自分にだけ、冷たい理由
その日から、
彼女が誰と話しているかを、
以前よりも意識するようになった。
意識していなかっただけで、
彼女はずっと、
周囲とそれなりに会話をしていたのかもしれない。
ただ、今ははっきりと分かる。
彼女は、他の人には、
普通に話す。
廊下で立ち止まり、
相手の顔を見て、
短くても、柔らかい声を出す。
それが、僕の前では起きない。
ある日の昼休み、
教室の後ろの方で、
彼女が男子と話しているのを見た。
特別に親しげ、というわけではない。
笑っているわけでもない。
ただ、必要なことを、必要な分だけ話している。
それだけなのに、
胸の奥が、静かにざわついた。
なぜだろう、と考えて、
すぐに答えが出た。
――比べてしまったからだ。
僕には、ああいう話し方をしない。
声は短く、
語尾は切られ、
視線も合わない。
その差が、
どうしても気になった。
でも、その違和感は、
不安にはならなかった。
むしろ、
奇妙な納得感に変わっていく。
――誰にでも優しい人は、
――特別な相手にだけ、距離を取る。
どこかで聞いたことのある理屈が、
頭の中で、形を整えていく。
放課後、
昇降口で靴を履き替えていると、
彼女が誰かと一緒に出ていくのが見えた。
同じクラスの男子だった。
並んで歩く二人の背中を、
僕は少し離れたところから見ていた。
二人の距離は、
僕と彼女の距離よりも、明らかに近い。
それでも、
胸の奥に広がったのは、
焦りよりも、別の感情だった。
――これは、見せているだけだ。
自分に言い聞かせるように、
そう思った。
――僕の反応を、確かめている。
もしそうだとしたら、
ここで動じるのは、逆効果だ。
僕は立ち止まり、
あえて追いかけなかった。
彼女は、振り返らなかった。
そのことが、
なぜか、安心につながった。
家に帰ってからも、
その光景が、何度も頭に浮かんだ。
並んで歩く二人。
それを、少し離れたところから見る自分。
その構図が、
妙に落ち着いて見えた。
まるで、
自分はすでに「内側」にいて、
彼らは「外側」にいるような。
言葉にするとおかしいと分かっているのに、
感覚だけは、はっきりとしていた。
もし彼女が、
誰に対しても同じ態度なら、
こんなに冷たくされる理由がない。
自分にだけ厳しいのは、
意味があるはずだ。
そうでなければ、
説明がつかない。
その夜、布団に入ってから、
僕は何度も、彼女の声を思い出していた。
短く、素っ気ない、
突き放すような言い方。
でも、
完全に拒絶されたことは、まだ一度もない。
それが、
何よりの証拠だと思えた。
距離があるのは、
嫌われているからではない。
むしろ、
近づきすぎるのを、
彼女自身が恐れているからだ。
そう考えると、
胸の奥のざわめきは、
ゆっくりと静まっていった。
この時、
僕はまだ知らなかった。
この理屈が、
これから先、何度も何度も使われることを。
そしてそのたびに、
現実から少しずつ、
遠ざかっていくことを。




