04 : Day -44 : Kamata
「どういうことなの、お菓子おねーさん?」
チューヤの問いは、テーブルでふつうに食事をつづけている3人の女に向けられている。
「ま、一種の告知と言いますか、警告といいますか、宣戦布告といいますか」
ラキシスの表情は変わらない。
「どんどん激しくなってんスけど」
早くもそのさきを聞くのが怖くなる小市民。
「あたしらは、けっこう人類のためにやってるよね、ラキシス」
黒イモリのようなものを口にするクロト。
「そうですね。どの範囲の人類を指すか、という問題はありますが」
杏仁豆腐を流し込むラキシス。
「お酒をつくってくれる人々は、つねに正義です。ごっつぁん」
アトロポスが紹興酒を注ぎ足した。
仲良く食事と飲酒に明け暮れる三姉妹。
もちろん、こんな通り一遍のやり取りで満足するわけにはいかない。
「先生とルイさんが親しいのは、その賭けの胴元ってことなのか? そもそもなんなんだよ、人類の魂を賭けるとかなんとか」
話が壮大すぎて、リョージにも継ぐ言葉が見当たらない。
ただ、彼はたしかに原始時代で見たのだ。
あれがそうだとするならだが、太古のジャバザコクで見た4体の「原初神」のうち、2体は、たしかに「老先生」と「ルイさん」に酷似していた。
同じものをチューヤも見ているから、その連続性は理解できる。
太上老君とルシファーの関係性は、掘り下げる必要があるだろう。
ラキシスは行儀よく、小籠包に自前のチョコレートを垂らして頬張りながら、
「あまりくわしくは言えません、どうやら禁則事項らしいのでね。ともかく、あの契約書には、とても価値がある」
「いい仕事したわよね、美少女怪盗三姉妹」
かっこはぁと、の口調で宣うクロト。
「姉さんは美少女じゃないでしょ」
突っ込むアトロポスと、言い争うクロト。
チューヤはラキシスに向けて問う。
「それって、もしかしてジャバザコクで」
ラキシスはうなずき、
「いい道案内でした。おかげで契約書の内容から、いろいろと理解が進みましたよ」
「あとで先生に怒られるんじゃねーかな、オレ」
リョージとしては、敵に手を貸した形となる。
「まあ、あなたはただ利用されただけですが、その不用心を責められることはあるかもしれませんね」
あくまで他人事のラキシス。
しばらく、黙々とつづく食事。
しばしば「泥姉妹」と呼ばれる三人は、こうして見るとただの人間でしかない。
恋愛の「泥沼」がお好みの長女、お菓子な「泥虫」と戯れる次女、そしていつも「泥酔」している三女。
どういうふうに質問すればいいのか、ずっと考えつづけていたチューヤは、結局いい方法を思いつかなかった。
「で、どうすんの」
「どう、とは?」
投げっぱなしのチューヤの質問に、丸投げ返すラキシス。
「ええと……つまり、ラスボス級にケンカ売ったんだろ? ルシファーと、太上老君か。ゲーマーにわかりやすくいえば、レベル99のボスに、40そこそこのキャラがタンカ切った状態?」
「わかりやすいですね。まあ、否定はしません」
状況の困難さに比して、その笑いは不敵。
ラキシスが持ち上げた手のなかには、まだジェリービーンのような緑の泥虫がいた。
もちろん他人には見えないが、ナノマシンを内包したチューヤたちには見える。
先刻、魂を食われた客たちも、時間の流れがもどると、どこか疲れた表情ではあったが、ふつうに行動しそのまま退店していった。
その寿命のほとんどを喰い尽くされた状態で──。
むしゃむしゃと、手近のデータを食い、魂の時間を消費していく泥虫。
この虫たちの方向性のない力を、束ねることができれば最強だろう。
だが事実上、そんなことは不可能だから、虫は虫として地を這っている。
この魂というエサたちを、古の神々はいかなるギャンブルのテーブルに載せたのか。
「契約書自体はジャバザコックにあります。あちらのお姉さまが、しっかりと保管なさっているはずです」
ラキシスの指さした場所には、チューヤが気にしていた、樽のように太った女。
ぎくり、と背筋をふるわせるチューヤ。
いつもそこにいるようで、見つけようとするといない。
努力して思い出そうとすると、芋づる式に掘り返されてくる記憶。
太古の世界でも、白金台のレストランでも、たしかに彼女は悪魔たちのなかに居並び、あるいは客として食事をしていた──。
「何者?」
「皇太后陛下ですよ。くれぐれもご無礼のないように」
視線を合わせないように会釈するラキシス。
リョージだけは無遠慮にそちらを一瞥してから、
「ジャバザコクの女王さま? てことは、港のチャカコ……」
「いいえ、その上に立たれているお方です。隠居の身ゆえ、比較的ご自由に散策なされているようですね」
首を振るラキシス。
チューヤがもう一度、そちらに視線を向けると、もう彼女の姿はなくなっていた。
あれだけの巨体であるにもかかわらず、神出鬼没に現れたり消えたりする、遮光器土偶のような女。
──彼女も原初神なのだという。
「邪馬座国は関東にあった! 女王・卑弥呼は縄文人だった!」
「ケートの『ヌー』の珍説が、勝利を飾ったわけかい」
あおるチューヤに、嘆息するリョージ。
そもそも、関東に古代王国があっても、べつにおかしな話ではない。
1万年以上まえから人が住んでいたことは事実であり、それがどういう〝国〟をつくっていたかという点に諸説があるのは、むしろ当然だ。
「人類をどうするか。増やすのか、滅ぼすのか。要するにそういう賭けです」
淡々と言うラキシス。
──神々の遊び。
あらためてその言葉が脳裏をよぎった。
人間はすばらしいもの。生かすべきもの。増やすべきもの。地上を支配すべきもの。
否。人間は邪悪なもの。死すべきもの。減らすべきもの。地上から追い払うべきもの。
昔からくりかえされてきた思考の堂々巡りは、頭のいい人々によって考え尽くされてもいる。
それでも変わらない世界に向けて、ため息しか残らないという時代を、神々は長く暮らしてきた。
すくなくとも現初神と呼ばれる幾柱かの存在は、三歩進んで二歩下がる人類の歩みに、長らくやきもきしてきたのだという。
そのような短い時間でいらだつなど、愚かしいとハルキゲニアなら言うだろう。
地質時間にいわせれば、人類の右往左往など、ため息の刹那に等しい。
仏陀、ツァラトゥストラの永劫回帰に比べれば、千年後の国家を経略する、という太上老君の中華思想すら浅薄だ。
さらに唯一神の「たったの千年」王国においてをや。
どれだけターゲットがピンポイントであるか透けて見えるが、そのぶん狙われた愚民への感染力のすさまじさは歴史が証明している。
むしろタイムスパンが短いほうが、その短命をいかんなく集約できるかのようだ。
その理屈でいえば短命である神学機構は、短い命を燃やし尽くすべく、強力な軍勢で東京への進軍を果たそうとしている。
──突如として、チューヤの脳裏に流れ込んでくる情報の濁流。
泥虫のしわざだ、と理解した。
いや、あるいはそれはただのきっかけにすぎなくて、ジャバザコクのジャミラコワイ先生が更新したバージョン情報かもしれないし、そもそも経験と類推から十二分に認知しうる「事実」から単に逃げているだけの、臆病な男子高校生の姿が浮き彫りになっているだけなのかもしれない。
見透かしたように笑うラキシス。
「神々の遊びには、12の原初神のほとんどが関与しています。しかし、このゲームを真に左右できるのは、かの神のもとに集う兵士だけでしょう。神学機構──唯一神の軍勢に、お気をつけなさい。あれらこそが、直近の最強です。たった千年の王国のために、地球を売り払っても悔いはない。そういう集団なのです」
お嬢に気をつけろ、とケートもよく言っている。
この世界の主人公はヒナノだと、どこかのだれかも言っていた。
言われるまま、チューヤは脳内に天使の軍勢の勢力図を想起してみる。
国家の中枢と湾岸の要衝が、天使たちに押さえられている。
しょせんゲームの情報だなどと侮る気持ちは、もはや皆無だ。
この布陣に沿って、天使たち、悪魔たちは遠大な計略を練っている。
「永田町、霞ケ関にくさびを打ち込んでおいて、辰巳、木場の湾岸線から本土攻撃の準備中、って見えるなたしかに」
「あなたの好きな女子の背中を追いかければ、その軍勢の一員になって、彼女としあわせな生活を送れるとは思いませんか?」
チューヤは一瞬せき込んで、リョージを見てから、
「軍勢の一員にはなれるだろうけど、そのあとの想像については楽観的になれないな」
「破滅の闇は、東京の北の方で口を開けています。宇宙は虚無に向かってずり落ちていく。揺るぎないその流れに身を任せるのも、ひとつの選択肢でしょう」
「マフユのことはサアヤに任せるよ」
チューヤは理解している。
自分が中間に立っていること。
だからこそ「現在」無属性のラキシスと、こうして会話ができているということ。
「そんなことより、あんたのバックはなんなんだ?」
リョージが口火を切ってくれたおかげで、ようやくチューヤもその点、気がついた。
「そうだ、たしかボスがどうとか言ってたよな」
ラキシスは、まんざらバカでもないようだな、とリョージに視線を転じ、
「もちろん、この世界には多くの勢力が併存しています。わたしたちのボスがどこにいるかは……そう、あなたの悪魔全書をよく見れば、理解できるはずですよ」
チューヤに視線を移し、説明するまでもない、と切り捨てた。
たしかに、悪魔のデータには「系統」があって、中華系やインド系、唯一神系など、出自がはっきりとした悪魔のほうが多い。
時の女神は旧世界、おそらくギリシャ・ローマ神話系だろう。
彼女らの思惑はよくわからないが、こうして無遠慮に隣に座っている以上、
「敵ってわけじゃ、ないよな?」
臆病と保身に満ちたチューヤの問いに、
「時は万物に平等です」
表情も変えず答える女神たち。
時の女神は、「時」という別の次元に立っている。
だから味方ではないが、敵にもならない……と思われる。
ときには今回のように、利用されることはあるかもしれない。
だが、どこの属性にも偏らない「時」という永劫の存在であるからこそ、さまざまな属性との関係を客観視して、選択肢を示すことができるのではないか。
「あとは右手を選ぶか、左手を選ぶか、ですね」
それがリョージとケートを暗示していることに、チューヤはすぐに気づいた。
ちらりと、隣に立つリョージを一瞥し、
「選ばなきゃいけないの?」
「そうですね。どこかのゲームデザイナーであれば、これが正規ルート! と叫んで、それ以外のシナリオを閑却します。まともな人間は、そのあいまいな〝絆〟に縋っておけばいいんだ、これが正解なんだ、というわけです」
「室井さんか、あんた」
「べつに、まちがいではないでしょう。それしかないかのように表現するから、違和感が残るだけです。あなたがそれを選んでも、それはひとつの答えとして、否定されるべきものではありません」
真剣に考えようとはしたが、すぐ目のまえに見つけた安直な言葉に、思わずすがりついてしまうのはしかたない。
そもそもここには片方の当事者であるリョージがいるのだし、決断は時と場所を選ぶ必要がある、というエクスキューズも忘れない。
「……ちゃんと選ぶよ、そのときがくれば。ただそれは、いまじゃない」
「けっこう。──安心なさい、わたしたちはあなたを、すこし気に入っています」
時の3女神がチューヤに近づくことには、それなりの理由がある。
時の女神と鉄道は、非常に親和性が高いのだ。
相「通じ」ているといってもいい。
日本人は時間に正確だ、と世界でも評判だが、その原因は鉄道に起因する。
かつて日本で使用されていた時刻は、「明け六つ」や「暮れ六つ」に代表される不定時法であり、寺の鐘で刻限を知るという程度のあいまいな時間感覚のなかで暮らしていた。
現在「沖縄時間」と呼ばれるような、ざっくりとした感覚に近い。
適当、いいかげん、ナンクルナイサーの世界であり、そんな沖縄には永らく鉄道は存在しなかった。
そんな日本人を、よりキッチリとした時間感覚で生きる国民に変えたのが、現在、網の目のように国土を満たす「鉄道」だった。
日本の鉄道が開通したのは、グレゴリオ暦1872年10月14日。
季節によって変わる不定時法を、1日を24時間に分け、1時間を60分に分ける、という現在の時制に切り替えなければ、鉄道は運行できなかった。
改革は一挙に進んだ。鉄道開通の同年、12月3日を明治6年1月1日とする、という太陽暦への移行が強行された。
圧倒的な変革と速度。
1日の基本となる時間の概念がまったく変わってしまったばかりか、時計の文字盤もすべて変わり、突然、それをおぼえて使用しろと強制された。
その教育の場となった、鉄道、そして軍隊。
欧米流の時間感覚を、ごく短時間に習得するためには、このような劇的な制度変更が必要だった。
──そうして日本人はそれをやり遂げ、ここまでの鉄ヲタまで育て上げた。
「鉄の輪の名に懸けて」
「遠く、時刻表の接するところで、また会いましょう」
なにげに共通理解の視線を交わす、チューヤと時の女神たち。
彼女らの紡ぐ糸は、どこに向かうのか──。