【閑話】 大公夫人の思惑
アンジュとミュスカを乗せた馬車が森の中を抜け小さくなってゆく……。
あの子がいなくなるのは悲しくて寂しくて――。
「母上ぇ……」
いつまでも子供らしさが抜けない末っ子のハロルドが涙目で訴えてくる。
この子はアンジュを相当気に入っていたから、立ち直るのに時間がかかりそうね。
かくいう私も、相当のダメージを負っている自覚があるわ。
異世界人が落ちる泉を管理すると言っても、この広い宇宙からやってくる人々は様々で地球人と会えたのはこの五十年ほどで数人しかいなかった。
その中でもアンジュは驚くほどの順応性でこの星に馴染んでしまった。
そして、彼女の作り出すお菓子や料理はそれを口にする者の心を鷲掴みにし、その噂はこの星屈指の大国までをも動かしてしまった――。
なんて不思議で、不憫な子。
私のように、世界大戦後間もない国で混沌としていた状況であったならまだしも、あの子のいた国は平和そのものだったらしいのだから、不幸としか言いようがないわ。
アンジュが『女神』と呼ぶエクレストは、何を考えて彼女を召喚したのかしら……?
私の場合は、織物技術の発展が目的だった。
私と一緒に召喚されたエルザはこの星に馴染めず一人還っていった。
アンジュの話では、東西に分断されていた母国は統合され人々に行き来が出来るようになったと聞いたけれど、エルザが幸せに暮らしているかどうかは分からない。
繊細で脆かったエルザ。
彼女は召喚されてから笑顔が消え、現実を見ようとせず布団を被って泣いてばかりだった。
そういう私も、環境の変化についていくのが精一杯で、エルザの事ばかりを気にかける事は出来なかった。
私は精力的に動き回り、外でも居場所を確立する事ができた。
反対に、エルザは孤立し自分の心に壁を作り、私の呼びかけにすら声を返してくれなくなっていた。
気付いた時には、召喚された時の半分ほどにやせ細り、目が虚ろな少女がそこにいた。
彼女にアンジュほどの逞しさと順応性があれば、この世界で病む事はなかったのに。
大親友だったエルザを失った私を支えたのは夫であり、子供達。
でも、私はずっとエルザの影を探していた。
やっと見つけた、アンジュという影。
可愛くて大胆な東洋人だったけれど、アンジュは私の心に空いた穴を塞いでくれた。
手放すつもりなどなかったのに――。
「まったく、うちの子供たちときたら……」
三人も男の子を産んで皆年頃であったというのに、誰一人としてアンジュに迫らなかったというのはどういう事なのかしら!
泣いているハロルドはまぁ、置いておきましょう。論外だわ。
長男のエリックはアンジュが六歳年下だからといって完全に妹扱い。
なんて情けない。
六歳の差なんてたいした年齢差ではないのに!
いえいえ、問題なのは次男のラルフよ!
気があるのは見え見えなのに、どうしてあんな態度をとっていたのかしら!?
あんな態度で接していたってアンジュどころかどんな女の子も靡きはしない。
育て方を間違えたとしか言い様がないわ。
本当に不甲斐ない息子達ばかり。
ハロルドの号泣はまだしも、エリックもラルフもしゅんとなってしまっている。
ラファリアットの皇子に攫われてからどんなに大切な存在だったか認識するなんて遅すぎるわ。
この星に来て三ヶ月程で噂になり皇太子の夫人に。
激動どころではない流れに、アンジュはのほほんと冷静に乗っているように見える。
アンジュがニホンでどんな暮らしをしてきたかは知らないけれど、余程の苦労をしなければこの状況を楽しむなんていう芸当は出来ない。
きっとアンジュは大変な思いをして日々を過ごした経験があるのだわ。
せめてこの星では優雅に楽しく過ごしてもらいたかったのに、アンジュは私の手をすり抜けて旅立ってしまった。
ラファリアットの皇太子の元で幸せになってくれればいいのだけれど――。
「そうだわ、あの子に連絡をしておきましょう」
五年ほど前に泉に落ちてきた、アンジュと同じ日本人。
ラファリアットで活躍していると噂を聞いているあの子に連絡をして、アンジュが少しでも幸せに暮らせるように手配をしておきましょう。
私の大切な、アンジュの為に。