大公家
「もういい。魔力を手放しなさい」
ジキスムントが慌てて言う。
引き寄せることができれば、その逆もまた教えられることなく理解できた。
青い光が収束していく。
「お、お父様、これは……」
「間違いなく魔力だ。おい、すぐに馬車を!」
「あなた、どちらへ?」
「教会だ。まだ十歳にも満たないにもかかわらず魔力に目覚めるとは……この子はきっと、曾お爺様の生まれ変わりに違いないっ!」
(一体何がどうなっているの……)
昂奮する周囲を尻目に、アナトリアは困惑するしかなかった。
※
すぐに馬車が呼びつけられ、アナトリアは家族と一緒に公爵家の領地から一番近い街にある教会へ向かった。
「司教様、おはようございます」
教会を訪れたジキスムントは、教会のトップである白い法衣に背の高い帽子をかぶった立派な髭をたくわえた中年の司教に頭を下げた。
教会は各地にあるローゼン教の教えを広める拠点である。各地の教会をまとめあげるのが、帝都にある大教会であり、それを統べるのが大司教である。
「これは公爵様。慌ててどうなさったのですか?」
「娘の魔力を計って頂きたい」
老人の優しい眼差しが、アナトリアを見つめる。
逆行前は、彼の口からは魔力がゼロだということを知らされたことは今もはっきり覚えていた。
「……お嬢様はまだ六歳のはずですが」
「とにかく計っていただきたい」
ジキスムントが強く求めると、司教は戸惑いながらも「こちらへ」と奧の部屋へ招く。
そこには球体の形をした水晶が鎮座している。
「これに手を触れるのです。もしお嬢様に魔力があるとするならば、水晶がきらめき、教えてくれるはず」
ドキドキと心臓が早くなる。
「さあ、アナ。怖いことは何もないから」
ジキスムントが、アナトリアの背中をそっと押した。
足を前に踏み出したアナトリアは怖々と水晶に触れた瞬間、水晶がまばゆい光に包まれたかと思えば、粉々に砕けた。
ジキスムントが昂奮した声を上げた。
「司教様、これは!」
司教は信じられないものでみ見るように唖然とした。
「水晶が砕けるなど……まさかそんな……あぁ、なんということだ……っ。水晶が砕けたのは、これでは計りきれぬほど、お嬢様の魔力が強いことを示しております」
ジキスムントがアナトリアを抱き上げた。
「お、お父様!?」
「よくやったぞ、アナ! お前の魔力は、公爵家の希望だ!」
「ええ、アナ。あなたの魔力は我が家をさらに豊かにしてくれるのねえ!」
「すごいぞ! 将来は曾お爺様みたいなすごい魔法使いになるんだな!」
家族全員の笑顔。ただアナトリアだけはその笑顔に胡散臭さと、嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
※
その日から、アナトリアの日常は変わった。
帝都から魔法使いが呼ばれ、アナトリアの教育に携わることになったのだ。
僅か六歳の妖精の愛し子の話は教会を通して、都に広まっているのだとその家庭教師の魔法使いは教えてくれた。
しかしアナトリアはそんな評判のことなどどうでも良かった。
ただ逆行前、夢にまで見た魔法を習得できることが嬉しかった。
見た目は子どもでも意識は二十歳のアナトリアは、教師の言葉をすんなりと理解し、めきめきと魔法の腕前を上達させていった。
逆行前、大公家の屋敷で何十冊と魔法に関する書物を読み漁っていた効果が出たとも言える。
初級魔法を数日でマスターし、中級魔法に取りかかった。
魔法使いはそれぞれ一つの属性を得意とする。
火、水、風、土、雷、そして無属性。
無属性に関してはあらゆる魔法使いが習得できる。たとえば回復魔法や生活魔法などがこれに当たる。
自分が一体どんな属性を使えるのかワクワクしていたが、それが分かった時は微妙な気持ちになった。
雷属性。そう、それは逆行前の世界で、ルキウスが使っていたのと同じ属性だった。
五属性しかないのだからかぶることはおかしくはないが、まるで逆行前の因縁が今も残っているような気がして、手放しでは喜べなかった。
それでもアナトリアは六歳児とは思えない集中力で研鑽に励んだ。
そんなある日、アナトリアは兄と一緒に両親に呼ばれた。
「これから大公家に行く」
「え……ど、どうしてですか」
アナトリアは戸惑ったように尋ねた。
「大公様がお前の話を聞き及んでね。一目会いたいと仰るんだ。これはとても光栄なことなんだ」
「でも魔法の勉強が」
ユリナが扇であおぎながら、微笑んだ。
「アナ。そう根を詰めすぎても良くないわ。それに、魔法だけが得意というだけでは世の中を渡ってはいけないの。しっかり社交術も身につけなければね」
ここまで言われてはこれ以上の抵抗は無駄だ。
アナトリアは大公家に向かうことになってしまった。
馬車の中では正直、生きた心地がしなかった。
馬車の窓から外の景色を眺めている間に、大公家の屋敷に到着する。
両親が大公夫妻と和やかに握手をし、言葉を交わし、そして夫妻の目がアナトリアに向けられる。
逆行前の世界で怖ろしいほどの冷たい眼差しを向けられたのを昨日のことのように覚えているせいか、背筋が震えてしまう。
もちろん今の夫妻は、柔らかく人好きのするような笑顔を向けていた。
「アナ、ご挨拶を」
父に促され、
「……アナトリア・エーメレ・ユプラーシャと申します。大公様」
アナトリアは完璧なカーテシーを見せた。
「これは六歳とは思えない。妖精の愛し子というのは魔法だけでなく、人間性にも現れるのだねえ」
それはまさしくルキウスに与えられた言葉だった。
公爵家よりもずっと大きな屋敷へ案内され、応接間へ通される。
そこでお茶とお茶請けのクッキーを頂く。
一応、場の空気を壊さないように礼儀正しい子どもを演じ続けるが、内心ではとても生きた心地がしなかった。
ルキウスと会いたくない。一刻も早く帰りたくてしょうがなかった。
しばらくしてノックの音と共に、二人の少年が現れた。
最初に入ってきた赤い眼差しを見た瞬間、心臓がどきりと震えてしまう。
アナトリアの二歳上のルキウスだ。
両家出身らしいお坊ちゃんという感じだ。
その後ろにいるのが、赤毛に緑色の瞳の少年、アナトリアの一つ上のゼクス。
つり上がった目が生意気そう。
二人は礼儀正しく頭を下げ、席に着く。
「二人とも、こちらがアナトリアだ。六歳にしてすでに魔力に目覚めた妖精の愛し子だ。二人もアナトリアを見習って、早く魔力に目覚めて欲しいものだ」
アナトリアは耳を疑った。
「え……? ルキウス様は、魔力に目覚めていないのですか?」
大公は、アナトリアからの言葉に苦笑いする。
「これはなかなか手厳しいことを浴びせるねえ。他の子どもは十歳でようやく魔力が芽生えるものだからねえ。君は特別なんだよ」
両親は娘の不躾な発現を謝るが、大公夫妻は特別気分を害した様子もない。
(逆行前と違う……)
逆行前も何度か、アナトリアは子ども時代に大公家に両親と共に出かけたことがあった。
ルキウスは妖精の愛し子として中級魔法まで自由自在に操れるようになっていた。
それをアナトリアもその目で見ていた。
(どうして……?)
逆行前と違うのだろうか。
「ルキウス、ゼクス。二人とも、グレン君とアナトリア嬢を庭に連れて行ってあげなさい」
大公が不意に言った。
「はい、父上」
ルキウスは頷くと、「行きましょう」とやわらかな微笑を浮かべ、手を差し出してくる。
ここで手を取らないのはさすがに無礼に当たる。
アナトリアは内心の嫌悪を必死に押さえつけ、その手を取って部屋を出た。
公爵家の庭はやっぱり見事だ。
しかし繋いだ手が気になりすぎて、それどころではなかった。
「アナトリア嬢、魔法を使えるってどんな気分ですか?」
ルキウスが聞いてくる。
作品の続きに興味・関心を持って頂けましたら、ブクマ、★をクリックして頂けますと非常に嬉しいです。