深海~巨獣の胎内
着水からしばらくが経ち、一切の光が閉ざされていた。
巨獣に飲み込まれるのを直前まで見ていた大勢は、待ち受ける運命に身を震わせて動けずにいた。多くが餌として飲まれたのだと勘違いして、しかし死に至るような惨事はいつまで経っても訪れなかった。
やがて、唐突に周りが明るくなりだした。柔らかな肉質の足場や壁、天井までが、青く儚く輝いた。
胡座をかくフェイベルが、擬似的に肉体が発光する仕組みを巨獣へと組み込んでいた。
「ふむ。骸骼を蘇生した式にちょいと細工を施してみたが、上々かな」
元の式を阻害することなく、別の内容を書き加えた。
そんじょそこらの魔術師にできないことをやってのけたフェイベルはしたり顔で、海中を透き通った巨獣の体越しに眺めてみる。深海も仄かに照らされ、魚などの泳ぐ光景がよく観れる。
やれることもなくなってボケッと座っていると、離れた場所にいたコヨウが大慌てで走ってきた。
「フェイベルー!」
「おう。なんだお前さん、殊勝にもさっきの礼をしに来た…ぬぉ!?」
コヨウは恋敵の軽口もなんのそので腕を引っ張って回れ右、来た道を全速力で引き返していった。フェイベルへの配慮はもちろんなかった。
連れていった先には、ドレイクとトキが揃って倒れていた。二人の傍には、それぞれ風羽根の箒と火蜥蜴の尻尾が転がっていた。
「ドレイク、お兄ぃ、しっかりして!」
「なにを取り乱しているのかと思えば…。旦那、また寿命を縮めたな」
心配そうに駆け寄るコヨウとは対照的に、フェイベルは落ち着いた様子で話しかける。また無茶なやり方で獣具を使った。その影響で体の自由が効かないのだと一見して見抜く。
トキも分かっていてそっぽを向いた。嫌味や説教は受けつけない。
その隣、同様に倒れているドレイクは、意識自体をなくしていた。
「ドレイクは大丈夫なの? いくら呼びかけても起きないんだよ」
「さあね。大分、霊属の魔力を消費したみたいだからな。次に起きた時も、どうなっていることやら」
「霊属?」
一般的でない知識にコヨウが聞き返す。時間も有り余っているので、フェイベルは説明してやった。
曰く、魔力には無属と四属の他にもう一つ、霊属が存在する。
無属は何処にも“属さない”魔力。四属のように干渉する力は乏しいが、あらゆる要因によって四属に変換される可能性を持つ。
四属は地と水と火と風、大地と液体と熱量と大気に干渉し産み出す魔力。増幅、軽減、流動操作を可能とする。
そして霊属───“根源”に干渉する魔力。魂そのものに付随し、肉体と霊魂を繋ぐ他、精神にも多大な影響を及ぼすとされる。
「無属や四属と違い、生物なら誰しもが持っているとされる魔力だ。知性ある生き物ほどその含有量は多いが、その分、減れば精神に異常をきたすようになる。枯渇なんてことになってみろよ。あの亡者共みたくなるぜ」
「じゃあ、ドレイクは…」
「死霊の技の使い過ぎだ。挙げ句、これほどの巨躯を蘇らせたからな。廃人は免れんかも」
死霊の技の使い手が現代に残されていない理由。その術の行使には霊属の魔力が不可欠であり、過去に使用した者のほとんどが痴呆となるか気が触れた。
特にドレイクの式は、死骸を生前の姿にする際、足りない部分を霊属の魔力で補って復元している。必要以上に魔力を消費しているのだから、精神の劣化は通常よりも速いはずだ。
「だけど、減っても時間が経てば元に戻るでしょ」
「無属や四属とは違うと言ってるだろうが。霊属の魔力は、生来から含有量が変わることがない。減れば減るだけで、新たに生産はされないんだ」
フェイベルに突き放すように言われ、コヨウは押し黙ってドレイクを見た。静かに寝息を立てているが、起きた時にはまともに喋れなくなっているかも知れないなんて。
(…まあ、骸骼の蘇生がずいぶん“おざなり”だからな。骸骼の残留思念が遠慮したか、本能的に抑えたか。どちらにしても、会話に支障をきたさない程度には残っているだろうよ)
半透明の巨獣を見ながら、密かにそう推論するフェイベル。先ほどまで問題なく活動していたのだし、今は単に疲労で眠っているだけだろうと。
それを言わない辺り、フェイベルは先ほどの引き摺りをかなり根に持っていた。腕の関節がまだ痛かった。
代わりに、話題を別に逸らす。
「にしても、だ。この鰐と鯨を足して二で割った獣は何処を目指しているのやら。かなり深く潜っているよなぁ」
「獣って、やっぱりこれも材獣なんだ。水属の魔力が凄くてずっとピリピリしてるんだけど」
「“材獣”ねぇ…」
「なに?」
「いやなんでも」
意味深にぼそりと呟き、素知らぬ顔で言葉を濁す。これほどの力を持った獣は、最早“神”に準えられるのだが、無用の知識は与えないことにする。
フェイベルの態度に憮然としながら、コヨウは相手にしないことに決めて、トキの面倒を見始めた。腰に巻いた上着を外して折り畳み、枕代わりに頭に敷く。
献身的なコヨウに魔が差したフェイベルがからかう。
「よっ、甲斐甲斐しい嫁さんだね」
「言われても全っ然嬉しくない。それ皮肉でしょ。絶対皮肉だよね。どうせ“フラれてるけど”とか蛇足するつもりで、悪かったねフラれてるのにつきまとったりして!!!」
「俺なにも言うとらんがな」
自ら地雷を踏んで自爆する彼女に、フェイベルもどんな顔をすればいいのか分からなくなった。笑うべきなのかそうなのか。
とてもうるさいし、あまりそっちの話に突っ込まれても困るので、トキが話に割り込んで話題を変える。
「フェイベル。お前は骸骼都市についてなにか知っているな。コレについても、話せることだけ話せ」
「話せるだけ、ね。いいぜ。コイツが目的地に着くのも時間がかかりそうだ。ゆっくりとおとぎ話でも聴かせようかい」
勝手に話が進められて(とある視点から、二人がイチャイチャし始めたように見えて)怒髪天を突くコヨウを宥めすかし、フェイベルは語り始めた。
それは創世のお話。神がこの世界を創った時のこと。
神は世界に必要なものを七日の間に作り、或いは生まれるようにした。光を作れば昼と夜が生まれ、空と大地を作れば海が生まれて植物が育まれた。太陽、月、星と、創造は順調に進んだ。
五日目、神は魚と鳥を作った。その時、雌雄一対で、ある生物を作り出した。その生物は巨大で、頑強な体を持ち、あらゆる武器も受けつけなかった。神自らが、最強の生物であると認めた。
世界の創造が終わり、あとになって神は後悔した。つがいで作った生物は瞬く間に繁殖し、世界中の海を埋め尽くすだろう。海に生きられるのはその生物だけとなり、他は死に絶えてしまうだろう。
神は雌雄の内、雄の方を殺した。頭蓋を割って人々の食料とした。神がそれを許した。
残された骨は地上に置かれ、残された魂はその地に根づいた。人々が集まり、住み着き、栄えていくのを見守り続けた。海に残された片割れを想いながら。
いつの日か、また出会えることを切望しながら…。
ドレイク
「…」
コヨウ
「どしたの、ジト目で見て」
ドレイク
「枕…。俺の分」
コヨウ
「あー」
ドレイク
「俺も頑張ったのに。忘れるなよぅ…」
フェイベル
「愛の差だ。諦めな」




