07 : Day -43 : Futako-tamagawa
「で、なんでニコタマなのよ?」
前方を歩くチューヤに、いぶかしげに問いかけるサアヤ。
「魔獣といえばケル、ケルといえばイヌ、イヌといえばネコ、おネコさまといえばフタコタマガワに決まってるでしょ!」
言いつつ、黄色い線の上を歩くチューヤ。
忘れがちだが、駅のホームを端から端に歩く、という意外にめんどうな手続きを踏むことで、チューヤは境界へ能動的にアクセスできる。
人の流れを受け止める「駅」という概念を使って、悪魔たちが人の生気=エキゾタイトを収集している、というバックグラウンドに基づいている。
乗降客を受け止めるプラットホームそのものに、魔術的な回路が組み込まれている、と考えるべきだろう。
その回路にアクセスする、悪魔使いのナノマシン。
方法は……徒歩。
小さい駅は2回往復すれば済むが、乗り入れている路線の多い駅は大変だ。
二子玉川くらいなら健康のためにちょうどいい気がするものの、新宿や上野でコレはやりたくないなあ、と内心戦々恐々としている。
「なにその4段論法」
もはや突っ込む気も萎えるサアヤ。
悪魔使いにとって、ケダモノは「魔獣」系統と相場が決まっている。
チューヤになじみの魔獣といえば、ネコ系統。
初期のパーティを支えたケットシーから、ネコマタ、センリ、バステトなど、ネコ系統の悪魔は数多い(種族・魔獣とはかぎらない)。
「よし、地下終わり。あとは東急だ」
高速エスカレーターで地上に出る。
川の手線に特有の事象として、ほぼすべての駅における乗り換えが「構内接続」となっている点が挙げられる。いちいち改札を出る必要はない、ということだ。
言い換えれば、川の手線が「既存の駅システムを流用」して、莫大なコスト削減を図っている、ともいえる。
地下鉄運営にかかる費用の「半分は駅」といわれる部分を、そのまま私鉄各社にぶん投げている川の手線の強権体質こそ、「最後の国策鉄道」と呼ばれるゆえんだ。
──二子玉川駅は、東急電鉄の所有する2面4線の高架駅である。
田園都市線と大井町線が乗り入れ、乗降客数は16万人を超える巨大ターミナル。
そこを支配する悪魔の名は。
「にゃん? よっす、チューヤ。ひさしぶり。なんか用にゃ?」
開かれた魔法陣から現れる、キャットウーマン……ネコマタ。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
ネコマタ/妖怪/G/中世/日本/民間伝承/二子玉川
「よう、ニャンコマタ。ひさしぶり、元気か?」
チューヤも最近まで愛用していたナカマである。
長命の猫が力を得て妖怪に化身した存在であり、知恵に長け人語を解する。
得た力の大小によって操る現象の規模はさまざまだが、なかには人に化けたり死者を使役したりする者もいるという。
もっともわかりやすい特徴として、尻尾が2本に分かれている。二子玉川で愛されている悪魔だ。
ネコマタは、嘗めた手で顔を拭きながら、
「ぼちぼちにゃん」
「ええと……タマさん23号かな?」
「にゃん」
「なにそれー?」
チューヤとネコマタのあいだでは通じているようだが、サアヤにはわけがわからない。
「ネコは乱婚なんだ」
数が多いので番号で区別している、ということらしい。
──ネコマタの記録として最も古いものは、藤原定家が記した『明月記』の1233年の記事とされる。
一夜に78人を食った、犬のように大きな化け物、ということだが、これは狂犬病に罹患した犬ではないか、という説が有力だ。
また兼好法師の『徒然草』にも「猫また」は出現するが、ここでも犬の見まちがい、というオチがついている。
「チューヤ、あいかわらずうまそうな名前してんね」
「チューチュー!」
「キシャー!」
ひとしきり人と猫のたわむれを展開するチューヤとネコマタ。
あきれたように眺める、イヌ派のサアヤ。
「……楽しそうだな、おまいら」
「じつに楽しい。……ところで、ちょっと訊きたいことがあるんだが、タマさん」
その場でうずくまり、ふたつに割れたしっぽの先をペロペロやっているネコマタ。
再び話しかけられて、思い出したように言った。
「そーいや、チバでヤベエ妖怪、出たってよ」
──その壮大な伏線を、チューヤは回収する機会がなければいいな、と思った。
それは妖怪にゃんこのレジェンドが、ネズミのデスティニーに食いついた話。
ネコマタの亜種らしい、それの名はチバニャン。浦安のネズミーランドで過酷な闘争をくりひろげ、いまや莫大なマネーが飛び交っているという。
「よかったね、チューヤ、東京から出られなくて」
サアヤすら察する規模のキナくささ。チューヤもごくりと息を呑み、
「う、うん。はじめて、そんな気がしたよ……」
この手のキャラクタービジネスは、大きなマネーを動かす源泉となっている。
千葉デスティニーランド。そこは東京ではないので、チューヤが関与することはないはずだ……。
現代にいたるまで利用されているネコマタが、いわゆるキャラクター化していくのは、江戸時代以降の近世になってからである。
『本朝食鑑』『大和怪異記』『安斎随筆』などに記されるところによれば、尾が二股になっているので猫またと呼ばれる、という。
以降、ネコマタは巨大なモンスターというよりは、老婆や若い女性に化けてひとをだます、キツネに近い妖怪の系譜に連なることになる。
事実、九尾の狐であるとされる玉藻前の正体を「二尾の狐」とする文献もあり、御伽草子的にはネコマタとの混同も見られる。
「野生の王国では、いろいろ噂が飛び交ってんだね」
「ケダモノの話でわかんないことあったら、うちとこ来にゃん」
言って去ろうとするネコマタを、あわてて呼び止めた。
ネコは意外に頭が弱い。さっき話したことをすぐに忘れる。
気分屋で、甘えてきたと思った数秒後には、怒って引っかいたりする。
そういうニャンコを愛する人々も、一定数いるわけだが。
「ちょっと待って。チバニャン以外に、なんかない?」
「にゃん? ああ、そういや王子のほうで……」
ごそごそと、なにやら会話するチューヤとネコマタを、すこし離れたところから眺めるサアヤ。
そもそもネコは、あまり好きではない。
イヌこそ、人類の友である、と認識している。
サアヤは頭上にいる、いまのところあまり賢そうには見えないイヌを、なんとなく撫でておいた。
ほどなく会話を終え、満足そうにうなずくチューヤ。
ネコマタはプイッと二股のしっぽを振り、魔法陣の向こうに消えていった。
境界化が解かれ、現世にもどってくる。
つぎのミッションは……。
「で、こんどはどこよ?」
ただチューヤについて歩いているだけのサアヤは、いつでも偉そうだ。
「王子って言ったでしょ」
「まさかまた遠回りしようとしてないでしょうね」
「定義によるね! 時間優先、乗り換え回数優先、距離優先、もちろん費用優先という考え方もあるけど……」
チューヤがどの選択肢をしたのか、サアヤは知りたくもない。
「はいはい、もういいから。そんで、どこへ行くって?」
どうやら田園都市線に乗るつもりのようだ、というくらいは理解している。
とりあえず、この電車が渋谷に向かう、ということも知っている。
だがそのさきのことは知らないし、知りたくもない。なぜなら知る必要がないからだ。
よって行き先表示を見上げるつもりもない。
すべては人間ナビゲーション、チューヤが知っていればいいことなのだ。
「王子だよ。どうやらマフユ絡みらしい」
ケダモノの世界にもマフユの闇は押し寄せているようだ、と頭を悩ますチューヤ。
「えー? 超田舎じゃん。高尾山にでも登るつもり?」
すっとぼけたことを言うサアヤに、チューヤは少しくおどろいた。
「それは八王子だろ。王子は北区、赤羽の近くだよ」
「ふーんだ! 赤羽なら、フユっちのホームだね。また悪さ企んでるの?」
「わからんけど、とりあえず行ってみたほうがいいだろ」
「そっかー。フユっちも、根はいい子だと……いや、思うんだけど……ね」
マフユのことを考えると、口ごもらざるを得ない。
「ま、行ってみて考えよう。……乗るぞ」
チューヤは言いながら、滑り込んできたメトロの車両に乗り込んだ。
「なんだよ東京! たまには外を走れよ、電車のくせに!」
ひさしぶりに乗った地上の電車が、すぐに地下へ潜っていくことに、サアヤはご立腹だ。
「しかたないでしょ、踏切はたいへんだし、土地がないんだから……」
そもそも乗ったのが東京メトロの車両という時点で、お察しだ。
彼らは先刻、ちょうど二子玉川に滑り込んできた急行に乗った。
東急田園都市線は、隣の用賀駅へと向かう途上で、すぐに地下へと潜る。
そのまま渋谷からさき、東京メトロ半蔵門線に直通だ。
永田町で南北線に乗り換え、王子まで。
この程度のルート検索は、チューヤにとって調べるまでもない。
一方、サアヤはケータイを開き、ソーシャルネットワークに接続する。
「これから王子行くよー、フユっちも合流するー?」
と直通チャットを飛ばすのを見て、
「王子の狐がスパイ活動に関係してるらしいって情報筋。ケートもくるか?」
チューヤも、同じく関係者であるケートに直通チャットを飛ばした。
しばらくすると、両者から「ひとりか?」と問い返されたので、顔を見合わせたチューヤとサアヤは、同時にチャットグループを組んだ。
情報が開示された瞬間、ケートとマフユからはほぼ同時に「いそがしい」と返答がきた。
メッセージはマフユのほうが1秒早かったが、退室はケートのほうが1秒早かった。
同じチャットルームにさえいたくない、ということらしい。
「もう、仲悪すぎー」
「まあ、こいつらだけはな……世界が終わってもケンカしてんだろ」
短く嘆息し、端末をポケットにもどす。
ほぼ24時間まえに見たばかりの顔だし、どうせ明日、部室で会う。
くわしい話は、そのときにすればいい。