68 : Day -37 : Kojimachi
「ごきげんよう……」
ほんとうにいやそうに、ヒナノは言った。
──ホテル中層階の廊下で、真正面からばったり。
こうなっては、ヒナノも無視するわけにいかない。
横には、ロビーで見かけた背の高い白人男性と、愛らしいクリクリ坊主、ミツヤス。
「ど、どうも、こんにちは。偶然だね。その、お嬢は、なんでここに?」
当人は意識していないが、同級生とは思えない卑屈さが垣間見える。
「伝説のアークを探しに」
「……お嬢も冗談を言うんだね」
ロイヤルアークだけに、ということか?
考えてみたが、どんな対応が正解かまったくわからない。
そんな滑稽なやり取りに、苦笑する白人。
「グードクヴェル、モケ」
「あ、ども。ぐ、ぐーてんもるげん?」
あわてて向き直るチューヤ。
「ごきげんよう、ミスター」
あまりうまくはないが、一応、日本語はできるらしい。
ヒナノからの紹介を待ったが、どうやら彼女にそのつもりはないようだ。
やむなく如才ない弟が身を乗り出し、丁寧にその輝く頭を下げる。
「おひさしぶりです、姉上のご学友殿。ワタシ弟の」
「あ、おぼえてるよ。てか、インパクトありすぎて忘れらんない。ミツヤスくんだよね。俺は中谷……」
「チューヤ殿ですな。たしか有名なニシオギのアクマツカ……」
「ミツヤス!」
姉の叱声を受け、軽く肩をすくめる。
この姉弟、やはりあまり仲はよろしくないようだな、と再確認する。
「どうぞ、ワタシのことはサンキュウとお呼びください、姉上」
「ジュニア」
白人にうながされ、姉が拒絶している紹介の労をとるミツヤス。
「こちら、姉上のご学友、チューヤ殿。こちら、国連職員は仮の姿、ワタシの守護者、ミカエル・スヴェーデンボリ殿です。以後、お見知りおきを」
ミカエル。……なるほど、と速やかに得心するチューヤ。
ヒナノにガブリエルがいるように、当然、弟のミツヤスにはミカエルがついているというわけだ。
「──それであなたは、このホテルにどんなご用で?」
割り込むヒナノの目的は、おそらく会話を終えることだ。
「ああ、なんかオヤジが、部下のひとの結婚式とかで」
「なるほど。……警察のお膝元で違法取引とは、よくもまあ」
ロイヤルアーク半蔵門と警察の関係については、ヒナノもさきほど知らされた。
彼女らしからぬ苛立たしい表情にチューヤは首をかしげるが、もちろん説明はない。
「違法……?」
「灯台下暗し、ということなのでしょう。──ご協力いただきましょうか、姉上?」
「必要ありません。彼にはレセプションの予定が」
ミツヤスの提案を、言下に否定するヒナノ。
チューヤは頭を掻きながら、
「いやー、もう披露宴どころじゃなくて、あとは勝手に帰れってオヤジも」
「午後に披露宴の組でしたね?」
ミカエルの問いに、
「ええ。けど、なんか夕方から仕事とか、お嫁さん泣いてたり、1週間休暇のはずだとか、だけど事件じゃしょうがないとか、けっこうな修羅場でしたよ」
さきほどまでの展開を思い出しながら、ぞっとしたように言うチューヤ。
ほんとにめんどくさいな、結婚って。
いや結婚関係ないけどさ……。
「事件……?」
「なんか、上のほうで警察関係者が。しかもそれ、手口が連続殺人事件ぽくて」
眉根を寄せるヒナノに、ちらり、と上層階を見やるチューヤ。
その手のいやな予感というものは、たいてい当たる。
警察官の結婚式である以上、警察のお偉方も何人か顔を出している。そのひとりが「変死」を遂げたらしい。
もちろん騒ぎになっては困るので、現状、一般客に気づかれることなく静かに動いているが。
「なるほど。警察御用達のホテルならでは動態管理というわけですね」
ミカエルはしきりに感心している。どういう思惑かは、もちろんわからない。
「発田さんはどうしたのですか?」
チューヤの左右を見わたすヒナノ。
彼の横にサアヤがいないことが、どうにも腑に落ちないという表情だ。
「ああ、サアヤは土曜、バイトだから」
「……そういえば、そうでしたね。こんなときにアルバイトとは、なんと申しますか」
呑気にもほどがあるだろう、と思ったまま罵詈雑言を吐き散らさないのが、ヒナノらしい。
「あいつにはあいつの事情があるからね」
チューヤとしては、別の女の子といっしょにいるときは、なるべくサアヤのことは思い出したくない、という謎の衝動がある。
そんな不埒な本音を見透かしたように、ミカエルが言った。
「それでは、どうでしょう。われわれは東から、マドモワゼルたちは西から、捜索のほうをお願いできれば」
「おお、じつにナイスなアイデアだ。それではチューヤ殿、姉上のこと、よろしくお願いしますぞ」
即座に乗っかるミツヤス。
ほとんど飛び上がるようにおどろくヒナノ。
「ちょ、ミカエル、ミツヤス、なにを」
「ガブリエル殿がいない以上、姉上が単独で動くのは危険すぎます。彼女が軟禁から解かれるまでは、お仲間の力はどうしても必要かと」
「な、軟禁……?」
穏やかではないワードに首をかしげるチューヤ。
ヒナノは眉根を寄せ、
「しかし……わざわざ、このような状況で動きまわる必要があるのですか? ここは一度撤収し、調べをつけてから出直したほうが……」
「それなんだけど、たぶんホテルからはしばらく、だれも出られないと思うよ。虹の橋は封鎖できなくても、ホテルくらいならできるから」
警察の内部と直結しているチューヤの発言は、現状信頼に足る。
ちなみにドラマでは封鎖できない虹の橋も、やろうと思えばできるのがホンモノの警視庁だ。
チューヤが断片的にリークする警察情報は、水面下で爾後の流れを決めさせる。
ミツヤスは、ぱちぱちと乾いた拍手をして、
「ブラーボ、やはり日本の警察は優秀ですな。ちょうどよろしいではないですか、姉上。彼には、等々力での借りを返しておかなければと、おっしゃっていたのですから」
「それは……っけれど、それを言うならあなただって小菅の」
「いや、いいよ、気にしないで、そういうの」
チューヤは日本人らしい謙譲の美徳を示したが、
「マドモワゼル。その青い血にかけて、ノブレスオブリージュをお忘れなく」
イギリス系スウェーデン人、ミカエルは静かにうながした。
──青い血。
べつにヒナノがレプティリアンであるというわけではなく、その身体に流れる「貴族の血」のことを指している。
「それでは遠慮なく、捜査活動を継続することにいたしましょう。……行こうか、ミカエル」
「イエス、ジュニア」
連れだって立ち去る、ミカエルとミツヤス。
しばらくその後ろ姿を見送っていたヒナノだったが、すぐに脳内の回線を切り替え、さばさばした表情で言った。
「それでは、こちらも動きましょう」
さきに立って、反対方向へ歩き出す。
──そもそも彼女は、ミツヤスたちとチューヤをいっしょに行動させることがいやなのであって、チューヤとふたりで行動する分には、気にしなければそれで済む。
ノーマル属性の友人といっしょに、オタク属性の仲間と行動したくない、という二面性の問題に似ているかもしれない。
チューヤは、変なことになったな、と頭を掻きながらヒナノのあとにつづく。
どうやら、もっと変なことになりそうな気配だ……。
「それでお嬢は、なんのためにこのホテルに?」
「ヴァチカンから盗まれた聖遺物をとりもどしに、です」
アークを探しに、という言葉も、まんざらウソではなかったということだ。
「それで、どんな?」
「ペテロの歯、と言われています」
「…………」
歯。
チューヤの脳内に、刑事部屋っぽい陳腐な妄想が立ち上がる。
──事件だ、白骨化している、死後約2000年、鑑識を呼べ、荒れた現場だな、歯形から身元を割れ、インターポールに照会する、DNAはとれそうか、科捜研にまわす……いや無理!
もちろん口にしたらバカにされるに決まっているので、ひとり脳内ノリツッコミで済ませておいた。
「男女の故買屋が入手したらしいという情報を得ています。──これで追います」
ふところからペンデュラムを取り出すヒナノ。
曲がり角に着くたびに、行き先を占っている。
──追跡のセオリーとして、できれば分散して追いかけたい。その意味で、チューヤと合流できたのは渡りに船ではあった。
「なるほど。──もしかして、このなかに紛れ込んでいたり?」
ほどなく、ふたりが足を止めたのは、収容人数45名ほどの中規模会議室。
どうやら海外の要人を迎えた国際会議が行われているようだ。
会議といっても儀礼的なものらしく、セキュリティのレベルもそれほど高くない。
ろくなSPもおらず、チューヤたち部外者が、出入り口の近くまで無防備に接近できている。
が、このさきには──プレッシャーを感じる。
「ここにいるとしたら、まず応援を呼んだほうが」
「もう呼びました。──はいりますよ」
ヒナノに到着を待つつもりはないらしい。
ドアはなかば開かれており、内部のようすが観察できる。
──室内は、会議というよりもパーティの様相。
欧米の要人を迎えてのいわゆるパワーランチに、儀礼的要素を多分に付け加えた、「やってもやらなくてもいい会議」の典型のようだ。
「やっぱお嬢は、こういう会場とか慣れてるのかな?」
「どういう意味ですか」
「いやー俺なんか高級ホテルとか縁がないし、地方へ遠征しても、あ、鉄道の旅でね、最近は行けないけど、たまに泊りがけで出かけることもあったんだ、けど、せいぜい駅前のビジネスホテルだから」
「そうですか」
「たまにホールとか併設されてるビジホあって、地方のおっさんとか集まって宴会やってたりするけど、ここはそういう雰囲気じゃないよね。やっぱ都会のホテルはちがうっていうか、御三家っていうの?」
「ロイヤルアークは御三家ではないでしょう。系列ではありますが。まあ名前だけ高級でも、中身が伴わなければ意味はありません。帝国ホテルにしろリッツ・カールトンにしろ」
「り、リッツ(クッキーかな)……カール(おやつがどうとかサアヤ言ってたな)……だよね、中身が大事だよね。高級ホテルのディナーパーティとか、慣れてるでしょ?」
ちなみにリッツはクラッカーだが、リッツ・カールトンにちなんで名づけられた、という脈絡は正しい。
また、クッキーやクラッカー、ビスケットの定義は、国によっても異なる。
「デビュタントはまだですが、ウィーンのオーパンバルへは毎年、足を運んでいます」
ヒナノの言うことは、あいかわらずチューヤにはまったく伝わらなかった。
オーパンバルは、ヨーロッパでもっとも格調高いダンス・パーティである。
「そ、そうなの。なんか、やっぱ世界がちがうよね。パリ出身だっけ? あ、だからお嬢はパリピなんだね!」
ピシッ、とヒナノのこめかみに血管が浮いたが、愚かなチューヤは気づかなかった。
パリピ。
チューヤの意図としては、パリのピープルくらいのニュアンスだったが、一般にはお祭り騒ぎを好む、ちょっと脳の軽いパーリーピーポーのことである。
そもそもチューヤとヒナノのあいだに、ある種の感情が芽生える可能性はかぎりなく低い。
そのことを知っていて、むしろ足蹴にされることに快感をおぼえているきらいが、チューヤには若干ある。
ヒナノ・シナリオを進めるにあたっては、深刻な現状といっていいだろう。
だからこそサアヤも「安心」しているわけだが。
そのとき、もうひとつの出入り口のほうから、ざわめきが伝わってきた。
視線を向けると、外国人の一団に取り巻かれ、なにやら説明しているホテルマン。
英語で必死に伝えようとしているが、外国人の一団はくすくすと笑っている。
「……ふざけているようには見えないけど」
眉根を寄せるチューヤは、日本人スタッフに心情的には味方している。
「ものを知らないホテルマンというだけでしょう」
一方、ヒナノは冷たい視線で、日本側の失態を見抜いている。
チューヤが、英語で書かれた式次第を見つめていると、ヒナノはそれを横から手に取り、
「どうやら、有名な方のようですね。外交団が参加するとは、首相の葬儀でもあるまいし」
「ああ、なんか海外の要人がパーティしてるって、オヤジ言ってた」
ヒナノは、式次第の「Diplomatic Corps」と書いてある部分を指し、
「外交団という意味で使う場合、複数形でも発音はコアでなければいけません。sを発音すると、死体、という意味になります」
コープス。死体。
悪魔相関プログラムが警鐘を発する。
「……なるほど。下がって、お嬢!」
鋭い攻撃が空間を切り裂く。
ナノマシンを起動し、敵をアナライズする。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
コープス/屍鬼/H/全時代/世界各地/民間伝承/亀戸水神
視線を転じると、どうやら境界化はまだらに起こっているらしい。
まだホテル自体を境界に引き込むような大ボスの気配はない。
部分的に境界化して手近の獲物を食い散らしていくやり方は、鍋を盗むような小悪党に典型的なスタイルと判断した。
エグゼ(起動)によって、戦いの準備が整う。
悪魔相関プログラムの戦闘は壮観だ。
魔力回路が魂を燃料として走りだし、境界の悪魔たちの懶惰を使嗾して蹶起する。
「エクセ」
引きつづき、美しく濁りのない発音で、ヒナノのナノマシンが起動する。
彼女は、一般人どもの慣行からエグゼンプション(免除)された、エクセプショナル(例外的)なエグゼクティブ(高級人種)だ。
その魔力は、とくに火炎属性に優れ、瞬時に死体を焼き尽くして地獄へ送り返すポテンシャルは十分。
長い戦いの火ぶたは切られた──。




