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PanDemonicA/2 -パンデモニカ/第2部-  作者: フジキヒデキ
ダンス・ウィズ・キョンシー
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89 : Day -35 : Nishi-Ogikubo


 世界が異常な方向に転がりはじめている。

 世界中の人間が、とっくにそのことに気づいている。

 脳みそお花畑なのは、平和ボケした日本人くらいのものだ、という決まり文句は20世紀の終わりごろから、よく聞くようになった。


 謗る言葉であると同時に、一種の誉め言葉でもある。

 気づく必要のない平和な社会が、周囲に構築されていることの証左だからだ。

 現にミサイルや弾丸が飛んできている状況では、ひとは否応なくその環境に適応せざるを得ない。

 だが現に、身近に悪魔に捕食され、消滅した人間がいなければ、現実として受け入れづらいことは事実だ。


 現状、異世界線の「侵食」がもっとも遅い国、日本。

 まだ呑気に学校生活を送っている先進国は、日本だけではないが、他の国々においてはむしろ「平時を装うため」に無理やり開校している部分もなくはない。

 いつ悪魔に捕食(携挙)されるかわからない時代。

 家族と暮らすことを優先する選択肢もあっていいですよ、という姿勢に変わりつつあるのがヨーロッパだ。


 一方、日本はまだあまりにも捕食される人間の割合が少ないため、世界の動乱にキャッチアップできていない。

 わるい流れに乗っていく必要はないわけだが、それでもいずれ破滅はやってくる。

 その破滅にもっとも近い最前線で戦いながら、いぜんとして「平和ボケした高校生活」を送る者がいる。


 朝。

 地下鉄。

 通常登校時間。


「俺たちって、マジでマジメすぎるよな」


「貧乏性なんだね。だって学費払ってるんだから、行かないと損だもん」


 川の手線、右回り。

 並んで立つチューヤとサアヤ。

 それ以外のメンツはいない。


「そういう理由で登校していることを否定したいのに、お金持ちがいない……」


「ケーたんもヒナノンも、いそがしそうだもんねー」


「俺だっていそがしいわ! サアヤみたいに、ホストと遊んでる暇なんてないよ」


「おばさん助けるためでしょ! 言っとくけど協力してもらうからね、チューヤにも!」


「協力したらホストに送り迎えしてもらえるのかなー」


 と、そんな舌の根も乾かぬうち。

 地上に出て、高校までの短い道のりを歩いたさき、見えてくる高校にふさわしくない景色。

 吹け上がりのいいV8エンジンを響かせて、校門のまえに停車する──真っ赤なフェラーリ。


「緑のなかを~走り抜けて~く、真っ赤なクルマ♪」


 歌うサアヤ。

 社名は出せないNHK縛りの歌詞として有名だ。


「……送り迎え、してもらえるのか、なー」


「あれ、へらーり?」


 最近、朝、ヒナノやケートが通学電車に乗っていないことは多いので気にしていなかったが、ヒナノがこんなふうに登校してくるのを見るのは、ある意味で「似合う」。

 美しい男が丁寧に頭を下げ、助手席の縦に開いた派手なドアから、ヒナノの手を取りエスコートしている。

 遠くからそれを眺めるサアヤの表情が、一瞬、変なものを見た、というニュアンスで微妙に変化したことに、付き合いの長いチューヤだけが気づいた。


 もちろん、それを見つめる多くの生徒たちの目には、羨望と嫉妬だけが満ち満ちている。

 それらを引き受けるのが当然である、と自覚するヒナノは、慣れきった所作でカバンを受け取り、斜め後方で控える美男にはもはや一顧だにせず、まっすぐ歩き出す。

 その動作にしたがうかのように動きをとりもどす生徒たちの流れに乗って、チューヤたちと合流したヒナノは、食材のはいったトートバッグを差し出した。

 下僕根性に満ちたチューヤが、恭しくそれを受け取る。


「それでは、また放課後。ごきげんよう」


 必要最低限の言葉だけを残し、質問は許さないという態度で立ち去られると、チューヤたちもあいさつ以外の言葉を向けることができない。


「あいかわらずだねえ、ヒナノン。……ほら、これももってけ、チューキチ」


「なんで俺が……はい、謹んで運ばせていただきます」


 サアヤの分の食材も受け取り、本日の運び屋もチューヤとなった。


「ケーたんもちゃんと登校してくれればいいけど」


「ま、鍋の日だし、だいじょぶだろ。……で、なにに気づいたの、サアヤ?」


「ん? なんのことだい」


「トボけなさんな。気づいたのは、へらーり? それとも、あの男のほう?」


「ああ、うん……まあ、気のせいかな、とは思うけどね。六本木のお店で、あのひと、見たような気がするんだよね」


 突然、憤慨するチューヤ。


「お嬢がホスト狂いだとでも言いたいの!?」


 ただちに倍速で反撃するサアヤ。


「言ってないでしょそんなこと! 仮に言ったとして、なんでチューヤがそんな怒ってんの!?」


「いや、だって、ほら、そりゃ、同級生としてさ」


「このバカチン! さっさと行っちまえ!」


 沸点不明のサアヤの怒りに蹴り出され、部室棟へ向かうチューヤ。

 またしても、新たな力が蠢きだしている予感だけが、ふつふつと強まっていた。




 食材を部室の冷蔵庫に放り込んだ帰り道、文化部が朝練でもあるまいに、数少ない生徒が往来する、なにもない廊下の、なにもない平らな床面で、盛大にスッこけている女生徒に出会った。

 まるでサアヤのような派手なリアクション芸に、チューヤはしばらく周囲にカメラを探してから、しずしずと被害者へと歩み寄った。


 周囲に跳び散らかった謎の品物たち。

 拾うのを手伝おうとしたことを一瞬、後悔しかける品物だと遅まきながら気づいたが、ここまできたら引き返せない。


「ブ……部長。今回は、俺のせいじゃないよね」


「これはこれは、チューヤ部長ではないですか。お互い部長業務は大変ですぞな」


 ブブ子は立ち上がり、チューヤが拾うのを待っている。

 中谷部長がチューヤ部長に格上げされていることに気づきもせず、下僕根性に満ちた彼は、ひととおり散らばった品物を拾い集め、手わたした。


「それじゃ、俺はこれで」


「待つです。これを持っていくですよ」


 ブブ子は、一枚のわら半紙(!)にガリ版刷り(?)されたペーパーを、チューヤに手わたした。

 昭和の気配、封鎖された講堂、大学闘争の熱いピケ、謎の哀愁漂うパンフレットに書かれた檄文……らしき文字に目を落とす。


「……部長会議、イン、柿の木坂高校?」


 日付の部分に筆ペンで斜線が引かれ、翌週の日付に書き直されている。


「以前にもお知らせしたと思うのですが、今週開催の予定だった部長会議、諸般の事情で来週に変更になったです。お伝えしたですよ。それからもうひとつ、これをおたくの部活の天才にわたしてほしいです」


 べつに渡された紙は、どうやら魔法陣が描かれているらしい、わら半紙。

 魔法陣なのだが、数学らしい記述が周囲にいくつか並んでいる。

 いやな予感しかしない……。


 により、と笑って踵を返すブブ子。

 あいかわらず謎の多い女子だが、いまは彼女以外に考えることが多すぎる。

 部長会議……。

 こちらも、いやな予感しかしない単語をひとまず忘れ、教室へと向かった。




「おいチューヤ、国語のテキスト貸せ」


 普通科の教室に、特進クラスの人間がやってくることはめずらしい。

 2時間目の休み時間、チューヤはあくびをしながら顔を上げる。


「あ、おはようケート。えらいな、ちゃんと学校きたのか。ちょうどわたすものが……え? 国語?」


 特進は、難解な補助テキストを多く使用することで有名だが、基本的には他科とも共通の教科書を使用している。


「おお、あったあった。じゃ、借りてくぞ」


 机の端に出ていた国語の教科書を、強制的に接収するケート。

 チューヤはあわてて、


「あ、だめだって。それ、俺も借りたやつなんだから」


「はあ? なんて不真面目なやつだ、他人に教科書借りるとか」


「どの口が言ってるのかな……」


「ともかく、ボクはつぎの時間に必要なんだ。チューヤはそのつぎだろ。それまで貸しとけ」


「お、おいケートぉ」


 1時間後。

 特進のクラス行くのなんか気が引けるなあ、と思いながらそれでも教科書を返してもらわないことには困るので、しかたなく立ち上がろうとしたとき。

 目的の男が、むこうからやってきた。


「おい、この教科書の持ち主のところへ連れて行け」


 傲然たる、いつもどおりのケート。

 チューヤは首をかしげつつ、


「は? なんだよそれ、いいから返して」


「うるさい。キミのクラスじゃないことはわかってる」


 同じ授業で使う人間から借りることはできない。


「……ああ、1年のとき、同じクラスだったやつで、いまは隣のクラスにいるけど」


「行くぞ」


 しかたなく答えるチューヤの首根っこをつかまえ、突っ走るケートの決定論にはあらがえない。


「つぎの授業、体育だから、もういないと思うけど」


 数歩、歩きながら問題点を指摘すると、ケートは舌打ちして、


「……くそ、しかたない。昼休みにまたくる。逃がすんじゃないぞ。それまでこの教科書は預かっておく」


「お、おいおい、それはないだろ。俺がつぎの授業で使うんだって」


「証拠隠滅されたらかなわんからな」


「なんのことだよ!」


 ケートは、教科書の余白が広いページを開いて、指さした。


「まさか、これをキミが書いたわけじゃあるまい?」


 国語の教科書らしからぬ数式が、ずらずらと並んでいる。

 ケートにとっては自明、チューヤにとっては不明の記号の羅列。

 その最下層に、以下のような記述がある。

 ──の数論について真に驚くべき証明を私は発見したが、この余白はそれを記述するのに十分な広さではない。


「なるほど、ちゃんと読める字ってことは、ケートが書いたわけでもないんだね」


 そのまましっかりと教科書を握りしめ、もうわたさないぞ、という姿勢。

 ケートは軽く肩をすくめると、


「おいチューヤの嫁! こいつ逃げないように見張っとけよ、昼休みに襲撃をかける」


「なんかわからんけど、あいあいさー!」


 敬礼するサアヤ。

 教室を去るケート。

 あらためて余白を見つめるチューヤ。

 この教科書に、いったいなにが隠されているというのか……?




 チューヤが国語の教科書を借りたのは、隣のクラスの普通の男子だった。

 どう考えても、あいつがそんな天才のわけはないと思うんだが、というチューヤの見立てのとおり、たしかに彼はただの男子生徒だった。

 書き込みを見せると、彼は「塔子先生」だ、と言った。


 家庭教師をしてもらっている、現役の大学生だという。

 とある授業の日、彼が問題を解いている間、手持無沙汰だったらしい塔子先生は、国語の教科書にその落書きを残した。

 数学的な才能のある人間は、突如としてトランス状態のような沈思黙考に陥ることがある。

 その男子のまえで、難解な証明を果たしたらしい塔子先生。

 ハッと気づいて消そうとしたが、なんかカッコイイからそのままでいいですよ、という当人の承諾によって現在、国語の教科書に残ることになった。


「その家庭教師の住所はわかるか?」


 ケートの問いに、


「いや、うーん。自宅を調べるって、あんまりいいことじゃないと思うんだけど。ふつーに訊いても教えてくれないよね、たぶん」


「だろうな。まあいい、名前だけわかればじゅうぶんだ。クリスに調べさせておこう。……さて、放課後まで寝るとするか」


 ふわあ、とあくびをしながら立ち去るケート。

 取り残されるバカ男子生徒たち。


「なんだよおまえ、女子大生の家庭教師とか、うらやましすぎるんですけど」


「チューヤは嫁いんだろ」


「ちげーから、あれは!」


 なぜかパンチを出し合い、互いの身体をぶつけ合って、コミュニケーションを図る。

 げらげら笑って、カエルの尻に爆竹を挿す計画を立てるクソガキの延長線上。

 それが、この年ごろの男子というものだ。


 一方で女子は、とくに意味のないことを言って、互いの笑顔とコメントの量を計測し、精密な関係性と距離感を決定している。

 コミュニティに生きる、それが女子というものだ。

 そういう高校生の日常風景が、まだ、日本にはある──。



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