82 : Day -36 : Ōmori
「だけど、いいのかな」
満員札止めの大田区総合体育館に、リョージと並んで座るのはサアヤ。
「そうそう、遠慮すべきなのはサアヤだよな」
反対の隣にはもちろんチューヤ。
「なんでよ!」
自分を心から愛しているにちがいない男たちに囲まれること、その満足すべき状況に悦に入っているサアヤとしては、できればこの位置はキープしたいところだった。
「当人がくれたんだし、いいんじゃね?」
リョージはもしゃもしゃとポップコーンを食いながら、プロレス会場という雰囲気を楽しんでいる。
「そもそもお姉さんと、お姉さんの友だちと、リョージの3人で見るつもりだったんだよな?」
「ああ、だけど姉貴が急に仕事でこれないとか言い出してさ、で、そーいやチューヤがダイコク先生の試合、観たいって言ってたって思いだして」
「電話くれたわけだ。なんて親切な友人だろう。感涙!」
「で、オマケについてきた私に、あの親切なお姉さんがチケットをわけてくれたわけだね!」
サアヤの分のチケットを買うべくダフ屋を探そうとしたとき、タイミングのいい電話がケーコにかかってきたのだった。
緊急の用事だとかで、彼女はサアヤにチケットをくれて立ち去った。
まるでわざとのようなお膳立てであった。
「ラッキー、ってことでいいのかな」
「いんじゃね。そーいや、チューヤたちとプロレス観戦すんの、はじめてだよな」
「そうだっけ?」
「いつもは男同士か、ケーたんがいるか、ってところなんでしょ」
「サアヤはいくら洗脳しても、プ女子にはなりそうにないよな」
「そうだねー。べつに、きらいじゃないけどね」
「豚に小判だ! ケーコさんに見ていただいたほうが、レスラーたちもどれほど喜んだか知れない」
「だれが豚だ! チューヤこそ、猫に真珠だろ! サアヤさんに見てもらっても、レスラーたち大歓喜に決まってじゃん」
リョージは横から聞こえるいつもの嬌声をBGMに、ひとりごちるようにつぶやく。
「ま、あのひともいろいろいそがしいし、今回の件では、ほかにも事情が絡んでるからな。むしろ、おまえらふたりがいてくれたほうが、オレにとっても都合がいい」
「え、なに?」
「いや、なんでも。とりあえず楽しんでくれよ、プロレスを」
「お、おう」
太い拳を差し出すリョージに、みずからの貧弱な拳を恥ずかしげに合わせるチューヤ。
ほんとうに、このリョージという男は、気持ちのいいナイスガイだ。
東京23国志キング・オブ・プロレス11・8のフラッグがはためいている。
23人のレスラーが集まり、10試合前後が行なわれる定番の興業だ。
14時開場、16時開始。
今回は9試合が行われ、各試合は平均10分前後で決着がつく。
入場パフォーマンスやインターバルをはさんでも、だいたい20時までには終わるので、青少年にもやさしいプログラムだ。
CS放送やネット配信はもちろん、深夜枠ではあるが民放キー局もはいっている。
チューヤたちは放送席のうしろ、なかなか高そうな座席にいた。
第1試合は60分1本勝負、ファンタジスタ・ラフマッチ。
第2試合は30分1本勝負、スペシャル・シングルマッチ。
そして第3試合に、ダイコク先生を含むタッグマッチが組まれていた。
これはリミックスマッチと呼ばれる特別試合で、所属チームに関係なくシャッフルされた選手がタッグを組み、あるいは同一チーム内で対戦するという、観客にとっては物珍しい対戦カードとなっている。
「先生が邪教と組むのか。これは見逃せないな!」
「ははは、チューヤもプロレスくわしくなったなあ」
影響されやすいチューヤとしては、第3試合が序盤の山場とみている。
なかなかいい組み合わせだが、試合順的に前座的な時間帯なので、どう楽しませてくれるか、というあたりが見どころだ。
現在、試合はオープニングファイトのさなか。
女色ボーズとファットマスクが、コミカルな動きでエンターテインメントを展開している。
プロレスのすそ野を広げる、バラエティ班によるマッチアップだ。
ぬるぬるヒップアタックと自爆ヘッドバットが激突し、両者がリング上でのたうちまわっている。
観客の拍手と笑い声。
血なまぐさいことが苦手なサアヤも、笑顔で拍手する。
「ラフマッチって、ラフなファイトかと思ったけど」
「お笑いのラフだろうな、この場合」
「プロレスって筋書きのあるコミックショーなんだね」
真相を穿つサアヤ。
八百長にもつながりかねない論理にチューヤは複雑な表情だが、リョージはすなおにうなずいた。
「いや、あれはだれが見てもコミックショーだ。もちろん真剣な格闘技でもあるけどな。相撲だって、格闘技であり、伝統芸能だろ?」
「いろんな面があるんだね! さすがリョーちん!」
もちろんサアヤも、それほど深い含意があって言っているわけではない。
「カオスなんだよ。世界ってのは。そう単純には割り切れないのさ」
「リョージの言うことももっともだけど、ケートと気が合わない理由はそのへんだろうな」
割れなければ、割り切れる「理論」を求めつづける。
それがケートの流儀だ。
「世の中みんなが、あいつみたいな天才じゃないからなあ」
「天才って生きづらいよね! その点、チューヤはボンクラでよかったねえ」
「お互いね、サアヤさん……」
そんなアホ夫婦を、ほほえましい視線で見守るリョージ。
「いや、おまえらはけっこう天才だよ。ある意味で」
チューヤとサアヤは、思わず視線をそらせ、互いに胸に手を当ててつぶやく。
「て、鉄道のことかな……」
「昭和歌謡のことかな……」
リョージは楽しそうに笑った。
「あはは。好きなものがあるってのはいいことだ」
そのとき照明が落ち、音楽が変わった。
大きすぎるBGMとともに、場内アナウンスが響きわたる。
「これより第2試合、スペシャル・シングルマッチ、30分一本勝負を行ないます」
BGMに乗って、入場選手の紹介が流れる。
第2試合は、技巧派の若手ヒール(悪役)レオポルド益子と、ベビーフェイス(善玉)らいよんはーつの試合だ。
会場は、一面に巨大ビジョンを設置、その下にステージを設け、中心にあるリングと花道でつなぐ、という形が一般的になっている。
テーマソングが鳴り響く。同時にスクリーンに映像。
「うぉおぉおーっ!」
観客の歓声はいや増す。
プログラムにも書かれているが、そんなものを見なくても多くのファンは瞬時に理解する。つぎに、だれが出てくるか。
「えーと、らいよんさん?」
イントロを知らないサアヤが、スクリーンに目を凝らす。
観客の多くが、思い思いのサインボードを掲げる。
ステージのエントランスから姿を現したレスラーが、花道に向かう。
手を伸ばす観客の手をたたき、あるいは憎悪を煽るように。
ベビーフェイスとヒールで、声援とブーイングが明確にわかれる。
賛否両論が渦巻くレスラーの場合、声援とブーイングが拮抗するのも特徴だが、それだけ人気がある証拠ともいえる。
だが基本的には、もちろん声援のほうが多い。
「テンポがよくなったな」
昔は、レスラーがリングにそろってからリングアナが順に紹介する、という流れだったが、現在のように入場シーンで代替するのは、展開をスピードアップする役に立っている。
マーチングバンドを連れて入場する、らいよんはーつ。
自分でラップをやりながら入場する、レオポルド益子。
ダンスをするとか、歌うとか、当節のプロレスラーはなんでもやらなければならないし、できなければレスラーとしての成功はむずかしい。
試合はリズミカルに進む。
リング上では、早くも激しい技の応酬がくりひろげられている。
らいよんはーつが飛ぶ。その必殺技は、フライングタイガー。
「ただのクロスチョップじゃない?」
「そうだよ!」
サアヤの突っ込みを正面から受け止めるチューヤ。
プロレスとは、そういうものだ。
ただの蹴りでも、シャイニングウィザード。
ただのラリアットでも、レインメーカー。
ただの逆エビ固めでも、ウォール・オブ・ジェリコ。
かくのごとく、技名までカッコよくなければいけない。それがプロレスである。
「リョーちんの技がファイナル中略なのとかなのもうなずけるね」
「撲殺天使だっけ?」
リョージ自身、おぼえていないらしい。
憤慨するのはチューヤ。
「忘れんなよ! バロールをぶっ倒した最終技、雪崩式オメガ・アポカリプス撲殺天使だろ! ファイナルとか、ひとかけらもねえから!」
「よくおぼえてんなあ」
「チューヤ、リョーちんのファンだからね……」
感心する内輪のリョージに、呆れる外野のサアヤ。
──やがて第2試合の決着がつく。
当然のように、善玉の勝利で終わった。
インターバルにパンフレットに目を通していたサアヤは、いまさらながらの事実に気づいて言った。
「ダイコク先生の正式リングネームって、なんかむずかしいんだね。ええと、大王……」
「大王黒獅子仮面でしょ! 通称「ダイコク」、別名「牛鬼」。フィニッシュホールドはダイコク柱ドライバー。得意技はエビ固め。英語名はMIB!」
立て板に水でまくしたてるチューヤ。
「もう、無駄にくわしいんだから……」
「獅子なのに、なんで牛鬼なんだ?」
リョージの問いに、チューヤは飛び上がった。
「知らないの!?」
「いや、すまん。レスラーごとに愛称とか通称とか、いろいろありすぎて」
「黒獅子はブラックタイガー、ブラックタイガーはクルマエビでしょ! で、和名がクルマエビ科のウシエビ! ウシエビだから牛鬼!」
「ややこしいな。そーいや試合がまったりしたとき、実況がなんかそんなこと言ってた気もすっけど」
「その、どうでもいいことよく知ってんな、みたいな目で見るのやめて!」
「リョーちんは、自分が戦うことにしか興味がないんだよね……」
サアヤは、チューヤとリョージを交互に見ながら、どっちもどっちかな、と思った。
ちなみに、ブラックタイガーは一時期、隆盛を極めたが、ウイルスなどの蔓延により、現在はバナメイエビなどにその座を譲りつつある。
そこまでの豆知識を披露できるようになれば、チューヤも一人前だ。
つぎはいよいよ彼らにとっての本番、第3試合である。




