92 : Day -35 : Shakujii-Kōen
自分の食い扶持だけ平らげると、いそがしい、と言ってさっさと立ち去ったマフユ。
むしろ内輪の話をするのに、そのほうが都合がいいという顔の面々を、サアヤが「なかよくしようよ」とたしなめている。
一方、めずらしく鳴った電話の相手と話すチューヤ。
手短に会話を済ませたところへ、サアヤが問いかける。
「どしたの?」
チューヤはさして深刻ぶるでもなく、むしろ当然のように、
「オヤジが病院、抜けだしたってさ。すぐにもどるように、伝えてくださいって」
「やっかいな親だね、子どもに迷惑かけて」
「ほんとだよ。しかし残念ながら、子どもは親を選べない」
ため息交じりに、やれやれと首を振るふたり。
彼らにとっては共通の親のようなものだ。
「そーいやサアヤ、きのうオヤジとなに話してたの?」
「ああ、チューヤの残念な出席日数や成績のこととか、あと……これに見おぼえはあるか、って写真見せられた。なんか汚れた布みたいだったけど、魔法陣みたいな形に変形されてて、ああそれたぶん学館のひとがつけてるバッジじゃないですか、って」
部室に残っていた面々の動きが止まった。
このさい舎利学館の存在は、非常に重要な焦眉の問題へ急浮上している。
漠然と「仏教」をバックとするサアヤの背後には、学館という新興宗教がいる可能性はある。だとしたら、どう接すればいいのか考え直さなければならない。
──宗教は、発生系統によって分類することができる。
静かにサアヤを見つめるヒナノ、その背後にそびえたつのは「アブラハムの宗教」。全人類の半分を支配する。
いとしげにサアヤを見つめるケートは、「ヴェーダ系」だ。インド周辺でしか信仰されないので「世界宗教」ではないが、比較宗教学的には単独で「インドの宗教」と定義され、信者数もきわめて多い(10億人)。
そしてサアヤ自身は、「非ヴェーダ系」に分類される。
いわゆる仏教、ジャイナ教などで、仏教は、本家のインドではほぼ滅びているものの、世界中に信徒がいるので、少数派とはいえ世界宗教とされる。
チューヤ、リョージは、いわゆる「土着宗教」だ。
東方を中心に栄える、道教、儒教、神道、ゾロアスター教などを含む。ヴェーダ系もある意味で土着宗教だが、系統的に区別されている。
問題なのは、新興宗教だろう。
すべての系列に多かれ少なかれ併存し、キリスト教系ならモルモン教やエホバの証人、非ヴェーダ系では創価学会、土着系なら天理教、その他では幸福の科学などがある。
一般に、カルトという言葉のイメージは、新興宗教を指す場合が多い。
──そしていま、最重要の位置を占めるのが、仏教系の新興宗教「舎利学館」だ。
釈迦の十大弟子のひとり、舎利子の名を冠した宗派で、信濃町に総本部がある。
連立与党である政党・共明党の支持母体であり、日本の政治選択に対して強い影響力をもっている。
「ウェルキエルが滅びたのは自滅に等しいものの、漁夫の利を得たのが学館の守護者である点は、問題視すべきでしょうね。命の使い道として……」
先週土曜日の顛末を思い返すヒナノ。
四谷三丁目駅を拠点とする星天使ウェルキエルは、内部抗争により、ミカエルによって討たれた。
結果、ウェルキエルに対峙して魂を奪い合っていた、信濃町駅を拠点とする仏教系の神将アニラ(風天ヴァーユ)が「親の総取り」に近い利を得ている。
神学機構にとっては自分たちが得るべき「携挙の魂」なのだが、舎利学館にとっては仏教徒が返すべき「輪廻の魂」ということになる。
自分たちが仏教代表だと自負する舎利学館を、サアヤ、なかんずくゴータマブッダがどう考えているかはわからないが──。
「命は大事だよう」
ほんわかとした口調で、サアヤは「まっとうなこと」を言う。
まちがってはいない。いや、おそろしく正しい。
それは学校の授業であり、すなわち学館の「教義」だ。
「なんか、気持ちわるいんだけど……」
チューヤの意見は、ある意味、背理法だ。
学館員が言うことは、いつも「いいこと」である。
よくないことは、口に出さずに実行する、というスタイルが励行されている。
家族が学館に連れ去られた、全財産を奪われた、などという話は当然のように巷間に流布しているが、それらは一部の信者がやりすぎただけであって、一般の学館員はみんな善人の顔をして、善行を積み重ねている、ということになっている。
われわれは、そういう宗教だからです。
表向き、にこにこ笑っている。
「個別の学館員さんは、そんなにわるいひとじゃないよう」
「サアヤ、おまえ」
一般人の目から見れば、正体の知れない、不気味な集団。
薄いパンフレットには、命を守るとか、世界を平和にするとか、自然を大切にするとか、個々の話題として逆らいようのない、だれが読んでも「いいこと」ばかりが書かれている。
事実、いいことはしている。
言い換えれば、信者に自分の正義を信じさせるために、「いいこと」の既成事実を積み重ねることが非常に重要ということだ。
「私はぜんぜん関係ないよう」
ふるふると手を振るサアヤ。アホ毛も揺れる。
「ぎりぎりお彼岸だけはお参りする、ぬるーい仏教徒だもんな、サアヤんちは」
うなずくチューヤ。もちろん全員、サアヤが危険な信者だなどとは思いもしない。
とはいえ、舎利学館という組織そのものになると、話は別だ。
彼らが変な事件を起こしたというケースは、たしかに少ない。近所でめんどうを起こしてはいけない、という連絡が徹底しているのだろう。
個別の学館員が問題を起こすことは、事実ほとんどないのだ。むしろ近所を掃除したり、地域の活動に参加したりと、「いいこと」を積み重ねている人物も多い。
彼らは、うまくやっている──。
「日本社会に、うまいこと食い込んでいるんだな」
考え込むリョージ、うなずくケート。
彼らが学館とどのようにコミットしているかはまだ不明だが、同じテーブルのゲームを進めていて、無関係でいられるはずもない。
「そーいやオヤジ、ぶつぶつ言ってたなあ。あいつらが絡むと、ほんとにやっかいだって」
先週土曜日の顛末も含めて、警察にとって宗教は取り扱い注意の「難物」だった。
いや、政治にとっても同じだろう。
フランス仕込みの政教分離をモットーとする国是では、その相互不干渉の建前が、逆に必要な捜査活動さえ妨害することもある。
「老先生の店の常連に民自党の幹部のひとがいるんだけど、共明党との連立だけは虫唾が走ってしょうがないって言ってたな」
さして興味もなげに言うリョージ。
宗教が国政に介入することに、本能的な拒否反応を示すタイプの人々は、彼らを毛嫌いしている。
が、現に一定の政治力を有してもいる。
政治にも、経済にも。
「警察関係の代議士だろ? それでたしか、公取委が動いたとか」
チューヤももちろん政治に興味ないが、警察関係の代議士の顔は何人か知っている。
「公安が取り締まるぞいいんだな?」
「公正取引委員会だよ。勝手にキナくさい話にすんな」
ボケるサアヤに、突っ込むチューヤ。
「緊急停止命令ですね。学館の出版や通販部門に打撃はあったようですが、一部のパンフレット表記が改められたくらいで、具体的に大きな被害はなかったとか」
「なんで宗教団体に公取委なのよ」
「他の部署が動きづらいからだろ。いぜんとして宗教団体は、いろいろアンタッチャブルだからな。マネーの流れから締め上げたほうが、この手の団体には効果があると踏んだのかもしれない」
政治経済にくわしい文系ヒナノからの指摘に、リョージが当然の疑問をぶつけ、ケートが類推を重ねて答える。
なかなかこなれたコンビネーションだ、とチューヤは感心しながら、
「学館の本体はどこ吹く風みたいだけど」
「一部の上級信者が贅沢できなくなった程度か」
「ふつーの学館員さんは、いいひとばかりだよー」
そもそも、そんなやっかいな世界の話に一介の高校生である自分らがかかわるのは、たいそうなお節介である、という顔で笑うサアヤ。
ケートは、ふむ、と冷静な顔で考え込んだ。
「敵の敵は味方という理屈からすれば、学館と組んだほうが当面、都合がいい可能性すらあるな」
敵の敵が何者か、あえて名指しはしない。
即座に理解したヒナノは首を振り、
「バカな。あのような、得体の知れない新興宗教と組むなど、正気の沙汰ではありません」
「もちろん、お嬢はそう言うよな。心情的には、ボクも同意だが」
「サアヤは学館の味方なんだっけ?」
「だからちがうって! 私は、みんなと仲良くしたいだけだよー」
「人生は選択の連続だぜ。みんなと仲良くなんて、できないようになってんだ」
「そのとき、だれを選ぶかって話?」
またしても、めんどうな話に収斂してきた。
先週来、この手の選択を強いられる局面が増えている。
そのたびに保留し、逃亡をくりかえしているわけだが、いつまで逃げ切れるかは定かではない。
「なんだよケート、こっち見んな」
優柔不断らしいチューヤの態度に、
「お嬢とサアヤ、どっちをとるんだって話さ。ま、答えは明白だろうけど」
いやらしく笑うケート。
「そうでしょうね。残念ながら、いえ、とくに残念ではありませんが」
肩をすくめるヒナノに、
「そういうとこにネコ好きは寄ってくるんじゃないの」
笑うリョージ。
「チューヤがどうしても、私と人生を共にしたいというなら、もちろんお断りする可能性も含めてだけど、考えてあげないでもないこともないかなあ」
おやさしいサアヤの言葉に、
「ちょっと! 勝手に話を進めないでくれる!? しかもなに、そのめんどくさい感じ!」
主体たるべきチューヤとしては、むずかしい突っ込みだった。
「だってしょせんチューヤじゃん」
「しょせんな」
「ですね」
「低っ! 俺の評価、低!」
一応、地団太を踏んでみせるが、この程度で済んでくれれば幸いだ。
まだ最終選択どころか、シナリオ分岐ですらない。
さきへ進むのは、これからだ。
めずらしく5人が同時に、国津石神井高校の門を出る。
リョージは東へ、ケートは西へ、ヒナノは南へ散って歩く。
単に家、あるいは車が近いからだが、その後ろ姿に象徴的なものを感じた。
と、そこへ白いバンが走り込んできて、あわてたように助手席から降りてくる中年男。
「たいへんだ、きみの父親が拉致された、いっしょにきてくれ、これが証拠だ」
そう言って、黒い手帳を取り出す。
男が開いて見せた表紙の裏には、警視庁刑事部と記され、父親らしい写真も貼付されていた。
「た、たいへんだよ! チューヤ、早く行かないと! ホストクラブはまたこんどでいいよ」
あわてるサアヤ。
男はバンの後部座席を開いて、早く乗るようにとうながしている。
チューヤはしばらく状況を見定めてから、歩き去っていこうとしているリョージを呼びもどした。
「どうしたよ、モメゴトか?」
なぜリョージを呼んだのか理解できない表情ながら、サアヤが代わって説明する。
「あ、リョーちん、たいへんなんだよ、チューヤのお父さんがさらわれたんだって!」
「どうした、早く乗りたまえ。友達はいい、きみだけ来てくれれば」
「そうだよチューヤ、私たちはいいから……」
男は手を伸ばし、他の面々には目もくれず、チューヤだけを連れて行こうとしている。
リョージが寄ってきたのを見て、運転席からも別の男が顔を出している。
男たちは目くばせをしたが、まだ説得して連れて行くべき状況だと判断したようだ。
「大塚のほうでね、たいへんなんだよ、ヤクザが人質を取って立てこもって、きみのお父さんが身代わりに。解放された子がこれをもって出てきたんだ」
言いながら相手の腕が自分に触れた瞬間、チューヤは言った。
「……ウソつくんじゃねえよ、悪魔が」
ふりまわしたカバンで目のまえの男をぶん殴った瞬間、周囲が境界化。
巻き込まれた異空間で、即座に本性を現す悪魔たち。
──戦闘開始だ。
このさいリョージが参加してくれたことは、大いに助けになった。
彼が速やかに運転席の男を制圧してくれなければ、車で轢かれていたおそれもある。
それなりに強い中ボスレベルの悪魔だったが、オープンスペースで自由に戦闘できたことも、速やかな勝利につながった。
バンに乗り込んでいたら、危険だっただろう。
「くそ、なぜ……」
目のまえで倒れる悪魔に、しかたなく謎解きをしてやるチューヤ。
「なぜ、じゃねえよ。オヤジは組対なんだ。刑事は黒だが、組対の捜査メモは濃紺なんだよ、そんくらいおぼえとけ」
悪魔が落とした黒い手帳を拾い、パンパンとその頬を殴りつけてやる。
警察手帳はバッジ式になったが、警察内部ではまだ「手帳」と呼ばれている。よく使われるのも、警視庁が各刑事に配布している執務手帳(捜査メモ)のほうだ。
表紙カバーは刑事部(所轄は刑事課)が黒、組対が濃紺で、大きさはそれぞれ横9センチ、縦15センチ。
管理は自己責任で、そう簡単に手放すはずのないものを証拠として突きつけられれば、ほんとうに拉致されたのではないかと考える。
が、表紙の裏に「警視庁刑事部」などと記されていることを除けば、一般の手帳となんら変わらない。偽造は容易なのだ。
「チューヤって、悪魔の誘惑には強いんだね」
一応、感心してみせるサアヤ。
「悪魔使いですから」
「これなら、わるい女にだまされないね。安心安心」
「いや、だいぶ現在進行……痛恨!」
サアヤの突っ込みは電光石火だ。
バンの内部をあさっていたリョージが、ぞろぞろと出てくる舎利学館のバッジやらパンフレットやらを指して言った。
「……学館員か。どうやら、チューヤを拉致して悪だくみする余地が、むこうにも出てきたらしいな」
チューヤはちらりとサアヤに視線を移し、
「らしいよ、サアヤさん」
「ふつーの学館員さんは、みんないーひとなんだよぅ」
ふつーではない学館が、その本性を現しつつある。




