81 : Day -36 : Ōmorimachi
「リョーちゃん、お友達?」
腰を浮かせる高校生たちを制して、その女はリョージの横に座った。
チューヤたちよりすこし年上の女子大生かOLらしい女。
化粧は薄く、プロレス会場にふさわしい健康的な若さ。チャコールのコートを脱ぐと、ジーパンとデニムシャツのラフなコーディネートが現れる。
彼女はにこやかに笑って、リョージを見つめた。うながされるように、
「ああ、紹介する。こちら、ケーコさん。──こちら、うちの部活のマブダチですわ」
互いに、わずかに腰を浮かせて頭を下げる。
うわさのプ女子というやつだろうか、と思いつつチューヤから口を開く。
「ども、こんにちは。中谷シン」
「チューヤです」
笑顔で割ってはいるリョージ。
彼は、自分の本名をおぼえているだろうか、とチューヤは衷心から注意喚起しつつ、すなおに頭を下げた。
「チューヤと呼ばれることもあります……」
「名付け親のサアヤです。よろしくです」
如才なく立ち位置をあきらかにするサアヤ。
「チューヤくんに、サアヤちゃんね! ケーコです、よろしく!」
「うちの姉貴の友達だ」
こんどはケーコのほうが、リョージの紹介に不満をおぼえたらしい。
「……そういう紹介?」
「えっと、オレのカノジョのオネーサン」
すこし考えてから、もっともストレートな言葉を選んで言い直した。
なるほど、とチューヤのなかでいくつかの情報がつながった。
チューヤは、そのことをある程度、知っていた。
だからといって、ヒナノに伝えてどうこうという考えは毛頭ない。
それ以前の問題だからだ。
ともかく、リョージにはカノジョがいる。
銀座で彼が女の子と歩いているのを、たしかに見かけた。
その時点で、それが「彼女」であると即断するのはどうかとも思うが、チューヤの目にはそうとしか見えなかった。
リョージは、とにかくモテる。
当人が、そのことにあまり意識的ではない点からしても、よけいにモテる。
彼女のひとりやふたり、いたところで不思議はない。
部活などでは、その手の話題がなぜか禁句的なあつかいになっているので、部員たちの男女関係については互いにほとんど知らないことになっているが──。
リョージの言葉に、ケーコはうれしそうに大きくうなずいた。
「うん、よし。草葉の陰で、マリも喜んでおろう」
ぴくり、とチューヤたちの脳細胞が反応した。
サアヤは「死」という連想だけで、すでに表情が暗い。
昨今、やたら「死」に近接した生活を強いられているが、本来、この年ごろの少年少女にとって、ひとの生き死になど遠い世界の話であるべきだ。
「ええと、どういう……」
「死んだ妹のね、せめて49日までは、カレシでいてもらいたいって、勝手なお願いかな」
「……その、リョージ、カノジョ、死んだの?」
チューヤの知見は、瞬時にオーバーフローした。
彼女が「いる」ことと「死んだ」ことでは、天地の差がある。
「ちょっとまえにな。だから不思議でさ、おまえ、オレが女の子と歩いてるの見たの、先々週だっけ?」
チューヤは急いで情報を整理する。
「待ってよ、そうだけど、もしかしてその彼女は」
「もう1か月くらいになりますかね、ケーコさん」
「そうだねー。まだ信じられないけど……」
しんみりするリョージとケーコ。
一方、チューヤの困惑は深まっている。そもそも、それほど多くの情報をもっているわけではないのだが、新たにぶっこまれてきた情報の質が高すぎる。
「待て待て、そのまえの段階だった。リョージ。そんなたいへんなこと、ちっとも知らなんだぞ。カノジョが死んだ? 友だちだろ、相談しろよ!」
「そうだよ、リョーちん! しかも、そんな最近……ちっとも知らなかった!」
立ち上がって憤慨する友人たちを制するように、リョージは両手を挙げる。
「ああ、まあ、抱えきれなくなったら吐き出そうと思ってたけど、なんとかなったから」
「大海のように広い器だよね、リョーちゃん。あたしなんか1週間は会社休んだよ」
「オレも休みましたよ。3日くらい」
瞬間、いくつかのパズルがチューヤの脳内でつながる。
当時、たしかにリョージにしては、変だった。
「あああ! あの金曜日か! 料理人が休んだとかで、鍋が食えんとマフユが部室で暴れた……」
「暴れたねえ。フユっち……」
「暴れたんかい。ったく、あの女は」
現場を見ずして、3人の高校生たちの脳裏には、悲惨な「暴走」「逃げてー」が想起されていた。
なぜ休んだのか? 部室では憶測ふんぷんだったが、
「暴走族と抗争して30人ほどと刺しちがえた、という風の噂だったな」
「リョーちんが休むなんて、もうそのくらいしか理由が思いつかないもんね」
「いや、その誤解は週明けに解いただろ」
1か月まえの記憶を探りながら、それぞれに過ぎ去った時間を埋めていく。
「親しい人間が死んだってことしか聞かなかったわ!」
「だよね。だから暴走族との抗争話が信憑性を増したわけだし」
「ああ……そーいや、どうでもいいから、あえて訂正しなかったんだっけ。べつにお涙頂戴の話を、おまえらに聞かせてやったところで、マリは生き返らないからな」
リョージはひとり、部員のだれにも悲哀を明かすことなく、飲み込んで過ごしていた。
漢だな、とチューヤは思った。
このあたりは、プライドの高いお嬢とも似ている。もしかしてふたりはお似合いなのか、と考えだしてチューヤは大あわてで首を振った。
……そんなことは最初から知っている。
「その、マリさん、なんで死んだの?」
「ん、まあ……」
「病気だよ。ほんとに、ただの病気」
ケーコが力なく割ってはいったが、応じるリョージの言葉には剣呑な空気がまとわりついて離れない。
「……そうなんスかね、ケーコさん。ほんとに、それで片づけて、いいんスかね」
そのとき、厳しさを増したリョージの表情に、チューヤは恐怖をおぼえた。
リョージは、ふだんはやさしく、とくに弱い者にはけっして手を出さない。
が、弱かろうが強かろうが、この男だけは怒らせてはならない、というタイプの男であることも、まちがいない。
もし、彼のこの表情の向こうに、憎むべき「敵」が存在するとしたら、そいつの命は終了したとチューヤは確信する。
「よかったら、話してくれないかな。いろいろ、もしかしたら役に立てること、あるかもしれないし。いや、傷口をえぐるつもりとか、全然ないんだけど」
慎重に言葉を選ぶチューヤ。
しばらく黙っていたリョージは、ちらりとケーコと視線を交わしてから、ゆっくりと口を開いた。
「最後に搬送されたのは、京橋にある病院だ。死ぬなんて、考えもしなかった。翌日、すべての臓器が提供されたと聞いた。……どういうことだよ、なあ?」
ぞくり、とチューヤの背中に冷たいものが走る。
いちばん悪魔が噛みつきやすい──「餌」の味が広がっている。
「ええと……ご病気で亡くなって、それで臓器提供カードで、その……べつのひとを助けるお役に立って……?」
サアヤには、うまいこと言えない。どう考えても微妙な話題なので、言い回しには気を使わざるを得ない。
要するに死んだリョージのカノジョの臓器はバラされて、それを必要としている病気の方々に配分された、という展開だろう。
──その日のうちに? すべての臓器?
「京橋は、魔人、マリアリス……。周囲には、赤おじさんベリアルと、黒おじさんネビロスがいる……」
突っ込みどころがありすぎて、別方面から掘り下げるチューヤの思考法のほうが、むしろ真相に近くすら思われた。
彼のゲーム知識を、このさいただのゲームだと片づける者は、ここにはいなかった。
「らしいな。オヤジの昔の仲間が、いろいろと調べてくれてるよ」
リョージの表情には、すでにある種の確信さえも漂っている。
まずいことになりそうだ、と思った。
宝町の魔人にはケートがかかわっているようだし、隣接する京橋にはリョージとの強い連関が示唆される。
おまえらが、呼んだ──!
ぞくり、とチューヤは全身が痙攣するのを感じた。
悪魔の世界を呼び出したのは、まさか。




