捜索~天涯地区無人の家
山脈全体に渡って人々が住まう大国の東部、都のある山をも越える高い山にある住宅街。年老いた住民が目立つ地区を行くトキは、一軒の建物を前にして足を止めた。
寂れた雰囲気のある高台の家。壁に蔦が絡まって古びた感じを強めている。長らく人の出入りがされていないらしいその家に、トキはゆっくり、ゆっくりと近づいて玄関を開けた。
「…」
カビの臭いが鼻腔をくすぐる。扉を開いた拍子に入り込んだ風が、床に積もった埃を舞い上げて流していく。
家の中には誰もいなかった。家具は置かれたままで、住んでいた人だけが居なくなっていた。
トキは部屋の中をつぶさに調べ、隣の寝室へと移動する。何処も荒らされた形跡はなく、無人となった手がかりも見つけられない。
窓際にあるベッドには、乱れた毛布が敷かれてあった。最後に誰かが使い、そのままにしてある寝具。時間が切り取られ、当時の形で残される。
トキはベッドに腰掛け、しばらくじっと俯いた。昔、同じ態勢でそうしたのをうっすらと思い出す。
顔を上げれば、あの白髪の老人が笑いながら見返していた。
『…どうして、俺を助けた。ふざけているのか』
『ふざてなどおらん。わしが勝ったんだから、お前の命はわしのものだ。わしがどう扱おうと構わんだろう?』
『詭弁を…』
『ならば聞くが、お前は死にたかったのか? わしにトドメを刺されて終わる。それが望みだったのか?』
『死ぬ覚悟ならあった。今もな』
『分かっとらんな。覚悟と望みは違う、別物だ。死んで良かったのなら、お前はここにはおらんかった。どころか、わしと相対する前に、何処ぞで野垂れ死んでいたよ』
『詭弁だ』
『…そうかも知れんな。ふはっはっはっ………、』
「…」
他の誰かが印象を伝えたなら、屈託のない良い笑顔で笑う老人だと答えただろう。トキが今より若く、今よりさらに無鉄砲だった頃、ひょんなことから出会って争った老人だ。
地を刈る大鎌を駆使して、肉体の老いを感じさせない戦いぶりでトキを翻弄。先端を太く丸めて無害にした鉤爪によって、トキに致命傷を与えずに完封した。
最後に会ったのは、何年前になるだろう。
会う度に憎まれ口を叩いた。その度に笑われて言い返した。いつからか、そのやり取りが約束事のようになっていた。
「…笑え、生きることを楽しめ。それが生きている者の特権だ」
そう教えた老人は、もうこの世にはいない。彼の死を看取ることもなく、トキの前から姿を消してしまった。
本当に死んでしまったのか。
もしそうなら、どんな最期を迎えたのだろうか。
苦しんだのか。安らかに死んだのか。最期まで足掻いて、壮絶な最期を遂げたのか。
それとも、
「お前は、最期まで笑ったのか?」
いつものように、特に意味もなく笑って、死んでいったのか。
自分の歩んだ人生に満足して、死ぬまで生き抜いてやったのか。
悔いなく、死ねただろうか。
「親しんだ者との死別は哀しい。そうだろう、若者よ」
寝室の出入り口に、小柄な身長の誰かが立っていた。
背丈で言えば子供、しかし声がわずかに成人のものとなっている。藍色の、頭巾付きの外套に身を包んで人相も知れない小人。
気配もなく現れた謎の人物に、トキは表情を固くして訊ねた。
「何者だ」
「怪しいものではない。悲哀の念が伝わってきたのでな。私も、今日は大切な友人の墓参りに来たのだ」
答えになってない返答をして、小人は短い足でトコトコ歩いてきた。トキの隣、空いたベッドの席にちょこんと座って勝手に話し出す。
トキは警戒を怠らず、しかし会話を許した。
小人も誰かを亡くしたと言った。その言葉が真実であると感じ取れたから。
「もう会えないと知った時の切なさときたら、言葉に表せないものがあるなあ」
「誰も悲しんでなどいない。ここへは確かめにきただけだ」
「偽ることはない。お前の魂が泣いているのが分かる。……嗚呼、深い悲しみを湛えている」
小人の指摘がトキの心理を突いているかどうかは知れない。ただし、トキは肌で感知した。小人が話している一瞬、大気を伝って四属の魔力が洩れてきたことを。
小人の着ている外套は、水属の獣具だ。
「安心するがいい。お前の亡くした者の記憶が残るこの場所で、争うことなどしない。それはあまりに下賤で低俗な行いだ。お前も、獣具なしで戦うのはキツかろう」
「何者だ」
「お前と同じ、喪に服したい者さ」
一気に警戒心を強めたトキだが、小人はのんびりした様子で足をブラブラ揺らす。長居をする気はないらしく、短い間そうしていると、邪魔をしたなと言って席を立った。
去り際にこう言い残して。
「目先のことに囚われていると、大事なものを見逃す。私も、お前も、そうしてかけがえのない者を失った」
「…俺には当てはまらない」
「そうかな? 強がるも一興、だが忠告しよう。他にもまだ大切なものがあるのなら、つまらん矜持は捨てて、一心に守ることだ。でないと、私と同じになるぞ?」
なにが言いたかったのか、トキには皆目見当がつかなかった。小人が何者なのか、“人であったのかどうか”も分からなかった。
この出会いがなにを意味するのか―――。運命というものを信じないトキに、分かるはずもなく。
この世には、どうしようもない現実しかないのだから。
どれだけ残酷で理不尽なものが待ち受けていようと、受け入れて生きなければならないのだ。




