追跡~吹き溜まり渓谷
谷間にさしかかると、吹き荒れていた風の流れは緩やかになった。
ゆっくりと谷底へ降りていくトキを尻目に、先んじる虹彩鳥は暗く狭まった奥へと下る。後ろ姿が見えなくなったが、トキは慌てずに着地。
轟々と頭上から鳴る音を聞きつつ、右手の獣具をいつでも放てるように気構えながら歩いていく。五感を研ぎ澄ませ、或いは第六感を働かせて、
「…―――ぁぁぁ…、」
「…」
ふと、後ろを振り返って見上げた。
暗い谷の遥か上方、細長く伸びる青い空。そこに、浮かぶようにして落ちてくる丸と四角の物体があった。トキの方に向かってくるそれは気球で、ゴンドラには峠道に置いてきた男が乗っている。
熱で膨らんでいるはずの布袋はひしゃげていき、木製のゴンドラはあちこちにぶつかって大破寸前。搭乗者は死に物狂いで縁にしがみつく有り様で、近づくに連れて、喜びと怒りと恐怖がごちゃ混ぜになった絶叫が聞こえてきた。
「…―――ぁぁぁあはははははははは!!! 風の谷のぉぉほおおおおおおおおッッッ」
「風の谷の?」
助ける方法もその気もないトキは傍観に徹し、その手前で絶叫の締めを括りながら、決死の挑戦者ドレイクは墜落する。
「―――ナウシぎゃんっ」
岩に激突した衝撃で舌を噛んだ。
胴体が縦に傾いていたゴンドラは、前部は押し潰れて突き刺さったような形になり、ドレイクは弾みで外に投げ出された。運良く気球の布袋が絡まってクッションとなり、無傷で済んだ。
宙ぶらりんな彼へ、トキが冷静な言葉を送る。
「帰りは来た道を戻る。わざわざついてくる必要はなかったんだがな」
「へーそうなんだー知らなったなー先に教えて貰えたら助かったのになー、 ・ ・ ・ マ ジ で 」
「命懸けで来る度胸があるようには見えなかった」
「ああそう。貶しついでに謝罪の言葉も聞きたかったけどそれは諦めるから代わりに下ろすの手伝ってくれないかなーってちょっとッ!!」
ドレイクの嘆願虚しく、トキはさっさと歩いていった。ここまで来て置いていかれたくはないと、ジタバタもがいて拘束状態から逃れたドレイクも後ろをついていく。
獲物が待ち構えているであろう谷間の深部へ、その道すがらにドレイクが恐々と話しかける。
「なあ、やっぱりあの魔法生物を殺すのか?」
「そのために来た」
「う…っ」
にべもない返事に負けそうになるが、ここでもドレイクは引き下がらない。
「殺す必要はないだろ? マジックアイテムを造るのに、体全部は要らないって。羽を何枚か千切って持ち帰れば、」
「獣具の製作に必要なのは、材獣から採れる素材と内部機構の解明だ。その種族がどのようにして四属の魔力を生み出し、或いは取り込み、操るのか。個体別でも生息地が変われば、その仕組みは事細かに変化する。資料は多ければ多いほど良い」
「うぐ」
「持ち帰るのは全身だ」
「………だけど! 最後の生き残りかも知れないんだろ? アイツを殺したら虹彩鳥は、下手したら風羽根は、みんな絶滅したことになるんだぞ!」
「それがどうした」
「どうって…」
「何百種といた材獣も、今では数えるほどしか残っていない。その一種を保護したとしても、遅かれ早かれ滅ぶだろう。俺が狩るか、別の誰かが狩るかの違いだ」
これに関してこれ以上話し合う気はない、とトキは打ち切った。ドレイクは諦めきれない様子で二、三度口を開いたが、上手く言葉が出てこない。
そうこうしている内に、二人は最奥に辿り着く。谷底は一層暗くなり、そこで待ち構える虹彩鳥の輝きも大分陰っていた。
「あれ…結構デカい?」
「…」
遠目に見た時よりも大柄な体にドレイクは驚く。翼を広げれば、余裕で彼の身長を越すだろう。
感心混じりに観察するドレイクの傍ら、無表情のトキは、ある一点を凝視して止まっていた。
頭を垂れる虹彩鳥に視線を移し、その顔つきを険しいものへと変えていく。
忌々しげに、怒気をぶつける。
「ふざけるな…。こんな奥地にまで誘い込んで、何をしてくるのかと思えばコレか。獣風情が、人並みに粋がるんじゃない」
「おっさん?」
何故こうも憤慨するのか、気圧されたドレイクも気になって目を凝らした。
じっとうずくまって動かない虹彩鳥。その背後には洞穴が、さらに奥まったところには、骨だけとなった獣の死骸が幾つも集まっている。
仲間の墓場―――そうと気づいたドレイクは、虹彩鳥の意図にも察した。
自分の命を狙ってきた人間を、ろくな抵抗もしないで大事な場所へ招き入れた。これはつまり…、
「死ぬつもり、なのか?」
ドレイクが言うより早く、トキが前に飛び出した。
握り締めていた鎚矛を乱暴に振り上げ、ドレイクの制止も間に合わずに振り下ろす。
虹彩鳥の脳天を掠めた柄頭は、砕ける音と共に堅い岩盤に食い込んだ。
「おっさん!!」
「抵抗しろ。戦え」
トキの怒りに虹彩鳥は応じない。
「殺されたいか。なら反撃しろ」
鬼気迫る声に耳を貸さない。
「死に物狂いで足掻け。そうしたら望み通りに殺してやる。死にたいなら殺しに来い。無抵抗で殺されるのは許さん。絶対にだ。生きようともしない奴が楽に死ねると思うな。さあ、」
材獣は細く瞼を開けて、殺気を漲らせた眼を見つめた。
「 た た か え 」
爛々と睨みつける男の問いに、獣の答えは。




