序章 『風の羽、火の尻尾』
行く手に遮るもののない大地の直中を、二人の旅人が歩いていた。
前を行く一人は、大柄、短い黒髪、旅慣れた軽装に身を包んだ偉丈夫。名はトキ。
付いて歩く一人は、やせ細った中背、久しく切られていない灰色髪、鼠色の寝間着にマントを付け足した格好。背中には、成人男性なら苦もなく運べる程度の旅荷物。名はドレイク(仮名)。
とある魔術師の住処を出立してから半月余り。トキの持つ“決して迷わない羅針盤”を頼りにひた歩き、気が滅入るほど歩き、そして今なお歩き続ける。
暑さで景色が揺らめく中を涼しい顔で歩くトキの後ろで、フラフラながら、どうにかドレイクが付いていっている。
長年自宅に引き籠もっていたダメ人間の割りには、かなり頑張っていた。
「ねえ」
「…」
「おっさん、ちょっとだけ聞いて」
「…」
「休もう…。干からびるって。足が吊りそう。荷物が重い。足裏が痛い。お腹減った。フェイベルが憎い。あのレタス頭どうにかして。お腹減った。もう汗も出ない。勘弁して。歩きたくない。帰りたい。帰りたい。帰りた」
「…、」
「すいませんでした」
ドレイクの愚痴は、トキの無言の圧力で沈黙。
先頭は依然として歩みを止めず、後尾も何気に奮闘する。
ドレイクは別の世界から喚び出された人間である。
フェイベルという名の魔術師によって召喚された、云わば奴隷。強制的に異世界へと連れてこられ、服従契約を結んで言いなりに……となるはずだったが、本名を名乗らなかったお陰で操り人形にされずに済んだ。
非現実的なものが好きで、元の世界に戻る気もない。そんな彼が旅に出ることになったのは、フェイベルの商売客であるトキが訪れた際のことだった。
「…フェイベル、新しい獣具を造る気はあるか」
「おっと、耳寄りな情報でもあるのかい?」
各地を渡り歩くトキから生活用品を受け取りながら、そう切り出された魔術師フェイベルは問い返した。
フェイベルが得意とするのは錬金の技。特定の生物の体から採れる材料を基に、四属の魔力を操る為の『獣具』を造り出す。
かつて起こった戦争で入り用になり、数多くの獣具が生産された。それ故に、製作に必要な生物はほとんどが絶滅して残っていない。フェイベル自身も、新規の獣具を造るのは久し振りとなる。
トキはにこりともせず、淡々と儲け話を続ける。
「ある辺境の地で生き残りが目撃されたらしい。地理的に考えて、獣の属性は風属。恐らく『風羽根』だ」
「そいつはご愁傷様だな。せっかく生き延びたのに、狩り足らない奴らに見つかっちまった訳だ。それで、旦那も狙いに行くって?」
「依頼主がいる。獣を仕留めて素材を持ち帰れば、相応の報酬が出る。ついでに、腕の良い魔術師の話を聞かせておいた」
「それはそれは、感謝の言葉もないねぇ。俺は獣具を造れて、旦那は金を手にする、と。一挙両得だなこりゃ」
金銭には興味のないフェイベルだが、個人的趣味である獣具の制作が出来ると聞かされて乗り気だ。逆に獣具自体に一切興味のないトキは、報酬一辺倒で話を進める。
「依頼主の要望は素材だが、お前の話を聞いてもう一つ案が出た。俺が手に入れた素材を先に加工して、獣具として持ってくれば報酬は倍になる。無論、獣具の出来映えにもよるが」
「その点は心配ご無用。しかし随分と信用されてるなあ。顔も名前も知らない無名に、貴重な素材を託すかね」
「先方には、俺の持つ獣具を見せてある。お前の自信作をな」
そう言ってトキが渡したのは、赤黒い鱗に覆われた鎚矛の獣具。フェイベルが加工、制作した逸品で、トキが愛用する殴打用武器。
人里離れた場所に暮らす魔術師を訪ねる最大の理由だ。
「あー、はいはい。また調整し直すのな。てか旦那ぁ…、無理して使うなっていつも言って」
特に問題があるようには見えないそれを手に、文句を垂らすフェイベル。その言葉が、ある方向からの視線に気づいて止まった。
毛布を頭から被ったドレイクが、目を輝かせながら嬉しそうに眺めていた。
「…」
「マジックアイテム…! カッコウィー……」
「お前さん」
「…はっ!」
接近がバレてすかさず毛布にくるまり、芋虫の如くもぞもぞ離れていく。その様子を傍観するフェイベルに、トキがしかめっ面で聞いた。
「アレが、お前の喚び出した異世界の人間か」
「まあ…。ハズレを引いたって自覚はあるよ」
「何故追い返して別の者を喚ばない? 役に立たないのなら、いつまでもそばに置くこともないだろう」
「旦那、召喚の技は色々手間が掛かるんだよ。俺なりに錬金の技を組み合わせて危険性は減らしたが、その分術中はかなり神経をすり減らすし、今は方円を描く為に精製した塗料もないんだ。あの“奴隷くん”のせいでなぁ…ッ」
忌々しそうに部屋の奥へ消えた芋虫を睨みつけるフェイベルへ、同じようにじっとりとした目でトキが睨む。
「その役に立たない男を、俺に押しつけるのか」
「そうじゃないって。俺はただアイツをここから追い出せればそれで良いんだ。旦那が連れてってくれたら助かるって話。旦那も、面倒なら途中で捨てたらいい」
「…」
「それか、近場の村か街に置き去りでも構わない。その気になれば、いくらでも生きてはいける。本人次第さ」
適当な言葉を並べるフェイベルに対して、トキの表情からはなにも窺えない。
やがて、短くこう答えた。
「俺の好きにさせてもらうぞ」
「どうぞどうぞ、お構いなく」
差し出される当人そっちのけで話が纏まった。
別室から覗いていたドレイクは、反対しに行けないもどかしさに歯噛みしながら、恨めしそうにフェイベルを睨んでいた。
とはいえ。
「冒険かぁ…」
憧れのファンタジーな世界で、ゲーム・アニメ・漫画のような素敵体験をしたい―――そう夢見てきた。
元いた世界では社会から孤立したニート青年・ドレイク。これは意外と悪くない展開かも知れない。
まだ見ぬ未知の世界へ。ここから始まる、勇者ドレイクの英雄譚が始まる……。
…始まっている。
「…、」
「へ……えへ、へ…。世界を…救っちゃうぞぉ………ぐへ」
砂礫の大地に顔を突っ伏して、助ける素振りも見せないトキが見下ろすその先で、勇者ドレイクは行き倒れになっていた。
彼の英雄譚は、早くも終わりを迎えていた………。