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美化委員  作者: 斎藤真樹
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第一部 1 トゲトゲのさなぎ

 秋川琴子あきかわことこという自分の名前を、私は今でこそ綺麗な名前だと思うことができるが、小学校の頃は「秋川オトコ」「男」とさんざんからかわれ、大嫌いだった。自分の名前も、自分の顔も、自分の性格も、全部が気にくわなかった。

 中学時代の私は、たかだか学年の百六十人あまりの中でちょっと勉強ができたからって、自分がとても特別な人種のつもりでいた。成績は女子の上位十位以内だから確かにいいのだろうけれど、男子と合わせて考えると二十位以内で、百六十人に対して上位二十人というのは八人の中で一番という計算だ。しかも私の通っていた中学校が区の中でも学力テストの総合成績がワーストに近いところだったなんてカケラも知らなかった。

 それでも、当時は自分が「優等生」という特殊な、称賛されるべき人種だと思っていた。勉強ができることを鼻にかけて優越感にひたることが当時の私の唯一の「幸せ」だった。

 けれど、その中学最後の年に、私は、私の人生のすべての基礎を教わったような気がする。その年、私は、私の人生のすべてを作りかえてしまえるひとと出会った。


 中学校三年生になって最初の学級会で、その年の委員が決められる。しかし、毎年みんながやりたがらないものだから、先生方は強攻策を打ち出してきた。

「いつもは学級委員の選挙からはじめるところですが、今年は各委員から先に決めます。どの委員にもならなかった人たちの中から、最後に学級委員を選挙します」

 学級委員になる子はだいたい決まっている。そしてこのクラスの女子で一番成績がいい私は、かなりの確率で女子の学級委員になる。でも、私は一年の時も二年の時も学級委員で、もう飽きていた。園芸委員や飼育委員の女の子たちが、学校新聞で花やウサギを抱えて写っているのをとてもうらやましく思っていた。

 まずは園芸委員の希望者を募ると瞬時に七人もの女子の手が挙がり、私はすぐに立候補を断念した。今思うと、私が立候補していても確率は八分の一あるし、必ず一人は委員を勝ち取る人が誕生するはずだ。だが、当時の私の感覚では、「七人もの人にジャンケンで勝てるわけがないのだから、出るだけ無駄」だった。

 そこで飼育委員…と思ったら、十人の女子が手を挙げた。私は同じ理由で立候補を断念した。

 普通ならみんな委員になるのは消極的だが、先生のねらいはてきめんで、間違って学級委員になるのを避けるため、一定以上の成績の子たちが熱心に委員に立候補した。私は美化委員に立候補してみた。もう何人もの人が委員に決定していたため、女子の美化委員の立候補は私含め二人しか出なかった。私はその彼女にジャンケンで勝って美化委員の地位をせしめた。

 その後、委員にあぶれた人たちの中から学級委員が選ばれるのを、私はとても豊かな気持ちで見ていた。

 思い出せば、小学校の時も「学芸会でいつもピアノ伴奏をやらされるのは嫌だ」と思い、6年生の時には率先して合奏の「トライアングル」に立候補した。ピアノ伴奏はこれまた花形で、私はそれも自慢のタネだったように思うが、小学校の1年から5年まで全部学芸会の役回りが「ピアノ」というのはさすがにガッカリだ。6年生の時、とうとう先生からのピアノの指名を断り、そこで「お姫様の役がやりたい」じゃなくて「トライアングルを鳴らしたい」と思うところが私の性格なのだろう。無論、トライアングルに立候補した子は一人もいなかった。私はその年の学芸会で合計6回、トライアングルを「チーン」と鳴らして出番を終えた。

 今回の美化委員という選択も、私にとってはその「トライアングル」にすぎなかった。


 4月、最初の美化委員会が開かれた。

「それでは、空き缶当番の班分けのくじを引いてもらいます」

 空き缶当番。学校周辺の空き缶をすべて拾って回り、アルミとスチールに分別して業者に渡しているらしい。4つの班に分かれ、1週目班、2週目班…とやって、5週目がある場合は休みになるようだ。つまり必ず月に一度は空き缶当番が回ってくる。楽かと思ったら、考えていたよりも美化委員には仕事があった。

 学年は3つ、各学年は4クラスずつ、各クラスの委員は2人ずつ。24人の委員が4週間を表す4色のクジをひく。学年と男女が散るように、それぞれ、別々に。これは、いろんな人と友達になれるよう、という配慮らしい。

 私は黄色のクジをひいた。「3週目班」だった。これで、24人は6人ずつの班4つに分けられた。

「それでは、各班ごとに集まって、顔と名前を覚えてください」

 1年生2人、2年生2人、3年生2人。それぞれ男女一人ずつ。私と一緒に3週目班になった3年生、それが路山光みちやまひかるだった。

 彼の第一印象は、単純に「悪い奴ではなさそう」だけだった。ガクランのホックは外していたものの変な風に着崩しているわけでもなく、髪もたださらっと清潔にまっすぐで、とりあえずは委員会活動に支障を及ぼすような不良ではなさそうだった。私は誰の目も見ずに、秋川琴子です、とお辞儀をした。


 委員が決まったのが4月の第2週だったので、空き缶当番のしょっぱなは私たち3週目班だった。「貧乏くじだ」と私は思った。『美化委員の当番は、水曜日に職員室前の花壇に集合』…。仕方なく、私は放課後そこに出掛けた。すると、不思議な光景がそこにあった。

「1、2、3…?」

 私を入れても6人しかいないはずの当番が、どう見ても10人近くに見える。しかし、私は誰一人として美化委員の顔を覚えていなかったので、どこの誰が、どう紛れ込んでいるのかちっともわからなかった。

 そこへ、軍手を人数分手にした美化委員会の先生が現れた。私たちも教わっている音楽の先生だったので、同じ委員に聞くより気軽に、私はこの事態を聞いてみることができた。

「なんか、人数が多くないですか?」

 先生は喜色満面で答えた。

「路山くんのクラスのお友達が来てるから」

 ただの友達? 面倒な委員会の仕事に? …余剰人員は5人もいる。それが、全部?

 見ると、確かに群れは2つに分かれていて、1つめの群れはただ群れているだけの無言組で、もう1つの群れは仲良くしゃべっていた。仲の良さそうな連中が「路山くんのクラスの友達」…つまりは「路山組」なのだろう。よく見ると、路山組のうちの何人かは成績上位に名を連ねる優等生で、漠然と顔を知っていた。でも、その群れのうち、誰が委員の「路山」なのかはわからなかった。

 積極的に手伝いに来てくれたメンツが5人もいることを、私はその時、「優等生連中、そうして先生に可愛がられたいのか…」と思った。美化委員担当の先生は3年生の担任ではないから、媚びたところで内申書にも推薦入学にも何のメリットもなかったのに、私はそういう発想しかできなかった。

 美化委員は群れたまま学校をぐるりと回る。校内に缶飲料などの自動販売機は置いていないから、この仕事はまさに地域ボランティアだ。設置したゴミ箱の中、自動販売機のそば、小さな公園、放置自転車のカゴの中…学校の周りを一周するルートにある缶という缶を集め、透明な袋に入れる。本来なら6人で回るところを、プラス5人、倍近い大所帯で回るものだから、割合いいペースで進んでいける。

 和気あいあいと作業をする路山組の6人。路山と、男3人に女2人。変わった人たちだと思った。何を好きこのんで、他人の委員会の仕事を手伝いに来るのだろうか。

「秋川さんだっけ?」

 突如、肩の上から声がして驚いた。そう言うからには、この声の主は後輩たちでも路山の取り巻きでもなく、委員である路山本人なのだろう。路山は私にけっこう近い位置に立っていて、私は思わず距離をとった。私はそれまで、「男子」という生き物とは年に合計2、3度くらいしか話す機会のない暮らしをしていた。「男子と話す」ということは大事件だったし、そんなに近くに立たれるとショック症状を起こすくらいに免疫がなかった。

「いかにも、秋川ですが」

 動揺したことを隠そうとして、私は目をふせたままおかしな返答をした。路山は私の挙動不審な態度にも動じず、ニコリと笑って、

「1年間、がんばろーね。よろしく」

 と言った。そしてあろうことか、軍手をした右手を私に向かって差し出した。

(手を握らないといけないのか?)

 私はさらに動揺した。どう見ても、この手は握手の手だ。男子としゃべらない私が、ほとんど初対面と違わない、今初めて言葉を交わした男子に手を触れるなんて!

 しかし、ガチガチに意識して身動きも取れないような態度をしたら、「こいつ、何意識してるんだ?」と思われてしまうだろう。だから全身の力を振り絞って私も右手を前に出した。あとは路山がうまく握手にしてくれた。

(なんだ、この男は)

 正直、私の感想は、「お互いに軍手をしていてよかった」だった。だって、私の手は、いずれ「彼氏」という立場になる素敵な男性が一番に触れることになっていたから。男子としゃべらない私が中学生の分際で彼氏のことを想定していたのは滑稽だが、本当は私も恋がしたかった。憧れの男の子はいっぱいいた。たいがい、しゃべったことはなかったけれど…。

 握手をしたからもう用は済んだだろうと思っていたら、路山はさらに言葉をかけてきた。私はその様子に恐れすら抱いた。

「秋川さんて、行田ぎょうだの友達だよねえ」

 行田 文枝ふみえは私の親友である。私はさらにエネルギーを消費しながら回答した。

「そうだけど」

「時々、行田が剣道部終わるの待ってるよね」

 驚愕だ。私は正直、クラスメイトの男子の顔だって1年かけても全員覚えきれない。でもこの男は、中学2年までの2年間、週に一度行田を待っていた私の顔を「見た」うえに「覚えた」ということなのだ。自分と何の関わりもない異性の顔を覚えるというその行為は、私には徒労としか思えなかった。

「ああ、うん」

 必要最低限の言葉しか出てこない。もはや男性に対するアレルギーが体中をむしばみ、私は気力だけで応対しているような状態だった。

「俺も剣道部なんだけど、覚えてない?」

 とんでもない、と私は思った。私が、何の関わりもない別の部の男子を覚えるなんて。この世にそんな事態はあり得ないということが、なぜこの男にはわからないのだろう。

「ゴメン、全然」

「そっかー。秋川さんは、何部?」

「…え、華道」

「かどう、ああ、花か。おしとやかなんだねー」

 危なく、思いきり不愉快そうに「は?」と言うところだった。正直、私は自分の見かけがあまり美人でない…率直に言ってまずい方であるという自覚があったし、おまけに暗くて男子と極力口を利かない「変な人」だ。だからそういう女子に対して「おしとやか」といホメ言葉の範疇に属する言葉を男子が向けてくるのは不適切だった。私はその誤りを正さなければならないと慌て、

「おしとやかじゃない、ない。暗いだけ」

 とわざわざ断った。路山は、

「ふーん、そうなんだー」

 と感心した。私はその邪気のない声に疲弊した。なぜ「声」に疲弊したかというと、私は路山を最初の一瞬以外一瞥もせずに話していたからだ。

 幸いに、その時後ろで路山を呼ぶ声がした。

「またね」

 そう言って、路山はまた仲間たちの群れに戻っていった。私はやっと解放され、安堵した。今思うと、男子だろうが女子だろうが、ただの中学生同士に違いないのに。当時の私は自分で自分を「男アレルギー」と信じていたし、そのことを「私って内気だから」と自己陶酔していたように思う。

 私は美化委員の当番が終わると早々に帰宅した。路山とその取り巻きの計6人は、校庭の隅で輪になってしゃべっていた。


 行田文枝、私の親友を、私はぶんと呼んでいた。文は中学1年時の同級生だ。最初に意気投合したから、3年になって別のクラスになってもつるんでいた。

 文は剣道部だった。剣道部は月水金とある。私の華道部は月木とある。月曜日、華道部が終わってから体育館に行くと、丁度剣道部も最後に面を外して道場(体育館だが)に礼をするところだ。だから、週に一度は文が剣道部を終わるのを待つ。

 美化委員の当番が終わってすぐ次の月曜、私はいつものように華道部の後に文を迎えに行った。剣道部は20人ほどの小さな部で、見回せばすぐに文がわかる。

「礼!」

 面を外し、手ぬぐいを面にかけた部員たちが、正座をしたまま舞台に向かって深々と礼をする。その礼がだいたい3秒間で、そこから全員が顔を上げた頃、

「今日はこれで解散します!」

 という声が響き、それぞれが更衣室に消える。少し待つことになるが、文の着替えは割に早い方で、しかも帰宅の道のりはまる15分も一緒に歩くことになるから、その計算からすると少しばかり待たされても一緒に帰った方が楽しい分トクだった。

「秋川~」

 文を待つ私を呼ぶ聞き慣れない声。身に覚えがなく、私ははじかれたように振り向いた。

「今日も行田待ち~?」

 路山が立っていた。顔を覚えたわけではない。その男は胴着を着ていて、その状況から推測するとそれ以外にあり得なかった。だが私にはやっぱり身に覚えがなかった。だって、先日の当番の際には、路山は私を「秋川さん」と言っていたのだ。突如、今日は「秋川」になっている。

「ホントに剣道部だったんだ」

 私は路山の質問に全くかみ合わない返事をした。というより、半分頭の中が白くなっていて、何て声をかけられたのか忘れていた。

「そーだよ、ホラ」

 路山は、防具のたれの部分に白抜きで書かれた「路山」の文字を、手にした小手で指し示した。なるほど、確かにこれが路山本人らしい。

「行田が着替えてる間、ヒマじゃないの?」

 路山は問う。私は、もう路山との会話で2年分ぐらいは男としゃべっただろう…と思いつつ答えた。

「ヒマだけど、一緒に帰りたいから」

「ふーん、仲いいんだね。何回か、クラスにも迎えに来てたよね」

「えっ!」

 これがいっぱしの恋愛物語なら「彼がこれまでも私を注意深く見ていた」という展開もありえるのではなかろうか。私はそこまで考えるほど過剰な自意識は持ち合わせなかったが、わずかにでも女子としての自分に自信があれば「もしかして、この人…?」と多少は思ったかもしれない。

「あっ、それ、何?」

 路山は、私がカバンと一緒に下げていた長いビニールの袋に興味を示した。だが、私はこの時「この人、早く立ち去ってくれないかな」と考えていた。もちろんそれを態度に出すわけにもいかず、私は袋を少し上げて見せた。

「これは、今日生けた花」

「へー、…この葉っぱも生けるの? 花は?」

「花はもっと短いから、袋の中。葉っぱは、他の流派は知らないけど、私たちのやってる『小原流』っていうのは、けっこう枝とか葉とか、使うから…」

 私がまたもや一切路山の顔を見ずになんとか会話を続けていると、次なる男子がまた私の方角めがけてやってくるのが見えた。

コウちゃん、着替えないの?」

 路山にそう声をかけた男子は、たれに「深瀬」と入っていた。私は、その深瀬なる人物が早急に路山を連れて去ってくれることを祈った。

「ん、すぐ行く。…あ、そうだ」

 すぐに去ると思った路山が、逆に深瀬を呼び止める。

「深瀬くん、この人、美化委員でこないだ一緒だったでしょ。秋川さんていうの」

(紹介しなくていい!)

 私は心の中で叫んだ。これ以上、会話をする男子を増やされても困る。しかも、深瀬に対しては私のことを「秋川さん」と言っている。謎だ。我が中学の文化としては、男女とも名字を呼び捨てるのが普通である。私自身、男子にさんづけで呼ばれたのは、先日の路山が最初だった。

「ああ、そういえば、俺たちがダラダラやってるのに、一人ですっごく頑張ってたよね。秋川さん、多分また美化委員にお邪魔するから、よろしくね」

 深瀬は路山の紹介に対応する形で私に声をかけた。深瀬は、路山のどことなくとぼけた愛嬌のあるしゃべり方とは逆で、こうして顔を見ずに(やっぱり顔は見られなかった)聞いているとまるで先生のように低くて落ち着いた声をしている。そして幸い、深瀬は「よろしく」の時に握手を求めては来なかった。

 さすがに「よろしく」と言ってくれた人物に対して無視を返すわけにいかず、私は社交辞令を返した。

「…ああ、手伝いに来てくれた人の一人なんだ」

「そ。ヒマなの、彼ら」

 路山が屈託なく言う。私は思う。ヒマというより、もの好きだ。

「光ちゃん、更衣室、閉められちゃうよ。ウチの部が最後なんだから」

「うん、秋川さんがヒマそうだったから。行く行く」

 深瀬に連れられて、路山は私のもとを離れた。そしてわずかに振り返って、

「じゃーね、また来週」

 と言った。

 なぜ「また来週」なのかわからなかった。来週、美化委員会や缶当番はない。剣道部の話ならば、用があるのは文だけだ。路山と来週も関わる気などまるでない。

 文が着替えを終えて更衣室から出てきた。そして、路山と深瀬の二人を見て、

「あんたたち、何やってんの? まだ着替えないで」

 と怪訝な声を出した。二人は、

「友達の相手してやってたのに、ひどいなあ」

 と言い返しながら更衣室に消えた。

「ゴメーン、おまた」

 文は私のもとに走ってきて、足元に散らかる靴の中から自分のを探して履き、

「じゃ、いこーぜ」

 と男言葉で言いながら、数段ある段差を下りた。私もあとに続いた。


 正直、第一印象から言ったら、深瀬の方が良かった。落ち着いた低い声が頼りがいのある印象を醸し出していた。路山がどこか頓狂で屈託がないせいか、深瀬は路山の保護者のように感じた。というより、路山は私の理解の範疇を超えていた。当時の私にとって、女子にあんなにも気軽に声をかける男なんて理解の外だった。深瀬は路山に紹介された手前一応話をしただけだろうから、理解できる。路山のあの異様な気安さはなんだろう…。苦手だ、と思った。また、路山と会話が生じると思うと気が重くなった。

 だが翌週、剣道部で路山は声をかけてこなかった。私は、ホッとした…はずだったが、一体何と声をかけられるだろうと身構えていた分、拍子抜けした。

 翌週は、声をかけられるかかけられないかを気にするのが気重で、体育館の外で文を待った。体育館の中で路山の声がした時、ビクッとする自分がいた。

(…やばい、結構、うんざりかも…)

 それが、最初の頃の、私にとっての路山光だった。


 5月の美化委員の当番の時、やってきた路山の取り巻きは2人しかいなかった。私はホッとした。初回の5人というむやみな多さは、最初だからと興味をもった人などもいたのだろう。2度目の手伝いにやってきたのは、剣道部で一緒にいた深瀬と、文のクラスの学級委員の女子だった。ロングヘアの彼女は青木さんといって、1年生の時に私と文と同じクラスだった子だ。

 そして、私は思った。青木さんは路山のことが好きなのだろう。こうして一人で路山の委員会についてくる以上、それ以外の状況は絶対にありえない。じゃあ、深瀬は何だろう。あるいは青木さんのことを好きなのだろうか。

 私はとにかく、こういった形でよくわからない行動をとる人の動機はすべて恋愛だと思っていた。私の中は独自のルールと価値観で満ち満ちていた。男女間に友情は100%あり得なかったし、空き缶の処理などという仕事に善意だけで参加する人も存在しないことになっていた。だから、深瀬と青木さんは、委員会という仕事の場によこしまな理由で来ている、すなわち恋愛沙汰を持ち込んで邪魔をしに来る奴という結論になる。

(…でも、深瀬は路山の友達だから、つきそいっていうこともありえるよね。ただ、…男2人にくっついてくる青木さんは、すごく見苦しい…と私は思うんだけど)

 なぜか、委員でないのに来ている深瀬を、悪くは思えなかった。その時嫌な予感がした。私が男子を「悪くない」と思うと、程なく「好きな人」という意味合いに転じる。だが、それ以前に私は、その時まだ一度も深瀬の顔をまともに見たことがなかった。

(深瀬の顔は、見ないようにしよう)

 男子に縁がない分、正にも負にも過剰に反応してしまう自分を、私はちゃんと認識していた。深瀬に特別な意識を抱くまいと思った。しかも私が「恋」と自称しているものは、クラスがえの一つもあれば即座に消え果てる不毛なものだった。

 私はその日の缶当番でほとんど深瀬と関わる必要がなく済んだ。だがそれも、深瀬と青木さん、私と路山というペアにいつの間にかなってしまったせいだった。

「秋川~」

 路山の声にビクッとする。アレルギーの抗体ができてしまったな、と私は思った。だが無視するわけにはいかない。

「何?」

 振り返ると、路山が軍手の手につかまえたトカゲを私の目の前に差し出した。私はあいにく、そこでキャーと可愛らしく逃げてあげられる性分ではなかった。虫も大概平気だし、は虫類・両生類は子どもの頃好んで飼ったものだ。

「ああ、トカゲじゃん」

「あっ、驚かない」

「ゴメン、平気なんだ」

「そっかー、じゃあ、逃がしてあげよー。ゴメンねー」

 路山はトカゲを草むらに放した。あまりにほのぼのとしたその言い方に、私は退いた。

(…もしかして、ホントに少し頭が弱いのか?)

 私は路山の成績がどのくらいなのかにわかに興味をもった。その頃の私の人に対する物差しは、「悪意がある・ない」以外に「成績がいい・悪い」という項目しかなかった。成績がよければたいがいは品行方正な人物に決まっていた。ただ、品行方正でも嫌なヤツというのはいて、それは「成績がいい-悪意がある」の象限に入る。そして、私は「成績がいい-悪意がない」の象限の人物としか関わらないようにしようという意識があった。親友の文は「成績がいい」と言うには少し通知票が真ん中寄りだったが、まあ中~中の上である以上セーフだった。私はそういう風にしか人を見られなかった。

 路山は植え込みの中に潜って空きビンを2つほど掘り出し、

「はい」

 と私に渡した。思わず受け取ってしまったために、その後路山は延々と拾ったものを私に渡し続けた。私も極力自分で缶を拾おうと努めたが、路山の一歩後を歩く形になってしまったので、路山が拾って私が袋に入れるというコンビが出来上がっていた。

 しばらくそれを続けた後、路山は背中を反り返らせて大きく伸びをして、

「あー、疲れたね~!」

 と言った。私は焦って、

「ああ、ゴメン、私もやるから」

 と路山の先に立った。

「じゃー、交替しよう」

 路山は私の手から缶入れのビニールを取り上げた。結果、私が拾って、路山に渡すことになった。そして、途中「また替わるよ」と言われ、交替した。

 缶の回収所に行ってビニールの中身を空け、缶の山にホースで水をかける。棒で少しずつ缶を押し出し、手作業でスチールとアルミに分ける。ビンは少ないので脇にどける。最後にスチールとアルミに綺麗に分別されたビニール袋がいくつもできあがって作業は終了だ。所定の場所に積んでおくと、業者がやってきて回収する。

 その日もとっとと帰ろうと思ったのだが、路山の取り巻きの人数が2人と少ないこともあって、「じゃあ、私はこれで」と一人で先に消えることがしづらい雰囲気だった。態度を決めかねていると、またしても、

「秋川~」

 の声。今度は何だと慌てて振り返ると、路山が、

「一緒に帰ろ~」

 と言う。

『一緒に帰る』! 私にとって、それは、親しい友人とのみあり得る、一定以上の友好関係を証明する行為だった。あるいは処世術として意に染まない相手と一緒に帰ることはあり得ても、それは相手が女子の時に限っていた。だが、無視するわけにもいかず、断るほど大ごとでもない以上、私は奴らの群れに加わるしかなかった。当然、路山と深瀬のそばには寄らず、青木さんの横に位置をとった。

 私の家は学校の東、やや北側に位置していて、実は文と帰るときに通っている南のルートは幾分遠回りだ。中学校の東側にある大きな企業の敷地を避けなければいけない関係上、どうしても東北東にまっすぐは進めず、近い北回りかやや遠い南回りをする。私には、彼らが北に向かえば「私はこっちだから」と南に向かう…あるいはその逆をして、ごく自然に群れを離れることができるはずだった。

 ところが、校門を出ると路山が、

「行田の家って、こっちだよね」

 と南を指す。どうやら剣道部のよしみで知っているらしい。

「秋川の家もこっちなの? 何丁目?」

 私は窮地に立たされた。南側には、3、4、5丁目しかない。私は2丁目に住んでいる。ということは、2丁目と答えたが最後、北のルートが一応「正当」ということに決定してしまう。もし路山と深瀬の家が北ルートだったら、一緒に帰らなければならない。

「…2丁目だけど、3丁目との境目ぐらいだから、いつもこっちから文と帰ってるんだけど…」

 私は何の機転も利かせることができず、南のルートを指して成り行きで正直に答えていた。何も悪びれずにニコニコと私を見ている(らしい。顔は見ないので)路山を念入りに欺くほどのエネルギーは持ち合わせなかった。

「じゃあ、ホントはこっちだね」

 おそらく徒歩3分ほどの差で確かにそっちが近いであろう北のルートを、路山は指差した。私は観念した。

「うん、あんまりかわんないけど…」

「じゃあ、青木、またねー」

 路山は青木さんに手を振った。深瀬も追従した。私は驚愕した。青木さんは南のルートだった。

「じゃあね~」

 青木さんは髪をなびかせて、何度も振り返りながら去っていく。私は、「わかっていたら『青木さんと帰る』と言ったのに」と心底後悔した。

「じゃ、帰ろー」

 私は路山と深瀬の後ろを仕方なく歩き出した。幸い、路山と深瀬が深夜のテレビのバスケ中継の話で盛り上がっていたので、私は淡々とその後をついていくだけで済んだ。

 途中の駄菓子屋で、男2人は麩菓子を買った。

「えっ、買い食いするの?」

 学校で禁止されているのは重々承知のはずだ。それがたとえ、1本10円の麩菓子であってもだ。

「1本あげるよ」

 路山は、3本買ったうちの1本を私に差し出した。

「買い食い、禁止だよ?」

「平気だよ」

 麩菓子をくわえたふにゃふにゃした発音で路山は言う。だが、私にはもう一つ障壁があった。

「…あと、私、麩菓子キライなんだ…」

「そっかー。おいしいけどなー」

 路山は安っぽい紙袋の中に麩菓子を戻した。そして、2人は麩菓子を食べながら、私はまたその後ろを、歩きだした。歩道は狭く、男2人が横に並んで歩いていることを私は心配した。すれ違う人に迷惑をかけないかと心配を抱いて歩いたが、幸い人通りはとても少なかった。

「秋川さー」

 突如話を向けられ、私はビックリした。顔を上げて路山の顔を見た。これが多分、彼の顔を見た2度目ぐらいだったろう。

「おとなしいよね」

 私は焦った。それは大いなる間違いで、私は両親からも親戚からも「おしゃべり」「もっと要領よくしゃべれ」と言われていた。どうやら、無駄なおしゃべりがものすごく多い子らしい。

「違う、違う、ほんとはすごいおしゃべりだから」

 私は必死で弁明した。私の中では「おとなしい」は先日の「おしとやか」と同類の「ホメ言葉」であり、誤って私に向けられてはいけない語句だと認識していた。

「ふーん、そうなんだ」

 路山はただそうして何でもなく聞いた。そこで「そうかなあ?」とか「そうなの?」とか追求されることがない、それはとても私の気を楽にしてくれていた。当時は、そんなことにすら気付かなかったが。

「あのさー、秋川ー」

 まだあるのか、と慌て、私は顔を上げた。振り返っていた路山と目が合う。私は慌てて下を向く。

「話すとき、顔見なよー。その方がいいよ」

 路山はのんびりと、ただ何となく、私にそんな風に言った。私は人に忠告をされたり注意をされたりするのが嫌いだったが、その時のそれはとてもすんなりと私に入ってきた。路山の口調に押しつけがましさや非難めいたところが何もなかったからだと思う。「こんにちは」と言われるのと同じように、私はその言葉を聞いた。

「そうかなー」

「うん、そー思う」

 そしてそれから少し歩いた先の坂を下り、路山と深瀬は「俺たちはこっち」と狭い路地を入っていった。私はそこから曲がった大通りを南下した。


 本当に、今になってから気付くことがとてもたくさんあるのだが、その日の路山の言葉こそが私を変えていくすべての始まりだったのだと思う。私が男の子の顔を見なかった理由、それは、「私みたいな醜いヤツが目を合わせたら、男子は嫌がるだろう」というものだった。

 自然に相手と接する方法なんて、普通はどこで誰に教わるものでもない。そして、だからこそそれは自然に身につくものだとみんなは思っているのだろうが、本当は、教わらなければならない社会性なのだと私は思う。

 自分自身で忖度しながら身につけていくものは、所詮独学だ。間違った方法をとっていても自分では気付かない。気付いたときには私みたいな「変なヤツ」「暗いヤツ」「気味の悪いヤツ」「怖いヤツ」が出来上がったりしている。何が間違っているのかを理解できないまま、周りの人に遠巻きにされて孤独になっている人はたくさんいるだろう。私が男子を異様に遠巻きにしていたのは、逆に言うと、私が目すら合わせようとしないせいで、男子の方からも敬遠されていたのだ。お互いに「近寄りがたい」と思い合い、遠ざけ合っていたのだろう。

 路山は「顔を見て話した方がいい」と言った。私はその時、呪いの解けた蛙のように、ガチガチにはめられていた枷から解放された。だって、男子本人から顔を見ていいという許可が下りたのだ。いや、見た方がいいと推奨されたのだ。

 以降、私はけなげに「顔を見てしゃべる努力」をはじめた。路山の一言はとても軽いものだったが、私はその言葉が示している事実を読みとっていた。男子は、私が顔を見ないで下を向いてしゃべることをあまり良く思っていなかった…と。

 最初はもちろんすんなりとはいかず、大変な苦労を要した。気付いたら足元や斜め下を見てしゃべっている。でも、そこからググッと視線をあげ、頑張って顔を見る。目が合うとまたそらしてしまうが、再度目を合わせるよう努力する。幸い、まったく目を合わせないでしゃべるより、何度か視線を交わすようになるだけで相手の印象は違うらしかった。一緒に日直をやる男の子としゃべったり、同じクラスの美化委員男子にワックスを取りに行く算段をつけたり、そんなちょっとしたタイミングのたびにそうして努力していくことで、私は少しずつ男子にとっての「変な女」でなくなりはじめたように思う。

 でも、私はこれを「路山のおかげ」だなんてカケラも思わなかった。人が生きていく上で何かをきっかけにして自然に変わっていく、その成長の一過程として漠然と自分の変化を感じていた。

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