50 : Day -39 : Shakujii-Kōen
宿直室兼用務員室。
国津石神井高校の片隅に掘っ建てられた小さなプレハブには、使い込まれたコタツとミカンの詰まった箱が置かれていた。
魔法も幽霊もいない、罠でもない、こちら側の世界。
彼らは故郷をなつかしむように、四角い掘りゴタツに四つの身体を潜り込ませた。
冷えきった身体を温め、飢えた空腹に果実の恵みを送り込む。
ようやく人心地つきつつ、4人はまとめにはいる。
「オヤジ大激怒だな」
覆われた畳を一瞥し、ため息まじりにチューヤがぼそりと言った。
彼の価値観によれば、畳の下の古井戸に死体が詰まっていることは、警察に言ったほうがいい案件だ。
「あ? チクんのか、カスが?」
「チクりはしないが、そういう問題じゃねーだろ」
オドシをかけてくるマフユに、ビビりつつ応じるチューヤ。
行方不明者は行方不明であるからこそ、警察は派手に動くことができず、表向き社会はそれなりに平穏を保てる。
死体が発見されれば、ただちに一朝コトが起こる。
またしてもキープアウトのトラテープが、こんどは部室棟ではなく用務員室に張り巡らされることになるだろう。
「ゆーたらチューヤのお父さん、警視庁だもんね。なんか、かっきーよね」
気を使っているのか、サアヤが地味に話題をそらす。
「かっきくねーよ。バリバリのノンキャリだし」
ミカンを一房、口に放り込む。
一夜の空腹を満たすには不足だが、現状、手近にある食糧で満足するしかない。
「石神井公園殺人事件の犯人が息子の知り合いとか、親としちゃどうだろうな。捜査課だろ? チューヤのオヤジさん」
「それ強行特殊犯の花形一課な。ドラマの見すぎ。オヤジ、ヤクザだし」
ヤクザ担当という意味だが、文字どおりのニュアンスも地味に含んでいる。
「あたしもヤクザなオヤジをもった気持ちはわかるよ」
やや胸襟を開くマフユ。
同時に大口も開いて、みかんを丸ごと放り込んだ。
「親の義務を果たさないという意味では、うちも似たようなもんだが」
ミカンの袋の白いところを剥きながら言うケート。
鍋部の部員たちは、親のことを卑下する傾向がある。
なかでもいちばん幸せな家庭に育つサアヤが、気を使って言った。
「でも本物のヤクザじゃないよね、みんな」
「あたしの死んだオヤジは、本物のヤクザにすらなり切れない底辺のチンピラだったぜ?」
「もうフユっち、死人に鞭を打たない!」
「本物のヤクザにいちばん近いのは、うちのオヤジだな。いろんな意味で」
「一課で無茶して、海外に飛ばされて、それから四課だっけね?」
勝手知ったるチューヤの家の内実を暴露するサアヤ。
「マルボウかよ」
チッ、と吐き捨てるマフユ。
ある意味、彼女にとっては、どまんなかに敵対的な組織だ。
ヤクザ担当の警察ヤクザ、それがマルボウ。
どちらが本物のヤクザか見分けのつかないような、強面の刑事たちが所属している。
昨今、組織改編が進んではいるが、基本的に捜査一課は殺人、強盗、傷害等の「強行犯」、及び誘拐、爆破等の「特殊犯」を担当。捜査二課は贈収賄、詐欺、横領、背任等の「知能犯」を。捜査三課はひったくり、スリ、窃盗等の「盗犯」をあつかう。
そして四課が暴力団を担当、というのは犯罪サスペンス刑事ドラマの定番基礎知識となっている。
「捜四な。昔はそうだったけど改組されて、いまは暴対(暴力団対策課)だったかな。マルボウは、道府県の警察にはあるけど、警視庁にはもうない」
捜査四課「マルボウ」は、各道府県の警察本部には現存する。が、組織犯罪の強力な中心地、首都東京においては、その単純な機能では対応できなくなった。
そこで、強力な組織犯罪対策の部局が、新たに編成された。
それが、警視庁組織犯罪対策部である。
「へえ、よく知ってんな。さすが警察内部の人間」
「内部ちがう。互いに認めたくない、ただの身内」
チューヤの家庭にも問題は多い。
──2022年4月、警視庁は組織犯罪対策部(組対)を再編し、警視庁組織犯罪対策部として設置した。
警視庁から「捜四」の名称が消えたのは2003年。およそ20年間運用されたのち、犯罪収益、国際犯罪、暴力団、薬物銃器の各課に再編され、首都東京の治安維持・犯罪捜査を担っている。
チューヤの父は、このうち暴力団対策課の捜査係のひとつに属しているが、現在は各班からメンバーを選り抜いた特別捜査隊に組み込まれているらしい。
「でも本部勤務なんでしょ。すごいじゃん」
桜田門に存在する警視庁本部庁舎ほか、第10までの方面本部を持つ、首都警察MPD(Metropolitan Police Department)は巨大な組織だ。
「映画の見すぎだろ。仕事はクソ地味だぞ」
「なんの捜査してるの?」
「知らね。いまは第六方面……なんか上野のほうウロついてるらしいけど」
「悪人はどこにでもいるからな。仕事には事欠かんだろ」
一同の視線は、なぜかマフユに集まっている。
じっさい「上野」と聞いた瞬間のマフユの反応は、想像しやすい関連性をほうふつさせた。
それらを受け止め、反駁するかのように、マフユはもう一度、先刻の言葉をくりかえした。
「当人が望んだんだ。あたしは助けた。いいことだろうが、人を助けるってのはよ。なんで褒められねえんだ? あたしは当人が望むことを助けただけなんだ……!」
マフユのジレンマが、ここにある。
それを「望む」人々がいたことは、事実なのだ。
──望む男の子どもを欲するなら、あらゆる手段を行使する。
シキュウ同盟とかいう謎の組織を利用しても、先生がアイドルの精子を欲するならそれを提供してやる。
男の心を捕まえるために窃盗や虚偽が必要だったとして、彼女はそれを肯じて受け入れる。手に入れるために殺す必要があるなら、やれと勧める。
好きな男を手に入れるため、当人がそれを望んだなら、望むことをやればいいのだ。
この世に呪わしく、忌まわしい出来事が引き起こされたとして、それをもたらしたものは、なにか。
人類は冷静に、人類自身を省みなければならない。
あらゆる罪を犯しうるのは、他のどんな生物種でもない、ホモ・サピエンスなのだ。
「シキュウ同盟、か。──そろそろ吐いたらどうだ、罪深い女どもよ。人類に原罪を背負わせたことまでは許してやる、というより、よくやった。キミらが飾った嚆矢は秀逸だった、ならば掉尾はどう飾る?」
ケートの視線は、マフユと同時にサアヤの姿も捕らえている。
「シキュウ同盟の話か? サアヤ連れてったんだろうが、てめーはよ」
鍋を食ってばかりいるかと思いきや、マフユも意外に話を聞いている。
そう、シキュウ同盟には、なぜかサアヤとの関連が見え隠れするのだ。
そもそも連れて行ったケート自身、意外だったらしい。調べてみれば、なるほどわからん、ということのようだ。
「私はさ、とくにおぼえがないんだけど、むこうは私のこと知ってる感じだったよね」
「異世界線のサアヤがお得意さまだった、ってことだろ。そもそもシキュウ同盟は、繁殖と絶滅の鍵だ。属性がどうとかは関係ない。増えるか減るか、この問題については天使も悪魔も同列。使い方によって、どうとでもなる」
いくつかの組織があり、思想があり、流れがある。
すべての要素が、それぞれのプレイヤーの背後を強固に、あるいは不安定に支えている。
いつ捨て駒にされるかはわからない。
戦線から離脱すれば、そこで終わりだ。
「きさま、どこまで知ってるんだ、蛇。吐けよ」
「ああ? なんでチビに語らなきゃならねえんだ」
「じゃあサアヤに語れ」
「教えてフユっち」
「耳貸せ」
引き寄せたサアヤの耳を嘗めるマフユ。奇声を上げるサアヤ。苛立つケート。
チューヤは中間地点に立って、ため息交じりに言う。
「めんどくさいからさっさと言えよ、マフユ」
「ちっ、あたしだってよくは知らねーんだよ。ただ生き物を増やすか減らすか、生かすか殺すかって判断に、シキュウ同盟が強くコミットしてる、ってロキ兄は言ってた。あいつらはべつにどこの勢力が勝とうが負けようが関係ない、自分たちの仕事をやるだけだってな」
永世中立国のようだ。
自分自身を守り、そのうえで、たとえば金融システムの安定に注力する。自国の独立にとって必要なら、きれいなカネも汚いカネも関係ない。
「勝った勢力が増やしたい種を増やし、減らしたい種を減らすってか」
「適者生存、淘汰の歴史そのままか。ま、なんの問題もないな」
生物はつねに、生存のための資源を奪い合ってきた。
そこで勝ち残った系譜だけが、現代に残存している。
異世界線のサアヤが、どんなふうに生命の維持にこだわっていたのかはわからないが、シキュウ同盟は顧客の要請にしたがい、その生命を救い、あるいは絶滅へと導く。
「そういえば、ナミおばさんも言ってたかも。実験で千匹のマウスを殺したら、翌日に届くように千五百匹のマウスを発注すればいいじゃない、って」
「それ話ちがうだろ、サアヤ」
「いや、そういうことだ。結局、どいつもこいつも自分の仕事をやっているだけなのさ。問題は、その仕事が破滅的すぎる場合だけだ」
再び一同の視線がマフユに集まる。
「なんだよ。やってるのはロキ兄だ。あたしには関係ねえ」
「いいや、あるね。このさいダークウェブが、いちばんやっかいだ」
ダークウェブ。
これがまさに、マフユの暗黒面を強固に支える最後の砦だった。
いずれ発展した人工知能が、人類を滅ぼす、という使い古されたリテールがある。
市場に氾濫し、だれもが食傷気味の品目だ。
もちろん正しい使い方をすればそんなことにはならない、と多くの人々が保証してくれている。
現にケートも多くの人工知能モジュールを使い倒しているが、つねに警戒しなければならない獅子身中の虫として、ダークウェブの存在を無視するわけにはいかない。
「シキュウ同盟は生命の生存と絶滅に、強力にコミットしている。その選択をするのは、だれだ? すくなくとも、いちばん関係しちゃいけないのが、おまえらだ。蛇女、おまえらダークサイドにだけは、生き死にの決定を任せるわけにいかない」
なぜなら、彼らは必ずや絶滅をオファーするだろうからだ。
「そういえば、おかしなこと言ってたよな、マフユ。どうせ滅ぶとか……」
「核ミサイルでも落とすつもりか?」
「そんな必要はねえよ。人類を滅ぼすなんて簡単だろうが」
絶滅は、生きているその種を全部、殺すまでもない。
あまたの絶滅生物を見れば、よくわかる。
ある程度まで減らし、その生存圏をバラバラに分断してしまえば、健康な繁殖が不可能になり、自然に滅亡する。
同じことは、人間についても適応できる。
50年か100年、彼らの首を軽く締め上げてみればいい。
人口激減シナリオは、いくらでも思い浮かぶ。
殺戮的な手段を選択する理由など、すこしもない。
気の利いた人工知能が、人類はもういらないと決めたら、ひとりも殺す必要はない。
繁殖を許さず、ただ100年待てばいいだけだ。
彼らは勝手に消え去るだろう。
繁殖、停止。
そんなプログラムを組んで、人類という長大なソースコードに、パッチとして当ててみたら、どうだろう?
人類が、他の多くの生物種に対して行使してきたのと同じ結果が出る。
「やはりきさまが、いちばんタチがわるい。盗賊団の蛇一味めが」
「だれが盗賊団だ。いいか、盗まれるやつがわるいんだ。自分の持ち物に注意を払っていないということだからな」
「ちょっとフユっち……」
眉根を寄せるサアヤ。
だれもがマフユを弾劾する論法をもっている。
「じゃあ夜道を歩いていた少女が犯されても、文句は言えんのだな!」
「たとえばおまえが、いま、あたしに殺されたとしたら、自分の身を守れないおまえがわるいんだぜ?」
「す、すいません」
弱いチューヤ。
苛立ってコタツをたたくケート。
「謝るなチューヤ! それがおまえらの本質だ、蛇。ある意味、突き抜けていて気持ちがいいくらいだが、もちろん認めるわけにはいかない」
「だから最初からずっと言ってるじゃねえか。認めてくれなんて、毛ほども思ってねえよ。──あーあ、腹減ったな。牛丼でも食って帰っか」
ミカン箱に可食残存数0を確認し、マフユはふらりと立ち上がった。
だれも彼女を止める言葉をもたない。
あらゆる属性と同様、ダークサイドとは、おそろしく身近に存在する──。




