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美化委員  作者: 斎藤真樹
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第二部 6 危機管理会議

 新学期、クラス替えがあり、私も和子も増田くんも別々のクラスになった。増田くんは、「級長」なる古めかしいものに選出されたらしい。

「級長とか、かえって恥ずかしくない? なーんか陥れられた気分だよ、うちのクラス、バスケ部の男多いからさ~」

 増田くんが困ったように言う。でも、いい級長になるだろう、増田くんなら。男女分け隔てなく優しくて、男女を問わず慕われる人だから。

 路山くんの住所を教わり、仙台に無理やり行こうと思ってはいるが、なかなか勇気が出ない。そんな風にだらだらしていると、こうして増田くんと過ごす時間が訪れる。一緒に映画を見たあとの喫茶店、甘いものを食べながら、新しいクラスの報告会。…これはこれで、幸福なのだろうと思う。

 しばらく、増田くんが級長に選出されるまでの、バスケ部男子部員の陰謀について聞かされる。「たまらね~よ」と顔を歪めてみせる増田くんの、口の端は思いっきり笑っている。友達に愛され、同じように愛し返すことができる幸福な少年。私は、彼と釣り合っているだろうか?

「秋川さんは、なにか委員とか、ならなかったの?」

 ああ、まただ。本当に…増田くんは、私のツボを見事に直撃してくる。

「ううん…、特になにも」

 高校に美化委員はない。彼を責めるわけにはいかないけれど、多分、増田くんの最大の欠点はこれだ。私にいつも、路山くんを思い出すささやかなきっかけを与えてしまう。

「…秋川さんさー」

 不機嫌な声に、私はドキッとする。他の男の子のことを考えていたのがわかってしまったのだろうか――そう思って、少し身を縮めた。

「なんか、この前のこと、ホントに心の底からすっきりサッパリ水に流したよね」

「この前、って…」

 ハッとして、恥ずかしくなった。あの、抱きしめられて、押し倒された日のことだ…。

 慌てて下を向く。

「ホントに申し訳なかったとは思ってるけどさ、…俺、すっごい心臓バクバクしながらあのような行動に出たっていうのに、…なんかそうやって『なかったこと』にされちゃうのは悲しいんだけど…」

 なかったことになんてしていない。考えないように頑張っているだけ。恥ずかしくて、それから今でも、ちょっとだけ、怖い。

「ゴメン、…蒸し返すの恥ずかしくて…」

「やっぱり秋川さんて、『高校生でそんなこと』とか思うタイプ?」

 ちょっとだけ増田くんの顔色をうかがって、でも、思いっきり力を込めて答えをぶつけた。

「高校生のおつき合いとかって、まだ、子供のままごとみたいなものだと思う…。私、自分の年齢を間違えたくないな…」

「…やっぱ?」

 否定されなかったことで、かえって幾分釈然としないものを感じる。増田くんは、もっと華やかな恋をして、どんどん大人になりたいんだろうから…。

「うーん、正直俺は、もっと秋川さんのイロンナモノがほしーい! 変な意味も、変じゃない意味も、そういうの全部ひっくるめて」

 照れ隠しなのだろう、ものすごくおちゃらけた言い方。でも、そういう態度がとても優しく感じられる。

 迷う。私は、仙台に路山くんを探しに行くべきなのだろうか。増田くんはこんなにも優しく、そして私を想ってくれる。なのに…。

「ねえ秋川さん、俺の必死の告白も、そうやって淡々と流すのやめてくんない?」

 ものすごく落胆した表情で増田くんが嘆く。表情の豊かな人だ。私は…、でも、これだって中学時代にだいぶ成長したつもりなんだけれど。

「ごめ…」

「謝ってばっか。…俺、そんなに秋川さんのこと責めてる?」

「…ううん」

「で、話の続きがあるのね。…あのね、俺、…秋川さんに、権利をもらいたいものがあるんだけど…」

 首をかしげて話の続きを待っていると、戸惑って視線を泳がせつつ、増田くんが訊いた。

「秋川さんを、琴子って…名前で呼ぶ権利がほしいんだけど…ダメ?」

「…ええっ!」

 リアクションが半秒遅れてしまった。そのくらいびっくりした。

 結局、この日から、増田くんは私を「琴子」と呼び捨てるようになった。くすぐったくて照れてしまう。この感覚も恋の幸福なんだろう。

 仙台に…、行くべきなんだろうか。はじまったばかりのささやかな恋を置いて、中学時代の思い出に会いに行くことは、やはり、すべきではないのだろうか。

「琴子」

「…! はいっ」

「ゴメン、嬉しくて…呼んでみただけ」

「あ、そう…」

 そして駅までは、手をつないで。おままごとのような。でもいい。ずっと、こうして想われていたい。想われることは心地よい。そして片想いは、つらい…。

「あのー、増田くん、学校では恥ずかしいから…」

「うん、俺も、学校でそんなこっぱずかしい呼び方するのは無理。…二人の時だけね」

 彼の笑顔が眩しい。彼の想いに呑まれて、なにも考えずに幸福にしていたい。

「琴子は、名前で呼んでくれたりしないの?」

 ああ、…そんな事態もきっと素敵だろう。私はそう思い、そして答える。

「…折を見て」

「折、って」

「もうちょっと、慣れるまで待って」

 仙台には行こうと、そのとき思った。路山くんには会わなくていい。ただ…、お墓参りのような気持ちで、自分の心の整理に行こう。ふっきってこよう。路山くんが私に与えてくれたたくさんの変化に感謝して、現在の私自身を素直に喜んで、…そして、路山くんにはさよならを言おう。

『光ちゃんは、秋川さんのこと、好きだったよ』

 …ありがとう。そう、なのかもしれない。でも同時に違うのだとも思う。今こうして増田くんと恋を確かめ合いながら、これは路山くんと私の関係ではないと思う。

「恋」…増田くんとはこれでいい。でも、路山くんとはそうありたくない。ただなんとなく、なぜか仲がいいだけの…、どうしてそばにいるのが自然なのだろうと、恋ではないのに惹かれ合う不思議さを感じていたい。そしてもう、その関係が戻ってこないならば、すべてを思い出にしてしまいたい。

 仙台に行こう。なにかをふっきって帰ってきて、増田くんに「私も好き」と言おう。それから裕介くんとか、裕介さんとか、そんな風に特別な呼び方をして、心からの恋人になりたい。私を想ってくれる優しい人に、報いてあげたい。

 路山光を忘れよう。なにもせずにいたらきっと一生忘れられないと思うから、仙台の街にさよならを言いに行こう。

 私の意志は決まった。


 とはいえ、お金もかかるし親の目も気になるし、一人旅をする度胸もなくて…。絶対行こうと思いながらも、私は、なかなか重い腰を上げられずにいた。

 そんな中で、久しぶりに、和子とバレー部の子たちと集まることになった。クラスが散ってからも集まれることが嬉しい。

「優奈は?」

 バレー部の子は、1年の時につるんでいた一人が欠けていた。

「優奈は、吉村とつき合ってるから…」

 バレー部3人、私、和子。欠けている優奈は、1年生の時に、増田くんたち華やかなグループの一人とつき合いはじめ、今も続いていた。でも、なぜそれが彼女がここにいない理由になるのか、私にはわからなかった。

 それを言うなら、私も、増田くんとつき合ってるけど…。そんなセリフを飲み込んで、私は彼女たちと喫茶店のテーブルについた。

「琴子、これは、とっても重要な会議なのよ」

 かつてのバレー部4人組のリーダー格、久美がいきなり私に向けて言った。私は面食らった。

「…なんの会議?」

「琴子、増田くんとつき合ってるでしょ?」

「う、…うん」

「じゃあ、私たちの会議を聞いた方がいい、絶対」

 そんな穏やかでない前ふりのあと、彼女たちは「会議」をはじめた。

 1年の時、増田くんたちの一派はバレー部の4人と和子、そして結果的には私も含まれることになったが、その6人をターゲットに恋愛沙汰を仕掛けていた。和子はけんもほろろに断ったが、バレー部のうち2人、孝美と今日欠席の優奈は彼らの仲間とつき合うようになった。とはいえ、彼らの中でもターゲットがバッティングしたりして、孝美についてはやっと3学期になってから彼らのうちの一人とつき合うことになった。だがそのつき合いは、2か月であっさりと破綻したのだそうだ。

「なんで別れたの?」

 私が訊くと、久美は私に向けて乗り出した。

「それを、みんなで情報共有して、安全に暮らしましょうっていう話よ」

 孝美は、つき合い始めて日も浅いうちにいろいろなことを求められ、断っても執拗で、ひと月もした頃には突然押し倒されたという事実を怒りに任せて語った。

「こぶしで殴っちゃった…。絶対許せない」

 私は一生懸命涼しい顔を装ったが、とても暗い気分になった。和子がチラッと私を見た。いたたまれなくて、逃げ出したくなった。

「そう、そう、それでね」

 久美がまた乗り出した。暗い気分になってきた。つまるところ、男はオオカミだから気をつけようと、そういう会議だ。

「それだけなら、アイツがふざけんなで済む話だったんだけど、私は聞いてしまったのよ」

「なにを」

「バスケ部の男、誰が最初に彼女とヤレるか、競ってるのよ」

 後頭部をガーンと殴られた気がした。私はかろうじて表情を保った。また和子が私を窺った。

「私、体育館の更衣室に忘れ物を探しに行ったのね。そしたら、バスケ部の男が、体育館に誰もいないと思ったのか、ぶらぶらやってきてしゃべってて、それが聞こえたの」

 聞きたくないのに、あとの一人、奈々江が冷ややかに先を促す。

「なんて言ってたの?」

「どこまでいった? って話よ。俺はキスまで、俺は触った…そんなこと」

 久美は、「バスケ部の」と言った。じゃあ、増田くんは…? もちろん、そういう意味では報告することなんてなにもないだろうけど。でも、どんな風に言うんだろう…。

 孝美と奈々江が私の顔を横目で見ている。友達ながら、ちょっと不快…。そう思った途端、

「増田は、琴子のこと、大事にしてるんでしょ?」

 和子の助け船だった。私はすぐに飛び乗った。

「増田くんにはまだ、そういう意味でカウントできること、なにもされてないけど…」

 押し倒されたけど、だって、それだけだもん。以降ずっとなにもされていないし。でも不安がよぎる。あの日、不自然に急展開したのは、もしかして…?

「琴子はまだ増田くんの手に堕ちてないみたいだから、呼んだのよ」

 久美のその言葉が意味することを私はすぐに理解した。優奈が呼ばれなかった理由――それはおそらく、優奈がもう少女の世界を出ていってしまったからなのだろう。

「ね、怖いでしょ。私たち、十代の女の子は、自分の身を積極的に守らないといけないと思うのよ。それで、今日は危機管理について話し合おうっていう、会議」

 大仰な…と思ったが、すぐに私はその余裕を撤回した。私たち高校生の女の子は、男性すべてに対して警戒を余儀なくされる年齢だ。

「目下、一番心配なのは琴子よ」

 私はつい悲しい顔になる。一度危険にはさらされたけど、一応今は増田くんを信じている。でも、一つも疑っていないと言ったら嘘になる。

 奈々江が久美に訊く。

「ねえねえ、久美、増田くんは琴子のこととか、なんか、言ってなかったの?」

「増田くんの声はあんまり特徴ないからなあ…。でも、琴子の名前は出てたんだよね」

「えっ!」

 急速に血の気が引いた。増田くんは、私のこと…?

「増田くんがいたのは確かだと思うんだ。増田は、秋川どうよみたいな話はしてたから。でも、増田くんはなんにも答えた気配なかったよ。しばらく、どーよ、どーよ、ってやってたから」

 ホッとする。…そりゃあ、何事もないから、答えられないだろうけど…。

「なんか、男の子とつき合うのとか、怖いね」

 奈々江がため息をつく。孝美が続く。

「うん、…恋愛じゃなくて、欲望なんだもん」

「琴子も、絶対に許しちゃダメだよ」

 念を押され、たしかにそうだとは思うけれど、私はどうしても納得いかない部分があって言い返してしまった。

「全員がそういう人ってわけじゃ、…ないと思うな…」

「琴子」

 和子の声に私は縮み上がった。凍る私の耳に、和子の冷たい声。

「…琴子も、つき合い始めたばっかの頃、増田の家に呼ばれて、押し倒されたでしょ」

「えー!」

 バレー部の3人はいっせいに叫び、私は首をすくめた。和子が代わって答えた。

「自称、無事」

 和子の棘のあるセリフは、本当に怖い。私は気を取り直して反論した。

「無事だよ、ほんとに押し倒されただけで止まったから。私、まだキスもしてないよ。ちゃんと断ったし、ホントにその1回だけで、そのあとは増田くん…なんにもしてこないよ」

 でも、「いろんなものがほしい」と…、おちゃらけてではあるが、言っていた…。

 気をつけるんだよと、くどいほどくり返されて、私は無罪放免となった。

 和子と2人になった帰り道、私は言った。

「ねえ、…増田くんは違うと思うよ…。そんな変な男ばっかりじゃないよ、きっと…」

 じろっ、と和子が私を見る。

「北風と太陽、って知ってるよね。私だったら、信じない」

 和子は聡明だ。

 恋愛なんて面倒くさい。一緒にいて楽しいだけでいいのに、その先だとか、思惑だとか…。この前、増田くんを優しいと思い、信じ、ついていこうと決めた気持ちがまた揺らいでくる。「体目当て」…そんな感情だったら、悲しい。

 路山くん、と…また、思ってしまった。

 路山くんといたい。難しいことをなにも考えないで。恋とか、そんなことはどうでもよくて。『秋川~』…そんな風に、簡単に呼んで、そばにいてほしい…。手を握っても、肩に手を回しても、なんの意味もなくて。あの心地よいだけの時間が懐かしい…。

 会えないならお墓を立ててこよう。魂を置いて来よう。今、路山くんがいる遠い場所へ……。

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