9話 困難な依頼
次の日俺と理沙は車で隣町の九是山市へと向かっていた。
理沙にまた手を貸して欲しいと頼まれたからだ。
「それで今度のはどんな依頼なんだ?」
「うーんとね、隣町の九是山市での依頼なんだけど。かなり苦戦してる依頼でさ、お兄ちゃんの力を借りた方がいいなと思ったんだ。」
「困っている人がいるなら放置はしないが、理沙でも苦戦するような相手に俺がいてプラスになるとも思えないが。昨日みたいな状況じゃないと俺は役に立てないぞ。」
「そんな事ないよ、心強い助っ人だよ。」
そして俺達は九是山市の中にある閑静な住宅街へとやってきた。
俺達はありふれた住宅の一軒の軒先までやってくると、車を止めてその家のインターホンを押した。
しばらく反応がなかったが、少し時間が経つと一人の中年の女性が出てきたのだった。
するとその女性は理沙の顔を見るなり、藁にもすがるような顔でこう言った。
「ああ、お待ちしていました。春山さん、どうか息子をよろしくお願いします。もう全然私の声にも答えてくれなくて。ずっとこのままなんじゃないかと思ったら、私もう不安で不安で。」
「はい、高梨さん、雄太君の事は全力で取り組ませてもらいます。」
たぶんこの女性が理沙の言っていた依頼者なのだろう。
俺はその女性に頭を下げた。
すると高梨さんは疑問に感じたようで理沙に尋ねた。
「あのう。春山さん?」
「はい、なんでしょうか。」
「こちらの方はどなたですか?」
そうだった。そういえば自己紹介を忘れていたな。
「ああ、申し遅れました。私はこういう者です。」
俺は警察手帳を懐から出した。
高梨さんは俺の示した警察手帳を確認したが、だが余計に訳が分からないような顔をされてしまった。
「警部さん、警部さんですか?なぜ警部さんがここにいらっしゃるんです?」
仕事柄いつも手帳を見せる癖がついているので、普段通りについ手帳を出してしっまっていた。
「ああすいません、いつもの癖なので。今日はあくまで理沙のサポート役として来ているだけなので気にしないでください。」
すぐに理沙がフォローしてくれた。
「彼は私の兄なんです。」
ようやく高梨さんも納得した顔をしてくれた。
「ああ御兄弟なんですね。」
「はい、それで手伝いをお願いしているんです。」
「そういう事なんですね、分かりました。私は高梨千代と申します。」
千代さんはそう言うと会釈をしてくれた。
「それで雄太君の調子はあい変わらずなんですね?」
「はい。前に来てもらった時からほぼ変化はないんです。」
「ここではなんですので、どうぞ中へ。」
千代さんはそう言うと俺と理沙を家の中へと案内してくれた。
俺達は二階の洋室へと案内された。
通された部屋には一人の少年がいた。
目は血走っており、髪は伸び放題でボサボサだった。
服はあちこちが破れていて、体中は傷だらけになっていた。
さらにまるで獣のように4本足で部屋の中を動き回っていた。
部屋の中は荒れ放題になっていて部屋の壁紙はあちこちで破れており、テレビや机やパソコンは滅茶苦茶に壊されていた。
他の部屋は綺麗な状態だったが、この部屋の中だけまるで廃墟のようだった。
「雄太、春山さんが来てくださったわよ。」
千代さんはその少年に話しかけたが、雄太君は特に反応するでもなく部屋の隅で四つん這いで壁に向かって吠えていたのだった。
「ブオオオオ!!!!ブオオオオ!!!!」
理沙も残念な様子をしていた。
「雄太君の調子は変わってないみたいですね。」
「ええ、ずっとこんな調子なんです。」
雄太君は相変わらず四つん這いで壁に向かって今度は威嚇でもしているようにウーウーとうめき声をあげていた。
すると千代さんが理沙に頭を下げた。
「春山さん、今日はよろしくお願いします。」
「はい最善を尽くします。」
「では私は一階にいますから何か用事があったら呼んでください。」
そう言うと千代さんは部屋から出て行ったのだった。
「雄太君は何かの病気とかの可能性はないのか?」
「千代さんの話ではいろんな病院にかかったそうだけど、なんでこんな症状が出てるのかさっぱり分からないって色んな先生から言われたらしいわ。体は至って健康そのもので、なんの異常も見つからないんだって。」
「それで千代さんは理沙に頼んできたって事か。」
「ええ、そういう事。」
「それで理沙から見て、雄太君はひどいのか?」
「ええかなり深刻よ、たちの悪い霊が取り憑いてしまっているから。」
「だけど理沙なら祓えないなんて事はさすがにないだろう?」
「それがさ本当にこいつには苦戦してるんだ。もう2回も失敗してるの。」
「理沙でも失敗する事があるのか?」
「うん私も初めての経験で戸惑ってる所なんだけど、」
理沙は心霊で苦しめられている人々を今までたくさん救ってきたし、理沙の力は間違いなく本物であると断言できる。
そして他の霊能者が苦戦していしまうような厄介な霊でも理沙はいとも簡単に今までは除霊してきているのだ。その理沙が失敗したという事に俺も驚いてしまった。
その理沙が2回も失敗するほどのヤバイ霊というのは、相当に強力な霊なんだなと感じた。
「そんなにヤバイ霊なのか?」
「うーん、たぶんそうだとは思うんだけど。」
理沙はいつもと違ってやけに歯切れが悪かった。
こういう問題では理沙はいつも的確にしっかりと説明してくれるのだが。
「理沙、違うのか?」
「ちょっと断言できないんだよね。見た感じ青い自然霊に見えるんだけど。」
「自然霊なのか?」
「うんかなり高位の自然霊だとは思う。」
自然霊というのはこの世に一度も人間の姿で存在したことのない霊であり、自然霊自体が大きな力を持っている事も少なくなかった。
「高位の自然霊か、そうなると霊というよりは神様に近い感じなのか。」
「霊の力的には普通の幽霊の比じゃないの、とっても力を持った霊である事は間違いないわ。神様に近いと言えば確かにそうだね。」
「となると雄太君がその自然霊を怒らせるような事をしてしまったとか、そういう事なのか?」
「う~ん、たぶん雄太君本人か雄太君に近い誰かがこの自然霊を怒らせるような事をしてしまったから祟られてるんじゃないかなとは思うんだけど。」
「理沙、今日はなんか歯切れが悪いな。いつもならもっと的確に説明してくれるのに。」
「それがさ、雄太君に取り憑いている自然霊から伝わってくるのは苦しみなのよ。怒りも悲しみも憤りもこの自然霊からは感じないの。ただただこの自然霊が苦しんでいるように見えるの。いつもならどんな霊からでもちゃんとメッセージを受け取る事はできるのに。この青い自然霊はすごく苦しそうにしているのに、なんのメッセージも受け取れないんだよね。いつもなら霊からのメッセージを受けた上でどう対応するか決めてるからさ。だからメッセージを受け取れないこいつからはどう対応したらいいのか判断できないんだよね。」
「なるほど、それで理沙もお手上げというわけか。」
「そうなんだ。」
雄太君相変わらず壁に向かってウーウーと威嚇しながらうめき声をあげていた。
すると雄太君の絶叫が部屋に響いた。
「うあああああー!!うああああああ!!」
雄太君が四つん這いで激しく動きながら、壁にぶつかっていった。
それを何度も何度も続けたのだった。
雄太君にとって俺と理沙はまるで眼中にないようだった。
「とはいえ、理沙がお手上げの状態なのに、俺がいた所で何かの役に立てるとは思えないが。」
「そんな事ないよ。お兄ちゃんも春山家の人間なんだから。」
「俺は理沙みたいな力は持ってないんだぞ。」
「そんな事ないよ、きっと力を持ってるよ。」
「理沙がそう言ってくれるのは嬉しいが、現実問題としてできる事は限られてくるからな。それで俺は具体的には何をすればいいんだ?」
「一緒に祝詞を奏上して欲しいんだ。」
「なら大祓詞でいいか?」
「うん、お願い。」
それからすぐに大祓詞を始める準備を始めた。
お供え物のお米とお酒と塩と水を神具に準備していった。
祭事用に着る神主の正装である斎服に着替えた。
さらに榊も車から持ってきた。
「理沙、準備はできたぞ。」
「それじゃあ一緒に祝詞をお願い。」
俺は大祓詞の奏上を始めた。
祝詞奏上と言うのは神様へのお願いをする時に行うもので、この場合は俺達の仕える神様であるヒスイ様に祝詞奏上を行い、雄太君に取り憑いている霊を祓ってもらおうという事だ。
「高天の原に神留まります、皇が睦神漏岐神漏美の命以ちて。」
「斯く出では天つ宮事以ちて天つ金木を本うち切り、末うち断ちて千座の置き座に置き足らはして」
俺と理沙で大祓詞を唱えていたが、雄太君の様子は特に変わる様子はなかった。
雄太君は相変わらず壁に向かって、ウーウーと威嚇を続けていた。
そして俺達は祝詞の詠唱を続けて大祓詞の詠唱も終盤に入っていた。
「八百万の神たち共に聞こし召せと白す。」
そして俺達は大祓詞の祝詞を詠み終えた。
すると理沙が用意した幣束をすっと持ち上げると雄太君が四つん這いになっている場所まで移動して雄太君に使い始めた。
水で雄太君の体にかけて清めながら幣束で雄太君の体を払っていった。
だが雄太君の様子に特に変化はなく、雄太君は相変わらず壁に向かってウーウーと呻きながら威嚇を続けたのだった。
その後俺達は何時間も色々な祝詞を詠んでは、幣束ではらうという事を続けたが何度やっても雄太君の様子は何も変わらなかったのだった。
「本当に厄介だな。この青い自然霊は。」
「でしょ。」
「ここまで強いとまるで呪いみたいだな。」
「うーん、どうだろう。呪いというよりはこれはもはや祟りみたいな物だと私は思うよ。呪いなんて生やさしいものじゃない。」
「まあそうだな、呪いは人の行うもので、祟りは神様が行うものだからな。」
「でもこれは本当に困ったな、お兄ちゃんと二人でやっても剥がせないとなると、どうしようかな。」
理沙が心霊トラブルで頭を抱えるというのは本当に珍しかった。
「理沙、その青い自然霊が雄太君に取り憑いている状態なんだよな?あとどのくらいの猶予があるんだ?」
すると理沙が首を横に振った。
「もうさ取り憑いているとかいうレベルじゃないんだよね。支配霊がガッチリ雄太君の魂の中にまで入り込んでしまっているの。しかも入り込んでいるのはその青い自然霊だけじゃないし。」
「それはどういう意味なんだ?」
「実は他にも幽霊が何十体も雄太さんに入り込もうとしているのよ。」
「それはまずい状況だな。」
「うん、あんまり悠長に時間を使ってはいられないと思う。」
「こうなったら奥の手でいこうかな。」
「奥の手?」
「お兄ちゃん一旦家に帰ろうか。」
「帰ってしまっていいのか?」
「うん、家に戻って準備をしないといけないから。」
俺達は高梨さんを呼んで状況を説明した後で、一旦高梨邸を後にしたのだった。