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美化委員  作者: 斎藤真樹
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第二部 2 意外な誘い

 翌日、高校で、朝一番に私の真っ正面に少年が立った。顔を上げると、昨日の合コンまがいの食事会を執り行った男子グループのまとめ役、増田裕介だった。

「秋川さん、昨日はホントにゴメン」

 そう言うと、増田くんは深々と頭を下げた。

「あの後、バレー部の子から、秋川さんがフォローしなかったら帰ってたって言われたよ。なんか、…すごく申し訳なかったなって思って」

 困った。まさか、「いいよ、どうせ元々私は和子を誘うダシにすぎないんだし」と言ってあげるわけにはいかない。当人に言われたらフォローに困るだろう。

「あ、…それは全然、あのままじゃ気まずいなと思っただけだから」

 適当に返すと、増田くんは握手を求める形ですっと私に手をさしのべた。私は、中学時代、路山くんがそうした時のことを思い出して胸がちくりと痛んだ。

「秋川さん、いい人だね。知らなかった。本当にありがとう。これからも、ぜひよろしく」

 一瞬、路山くん以外の人と手を触れるのは嫌だと思った。でも、握手を断ることが失礼に当たるということは知っていた。

「ありがとう、こちらこそよろしく」

 増田くんの温かい手は、私の胸につらかった。私は路山くんのぬくもりを脳裏に描いていた。

「あ、それと、お金。いくら払えばいい?」

「…オゴろうか?」

「高校生は、そんなにお金持ってないでしょ」

「…ハハ、そのとーり。ゴメン、助かるよ。二千円でいい?」

「早く帰った分とか計算に入ってるんだったら、いいよ、他の人と一緒で。けっこう食べてたから」

「あ、いいの、女子は二千円均一にしたから。一応、男の側からのオゴリは、全員にちょっと入ってるから、それでカンベンして」

「いいよ、気、遣わなくても。でも全員均一の分はごちそうさま、ありがとう」

 ニッコリとお金を渡す私。ニッコリと受け取る増田くん。私はその時、自分の背後に路山くんの存在を感じた。こんなに普通の女の子になっている私――そのことを不思議に感じた瞬間、私をいつも路山くんが支えているような気がした。かつての私は、決して、こんな風に男の子とまともに相対することなんてできなかったはずだ。

 昨夜、駅で私に声をかけようとしていた男の子、…それは誰だろう。あんなにも男の子に縁がなかった私だから、やはり路山くんである可能性は高いような気がした。

 ところで、その一方、和子の株は大いに落ちてしまったようである。彼女のところにはそんな優しい集金人は行かなかった。

「ゴメンね横井さん、増田が代表して秋川さんに謝ってるから、安心して。そんで、悪いけど二千円ね」

 そして和子が二千円を差し出すと、和子をちやほやしていたはずの男の子は、

「あと安心して、横井さんはもう誘わないから」

 と捨てゼリフを残していったそうだ。私はその場に居合わせなかったので帰り道で和子からそれを聞き、絶句した。

「いいのよ、私、クラスの男に興味ないから。琴子は、変なこと言われなかった?」

 私はとても、増田くんが握手まで求めてきたとは言えなかった。

「謝ってくれた。かえって、ゴメンね」

 それだけを言った。


 それから数日後、私の家に、増田くんから電話がかかってきた。学校がクラスの連絡網を家の電話で作ってあるからこういうことになったのであり、私は当然男子に携帯電話の番号を教えるようなことはしていない。

「秋川さん、やっぱり俺が個人的にこの前のお礼とお詫びをしたいんだけど、おいしいものでも食べに行かない?」

 私はびっくりした。でも、「そんなのいいよ」と言っても、増田くんは後にひかなかった。

 めっきり冬めいてきた11月、私は初めて、男の子と待ち合わせをした。増田くんは「華やか系」の人だから異性と待ち合わせて会うことにも慣れているだろうが、私には人生初の経験だ。不安だらけの気分で15分前に待ち合わせ場所に行くと、当たり前ながら増田くんはまだ来ていなかった。私は近くにコンビニを見つけ、入った。立ち読みをして時間をつぶしたつもりだが、気もそぞろで何も頭に入らなかった。やがて、ガラス越しに増田くんが通るのが見えたので、店を出て、後を追った。声をかけると、増田くんはコンビニに視線を走らせ、すまなそうに言った。

「ゴメン、かなり待たせちゃった?」

「あ、ううん、私が早く来すぎたの」

 私は、この「待った?」「ううん」を自分がやることになるなんて…と、ものすごく恥ずかしい気分になった。そして、増田くんが導くままに、私たちは並んで歩きはじめた。

「なんか、勝手に呼び出しちゃってゴメンね。お礼とかお詫びとか言って、逆に迷惑かけてるかな」

 増田くんは心配そうに私の顔を見た。私はあわてふためいて、

「あ、全然、全然。ありがたいし、恐縮してる」

 と答えた。また、背後に路山くんを感じた。自然な私、その源泉はすべて、路山くんとの思い出からわき出してくる。

「…秋川さんて、すごくおとなしい人なのかと思ってた」

 そんな増田くんの言葉は私の心を締めつけた。…路山くんと深瀬くんと歩いた中学校からの帰り道で、路山くんに似たようなことを言われた。あの頃の私は、…おとなしくなんてない、ただのおかしな暗い子だった。

「おとなしくないよ。暗いだけ」

 わざと同じように答えた。まぶたに少しだけ憂いが乗って、表情が変わってしまった気がした。私は無理に笑顔を作った。

 増田くんが弾かれるように言った。

「え、全然暗くないよ。…暗い人だったら、あんな風に、フォローとかしてくれないよ」

 彼はとにかく食事会のことを気にしているみたいだった。私は、この人になら正直な話をしてもいいような気がして、言った。

「でもさ、私、元々…和子を呼ぶための、ダシだっただけじゃない? …だから、なんていうか…、逆にすごく気を遣わなきゃって思ってただけ。招待された美人の子たちと同じようにしてちゃいけないとか思って、それでちょっと他の子とは態度違ったかもしれないけど…、それだけだよ」

 増田くんは気まずい顔になり、しばらく言葉を選んで口をつぐんでいたが、あきらめたらしく決まり悪そうに言った。

「ゴメン。秋川さん、頭いいんだね。…なんか、嘘とか言っても、多分みんなバレるよね。…確かに、横井さんが来てくれないから、だったらいつも仲がいい秋川さんとセットで呼べば来るかなとか、みんなで作戦立てたのは確か。ゴメン」

「ああ、謝らないで、慣れてるから」

 私は笑顔を増田くんに向けた。だって、嘆いたってしょうがない。事実は事実だ。

「でもね、それは違うと思うよ」

 増田くんは私をのぞき込むようにして言った。私は彼の目を見返し、何が違うのか、その解説を待った。

「秋川さん、すごくきれいになったと思う」

 私の表情はそのまま硬直してしまった。私に関係のない言葉すぎて、鼓膜が脳とうまく連携をとれなかった。私の反応に満足したように、増田くんは笑顔になった。

「自覚ないでしょう。最初は、確かに、秋川さんってそんなにきれいじゃないと思ってたんだけど、…最近、すごく変わってきてるよ。髪が伸びたとかもあると思うけど…。俺ね、多分、秋川さんってもっともっときれいになると思う」

 カンカンと、鼓膜が音を弾くのが聞こえる。頭に入ってこない言葉。あまりにも、聞き慣れない言葉。

 増田くんは勝手にクスクスと嬉しそうに笑い、それから、

「あの店に行こうと思ったんだけど…、タイ料理。辛いのも、辛くないのも、なんでもあるから、多分どれかは気に入ると思うよ」

 とずっと先の看板を指差した。私は先にクギをさしておいた。

「…あの、私、全然オゴってもらおうとか考えてないからね。お礼とか、お詫びとか言ってたから、もしかしてそういうこと考えてるかなと思って…」

 彼は「食事にでも行こう」と言っただけで、「オゴる」とは言っていないが、私はお礼やお詫びという言葉が「オゴる」というのと同義かもしれないと心配していた。

「え、もしかしてって、…ワリカンにするなら、『どの店にする?』って訊くよ。俺が自分で勝手に選んだ店に連れてきて、料金は半分払えなんて、そんなの非常識じゃない?」

 キーワードは「お礼」「お詫び」より、むしろ「あの店でいい?」だったらしい。勉強になるなあ、と私は思った。

「ねえ、でも、高校生でオゴリとか、私はどうかと思うなあ…」

「カタいこと言わないでよ、それに、俺もそんなに金持ちじゃないから、ホント今度だけ。この次はそうはいかないから、安心して」

 増田くんはさらりと言ったが、私は決してその言葉を聞き漏らさなかった。「この次は」…って、どういう機会だろう。かんぐりすぎだろうか。

 入口に出ていたランチの見本で注文を決めて中に入ると、怪しい彫刻や模造の植物で満ち満ちていて、面白い店だった。

「オシャレな店、知ってるんだね」

「ここしか知らないんだよ。外食とか、そんなにできないし」

 食事の間、増田くんは快活にしゃべった。ギターが欲しいからバイトをはじめるんだという話、よくわからない洋楽アーティストの話、中学時代のサッカークラブの話、…それはとても活発な「普通の高校生の男の子」の話題だと私は思った。そして、バスケ部の彼が何の気なしに「深夜のバスケ中継をよく見る」と言ったとき、また、私の胸は痛んだ。路山くんも、剣道部なのに、バスケ中継は好きなようだった。ふと、なんで私は路山くんでない男の子と二人っきりで食事をしているんだろうと思った。そして、桔梗庵のうどんのことを思い出した。


 増田くんが使った「次」という言葉は、やはり何でもなくはなかった。

「ねえ秋川さん、ワリカンでよかったら、映画に行かない?」

 12月、再び電話がきて、私は映画に誘われた。映画というのは考えようによってはデート的なことではないだろうか。でも私はその定義を否定した。増田くんはクラスの中でも目立って華やかな男の子だ。決して美男子ではないが、好感の持てる優しい顔立ち。誰にでも優しくて、明るくて、いつだって元気。私とは正反対だ。増田くんはバレー部の可愛い子たちにチョッカイを出している男の子たちのグループのリーダー格に当たり、私とは、本当に対極にあった。だから、クラスで筆頭に目立つ男の子と私という組み合わせに、デートという言葉は不似合いだった。

「秋川さん、映画って、好きだった?」

 副都心の雑踏の中、増田くんは訊いた。

「…うーん、好きでも嫌いでもない」

「選んでいいよ、何見る?」

 私は不思議な気分だった。特定の映画を見に来たわけではなく、漠然と「映画に来た」だけというこの状況。では、この会合の目的は何なのだろう。

「うーん」

「秋川さんて、趣味は?」

「読書」

「…一般的だね」

「じゃあ、生け花」

「うわあ、おしとやかだね」

 どうして、この人はこうして路山くんを思い出させるのだろう。また、私のまぶたに憂いが乗る。

 結局、適当に、話題の若者向けの邦画を選んだ。もしもハズしても、友達との話題になるだろうというドライな選択だった。私は、増田くんもそれほど映画が好きなわけではないのかなと思った。幸い、前評判の分だけはちゃんとおもしろかった。

 映画のあと、どこへ行くともなしに歩き、CD屋や本屋に入った。それから、お茶を飲みに入った。

「…秋川さん、今度美容院に行くとき、川本葉子風にしてくれって言いなよ」

 喫茶店で向かい合って、増田くんはそう言った。川本葉子は、思いっきり、キレイ系の女優さんだ。私は怪訝な顔になった。

「いや、ああいう感じにはならないと思うけどさ、多分、あの髪型が似合うと思う。騙されたと思って、一度、やってみてよ。絶対イイ感じになるから」

「美容師に、絶対、『バカだこいつ』と思われると思うよ?」

「いや、仕上がりを見れば、『さすが』と思われるよ。絶対似合う」

「その時、よっぽど度胸があったらね」

「えー、絶対にそうしてよ。お願い」

 どうしてお願いなのだろうと思いながら、私はつい、笑ってしまった。本当に気さくな人だ。あるいはちょっと図々しいのか、…でも、悪い気はしない。少しだけ、路山くんを思い出す。増田くんはとても普通の人。気さくという言葉が似合う。…路山くんの態度は、「馴れ馴れしい」だったと思う。どうして勝手に私のことを呼び、断りもなく触れるのか…路山光、彼は、不思議な人。

「ところでさ、秋川さんって、好きな人いるの?」

 私は心臓を冷たい手で握られたみたいにびっくりした。まさに今、好きな人のことを考えていた。顔に「路山光」と書いてあったのかと思うぐらいにいいタイミングだった。

「な、なんで?」

 そう言う私の態度は、ちょっとばかり動揺しすぎている。これで無意味に「いない」などというゴマカシをするのもおかしい気がして、私は正直に答えた。

「…昔好きだった人が、今も好き、っていうのはある」

「昔、…彼氏いたの?」

 とんでもないことだ。

「いるわけないじゃん、今、高校1年なのに」

「いる奴はいるよ、小学生でも、今日び幼稚園生でも」

「私は、そういうタイプじゃないよ。片想いしかしたことない」

 それも、たくさん勘違いの片想いをしたけれど…今は思う。私の初恋は、路山くんだと。そして、どうして目の前にいるこの人は路山くんのことばかり思い出させるんだろう。

「ふーん、…それで、その人のことは、いつ忘れるの?」

 それも、痛い質問。ひどいことばかり訊くなと私は思った。でも、路山くんのことを訊かれていると思うと、一方では甘い気分でもあった。

「…んー…、永遠の人、かな?」

 思わず、私は笑顔になった。私の中で、路山くんが消えることはきっと永遠にない。私が今の私として生きていく以上、ずっと路山くんとは一緒だ。勉強がすべてで、男の子が苦手で、暗くて、おかしな勘違いにねじまがっていたあの頃の私が懐かしい。

「それは困ったな」

 そう言って伏せた増田くんのまぶたの奥にあった気持ちを、私は、この時本当に心から気付いていなかった。

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