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美化委員  作者: 斎藤真樹
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第三部 2 嫌がらせ

 家に帰り着いてすぐに電話をかければよかった。別れようと、すぐに言うべきだった。だけど私はためらった。どう説明したらいいかわからなくて。本当のことは言えない。裏切ったなんて絶対に言えない。私はどう裁かれてもいい。でも、増田くんを傷つけたくない。だから、本当の話をするわけにはいかない。

 そうして私は月曜日、一人重い気持ちを抱えて高校へと向かった。きっと増田くんの顔をもうまともに見られない、どうしたらいいんだろう…なんて思いながら。

 教室に入り、席について、カバンを横にかけた。

 私がそれに気付いたのはチャイムが鳴った瞬間だった。私は無意識に机の中のものをあさる手つきをした。べちょっと、嫌な感触がした。

 思わず席を立って恐る恐る机の中をのぞくと、なぜか私の机の中に、水浸しのトイレットぺーパーが入っていた。

「やだ、なにこれ!」

 私は叫んだ。まわりのクラスメイトが「なに、なに?」と不安そうに集まってくる。そこに先生が入ってきて、異様な状況に気付き「どうした?」と声をかけてきた。

「…なんか、イタズラされたみたいなんです…」

 私は、このトイレットペーパーが含んでいる水がただの水道水なのかどうかが最大の問題だとひたすら考えていた。憎しみの度合いによって、水の成分はきっと違うだろう。

 幸い、空いた机があったので、私の机は交換された。でも不快な気分は残った。ひどいいたずらだ。その日はずっと、いろんなことを悩み、疑いながら過ごした。それが面白半分にされたものなのか、私を狙って悪意でやったものなのか…。

 その答えは早くも次の日に出た。登校して、上履きを履こうと床に軽く投げ下ろしたら、靴の中でころりと画びょうが転がった。翌日は嫌がらせはなかった。でも、その翌日、またも机の中に濡れたトイレットペーパーが詰められていた。

 私はそのことを増田くんに黙っていたが、彼は即座に聞きつけて、帰りに私を迎えに来てくれた。

「…秋川さん、大丈夫?」

 学校だから精一杯気を遣って、「秋川さん」とぎこちなく呼ぶ増田くんの声。私は「大丈夫」と答えてうなだれる。理由のわからない嫌がらせに傷ついてではなく、増田くんを裏切ってしまったことがつらくて。

「秋川さん、一緒に帰ろう」

「…ダメだよ、増田くん、今日部活でしょ?」

「いいよ、休むよ」

「変な嫌がらせとかで、部活休んだらもったいないよ」

「ほっとけないよ。…行こう」

 増田くんの優しさを、私は拷問だと思った。もう並んで歩く資格はない。別れなければ…。でも、一体なんて説明したらいいのだろう。

「琴子」

 増田くんに名前で呼ばれた瞬間、心臓につららが刺さったように痛みが走る。

「嫌がらせ、心当たりあるの?」

「…ううん、ない…」

 強いて言うなら、天罰…と私は思った。こんなに優しい彼氏がいるのに、他の男にすべてを与えてしまった。確かにその気なんてなくて、ただお茶を飲みに上がり込んだだけ。その後の成り行きは…なぜそうなったかはわからない。でも、絶対に一方的ではなかった。だからもう、増田くんに優しくされるのはつらい。

 だから私は別れ際に言った。

「増田くん、…私、今までのことすごく感謝してるし、幸せだった…。でも…なんだか自分が増田くんとどうしても釣り合わなくて、それが嫌なの。…別れること、考えてもらえないかな…。今日もすごく優しくて、でも…それが重荷なの。増田くんは優しすぎるの」

 増田くんは本気にしなかった。

「琴子、変な嫌がらせで気分が落ち込みすぎてない? …あんまり気にしちゃダメだよ」

 私はなにも言えなかった。


 翌朝は靴箱にも机にも異変がなく、ホッとして授業を受けた。帰りがけ、忘れ物がないか机の中をのぞくと(もう手を入れる勇気はなかった)、手紙のようなものを見つけた。私はさりげなく取り出して開いてみた。それはパソコンで出力された手紙だった。

『増田裕介は秋川琴子以外に何人も彼女がいる。別れた方がいい』

 増田くんに、私以外の人がいるはずなんてない。…つまりこの手紙は、『別れた方がいい』が本文だ。

 それから数日、嫌がらせがあったりなかったりする日が続いた。

「ちょっと、そこの公園に寄らない?」

 帰りがけに私を連れ出した増田くんは、公園に入り、空いているベンチに座った。

「琴子、…これ、今朝、琴子の机の中に入ってたよ」

 いきなり封筒を突きつけられた。すでに開封されていた。

『増田裕介と別れないと不幸になる。あの男は横井和子ともつきあっている』

 そんな文面を私が目で読み終わると、増田くんが不機嫌そうに言った。

「こんなの、本気にするのはひどいんじゃない」

 増田くんは私の手から封筒を奪い、きれいにたたんでカバンの中に入れた。

「…おかしいと思ったよ、急に別れるとか言いだして。こういうことだったんだ」

 そうじゃない。原因は、このことじゃない。…でも…。

「俺、二股なんかかけてないよ。信じてなかったの? しかも、俺のことはともかく、…横井さんのこと疑ったとしたら、ひどいよ。友達なんでしょ? こんな脅しに負けて別れるなんて、悲しくない? 俺にまで、隠し事とか、嘘ついたりとか、しないでよ」

 相当、事態は深刻なようだ。私が何を告げても、きっと、別れるための嘘だとしか思ってくれないだろう。どうしてこんなタイミングでこんな嫌がらせなんかされるんだろう。そうでなくても別れるところだったのに。私は増田裕介を裏切ってしまったのに。路山光と関係してしまったのに。どうしてこんなことが一気に起こるんだろう。

 悲しくて悲しくて、どうしたらいいかわからなくて、耐えきれなかった。人前で泣くなんて嫌なのに。できうる限り避けたいのに。でも、路山くんのことも、増田くんのことも、嫌がらせのことも、なにもかもが嫌になった。

 泣きだした私のことを、増田くんは抱きしめてくれた。私にはそんな資格はないと、思いながらも私はその胸に身を委ねてただ泣いた。


 増田くんだけでなく、和子もいろいろと心配してくれた。けれど私はその好意に後ろめたいものを感じるしかなかった。

 ある昼休み、私は和子とお弁当を食べていた。

「実は、そんな嫌がらせがなくても、増田くんとは別れようと思ってたんだよね…」

 私の言葉に、なぜか和子はうつむいた。私はぼうっと弁当を食べていた。

「それ、私たちのせい?」

「私たち、って?」

「…男ども、体目当てだからねって…、そんな会議したじゃない。だから?」

 ものすごく申し訳なさそうな和子の顔を見て、私の心は、不謹慎ながら安心した。和子の的外れな心配が、絶対にこの事件の関係者ではないことを物語っている。

「全然。私、増田くんのことは、信じてる」

 今、私ははっきりとそう言える。そして、ふと…心に暗い影が落ちる。

 …路山くんは?

 どうして自分の家に呼んだんだろう。そのへんでお茶を飲んで…私はそう思っていた。路山くんは、私を恋の相手と思っていただろうか? 仙台へ行くことも伝えてくれなかったのに? きっと、私が行かなければ音信不通になって、そのまま永遠に会うことはなかっただろう…。

 体目当てだから、用心しようね…。

 …路山くんは?

 私は増田くんを信じている。絶対に体目当てとか、そんなんじゃない。

 じゃあ路山くんは?

「琴子、別れちゃダメだよ」

 和子の声で我に返る。

「信じてるって言えるんだったら、どうして別れるの?」

 ああ、お願い、私にそんなにたくさんのことを押しつけないで…。

 私は和子に、こう答えた。

「…路山くんが好きだから」

 和子は帰す言葉を持たないようだった。私もいろんなことを考えてしばらく黙っていた。路山くんが好きだから別れる…ほんのわずか、その要素はあるかもしれない。でも、本当は違う。路山くんを想う気持ちは、実際、増田くんとつき合っている間中あった。その想いを、とうとう形にしてしまったから、…。

 ――どんな形だろう。「連絡する」と路山くんは言った。それはどういう意味だろう。

 これから私と路山くんはどうなるんだろう。連絡する、それだけじゃわからない。

「琴子…、路山って人とは、どうするの? 告白とか、そういうの…」

「しない」

 即答していた。好きだと告げるのは嫌だ。すべてが壊れてしまいそう。

「じゃあ、ずっと恋なんてできないじゃない」

「それでもいい。私はずっと、路山くんのことを好きでいる」

 和子はしばらく黙ってから、静かに言った。

「…止めないけど、…それは増田が可哀想なんじゃない…?」

 わかってる。でも、だから余計、中途半端な態度で騙してつき合うなんてできない。そして和子には言えない。私と路山光に何があったかを…。


 さらに数日がたち、やむようでやまない嫌がらせにいい加減嫌気がさした私は、犯人を見極めてやろうと、朝早く登校してこっそり掃除用具入れにこもった。せまくて、立っているのがやっとで、長くはいられそうにない。それでもなんとか考えごとをして時間を費やした。

 掃除用具入れの中で私は暗澹たる気持ちになっていた。やがて教室に人の気配がして、私は息を殺した。わずかに教室の中が見える。入ってきたのは…増田くんだった。私は拍子抜けした。彼は私の机の中をのぞき、手を突っ込んでなにもないことを確認していた。どうやら心配して見に来てくれたらしい。

 そこにもう一人、人が入ってきた。和子だった。

「増田くん、ちょっと話があるんだけど」

 険しい声でそう告げて、和子はしばらく私への嫌がらせのことで増田くんを責めたあと、真剣な声で言った。

「増田くんってやっぱ目立ってるし、もてるんでしょ? 琴子を解放してあげて。琴子、実は増田くんとつき合ってることで、いろいろ無理してると思う」

 増田くんの言葉が聞こえない。必死で耳を傾けるが、和子の声ばかりだ。

「あんたのせいで琴子が嫌がらせされてるんだからなんとかしなさいよ。琴子が別れたいって言ったら、別れてあげなよ。琴子が少しの間、楽になれたらまた元に戻れるかもしれないじゃない。今の琴子の気持ち大切にしてあげて」

「なんとかするよ。別れるのはお断り」

 教室を出て行きながら増田くんが少し強い声で投げかけた、最後の言葉だけが聞き取れた。二人が出ていき、私はやっと掃除用具入れから出ることができた。

 和子は、感情的になっているように見えて、私が増田くんと別れたい本当の理由を伏せて話してくれた。大人だな、と思った。それに比べて私はなんて愚かなんだろう。

 私は、仙台での出来事だけ隠して、増田くんに路山くんへの気持ちを話そうと決めた。誠実でありたいから本当のことを告げる。でも、ひどく傷つけることは告げずにおく。そのさじ加減をつけるのは決して相手を欺くことではない。私は周囲の人に対して、もっときちんと行動しなければならなかったのだと思った。

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