87 : Day -36 : Keikyū Kamata
「うちのリョーちん、クソつえーから! どんな相手も沈黙シリーズだから!」
セコンドで叫ぶサアヤ。
「たしかに拳法を極めたコックではあるな」
うなずくチューヤ。
「コックじゃねーよ」
しかたなく突っ込みながら戦うリョージ。
「大いなるアクション!」
右手を突き上げるサアヤ。
「セガール!」
左手を突き上げるチューヤ。
「わけわかんねー応援すんなし!」
両手で相手の攻撃を受け止めるリョージ。
先刻、ようやくチューヤのターンを切り抜け、リョージに手番がまわった。
期待と歓声に満ちて応援するチューヤたちだが、いまさらながら、バカ夫婦に応援されると、むしろ負担が増えることに気づくリョージ。
とはいえ、たしかにリョーリヤはアースコックとして紹介されている。
当人はただのコックのつもりでも、元特殊部隊で圧倒的な戦闘力をもち、理不尽なテロなどの戦いに巻き込まれて敵をボコボコにする、それが映画の主人公というものだ。
リョージはそもそも、そういう主人公の「格」をもった男だった。
「チューヤとは大ちがいだね」
的確なサアヤの指摘に、チューヤも一応は反論しておく。
「別のパターンもあっから! ふつーのひとががんばるって話も、けっこうウケるから」
「チューヤ、ふつーじゃないじゃん。鉄ヲタじゃん」
「……普通以下でスイマセンでした」
「うるせーなおまえら! カットしろチューヤ!」
リング上では、リョージがふたりがかりで攻められていた。
あわてて割り込むチューヤ。
持ち時間的に、戦いは中盤戦を迎えていた。
その後、何度かタッチがくりかえされた。
チューヤはダッドとも、ごく短く戦い、だいぶボコられた。
リョージがなんとか盛り返し、再びチューヤとタッチ。
それなりの時間も経過した。
プロレスのセオリーでは、このターンか、つぎのターンで決着、というのが暗黙の了解だ。
タニオもそれは理解している。
どうやら、あのリョージとかいう野郎を倒すのはむずかしそうだ、と考えチューヤがリングにいるうちに決着をつけよう、と決めたらしい。
最初からリョージの力量は見極めていて、ここまであまりぶつからないようにしている。
プロレスとしては、ぶつからないで済ますというのはあまりよくないのだが、タニオとしてもここは勝たなければならない、という思いが強いようだ。
しぶといチューヤに対して、かなりエグい戦い方へ移行する。
派手さはないが、致命的なダメージになりうる関節技の多用。
リング上、コントロール技術の一種である、ハンマーロック。
危険すぎるという理由で禁止されている関節技が、団体によっても異なるが、いくつかある。アームロックの多くが、これに該当する。
そこからダブルバー・ハンマーロックへ。
必要以上に我慢すると脱臼したり骨が折れる危険技だ。他の技への展開もやりやすい。
「うわあ、痛そう」
「えぐいな、タニオさん。素人相手にやる連携かよ」
たっぷりとチューヤの関節にダメージを与えてから、ターゲットを首へ。
頭に巻いていたバンダナを使った反則技で、リアルの興業でもたまに使っている。
突込絞と呼ばれる絞め技の一種、ネクタイ絞めだ。
相手は「落とし」にきている。
「ぐあ……っ、息、が……っ」
「うわあ、あれプロレス?」
サアヤがおどろくまでもなく、厳密にはプロレスとは言い難い。
わかりやすい反則技だが、それもプロレスの一部といえば一部だ。
相手の襟に見立てたバンダナを引き絞り、そのまま絞め上げる。力の入れ具合を見るかぎり、そのまま落とす勢いだ。
「おい、それは禁じ手だろタニオさん、死ぬぞ!」
言いながらカットにはいろうとするリョージの動きが止まる。
助けるまでもなく、チューヤは下半身の力で相手を転がし、一瞬ゆるんだ隙間から指を突っ込んで、頸動脈に血を流す。
生きぎたないチューヤらしい、本能的な反抗。
無理やりだが、気合いで抜けようと思えばそれしかない方法だ。
すこしおどろくリョージの横、
「ダイジョブ、チューヤはダイジョブだよ」
言うサアヤの横顔に、なぜかリョージは言い知れぬ不安のようなものを感じる。
不安を完全に覆い隠すような、彼女の確信的な「安心」は、どこからくるのか。
チューヤがレベルアップしたとき、サアヤが勝手に「体力」のパラメータを上げている、という謎のウワサが流れるほど、たしかにチューヤの体力は極度に高い。
体力とは、ひとことで言えば「殺しても死なない」能力だ。
過去の異世界線でも、先頭に立って道を切り開く体力を示した。
悪魔使いという特技を禁じられているいま、チューヤには戦う能力も知恵も魔法も、見るべきスペックはほとんどない。
が、たしかに彼は「最後まで生き残って戦線を維持する」という、悪魔使いのお手本のような成長を示している。
悪魔使いは、とにかく生きて召還を維持できれば、あとはナカマたちがなんとかしてくれる、という戦い方が基本だ。
が、今回は自力で生き残らなければならない。
体力だけで、どうにかなるのだろうか……。
「信じてるんだな」
「うん、まあ……義務だよね。死んじゃダメなんだよ、チューヤは」
「ああ……。悪魔使いは最後まで生き残って、召喚を維持しなきゃいけないとか、そういうやつか」
「ま、そういう理由もあるみたいだけど、私たちにとっては後づけもいいとこ。……チューヤは死なないんだよ。約束したから。私のまえで、ぜったい死なないって」
そこにある病的な響きに、リョージは一瞬、寒気のようなものを感じる。
──あいつはさ、家族とか友達とかが「死ぬ」ってのに、耐えられないんだよ。だから俺は、そう簡単に死ねないんだよな。
いつか、チューヤがぽつりと言っていた言葉が、リョージの脳裏をよぎる。
自分が死んだら、サアヤが壊れてしまう。だから、なるべく生きるんだと。
「そうだな。心配いらんよな。あいつは殺しても死なない体力あるし」
生き延びれば、チャンスはくる。
そうやって戦いつづけるチューヤの姿は、リョージにもある種のカタルシスをおぼえさせるほど、這い上がる「男の生きざま」が放つ光輝に満ちていた。
「しゃおら! そこだチューヤ、ぶちのめせ!」
「うぉおぉお!」
傷だらけのチューヤが、渾身の力を込めてプロレスラーの巨体を持ち上げる。
彼のターン、シンプルなボディスラムだが、心に響く衝撃があった。
「いい技だ」
「プロレスマンだな」
一部の好事家はそう評価したが、いかんせん観客は少ない。
「こんにゃろ、トーシロがぁあ!」
タニオが怒りのラリアットを繰り出す。チューヤのダメージが再び蓄積する。
サンドバッグ状態のチューヤ。
そもそもプロレスマンとしての基礎に大差がある。
死にはしないが、死にたくなるほど痛い。
それを乗り越えて戦えてこそ男、という原初的な文化は世界中にあるが、チューヤはその文化の継承者を自任したくはない、と心から思った。
瞬間、首元に殺気。
事実、まったき殺意のこもった裸締めが、チューヤの首筋を狙いすます。
反射的に肩から首に力をこめるチューヤ。
「絞め技に対する基本は、顎を絞めることだ」
リョージは言った。
かつてチューヤは、リョージとプロレスごっこ(いやらしくない意味で)をやったとき、教わったことがある。
最初はダイコク先生をはじめとするレスラーの技の解説だったのだが、その流れで一通りのことは教えてもらった。
派手ではないのですぐに忘れそうなところだが、絞め技からの抜け方、という一項目が今回、何度もチューヤを助けている。
裸締めなど窒息系の技をかけられると、素人はパニックになりがちだ。
柔道でも「絞めが怖いのは知らないから」で、「あわてずに対処」すれば問題ない、と先生が言っていた。
知っていても、じっさいにやられるとパニックになることは多い。
言い換えれば、落ち着いて、冷静に対処すれば抜けられる。
ひとつずつ、基本どおりに。
落ちたら負けだ。
苦しいのを我慢して、まず相手の腕を押し返す。
隙間をつくり、気道を確保してから、状況に応じて、腕を引いたり切ったりする。
「くっそが、ぬるぬると、オイル塗りすぎなんだよォ!」
苛立ったように叫ぶタニオの殺意から抜けるチューヤ。
ガッツポーズのサアヤに向かって引き返し、伸ばされたリョージの手をたたく。
「しゃおら! よくやったぜ、チューヤ」
「はぁ、はあ……っ、あとは、頼む、リョージ……」
「おまえがじゅうぶん、やられてくれたおかげで、オレも遠慮なく倍返しできるぜ!」
相手の技を「受ける」役は、チューヤがたっぷりとこなしてくれた。
プロレスマンとしては、こんどは「こっちの番」となる。
「いくぞおらァ!」
ダッドにタッチしようとしたタニオを引きもどし、ロープに振ってラリアットをかます。
コーナーポストにかつぎあげ、雪崩式パワースラムを決める。
華麗な空中技から、地味な関節まで、バラエティ豊かに魅せる。
「終わりだ、タニオさん!」
「くそォオ! 助けろ、ダッド!」
「うおぉお!」
「やらせねえよ!」
カットにはいろうとするダッドを、チューヤが身体を張って妨害する。
「よっしゃ、いくぞ、いま必殺の!」
「なに、くそ、うぉおぉ、やぁめろぉお!」
タニオも理解している。
この空気は、試合終了の流れだ。
リョージは絶好の空気をとらえて、相手の身体を高く放り投げた。
「オメガ、フリーフォール、エクスキューショナー、滅殺天使!」
空中でつかまえた相手の首を、ハンギングツリーの形から、回転式バックブリーカーのように背負った勢いで、たたきつける。
マンガのような必殺技だ。
ダァァアンッ!
激しい激突音とともに、リョージのファイナルムーブが炸裂。
オニのHPは0だ。
「うぉおお! オメガ……なんだって?」
「中略、滅殺天使だよ」
いまいち薄い感動で、リングサイドのサアヤが技名を略す。
レフェリーが駆け寄り、大きく両手を振る。
カンカンカンカンカン!
ゴングが鳴り響き、リョージの勝利が告げられる。
同時に、憑き物が落ちたような表情で、ダッドがリングサイドにくずおれる。
境界が薄らいでいる。
戦いは終わった──。




