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PanDemonicA/2 -パンデモニカ/第2部-  作者: フジキヒデキ
鮮血のウェディングベル
68/93

67 : Day -37 : Hanzomon


 東京都千代田区。

 日本の中心、首都・東京。そのまた中心の、さらに中心。

 立憲君主国である日本の「君主」が住む場所の近く。


 包み込まれるようなビル街のまっただなかに立って見まわせば、唯一、東側の皇居方面の空だけが開けている。

 あとは数十階の高層ビルが天を摩して建ち並び、濁った空は細い線が組み合わされたパズルのようにしか見えない。

 まさに摩天楼。


 ──最近、単独行動が多いな。

 半蔵門駅の出口から地上の光を浴びて、チューヤはそんなことを思った。


 午前11時。

 披露宴は午後からだが、このようなめでたい席に万々が一、遅刻でもしては面目次第もござらぬので、1時間以上も早く集合した。

 正直にいえば、まっすぐ目的地に到着できる自信がないので、早めに訪れたというのがビビリの高校生の本音だ。


 もちろん地理的な話ではない。

 たとえ一度も行ったことがない駅から遠く離れた隠れ家的レストランであっても、地図さえあれば迷わず到着できる自信はある。

 問題は、レストランに到着してからだ。

 きちんと用意された席へ着けるか、高級ホテルに特有のルールは奈辺にあるか、おそらく注意すべきマナーは多数あるはず……不安は尽きない。


「どっからはいるんだろ……」


 おのぼりさんよろしく、ホテルのまわりをウロチョロするチューヤ。

 見上げれば、ホテル・ロイヤルアーク半蔵門。

 皇居の西、半蔵門駅にほど近い、警察関係者御用達のホテルだ。


 警察の本丸・桜田門から、皇居を4分の1周すればいいだけの好立地。

 本庁勤務の刑事にとっては散歩がてらに寄れる場所だから、父親が遅刻することはまずないだろうが……いや、あの仕事人間のことだから、大事な相棒の結婚式の直前まで、まさかの張り込みでもやりかねない。

 当然のように、昨夜も家には帰ってこなかった。

 いや、まさかね、わが父親ながらそこまで常識がないなんて、ありえないっしょ。


 ホテルのまわりをとりあえず2周してから、ここは徒歩の人間も入り口に使っていい玄関ですか、クルマじゃないけどはいっていいんですよね、とおっかなびっくり気配をうかがいつつ、エントランスの車寄せを横目に自動ドアをくぐる。

 ──吹き抜けのロビーはどこまでも高く、左に受付らしいカウンター。

 ええと、あのう、とスタッフに用件を申し伝えると、にこやかに案内された。


 チャペル、ガーデンテラス、儀式殿と、結婚式用の会場はいろいろと取りそろえられているらしい。

 ニッポンのケーサツのキャリア組、未来のお偉いさんが一生の記念を刻む場所は、当然のように日本式の儀式殿「慶光」。

 まだ時間があるので、記帳は「父親が来てからします」と伝え、その場を離れた。


 ネクタイをゆるめ、ついぞ締めたことのないワイシャツの上のボタンも外す。

 国津石神井高校のブレザーが、それなりに品のいいデザインであることが、一応の慰めだった。できればワッペンをつけたいところだが……。

 と、ロビーを泳いでいた目線が、ピタリと止まる。

 磨き上げられた床にヒールを響かせて歩いてくる、あの見慣れた巨乳……いや、金髪は。


「お嬢? なんでこんなところに」


 絶妙なトラフィックが絡み合う──。




 よほどきらわれているらしいな、とチューヤは再認識した。

 彼女は一瞬だけチューヤを見た……ような気がしたが、まったく反応を示さず、そのままロビーを通り過ぎて行った。

 もしかして彼女は、お嬢ではなかったのではないか?

 と自分ながら疑問を抱いたが、どう見てもアレはヒナノだった。


 追いかけようかとも思ったが、彼女は彼女で用事があってやってきたのであろうし、邪魔するのも気が引ける。

 同行している背の高い男のひとにも見おぼえがあるようでないような気がするが、すくなくとも横にいる少年は見たことがあった。

 身長の高い西洋人に連れられて歩いているのは、小菅の境界で運命の出会いを果たした神学少年。


「たしかミツヤスくん」


 ヒナノの弟、ミツヤスのほうは、完全にチューヤに気づかずに行ってしまったが、後方からでもまちがいようのないクリクリ丸坊主の後ろ頭が、とても愛らしい。

 あいさつに行くべきか、いや、でもそういう雰囲気じゃなかったしな……。


 しばらく考え込んでいると、携帯電話が鳴った。

 父親からだ。

 まさかの予想どおり、いま現場だからこれから向かう、ということだった。


 飯は食っておけ。

 勝手に動くな。

 現着は1250(ヒトニーゴーマル)


 ──言いたいことだけ言って、通話は切れた。

 直前集合かよ、と突っ込みそうになったがその暇もなかった。


 ぼんやりとロビーの椅子に座り、しばらく呆けた。

 一瞬、はるか上方から不気味な気配を感じたが、すぐに消えた。

 世界はまだ、()()()()だ。

 そう簡単に境界化などして、たまるものか……。




 チューヤは、父親が意外に人望があるらしい、ということをあらためて知った。

 披露宴中、新郎はしばしば彼の席に近寄って、親しげに話しかけた。


 たしかに「バディ」を組んでいるわけだから、それなりに親しくて当然だ。

 それにしても、もっとお偉いさんにあいさつにまわったほうがいいような気もするのだが、あまり出世に興味がないのか、そもそも媚びない性格なのか。


 チューヤは彼が「土屋さん」だということは知っていたが、結婚して「塩川さん」になるということは、はじめて知った。

 招待状インビテーションに書いてあったような気はするが、デザイン性豊かな表紙の読みづらい字体に読む気をなくしていた。


 お色直しに引っ込んだ花嫁さん。

 しばしご歓談ください、の合間に再びやってくる新郎。


「まさか、きょうも現場から直行とは思いもよりませんでしたよ。……ねえ、シンヤくん?」


 一応、父親から息子として紹介されている。

 チューヤが答えるまえに、割り込むように応じる父親。

 息子がボロクソに父親をけなすであろうことがわかっている、といった態度だ。


「俺は俺の仕事をしてるだけだ。おまえを巻き込んでるわけじゃねえ」


 そりゃそうだ、当日結婚式の新郎を現場に連れまわすバカはいないだろ、とチューヤは突っ込みたくてうずうずしていたが、らしいな、といった感じで新郎は苦笑するだけだ。

 とりあえず父親が、飯を食っておけ、と言った理由はわかった。

 皿にちんまり盛られた、いわゆるコース料理など、食った気にならない。


 それにこの手のレストランには、白金台でのいやな記憶がつきまとう。

 ろくに食べないまま、つぎつぎと片づけられていく料理に悔いはない。

 リョージの鍋のほうが、千倍うまいと思った。


「ぼくも行きたかったんですがね、上野。さすがに嫁に怒られますから」


「あたりまえだ。土屋……いや、もう塩川か」


「よかった、ちゃんと見えてますね?」


 式次第には、彼の名が「塩川」であることが示されている。

 それでも中谷が、彼の名前を正確におぼえている自信がないのは、犯人逮捕以外への興味がおそろしく薄いことを知ってるからだろう。


「目はあるからな」


 飄々と言い放つ中谷に、


「目玉焼きにも目はありますが、見えていないと思います」


 おもしろい返し方をするひとだな、とチューヤは思った。


「俺の目が目玉焼きだと言いたいのか?」


「いえ、見えるか見えないかが問題なのに、あなたの答えは、目がある、でした。お考えのとおり、目があるからといって見えているわけではありませんので」


「やかましい!」


 やや乱暴にグラスを置く父親。

 個性的なやり取りを、なかば呆けて見守るチューヤ。


 銀縁眼鏡で四角四面。正義を追求する意志は中谷に劣らないが、考え方がアスペ風。

 正義と法律の執行。どちらも向かう方向は同じだが、方法がやや異なる。

 中谷は、殺人者の罪を追求するためには他の犯罪も多少は目をつむる。

 土屋は、すべての罪を許さない。杓子定規の典型だ。

 もちろん、今回のやり取りは、さすがにわざとだと思うが……。


「あんときの倉田さんも、こういう気持ちだったのかね」


 ため息交じりにつぶやく中谷に、


「倉田さん?」


 首をかしげる土屋改め塩川。


「おまえにとっての俺みたいなもんだよ」


 言って中谷はグラスのウーロン茶を飲み干した。

 ──あらゆる業界に「先輩」がいて、後輩に技術や精神を伝えていく。そうして人類は、全体としてその性能を受け継ぎ、さらに磨き上げていく。


 チューヤは、なつかしく思い出していた。

 父親に、刑事としてのなんたるかを仕込んだという、「倉田さん」。

 もうだいぶまえに亡くなったが、チューヤにわずかなりとも正義感があるとすれば、倉田さんの影響は小さくない。


 ──お色直しを終えた新婦がもどってくる。

 披露宴もたけなわだ。




 数分後、ふらりとやってきた男には、チューヤも見おぼえがある。

 だいぶ昔に父親とバディを組んでいた、現在はかなりの出世をしたと思われる、警視庁のお偉いさん。


「よっ、中谷二世。ひさしぶり、大きくなったな」


「あ、どうも、貫地谷さん……」


 チューヤが職場の仲間と話すことを避けるかのように、中谷は会話の相手をぶんどっていく。


「おもしれえ新人を振ってくれたな、貫地谷」


「土屋か。いいだろ、似た者同士だ」


 にやりと笑う貫地谷。


「どこがだよ!?」


「キャリアだよ。おまえの好きな」


 不満げな中谷に、事実で対抗する。

 感情や縁故では崩せない、かたくななタイプの男の心も「事実」と「結果」にだけは弱い。


「なんだ、おまえに似てるってことかよ」


 土屋も、Ⅰ種合格だが現場がやりたい、という当人の希望で当面、出世コースからは外れていた。

 が、今回、政治家の血縁と結婚となると、とたんに別のコースが見えてくる。


「いや、おまえにも似てるよ」


「だから、どこがだよ!?」


「犯罪が許せないんだ。ぜったいに、犯罪者が許せない、ってよ」


 子どものような言い分だが、そのような「原理」に突き動かされる一定数が、世界中に存在する。

 彼らが徹底して貫く「正義」は、ときに不幸かつ不合理ですらある──。


「俺が許せないのはコロシだけだよ」


「だからさ。おまえはコロシを挙げるのにこだわりすぎる。警視庁として、それ以外の犯罪はOKってわけじゃないんでな」


 コロシを挙げるのに、それ以外をスルーしすぎる中谷には、すべての犯罪を許さない土屋というブレーキが必要だ。


「お目付け役は、俺じゃなくてあいつかよ」


「お互い様だよ。バランスがわるいからな、おまえらは」


「わるい同士を足したからって、バランスがとれるとはかぎらないんだぜ……」


 したたか酔っているらしい貫地谷は、にやりと笑うと、ふらつく足取りで去っていった。

 父親にもいろいろあるらしい、とチューヤはめんどくさい料理にフォークをもどしながら思った。


 そもそも結婚なんて、めんどくさいよな。

 そんなことを考えてから、負け惜しみじゃないよ、とあわてて付け足した。

 脳裏に浮かんだ女の名前については、秘密だ。



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