所で働いていた。あの研究発表会が理由でのスカウトだった。研究室にて与えられた仕事は、銃の改良だった。


「コル! 勝負よ!」


 振り向く。そこにユニはいない。空耳だ。彼女はここにはいない。彼女が今どうしているのかを、俺は知らない。風の噂では勇者パーティにスカウトされたと聞いた。


「おい、無能! こんな簡単なテストすらできねぇのか!?」


「すいません」


「もういい! 無能はどっか行ってろ! いても邪魔だ!」


 そう突き飛ばされ、廊下に尻餅をつく。もう一度すいませんと謝ってから、よたよたと歩き始める。


 無能のコル。

 それが今の俺のあだ名だった。無情も酷かったとは思うが、それにしても……全く、的確な名前だった。


 俺は期待された成果を一切あげられなかった。当然だ。俺にあったのは、銃の存在を知っているという、ただそれだけだったのだから。そして知っていることは全て、既にあの研究発表で出し切っていた。


 ならば、と魔道具のテスト係に回された。そこでも俺は無能の誹りを受けた。実際、今年入ったばかりの新人と比べても、半分も仕事ができなかった。それどころか不良を見逃し、大きな損害を生み出した。


 成長どころか、劣化だ。これじゃあ。

 村にも連絡が行き、異例の大出世だと持ち上げていた両親からも、今は落胆と叱咤を伝える手紙が届くだけになっていた。


 研究所の外に出て、ぼぅと空を見上げる。限界、だった。あの研究発表で、自分の中の何かが燃え尽きてしまった。いや、それ以前からとっくに限界なんて超えていたのだ。


 精神年齢と経験の差は時間で埋まった。個別指導による差は努力で埋まった。前世の知識による差は才能で埋まった。そして禁断の技術に手を染め、ボロが出た。限界が来たのではなく、限界だったのが露見したのが今だという話。

 そして、ぽっきりと折れてしまった。


 神童も齢過ぎれば、か。いや、ただ、正当な評価が下されるようになっただけだろう。

 今になって思う。俺はなぜこの世界を選んだのだろうか。元の世界とこの世界は、一体何が違うというのか。世界が変われば自分が変わるとでも思ったのだろうか。


 ばかばかしい。変わらない。

 結局、俺は一番にはなれない。元の世界でも、ずっと、ずっと……! 俺は一番にはなれない人間だった。根本的に才能がなかった。だからせめて、この世界では、あらゆるものの頂点に立ってやろうとした。チートという不正を用いてでも、一位を取ろうとした。


 それが、この体たらくだ。神様は存外、個人個人の心までよく見ているのかもしれない。だからこそ、俺はチートを取り上げられたのだと思った。


 もう、終わりでいいかもしれない。思い浮かべたのは俺を轢き殺したトラックのこと。あれは俺にとってある種の救いだった。何者にもなれなかった俺への。


 ふと、再び声が聞こえた気がした。苦笑する。俺は割と、毎度突っかかってきたあの子を気に入っていたようだ。本当に。だから俺もあれだけ、張り合ってしまった。せめてあの子にだけは勝ち続けてやりたいと、そう思って。


「コル! 勝負よ!」


 今度こそはっきりと聞こえた。振り返る。そこには、あの女の子がいた。


「なぜ、ここにいる」


 ここにいないはずの、魔王退治をしているはずのユニが、そこにはいた。


「なんでって、勝負しに来たに決まってるじゃない!」


 いつも通り過ぎる不敵な笑み。俺は思わず、乾いた笑いを零した。この子は、本当に、なんというか、もう……すごいな。すごい、それ以外の感想が出てこなかった。

 俺はそれから、深く深く息を吐いた。


「俺はもう勝負しない」


「なんで?」


「俺じゃあもう、お前には敵わないからだ」


「……? コルの言ってることよくわかんない」


 全く、俺なんかよりずっと頭はいいクセに、なんでこういう機微は伝わらないのか。


「だから、別のライバルを見つけろって言ってるんだよ。俺じゃあもう、お前の相手には相応しくない」


 ユニは眉をひそめて言った。


「相応しいとか相応しくないとか、どうでもいーじゃん! わたしは! コルと! 勝負がしたいの!」


 こちらに迫りながら、怒った様子で話す彼女。

 やや気圧されながら、俺は繰り返した。


「いや、だから、勝負しても、俺はもう絶対お前に勝てない。それどころか、本当は今までの勝負でだってズルをしてた。でも、それももう打ち止めだ。俺とお前じゃ、勝負する前から勝ち負けが既に付いてるんだよ。だから、勝負しても意味ないんだって」


「あーもう! うっさいうっさいうっさいッ! そんなのどーだっていいじゃん!」


 ユニがブチギレて、叫ぶ。


「勝つとか負けるとかそんなの、どうでもいーじゃん!? 何回言わせるの!? わたしは! コルと! 勝負がしたいの! ただ、勝負がしたいって言ってるのぉおおおおおお!」


 耳元で叫ばれる。それから彼女は、やりきったように胸を張った。

 俺はキンキンと耳鳴りする頭を押さえながら、思わず笑ってしまう。


「……あぁ、そっか」


 今更に気付く。何かが胸の奥から込み上げてくる。ほんと、心底おかしかった。


「そう、なのか」


 成績とか才能とか、人を測るには色々な物差しがある。普通は、その数値を見て価値を決めるものだ。だが、彼女は違った。彼女だけは、ずっと、初めから、俺の能力ではなく俺自身を見ていたのだ。


 彼女は「だいたい、」と言葉を続けた。


「勝ち負けっていう話なら、わたしは最初っからコルに負けてるもの」


 頰に朱を差して、ユニは笑った。その笑顔を見て俺は、いつの間にか女の子は少女に、そして一人の女性へと成長していた事を知る。


「知ってる? 恋愛はね、惚れた方の負けなのよ」


 俺は思った。敗者の気分も、そう悪いものではない、と。


   *  *  *


 俺は旅をしていた。ユニとの二人旅だった。前の職場は辞めた。


 ユニがどうしてあの場にいたかと問えば、勇者パーティからの勧誘を蹴ったからだとか。じゃあ蹴って何をしていたのかと問うと、俺に勝つ為特訓していたと言う。

 いやほんと、何をやってるのか。そう呆れていると、じゃあ今から魔王退治に行こうと彼女は言い出した。今度はどっちが魔王を倒せるかの勝負ね、と。


 あほか。そう言い返しながら、けれど、それはとても楽しそうだとも思って。そして気が付いた時には旅に出ていた。


 国からの支援もなく、報酬もない。それでいいのかと思うような旅路。道中で、魔法を使って魔獣を狩って、あるいは人助けをして、旅費を稼ぐ。そして前へと進む。


 旅の道中、ユニは何度も俺に勝負を挑んできた。俺は、一度たりとも勝てなかった。


 そうしている内に、世界の情勢が変わり始めた。火種は勇者の敗北と、銃の量産だった。国は勇者に頼らず、魔力も体力もないものを強兵へと変えてしまうそれを使い、数の力で魔獣の一斉駆除を始めた。


 その隙を突くようにして、俺たちは魔王の城へと潜り込んだ。


「ねぇコル、わかってる?」


「勝負、だろ」


「ふふっ、わかってるならいいの」


 出会った魔獣を不意打つ、あるいはやり過ごし、大扉の前までやってくる。

 きっと、これは運命なのだろうと俺は思った。あるいは俺がそうなる事を望んだか。


「なぁ、ユニ。今回は俺が勝つよ」


 ぽかん、とユニは俺を見上げていた。


「どうかしたか?」


「う、ううん! ただ、初めて名前呼ばれたなーと思って」


「そうだっけ?」


 そうだよ、とユニは怒ったように腰に手を当て、でもどこか楽しそうに、


「勝つのは私だよ」


 と不敵な笑みを浮かべた。これから魔王に挑む。死ぬかもしれない。なのに恐れもしない。ユニはいつもと変わらなかった。


 なら、いいだろう。

 二人でゆっくり扉を押し開いた。真っ赤な絨毯と、その奥に玉座が見えた。


「……なん、で」


 ユニが立ち止まる。俺は止まらなかった。絨毯の上を進み、階段を登り、玉座にまで辿り着く。そこにあったのは一つの死体。それを退かすと、俺はその玉座に座った。

 そこからユニを見下ろす。


「なん、で? どういうこと……?」


「勝負だ、ユニ」


 ユニの問いを無視して俺は言う。


「勝負をしよう」


「わけがわかんないよ、コル。どういうこと」


「見たままだよ」


「だから、それがわからないって言ってるの! なんで、どうして、コルが二人いるの!?」


 俺は床に転がった俺の死体を見た。俺は全てを思い出していた。具体的にいつ、というわけじゃない。ユニとの旅の中で少しずつ思い出していったのだ。


 始まりは、俺がこの世界に転生した時。100年以上も前のことだ。俺は3つのチートを携えてこの世界に生まれ落ちた。神様は意地悪なんかじゃなかった。

 そして俺は徹底的に無双した。その結果、魔王という名で呼ばれ、畏れられるようになった。


 だが、そんなことはどうでもよかった。本当に重大な問題だったのは、どうしようもなく世界が退屈になってしまったことだった。


 俺はなんでもできた。成長チートのおかげだ。俺はなんでも手に入れられた。創造チートのおかげだ。俺はなんでも理解できた。見識チートのおかげだ。全知全能の創造神が俺だった。唯一俺に足りなかったのは一つだけ。

 感情。


 なんでもできてしまうから、何かを成そうと思わない。なんでも作れるから、何も欲しくない。なんでも分かるから、何かを知ろうとはしない。

 生憎と、この世界において、精神のパラメータはなかった。それがカンストしていれば、また違ったのかもしれない。ただ、そうではなかった。俺は無情に苛まれた。


 それを消そうとして、俺は常に平常心でいられる薬を作った。飲むことはできなかった。それを飲めば、俺に残った唯一の感情まで消えてしまうと気付いたからだった。


 これほどまでに世界はつまらなかっただろうかと、思う。1番になりたがって、そしてなれなかったあの頃の方が、もっと、何かがあった気がした。


 自分が優遇されたルールの中で、自分が作った最強の自分と他の者とを戦わせて、蹂躙する。それは、オナニーなんかよりもずっと醜くて、生産性がなくて、そして何よりつまらなかった。


 だから、俺はルールに制限をもたせた。俺は、同じ土俵で戦うことにした。最初は、自分の能力を制限する指輪を作った。それを使った戦いはただの手抜きで、余計につまらなくなった。今度は記憶も能力も消して、初めからやり直そうとした。しかし神様から貰ったチートだけは消せないと分かり、頓挫した。


 そして最後に、もう一人の自分を作った。それは、前世そのままの自分だ。ただただ、普通の人間。ただ一つ違うとするなら、自分と彼との感情は共有されていた。


 自分は彼の一喜一憂で感情を思い出していった。努力と嫉妬と憧れと絶望と奮起と愛情と。やがて、彼から一方通行だった感情は、次第に相互へと変わっていった。それによって、彼は全てを理解し始め、対して自分は満足して……たくさんの感情をその胸に抱き、長かった人生に終止符を打った。


 そして、俺がここにいる。


「ユニ、最後の勝負だ」


「イヤ……勝負なんてしたくない!」


「俺が魔王だ、倒してみせろ!」


 俺は銃を抜き、乱射した。ユニは反射的に《シールド》を張って防ぐ。逸れた弾丸が深く床を穿った。俺は構わず乱射を続ける。


「なんで、戦わなくちゃいけないの!? 私は、ただ、コルと一緒にいられたら、それだけでよかったのに!」


「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。でもな、ユニ。少なくとも俺には、俺のこの気持ちは止められない。俺は、お前に、勝ちたいんだッ!」


 俺ではもう、ユニには敵わない。彼女はそれでもいいと言う。でも、思ってしまった。あと一回だけでいい、どんな手段を使ってでもいい、本気で、ユニと勝負がしたい、と。勝ちたいと、心の底から思ってしまった。


「いつまで閉じこもってるッ!」


「っ!」


 俺は転がっている死体から杖を剥ぎ取り、振るった。この杖は創造チートで作られたものの一つだった。その存在も使い方も、今の俺には全て分かった。


 放った《フレイムランス》がユニの《シールド》を紙を裂くが如く貫く。その一瞬前、ユニは自分の杖を取り出し、振るっていた。


 ぬるりと自身は《シールド》から抜け出し、代わりに《フレイムランス》を閉じ込める。それと同時に《シールド》内で《エアハンマー》を発動させ《フレイムランス》をかき消した。

 だけでなく、もう片方の手で銃を抜き撃ち、俺の持っていた杖を弾き飛ばした。


 カランカランと杖の転がる音が木霊した。


「それがお前の、本当の実力か、ユニ」


「っ……!」


 ユニが顔を歪めた。俺は気付いていた。彼女が旅の間、ずっと、俺に合わせて力を加減していた事を。いや、それどころか。彼女との差は旅をしている最中すら、広がり続けていた。彼女はなおも留まることを知らず、成長していた。


 俺は《アポート》で剣を呼び寄せる。これもまた創造チートで作られた物だ。一足。彼女の眼前に瞬間移動する。両断。手応えがない。直後地面が爆発して吹き飛ばされる。剣を取り落とす。


 床を転がりながら見れば、彼女の像が歪み、蜃気楼のように消えていくところだった。そして、一歩後退したところに本物が姿を現わす。


 次の武器を呼び寄せ、魔法を併用して仕掛ける。彼女は次々とそれを迎撃していく。これでもダメか、ならばこれは。そう挑み続ける。だがどんな武器を使っても彼女には届かない。全てを読み切られていた。


 俺が新たな魔道具を使う前に彼女は既に《アナライズ》を終え、対策を打ち終えている。届かない。認識阻害の能力を持った魔道具を《アポート》、併用して攻撃。だが同時に二つを呼んだ隙は大きく、使用前に銃で撃ち砕かれた。


 《アポート》、仕掛ける、破られる。《アポート》、仕掛ける、破られる。その精度はますますを持って上がっていく。俺が魔道具の使い方に慣れるよりも早く。彼女は、戦いの中でより急速に成長していた。

 一方的だった。俺の攻撃は一つ足りとも彼女には届かず、ただ切り札が次々と消えていく。


 勝負にならなかった。

 そう、勝負にならない。俺はそれが嫌だったのだ。彼女は俺さえいればいいと言った。だが、俺は、どうしても、彼女に勝ちたかった。いや、違う。勝ってやりたかったのだ。


 彼女だって本当は、勝負をしたいのだ。俺さえいればいいなんて嘘だ。彼女はあの時、言っていた。勝ち負けなんてどうでもいいから、俺と勝負したい、と。まだ俺に勝ったことがなかった彼女には分からなかっただろう。

 けれど、今ならわかるはずだ、ユニ。それは不可能なんだ。両者は同じもので、そして勝負っていうのは両者の実力が逼迫していなければ成立しないんだから。


 そして何より、本当に勝ち負けがどうでもよければ、彼女は力を加減する必要なんてなかったはずなのだ。一方的に俺に圧勝すればよかった。勝負さえできれば満足なら、そうすればよかったのだ。

 だが、違った。彼女は、手抜きした。


 それが、彼女の答えだった。心の底では彼女も、勝ち負けを争う勝負こそを望んでいるのだ。それこそが、勝負だと無意識に答えていたのだ。


 だから、今しかなかった。

 俺が彼女に勝てるとすれば、この時、この場所しかなかった。思いついてしまったら、やるしかなかった。俺にはこれがまるで天啓のように思えた。


「なぁ……ユニ、楽しい……なぁッ!」


「そんな、こと……ない! 私は……!」


 荒い息を吐きながら、話す。余裕に見えていたユニもその実、かなり疲労しているようで、声は途切れ途切れだった。一つ対処を間違えれば、負ける。そんな攻防は彼女をしても辛いものだったらしい。

 それで、俺は嬉しくなる。


「嘘こけ……ずっと、楽しくて、楽しくて楽しくて楽しくて、仕方がないって、そんな顔してる癖に……!」


 ユニは笑っていた。それは、今となっては懐かしい、あの頃の彼女の笑みだった。彼女は自分がそんな笑みを浮かべていた事に、今気付いたみたいに、ショックな表情になって。


「《アポート》」


「っ!」


 慌てて引き金を引くも、もう遅い。一瞬の隙。俺は既に魔道具を起動し終えていた。世界が凍りつく。何もかもが動きを止める。風も、熱も、色も、ここにはなかった。その中で、チッチッチと時計の針の進む音だけが鳴っている。


 足取りはフラついていた。もはや体力も魔力も限界に近い。創造チートで作られた回復アイテムを使う隙もなかった。与えてもらえなかった。そして、時間の止まったここでは、俺自身、自分以外のものには干渉できない。魔道具を呼び寄せることも使うこともできない。


 だが、まあいい。これで終わりだ。

 ゆっくりとだが前へと進む。時の止まったここでは、足音が響くこともなかった。彼女の眼前で立ち止まり、その右胸に銃を突きつけた。魔法を使うための臓器がそこにはある。


 俺の勝ちだ。


 声は響かない。一際大きく針の音が響き、時間停止が解ける。同時に引き金を引く、直前に嫌な予感。時間の止まったユニの瞳の奥、そこに、俺は強い光を見た。咄嗟に身体を背ける。一瞬引き金を引くのが遅れる。


 発砲音が響いた。


「「……っ!」


 鮮血が舞う。ユニから、だけでない。俺からもまた、血が噴き出していた。血が滴り、宙を伝って流れる。血で浮き上がったそれは、剣だった。透明化された剣が、俺に突き刺さっていた。俺がここに来ると読んで、既に配置されていたのだ。俺はみすみす、自ら刺さりに行ったわけだ。


 二人が同時に動く。ユニが俺の手から時間停止の魔道具が叩き落とす。俺は、身体に刺さった剣を抜き、振るう。ユニがギリギリで躱し、距離を取る。


 お互いに肩口を抑えて睨み合った。魔力を操作して傷口を覆い、出血を抑える。先の攻防、狙いは全く同じだった。二人とも、右胸、そこを潰そうとした。避けなければ、お互いそこで勝負はついていた。

 両者の実力は今、逼迫していた。


「なぁユニ、楽しいだろ」


 ユニはさっき、一切手を抜かなかった。確実に、全力で、俺の急所を狙ってきた。いや、正確には手を抜くような余裕がなかったのだ。


「楽しくなんか、ない。私はただコルと一緒にいられるだけでいい、から」


「そんな顔で言っても説得力なんかねぇよ」


 彼女は、必死に、胸の内から沸き起こる興奮を押さえつけているように見えた。体力と魔力の消耗で辛そうな、でもそれ以上に、今にも最高だって叫び出しそうな顔をしていた。感情を言葉で誤魔化そうとしているように見えた。


「うるさい……うるさいうるさいうるさいッ!」


 彼女の方から仕掛けて来る。


「《ミスト》!」


 目眩しをかける。同時にこちらからも踏み込み、剣を振るう。いない。一拍遅れて風切り音。地面を転がりながら避ける。転がりながら時計を回収、する前に破砕音。時計の回収を諦める。代わりに別のものを拾う。


 魔力が十分ではなかったようで、すぐに《ミスト》が晴れてしまう。それと同時に、強烈な力の波が俺の肌を撫ぜた。晴れた霧の向こうでは、彼女がこちらに杖を構えていた。俺もまた同じく、先ほど回収した杖を構え、魔力を込めていた。

 使おうとしている魔法は、同じものだった。


 ユニが、ついに吠えた。


「私は……私だって、勝負したいッ! 勝ちたいッ! それが、楽しくて……楽しくて悪いかぁあああああッ!」


「そんなことないさ、ユニ。ありがとう」


 二人して力を振り絞った。


 ――コル! 勝負よ!


 ――はいはい。


 それは、いつかどこかで交わしたような会話。それが本当に交わしたものだったのか、あるいは記憶から呼び起こされたものだったのか、俺には判別がつかなかった。

 いや、もはやそんなことはどうでも良い。勝負。俺たちがそれをしているという事実さえあれば。


 俺達は同時に叫んだ。


「「《エクスプロード》!」」


 凄まじい爆発が二人の真ん中で起きた。城が揺れた。衝撃で身体が壁に叩きつけられる。傷口から血が噴き出す。キィィンと耳鳴り。音が聞こえない。煙で前も見えない。

 身体がふらつく。今すぐ倒れてしまいたい。でも、それでも、俺は前へと飛び出した。煙が晴れる。そこには、鏡写しのような動作をしたユニがいた。


 至近。二人は同時に杖を突き出した。叫ぶ。声は聞こえない。杖から魔力の光が伸びて、それが剣を形作る。それは、最も初歩的な、魔力操作の派生。最も魔力消費が少ない《ソード》と呼ばれる初級魔法。


 それらが互いの身体を、はっきりと貫いた。


 ぴちゃり、と赤い血が床で跳ねた。カクン、と膝を折ったのはユニだった。その手の杖から魔力の光が消えていく。彼女の右胸から、とくんとくんと赤い血が溢れ出していた。


「ユニ、俺の勝ちだ」


 俺の杖からも、魔力の光が消えていく。俺は笑った。清々しい気持ちだった。


「なん、で……なんで!?」


 ユニは俺に縋り付くようにして叫んだ。その目からは大粒の涙がポロポロと溢れていた。

 俺は答えた。


「決まってる、だろ。勝つた、め……だ」


 俺の胸から、ごぽりと血が溢れ出す。右胸ではない、左胸から血は溢れ出していた。俺は勝負に勝つ為に、魔法の代わりに命を差し出した、ただそれだけだった。

 魔力のない彼女に殺すことは、今の俺には容易だった。ただ、しないだけ。既に勝負は決したのだから。


 身体から力が抜けていく。魔力操作で傷口を塞いでいるのも、もう限界だった。魔力切れだ。俺は、ユニに凭れ掛かるように膝を着き、倒れた。急速に身体から熱が引いていく。思考も、働かない。

 しかし、悪い気分ではない。


「コル……! 魔道具! 回復の魔道具! コル、あるんでしょ!? どこなの!?」


 ユニが叫んでいる。見れば彼女は大怪我をしていた。肩も、胸も、血が出ている。ぜぃぜぃと水気のある荒い息を吐いている。大変だ、治してあげないと。そうだここには回復の魔道具があったはずだ。

 そう思い、場所を伝える。


「お願い、コル! 返事をして!」


 どうしてだろうか、俺の声はユニには届かなかった。あれ、そういえばここはどこだろう。学校に行かないと。


「コル……! お願い、お願いだから返事をして……! 死んじゃやだよぉ、コルぅうう! もっと、もっといっぱい勝負、わたしとしてよぉおお!」


「……しょ、ぶ、?」


 勝負……? あぁ、そうだ。勝負だ。次の勝負はなんだっけ。まだまだ負けられない。

 誰に、負けられないんだっけ。


「そ、そうよコル! 勝負よ! 勝負するの! コルが返事をしたら、そしたら、コルの勝ち、だから……だから……!」


 俺は泣きじゃくる女の子を見ていた。そうだ、ここは都市学校の、1年生の教室だ。その子は勝負に負けて泣いている。次は勝つと叫んでいる。


 その子を見て、俺は努力の仕方を思い出したのだ。チートがないことに気付いて、全部を諦めて手を抜こうとしていたのに。前世で、本気で一番になれると思って努力していた頃の、無知な勇敢さを思い出してしまった。


 でも前世の俺とは違って、彼女には才能があって……だからこそ、余計に、俺は負けたくなくなって。


「コル! 勝負よ!」


 俺はその宣戦布告に、


「はいはい」


 と答えたのだ。



 その声が届いたのかどうかを、俺は知らない。


   *  *  *


「んんっ……!」


 背伸びして、陽の光を全身に浴びる。退院おめでとうございます、と花束を贈られる。礼服を着た国の重鎮が、こちらへどうぞと馬車へ誘導する。


 馬車が発進し大通りへ出ると、そこはパレードだった。皆が、魔王を倒した英雄と、わたしを讃えていた。そういう事にすると、国が決めたのだ。

 魔王の正体も、なぜ魔王が二人もいたのかも、全部、歴史の闇に葬られる事になった。わたしは全ての質問に対して口を噤んだ。


 このパレードを見ている誰も、きっと、誰よりも平凡で、誰よりも特別だった彼のことなど知らないだろう。でも……。


「こちらへどうぞ」


「ありがとうございます」


 タラップを降りて、真っ赤な絨毯を歩く。式が始まった。王様が感謝の意を告げ、褒美を問う。わたしは打ち合わせ通りに辞退しようとして、


「では、ひとつだけ」


 やっぱりやめた。お付きの者達がざわめく。無礼者!と声を荒げようとした重鎮を、王様は手で制した。


「申してみよ」


「はっ、ありがたき幸せ」


 それからわたしはゆっくりと立ち上がり、周囲に立ち並ぶ近衛騎士を睥睨して、言った。


「一番強い騎士と、勝負をさせてください」


 それを聞いて、王様は目を丸くして、それから笑った。もっとも至近にいた若い騎士を呼び寄せ、何事かを囁く。騎士が呆れたような顔をしつつも、頷く。


「その願い、聞き入れた。これより、我が騎士【剣豪】のジンと、我が国の英雄【賢者】のユニによる親善試合を行う!」


 わたしはゆっくりと杖を構えた。騎士もまたゆらりと剣を抜き構えた。あぁ、強いなぁ、と一目でわかった。強い。そう、敵は強い。それに、ワクワクとする。

 始めッ、と号令がかかった。


「コル! 勝負よ!」


 わたしは堪えきれなくなって、思わず叫んだ。杖に魔力が宿る。魔法が発現する。それは、かつてのわたしとは程遠い精度と威力。けれど、確かに鍛え上げられたもので。そして、これからもっと強くなっていくだろう。


 そう、これは勝負なのだ。わたしと、コルの勝負。二人でどこまでいけるのかを競う。そんな、勝負だった。

 試合の勝敗を告げる声が、晴天の下で響いた――……


   *  *  *


 既視感。そう、これは既視感だ。でも、以前とは何かが真逆で。


「……ここ、は」


 ゆっくりと目を覚ます。真っ白い天井、カーテン、シーツ。ここは病院だった。それから、ようやく起きたのかい、と苛立ちのような安堵のようなものを滲ませた母の声。


 長い、長い夢を見ていた気がした。


 母が、起きたんならもう行くわよ、と言い捨て、病室を出て行く。まぁ、いつも通りだ。父は見舞いにすら来ていないらしい。これもいつも通り。


 時計を見ると、翌日になっていた。長い夢、というのは単なる錯覚らしい。

 キシッとベッドを鳴らして立ち上がる。トラックに跳ねられた割に、大した怪我はなかった。それに、不思議とやる気に満ち溢れていた。今なら、そう、諦めていた夢をもう一度追いかけてもいいかもしれない、とそんな風に思える程度には。


 病室を出ようとして、振り返る。声が、聞こえた気がした。病室には風に揺れるカーテンがあるだけだった。もう、先ほど見ていた夢も思い出せない。

 早く来なさい、と母が叫ぶ。


「はいはい」


 俺はそう答えて、病室の扉を閉めた。


 誰もいなくなった病室で、ふぉっふぉっふぉと、誰かが笑った。


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― 新着の感想 ―
[一言] 面白い小説を、ありがとうございます。
[一言] 久しぶりに凍結されたアレ読みたいなぁ→そうだ作者は今何してんのかなぁ→うお!新作来てるやんけ! って感じにきました。 2人の成長して行く過程にほっこりし、予想外のラストにビックリそました!特…
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