05 : Day -43 : Kita-ayase
日曜日の過ごし方。
おしゃれな1日にしよう、などと理想に燃えるひきこもり高校生がいるはずもないが、チューヤはそれなりに有効な過ごし方を考えていた。
路線を乗りつぶすような計画を立てることの大好きなこの手の少年にとって、相手が鉄道であろうが悪魔であろうが、ミッションコンプリートに立ち向かう熱量に変わりはない。
ナカマの性質を整える。レベルに合わせた最強の陣容に組みなおす。
そうして日曜の午前を、あちこち鉄道を乗りつぶすという趣味に走りながらも、悪魔使いとしての需要も満たして過ごす……予定だった。
「おまえ、じつは俺のストーカーだろ?」
電車に揺られながら、チューヤは言った。
「なんでよ! 日曜日を楽しく過ごしたい女子高生が、電車に乗って旅立つのは必然的必要不可欠でしょ!」
アホ毛をぶんまわして主張するサアヤが、そこにはいた。
「よく意味はわからんが、渋谷に行くなら井の頭線に乗れよ」
川の手線右回り、いつもの通学ルートに乗ったのは正しかったのか、自問自答。
「迷うと困るから、遠くへ行くときは川の手線にしとけって言ったの、チューヤでしょ!?」
「……まあ、環状線で迷うことはないだろうからな」
不必要なところで迷うサアヤにとって、永久往復運動をくりかえす井の頭線と、永久回転運動をつづける環状線は、すばらしく相性のいい鉄道路線なのだ。
「チューヤは、人生の行く先を見失った弱者みたいだね」
「弱者言うな。……そういえば、きのうはどうだった?」
婉曲に、きのう家に送り届けてからの流れを問うてみる。
チューヤの家には、怒る人間どころか人間そのものがいなかったわけだが、当然、サアヤには温かい両親と家庭があり、最近の高校生の朝帰りについて一般家庭並みに怒られたりなんだりした、と思われる。
昼間のすいた時間、めずらしくロングシートに腰掛けるチューヤ。
彼は電車で「座る」などということを極力しないタイプだが、サアヤを座らせておくためには、自分も座ったほうがいいという判断だ。
「うーん、まあ、ちょっと怒られたよ。いろいろあるからね、女の子は」
それ以上、語ろうとしないので、質問は差し控えた。
そもそもチューヤは、やっかいなことからは逃げ出すタイプの人間である。
いや、最近はそれでも強くなったので、あまり逃げることを潔しとしない思考回路も涵養されてはいる。
助けを求められれば助けないこともないが、自分からあえて「助けますよ!」と喧伝するつもりは、さらさらなかった。
「その点、俺は気楽で助かったよ。なにしろあのオヤジ……顔も忘れた」
あはは、と笑うチューヤ。
サアヤは笑わず、困ったように眉根を寄せただけだった。
電車は環状線を北へ、彼らの母校である石神井公園駅を通り過ぎた。
「学校行かないの?」
「日曜日だぞ。平日すら行かないのに、なにが悲しくて日曜に登校するんだ」
「日曜だから行くのかなと思って」
サアヤにしてはめずらしく、エッジの効いた皮肉だった。
そういえば先週か先々週か、ともかくだいぶ昔のことのように思われる過日、悪魔との過激な戦いを日曜の部室棟でくりひろげたような気が、しないでもない。
自分がどれだけの弱者であるか、思い出したくないので思い出すのをやめる。
チューヤは表情を引きつらせつつ、
「お察しのとおり、人生の方向を見失ってね」
「行き方に暮れたら占いだよね!」
打てば響くサアヤは間髪を容れず言ったが、
「行くべき場所は、けっこうあるんだよな」
逆らいたい男子の気質も持ち合わせている。
「だから占いで選べば」
「自分が行きたいだけだろ。……いやあ、迷う。一本道RPGとか、ほんと牧歌的で羨ましいね。なにも考えず、作り手の言いなりに物語を進めていけばいいだけだもの」
「さらっとディスってる?」
「いーえー! その点、シナリオのないデビル豪は、やりこみ要素満載ですよ。どこにでも自由に行って見て勝って。ルビコンわたって引き返して」
現実とのリンクが疑わしいソシャゲは、室井との接点でもあるので継続プレイ中だ。
「ゲームっていいよね、死んでもやり直せるし」
お互いに軟らかい部分を貫く論法は知っているが、必ずしもそれほど力をこめようとは思っていない。
「いやあ、どう考えても一周目で全シナリオを回収できる気がしないので、この現実にも、やりこみ要素は満載ですよぉ」
「現実は一回しかないんだよ!」
「ですよねー」
薄っぺらなサアヤの主張に、生ぬるく応答する。
物語がループする設定は、枚挙にいとまがない。
低予算の冒険活劇すら、タイムパラドックスに陥るのだ。
だからといって、現実にそれがある前提で動くわけにもいかない。
だって世界は、セーブした場所からやり直す、なんて、できないことになっているのだから……。
「北綾瀬、きたあやせ。東京メトロ千代田線は、お乗り換えです」
アナウンスを背に、ほとんど同時に立ち上がるチューヤとサアヤ。
最初から、ここで降りることは決まっていたかのようだ。
「やっぱりチューヤも、占いに頼りたいんだね!」
「じっさい役に立つ占いなら、やぶさかではない。今回は、お礼参りだよ。サアヤたちを見つけ出せたのも、足立の母のおかげだからな」
先日、訪ねた道のりをトレースする。
ほどなく目のまえに、占い館デルフォイ。
ここで再び、運命は新たな方向に転がった。
昼間はやっていない、ということを思い出したのは、占い館に着いてからだった。
だから厳重に閉じられたドアがむこうから開かれたのは、意想外の出来事だった。
そこから出てきた巨漢の正体にしても。
「ダ、ダイコク先生!?」
悲鳴のような声を張り上げるチューヤ。
まさかここで、彼に会えるとは……。
大黒政央。
通称ダイコク先生。三十代後半。
現役のプロレスラーであり、新宿区選出の都議会議員でもある。
さらに、趣味のゲーム中継を実況するヨウツーバーでもあり、3足の草鞋を履く男として知られている。
「おっと、気づかれた!」
さわやかな笑顔で応じる大黒。
「いや、だれでもわかるでしょ……」
サアヤの反応は意外に冷めている。
たしかに、この手の奇抜なマスクをかぶってシャバを歩いている人間など、東京広しといえども彼くらいのものだ。
もっとも現在かぶっているのは、リング用のフルフェイスではなく、目の部分だけが隠れる簡易マスクではあるが。
チューヤは、どうやって自分を認識してもらうか、瞬時に決めた。
「腰痛部!」
バッ、とシャツをめくりながら叫ぶ。
「お、そのベルトは、たしか限定で……」
大黒の記憶を喚起することに成功。
「スクワット! ヤァ!」
プロレスラーのルーティーンをコピー。
それを見た大黒の反応はすばやい。
「マッス(ル)、チェッ(ク)、ワン、トゥ!」
マスクマンは、交わされるスクワット数回で、相手の程度を知るという。
並んでスクワットする、引きこもり気質の男子高校生と、いい大人。
呆然とそれを眺める、ふつうの女子高生サアヤ。
まだ夢のつづきを見ているのだろうか……。
「しゃおら! どうやらお疲れ気味のようだが、まあまあ鍛えている、合格だ!」
大黒は、ぱーん、とチューヤの肩をたたき、ぐっとつかむ。
その力強さが痛くも心地よい。
「はっ! ありがとうございます!」
直立不動で礼をする。
この手のノリは、リョージから受け継いで、もはやチューヤの血肉となった。
「これからも鍛えたマッスル!」
「オフコース、マッスル! 議会が、マスクどうこう言ったところで、これはメガネだ皮膚だと言い張り、自分は死ぬまでプロレスラーであると、つねにマスクを手放さなかった、ダイコク先生の生き方、憧れマッスル!」
「心の友よ!」
がしっ、と抱き合う男たち。
「男って……」
取り残されるサアヤ。
男に対して女が不満げな理由は、たいていアホらしくて呆れているか、「そんな暇あったら私を見ろよ」だが、今回はほぼ前者であるようだ。
「で、学校はどうしたね?」
おとなの大黒は、すぐに常識人の顔をとりもどし、言った。
「はっ、本日は日曜日であります!」
制服を着ている手前、申し上げる義務を感じた。
「はっはっは、そうだったね。白泉校長によろしく!」
このとき彼が校長の名を口走った事実は重要だ。
「あの、ツブヤイターもフォローさせてもらってます。俺、中谷……えっと、チューヤです」
重要な事実に気づかないチューヤの一言。
その瞬間、大黒の動きが一瞬、緩慢になった。
何事かを思い出そうとする顔。その表情が、道路のほうに向かう。
つられるようにふりかえると、大黒の乗ってきたであろう公用車の横に、秘書らしい男が立っている。
小柄で痩せた、正直ぶさいくな男だったが、その瞳はきわめて怜悧で、目顔で大黒に何事かを伝えようとするかのような印象を受けた。
「そうか、思い出した。きみがチューヤくんか。……そう、最近の教育行政、なかんずく現役高校生の事情を知ることは、政治家にとっても大事だからね!」
ベルト当選の件などで、何度かツブヤイターでプライベートメッセージを交わした程度だが、もしかしたら秘書が代わってやっていたのかもしれない、とチューヤはおとなの思考をすることにした。
一瞬、支配する静寂。
この会合には、重要な契機がある──。