第一王子殿下は見る目がある
―― ハリボテ令嬢。それが私に付いた不名誉な呼び名だ。
トレヴァン公爵家の歴史は浅い。
初代は商人として一代で財を成し、相次ぐ飢饉で困窮する王家へ莫大な献金を行い、その善意への見返りとして爵位を得た ―― いわゆる成り上がり者である。
当家は貴族となってからも多方面で国家に貢献し、順調に陞爵を重ねた。だが公爵位に至ったのは、今から5世代前。第一王子、後の国王陛下が当家の娘と大恋愛の末に結婚したのがきっかけだ。
そして陛下は自身が冠をいただく際に『愛する妻の実家に箔をつける』として公爵家へと引き上げた。間違いなく異例のスピード出世。それがトレヴァン公爵家の歴史だ。
古参の貴族は憤慨していたに違いない。事情を知らぬ者にとってのトレヴァン公爵家は『大した功績のない平民上がり』だ。当時かなりの反対の声があったと聞いている。
その反発は今日まで尾を引き、トレヴァン公爵家が成り上がり者と言われ、私が影で『ハリボテ令嬢』と言われる原因の1つだ。
そして現代。アルフレッド殿下が9歳、私が8歳の頃。またしても王家と我が家の縁組が結ばれることになった。
この婚約にはある意図があったが外部に話すことは出来なかった。
トレヴァン公爵家になぜまたこのような栄誉を?公爵家でありながら成り上がり者に過ぎぬのに ―― そう訝しむ声も多かった。だがその声も、ほどなく別の理由で沈静化する。
理由は単純。
―― 当事者であるアルフレッド殿下が、誰の目にも明らかなほど私を嫌っていたからだ。
祝いの場においては渋々エスコートを務めるものの、挨拶が終われば解散。
婚約者同士のささやかな手紙や贈り物の交換もなく、目が合っただけで露骨に顔を顰められることさえある。
―― なぜアルフレッド殿下は、そこまで私を嫌うのだろう?
アルフレッド殿下は私以外の人物に対しては、模範的な貴公子であろうとしているように見えた。そして少なくとも婚約の顔合わせでは何も問題がなかった……ように思う。疑問は深まるばかりであった。
最近のアルフレッド殿下にはなにやら親しいご令嬢が出来たようで、以前にも増して距離を感じるようになった。この婚約を解消しようと画策しているのだという話だ。
噂の令嬢のご実家である男爵家は先の飢饉により財政的に苦しい状況になったようだが、建国当初まで歴史を遡れる古参だ。
貴族たちはその様子を満足気に眺め、口々に言った。
「第一王子殿下は見る目がおありだ」
かくして私は、王家の婚約者という立場でありながら『ハリボテの婚約者』と揶揄されるようになったのだ。
***
和やかな雰囲気の交流会。
しかしその空気を引き裂くように、声が響き渡った。
「公爵令嬢ジョセフィン・トレヴァン! お前にはもう我慢ならん! 公爵令嬢の身分でイジメなど、将来の王妃として相応しくないと知るが良い! お前などとは婚約破棄して、私はこの慈悲深きロレッタを新たな婚約者とする!」
―― ついに始まった。
私は心の中でため息を吐く。
しかし一体何を理由にするかと思えばイジメとは。ただアルフレッド殿下のこの茶番にお付き合いして差し上げるのも、淑女の務めというものかもしれない。
「私は公爵家の者として1人の人間として、恥じ入るような事はしておりません。それは一体、どなたに対して行ったと疑われているのでしょうか?」
「お前が一番よく分かっているはずだ! 流れるような金の髪に青い瞳の、まるで王女のごとく気品のある女生徒だ!」
「まあ! まさか…!」
私は思わず声をあげてしまった。周囲にざわめきが起こる。大半は困惑した顔だが、一部の生徒は私と同じくなにかを察したらしい。
(アルフレッド殿下は…やはり……)
私は急ぎ、陛下か王妃様に来ていただけないかと伝令に頼んだ。
今日は交流会の最後に国王夫妻が挨拶される予定だとお聞きしている。もうすでに会場の近くまでいらっしゃっていてもおかしくはない。
「白々しい! 私が教師を呼ぶためにすこし目を離した次の瞬間には、もう彼女の姿はなかったが。余りの責め苦に耐えられず逃げ出したのだろう……だがそれはいい。
問い詰めようとした私に、お前は言ったな?『まあアルフレッド殿下、一体何をご覧になったのでしょう?』などと、いけしゃあしゃあと…。
また他にも、お前が別の生徒を虐げている場面を見たと、このロレッタも涙ながらに証言してくれた! 王家にも通じる公爵家がこの体たらくとは、本当に嘆かわしいことだ。
お前が率先して被害者への謝罪をしようとしおらしい態度でいたなら、まだ非公式に謝罪の場を設けていたかもしれないが、もう許すことはできない!」
アルフレッド殿下が高らかに宣言する。
「さあ! 勇気を出して名乗り出てくれたまえ! 第一王子として責任を持って、君の身の安全を保証すると誓おう!」
しばし騒めきが静まり、緊張感が会場を支配する。
ただ名乗りを上げる者はいない。当たり前だ。
「どなたもいらっしゃらないようですね、アルフレッド殿下」
「……う、うるさい! これもお前が一般の生徒を抑圧している証拠だ! 決して許されることではない…!」
しばらくダメ押しとばかりにアルフレッド殿下が皆に向けて語りかける。ずいぶん懸命でいらっしゃる。一般の生徒もこの事態の奇妙さについて気付き始めたようだ。各々小さな声で話しながら、時々驚きの声を上げる者もいる。
その時、会場の扉が開いた。
生徒達の視線の先にいるのは国王陛下だ。少し息が上がっている。
急がせてしまったことを申し訳なく思いながら、私はホッと胸をなでおろす。
これから行うある告白には陛下の許可が必須だからだ。
陛下は私の近くにまでやって来ると、そっと『済まなかった』と呟いた。私は頷きそれに応える。
陛下は伝令や側近の方々から報告を受け、ため息をつく。
「はあ……一体どうしてこんなことになってしまったやら」
「父上!」
「公共の場では陛下と呼びなさい。」
陛下が静かに手で制された。アルフレッド殿下はしゅんと肩を落とす。
「陛下、もうここまで言われてしまえば、私から皆様の前でご説明するしかないと思うのですが」
「よかろう、許可する。迷惑をかけた」
「ありがとう存じます」
私は一歩進み出て、会場を見渡した。
「それでは陛下の許可もいただいたことですし、我がトレヴァン公爵家の家業についてご説明いたします。皆さまもご存じの通り、私の家は古くは織物業を中心に商家として国家に貢献してきた経緯があります。
ですが……もう一つの家業をご存じの方は少ないかもしれません。
実は我が一族には、とある力を持つ者が産まれることがあります。おそらくご先祖様に聖女様が居られるからでしょう。
その力とは ―― 魔を祓う力です。」
場が水を打ったように静まった。
「現在はもう魔王も魔物もおりませんが、人の死は絶えません。強い未練に囚われ、悪霊となって現世を彷徨う魂があるのです。私どもはそうした魂を天へ導く役目を担っております。俗に言うところの悪霊祓いが、もう一つの我が家の家業です。」
ざわりと会場内に動揺が走るのが分かる。
本当は仕事内容はもっと多岐に渡るのだけど…と心の中で呟く。しかしむやみに人々を怖がらせてはいけない。あくまで今回の件に関係あることだけを話すことにする。
「そして ―― 情報通の皆様の中にはお聞きになったことがある方もいらっしゃるかと思います。
学園の七不思議の一つ ―― 青き瞳の哀しき令嬢。
金髪碧眼の美しいご令嬢は婚約者による酷い裏切りにあい、この学園内で非業の死を遂げた。そのため時折、乙女が苦しみ泣く声が聞こえることがある…そう言うお話です。
以前までの彼女は七不思議の通り、ただ嘆き悲しむだけの無害な霊でした。
ただ最近は、自身を裏切った婚約者に似た男子学生の前に姿を現し、自身の住む世界に誘導しようとする。そういった行動が見られ、一般の生徒にも被害が出かねない状況でした。
そこで私が出動することになったという訳です。
―― もちろん彼女はすでに神の元におりますのでご安心ください。」
「では、私が見た例の彼女は……」
「アルフレッド殿下は、霊を目視できる体質だと考えられます。しかもお話を聞く限り、かなり鮮明に。」
彼女の婚約者の条件に殿下は当てはまりますから、危ないところでしたね。私がそう告げると、アルフレッド殿下の顔色が一気に蒼白になる。
「 ―― ああ、そうでした。そちらのご令嬢のお話ですが、」
「あ、あ、まさかロレッタは……悪霊だというのか?」
「そんなわけッ……!」
勘違いを正すためでしょう ―― 男爵令嬢が思わず必死の形相で縋りついた時、アルフレッド殿下は恐怖に慄き、がくりと膝をつくとその場に倒れた。
「殿下!?」「衛兵、医務室へ!」
慌ただしく運ばれていく姿を見送りながら、私は小さく肩を竦めた。
―― ご令嬢の話にあった『別の生徒』についても、いじめなどではありません。そう伝えたかっただけなのに。
***
殿下はもう目覚められたらしい。
医務室の中に入ると、どうやら殿下と陛下が言い争いをされているようだった。
「―― そんなわけで、お前は小さい頃から何もない場所を見て泣き出すことがあったから、もしかしたら、と。
ベネディクト……トレヴァン公爵とも話していたのだ。それもあって公爵家との縁組が組まれることになったのだから」
「なぜ……もっと早くに教えて下さらなかったのですか?!」
「なんども言おうとしたぞ。全くお前というやつは、伝えようとする度に怖がるのだから話にならん」
私はお2人にご挨拶してから、補足を伝える。
「アルフレッド殿下、実は王家の血筋の方にこの力が現れるのは今回が初めてではありません」
「なんだと……?」
「王家と公爵家で以前にもご縁があったのはご存知かと思います」
「ああ、知らないものは居ないだろう。なんでも世紀の大恋愛だからな」
実際は大恋愛などではないけれど……私は密かに心の中で呟く。世間様に対しては、常にそのように説明されているのだ。
「その時の契約で、もし霊が見える力を持つ方が現れた場合は、必ず公爵家に籍を移すこと ―― そのように取り決められていたのです。
ですので、アルフレッド殿下もトレヴァン公爵家の血筋に寄せられるべき力の持ち主というわけです」
陛下は思わず苦笑した。
「今回も出るとはな……まあ、しょうがない。記録に残る発現者の特徴と一致していたから覚悟はできていた。ただ大変な怖がりだ。公爵家で使い物になるかはわからんぞ」」
「まあ陛下。殿下は大変才能がお有りのようですから、きっとすぐに仕事にも慣れ、国家のために多大な貢献をしてくださるはずです」」
「ははは、そうか!なによりだ」
「うふふ」
「私が……悪霊と戦うのか……?」
私と陛下が笑い合う横で、アルフレッド殿下はさらに青ざめていた。
***
私はあの一幕の余韻を引きずりながら、なぜかアルフレッド殿下と公爵家へ向かう馬車に乗っていた。2人きりだと会話は特にない。すこし気まずい雰囲気が漂っていた。
大変な一日だった。ぼんやりと外の景色を眺める。
今日から ―― というわけではもちろんないけれど、アルフレッド殿下もいずれトレヴァン公爵家に入ることになる。そのため殿下自ら、私の両親に挨拶したいと言い出したのだ。珍しい事もあるものだ。
公爵家の門をくぐり抜け、視界に屋敷全体を収めた時、アルフレッド殿下がボソッと呟く。
「公爵家を訪ねるのは久しぶりだ」
―― それは婚約者である私を、いかに蔑ろにしていたかの証左では? 私はふとその考えに思い至ると、ちょっとした意地悪を言ってみたくなった。強制的に舞台に立たされた悪役令嬢なのだから、それくらいは許されるだろう。
「アルフレッド殿下。私との婚約が解消できなくて残念でしたね」
しかし、アルフレッド殿下の反応はまったくの予想外だった。
「残念がっているのはお前だろう」
驚く私に、アルフレッド殿下が続けて言う。
「―― 婚約が成った後、ここを訪ねた事があった。その時に出会ったお前専属のメイドとやらに言われたんだ。『お嬢様はこの婚約を大変嫌がっておられます』と。もちろん私もそのまま鵜呑みにした訳ではない。
ただ、もし本当だったら…と思い、その日はお前には会わずに帰り、まずは手紙を送ることにしたのだ。だが、返事が来ることは一度もなかった。お前も知っている通り。
そんな時にお前の裏の顔を……勘違いだったが目撃し、この事件を起こしたというわけだ。」
結局それが決定打となって、この家に入ることになったのだから皮肉だな……そう言ってアルフレッド殿下が苦笑する。
「すこしお待ちください、アルフレッド殿下。私はそんな事を言った覚えはありません。お手紙や贈り物をいただいていたというのも今日まで本当に知らなかったのです。私もお手紙の返事もなく、アルフレッド殿下に嫌われているのだと…そう、思って…」
私たちは顔を見合わせた。どうもおかしい。公爵家の中に間諜が?いやしかし……と考え始めたアルフレッド殿下を横目に、私はある一つの可能性を思い付いた。
しかしアルフレッド殿下とはどう考えても相性が良くない。私は慎重に語りかける。
「アルフレッド殿下。実はトレヴァン公爵家は個々の事情によって、まだ成仏したくないと意思表示をした霊たちを保護しているのです。もちろん、悪霊ではない者限定です。
その中の1人に私のメイドをやりたいと言い出した変わり者がおりまして、レベッカといいます。アルフレッド殿下に接触されたのは、」
その時、急に視界が遮られる。
「ハイハーーイ!!レベッカだよ♡お嬢様呼んだ?お帰りなさいーーー!!」
「……この者ではないですか?」
アルフレッド殿下がまた腰を抜かす。やっぱりダメかと思ったが、なんとか今回は持ち直したようだ。アルフレッド殿下は天井から逆さまの状態で現れたレベッカに目を見開きながら、気分を落ち着かせるためか大きく深呼吸を繰り返した。
「……………ああ、ソイツだ」
その後、レベッカに自身の犯行内容について確認したところ、アルフレッド殿下への接触は私の婚約者になったことに対するちょっとした嫉妬心。
手紙は私の部屋にあった、溜まった書類をどこまで高く積めるか試してたら、書類と一緒に風で飛んじゃった♡……などなどの供述が飛び出したので、私は顔を青くした。
「あの日からずっと、私はお前を誤解していたのか……」
「アルフレッド殿下。これまでの事、大変申し訳ありません。心よりお詫び申し上げます」
「いいんだ。私も直接確認すればよかったのだ。今後は話をしよう……このように直接。対面でだ」
そうであれば、あんな劇を演じずとも済んだ。
アルフレッド殿下がそう呟くので、2人で顔を見合わせて笑ってしまった。
しかし付き合いが長いから分かる。レベッカは絶対に反省していない。私はいかにも傷つきましたという表情でアルフレッド殿下と私の仲違いについて事情を説明した。
「ええーー?! ごめんなさーい! そんな大事になるなんて思わなくって~~!」
でもちょっとしたイタズラでしょ? お嬢様。ホントに泣いてるわけじゃないよね? といってレベッカは最近市井で流行っているという困り顔ポーズをする。どこで覚えてきたのやら。この子は私たちが一体何年この事で悩んだと思って……?
「とんだ悪霊だな……祓った方がいいぞ」
「私もなんだかそんな気がしてきました……」
近くでレベッカの叫び声が響く。
「ヤダーー! 私、成仏なんてしない! ずっとお嬢様の傍にいるんだから!」
「本当に悪霊になるかも」
「それもヤダ♡」
我儘放題の幽霊である。もういつもの調子を取り戻したようだ。なにが可笑しいのかキャハハと空中で笑い転げている。今回の罰として、1週間は無視しよう。私はそう心に強く決めた。
「仲直りできてよかったねーー!」
レベッカが遠くで大声を上げる。
人の気も知らないで、のんきな幽霊だ。
***
その後の顛末を、少しだけ。
例の男爵令嬢―― ロレッタさんといえば、アルフレッド殿下が倒れたあの一連の騒動があまりにも衝撃的だったせいか『悪霊令嬢』という大変不名誉な呼び名を背負うことに。もはや国内での縁談などは絶望的。
元々実は庶子であったという彼女は、ご実家の男爵家が我が公爵家の恨みを買うのを恐れたことで、貴族籍を抜かれ身一つで追い出されてしまったそうで……
―― そうしてなぜか、私のもとにやって来たのだ。
彼女があの交流会の時のいじらしさはどこへやら。全く異なる態度で吠える。
「ちょっと! 貴女が責任持って面倒見なさいよ!」
まるで悪霊のような口ぶり。なるほど、ずいぶん猫を被っていたようだ。
仕方ないので彼女の話を聞くと、どうも彼女も見る目を持つ者のよう。
私の悪霊祓いを目撃し、それを『いじめ』だと勘違いしたのが始まりだったのだとか。彼女には野心があったが、すべてが嘘で塗り固められた計画というわけではなかったという事に驚く。
彼女はなぜか私に憑いて……いいえ、付いてくることに決めたようだ。
「どっちにしても帰る家なんかないし、どうせだったら人の役に立つほうがいいじゃない?平民は手に職を付けて生きるのが一番稼げるのよ!」
この能力を持つ者は少なく、案件は常に無数に存在する。私は新しい仲間を歓迎することにした。
一方のアルフレッド殿下。
あれからも何度か公爵家に訪れ、レベッカと交流する内に多少は霊というものにも慣れたという。しかしレベッカはちょっとしたイタズラはするものの、悪霊ではない。
極度の怖がりでありながら、霊感は一級品。実際の悪霊退治の現場で彼が絶叫して駆け回る姿は、皮肉にも囮として役立ってしまっている。本人はまだ気付いていないようだ。
「アルフレッド殿下は、大変見る目がおありです」
「やめてくれ……いやしかし公爵家の家業を考えるなら良い事か」
そうアルフレッド殿下が息をゼーゼーと吐きつつ大真面目に考え始めるので、私は思わず笑った。