【閑話】 侍女フランによる考察日記
わたくしはカシュデレス伯爵の一人娘フラン。
第五皇女イルレイラ様にお仕えしていたのですが、皇女様の降嫁が決定した為、人員不足である皇太子殿下の後宮へと異動が決まりました。
わたくしと仲の良かった侍女仲間はそれぞれ三人のご夫人方への出仕が決まり、私は新たにおいでになるご夫人にお仕えする事となりました。
そのお方は、何と異世界から来られた姫君というのです。
聖地を治めるジースト大公様のご養女となられた異世界の姫君は、その類稀なる美貌と、その手ずからお作りになられるという"魅惑の食べ物"によって、大公領の皆様を魅了していらっしゃったそうです。
その噂を聞きつけた宰相閣下自らが大公領にお出向きになられ、姫君のお輿入れを交渉なさったのだと聞いております。
お輿入れ当日にお会いした姫君はアンジュ様という、お名前に違わぬ可憐なお方でした。
わたくしと一つしか違わぬというのにやや幼い顔立ちながら、仕草や目線はいやに艶めいた所があおりになる不思議な魅力溢れる姫君です。
姫君はとても優しく親切で気さくなお方で、わたくしは心底アンジュ姫様にお仕えして良かったと感謝しております。
何故かというと、他のご夫人方に仕えている同僚と会うと、愚痴の嵐なのですもの。
リジェーナ様にお仕えしている者は"温和でどこかズレてらっしゃるお方なので掴み所がなく仕え甲斐がない"と嘆き……。
モルデイレン様にお仕えしている者は"少しでも馬鹿な真似をすれば愚鈍だと思われ蔑ろにされる"と慄き……。
キャロライン様にお仕えしている者は"侍女いびりの趣味がおありなので機嫌を損ねると他の侍女と手を組んで苛め倒される"と恐怖に怯えているのです。
それに比べてわたくしはお優しいアンジュ様の下で穏やかにお仕え出来、幸せだと実感しております。そこでわたくしは彼女達の愚痴の聞き役に徹しようと思ったのです。
ああ、お話が逸れてしまいました。アンジュ姫様のお話に戻ります。
お輿入れしてすぐに皇太子殿下のご夫人方とのお茶会があり、わたくし達侍女は心が落ち着かぬほど心配しておりました。
特にアンジュ姫様付き侍女を取り仕切る女官のイライザ様は心配で胃を痛めておられたくらいです。
ですが、そのような不安は不要だったようです。
お茶会の主催者であるリジェーナ様の侍女になっている元同僚に話を聞くと、アンジュ様はキャロライン様の厭味攻撃を上手くかわされ、モルデイレン様とリジェーナ様と歓談されていたそうです。
リジェーナ様は嫉妬などという俗な感情を持ち合わせておられないお方なので、新しく迎えられる夫人にも普通に接されると思っておりましたが、あのモルデイレン様とも普通にお話しをされたとは驚きました。
モルデイレン様といえば頭脳明晰で有名です。
大臣達の政治会議にも出席なさるほどの頭脳をお持ちで、"低俗な話しかしない"とキャロライン様を一蹴されたあのモルデイレン様と会話が続くという事自体が驚きでした。
キャロライン様は貴族令嬢を体現したような傲慢不遜なお方なので、きっと衝突されるだろうと思っておりましたが、我がアンジュ姫様は思ったよりも大人なお方だったようです。
お茶会の後、リジェーナ様付き侍女数人がアンジュ姫様のファンになったと聞き、お仕えする身をしては大変光栄な事でした。
アンジュ姫様は異世界のお方であるというのにお妃教育を嫌がりもせず受け入れられ、どんどん知識を吸収されました。
マナーもダンスもため息が出るほど優雅で美しく、また難しく複雑な皇国史も覚えられました。
お輿入れから婚姻式までのひと月の間に、皇太子殿下とアンジュ姫君はそれはもう親密になられました。
皇太子殿下が人払いをされ二人きりで晩餐を摂られた際に"永久の愛"を誓う儀式をされたと、皇太子殿下付きの侍女が噂しておりました。
その噂を肯定するかのように、皇太子殿下は毎日足しげくアンジュ姫様の居室にお出ましになります。
お妃教育の休憩時間を狙いすましておいでになるのです。
今までご自身の後宮だというのに近寄りもされなかったというのに、です。
アンジュ姫様が息抜きにお菓子をお作りになるのですが、それを召し上がる際の皇太子殿下のお顔ときたら!
それはもう微笑ましい限りなのです。
不敬ながら、皇太子殿下はあまりお笑いにならない厳しいお方であったように思います。
ですが、アンジュ姫様と親しくなされてからというもの、時に柔和なお顔になり、頬を赤らめられる時すらあるのです。
これは驚くべき変化なのです。
あの氷河のように凍える雰囲気を持つお方が、アンジュ姫様と御一緒される際は春の風が吹いたかのように穏やかな雰囲気になられるのですから!
従騎士様も最初は驚いてらっしゃいましたが、今ではもうニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ見守ってらっしゃいます。
先日も、アンジュ姫様に婚姻式典でお召しになるドレスの試着をお命じになりました。
アンジュ様がお召し替えをされている間、皇太子殿下は姫様に撫でられた眉間をずっと触ったり、窓の外を眺めたりと落ち着かれないご様子で、待機している身としましては緩みそうになる頬の筋肉を鍛える良い機会であったように思います。
お召し替えをされたアンジュ姫様は、それはもう可憐であるのに妖艶で、同性であるわたくしでさえ見惚れてしまうお美しさでした。
普段はお隠しになっている抜群の曲線美が見事に現れているというのに下品さは一切なく、女性らしさと気品が溢れ出ている、見事なお姿です。
皇太子殿下も見惚れてらしたようで、お顔が赤くなってらっしゃったように思います。
姫様は可愛らしく一回転され、殿下に微笑まれました。皇太子殿下はより一層頬を赤らめられ、それを恥じておられたのか、席をお立ちになりました。
ですが、姫様はお引止めされ、お作りになられた丸い菓子を強引に勧められました。
一向にお口に運ばれないご様子に痺れをきらした姫様は、ついに! 乙女の夢である"あ~ん"をなさったのです!
"あ~ん"といえば、城下のみならず皇国全土で流行している人気恋愛作家の書の中に出てくる、老若問わず乙女憧れの一連の所作です。
つい最近刊行された最新刊には、仲睦まじい恋人同士の語らいの一つにそういう描写がありました。
妄想上の出来事のような夢の所作が、よもやお仕えする高貴な方々の実写で拝見できるとは思いませんでした!
これは網膜に焼き付けておかなければならない、記念すべきひとコマです。
皇太子殿下は照れてらっしゃるのかそっぽを向いておいででしたが、口角は上がっていらして……庶民の言葉を借りれば"デレデレしている"という言葉にぴったりのお顔でした。
皇太子殿下はもっと"あ~ん"をして頂きたいような表情でらっしゃいましたが、アンジュ姫様はそしらぬ顔で一人お菓子を口に運ばれています。
そうか! そうなのですね!
男性のお心を惹きつけるには、近付いて離れるという駆け引きが重要なのですね、姫様!
わたくし、とっても勉強になりました。
あの日以来、皇太子殿下はお茶会の場で何度もそっぽを向かれ、それとなく"あ~ん"をご所望されている素振りがおありでした。
毎回とはいわなくても、アンジュ姫様もお気づきになられた際は"あ~ん"をなさるようになりました。
噂を聞いた他の方々担当の侍女もそれを拝見したいと押し掛け、わたくしたちアンジュ姫様付きの侍女は時々休憩を頂く事となりました。
皇太子殿下とアンジュ姫様の"甘いお茶会"は忙殺される侍女達の心のオアシスになったというのは、言うまでもありません。
ああ、もうこんなお時間です。
明日は我がアンジュ姫様と皇太子殿下の婚姻式です。
わたくしは今週夜勤ですので、昼間に行われるアンジュ姫様の婚姻式に帯同する事が出来ません。
なんとも悔しいのですが、お疲れになったアンジュ姫様の為に花風呂の準備をしております。
お花の香りを纏ったアンジュ姫様はさぞ妖艶なのでございましょう。
皇太子殿下の"デレデレ"してあるお顔を拝顔できると思うと、胸が躍ります。
流行書のような胸を打ちぬかれる心地よい衝撃を受けるのを心待ちにしつつ、仕事に戻ろうかと思います。
では、また。ごきげんよう。




