40 : Day -40 : Hikarigaoka
「知りたいなら、教えてあげるですよ?」
聞いたことのある声に、ふりかえる。
「ブブ子か」
ペッと唾を吐くマフユ。
一瞬、険悪な空気になりかけたが、
「……きょうのところは、無駄に絡むつもりはないですよ。ぼくが味方であることを、知っておいてほしいだけなので」
ブブ子は、とくにチューヤに対して親しげだった。
オタ階層は、チューヤのような種族でも対等に話せる、数少ない女子である。
最近のチューヤは、サアヤのおかげで「一般」階級に分類されることが多いものの、引きこもりのうえに鉄ヲタという悪条件は、容易にこの階層から転がり落とす。
中間層と底辺の境界に暮らす男、それがチューヤだ。
その点も踏まえた「仲間意識」かな、と考えてみたが、あまり合理的推論ではないような気がした。
ほどなく彼らは、ブブ子に連れられる形で数理部へともどった。
問題の解決には、根源となる場所にもどるべきだ、という理屈には一理ある。
が、足を踏み入れたのは、その隣、オカルト部(同好会)の部室だった。
ブブ子がヘゲモニーをとっている以上、妥当な流れではある。
──部室には古いテレビがあり、ビデオがセットされていた。
謎解きが、開始される。
「先週からの出来事が、全部記録されているですよ」
再生ボタンを押すブブ子に、舌打ちするマフユ。
「盗撮かよ、趣味わりいな」
「警戒と予防のためですよ」
それなら自分たちの部室を撮るべきだと思われるが、チューヤが見たところそれは、
「なんで隣の部屋が?」
「世の中には、知るべきことと、知らなくていいことがあるですよ。……まったく、けしからんビデオですよ」
ビデオでは、数理部の男子生徒と、商業科の女子生徒らしい男女が、絡み合っている。
場所は数理部の部室だ。
「プライバシーだよ! そういう覗きはよくないよ!」
サアヤのきれいごとを受けてでもあるまいが、ブブ子はビデオを早送りする。
──行き過ぎたらしい。
画面には、悲惨な状況に「裏返った」死体が大写しされた。
「うえっ」
「だからさ、これ、もう警察案件だろ」
目を背けるサアヤに、ケートも軽く嘔吐く。
スプラッタには比較的慣れているチューヤをして、
「俺も最初から思ってるんだが……なんで警察に見せなかったんだ? ブ……部長」
「死体がなければ、事件にならないからですよ。そんなこと、中谷くんなら先刻承知のはずですよ?」
ブブ子の答えは、どこかズレている。
しかし、それもそうなのだ。
異世界線の「侵食」は、こちら側に「死体」を残さない。
ビデオのような物的証拠があるならともかく、そうでなければただの行方不明事件として片づけられてしまう。
さいわい(?)前回の数理部の事件は、大量の出血など、あきらかに「事件性」が見られたため、警察が介入して初動を行なったわけだが、その後、捜査は進展せず、おそらく「お宮入り」ということになるだろう。
「悠長なもんだな、日本の警察も」
「だから死体を消すんだよ、玄人は」
ケートとマフユが、期せずしてチューヤを見た。
「ちょっと! なんかわかんないけど、こっち見ないでくれる!?」
「空間の裂け目を抜けて、この世を乗っ取るために悪魔が現れたですよ。ぼくたちが次元の扉を開けてしまったですよ」
ブブ子もまっすぐ彼を見つめて言った。
なぜか自分の責任のような気がして、チューヤは弱々しく反論を試みる。
「いや、開けたのは俺たちじゃないだろ」
「……ちがうですよ。ぼくたちが、彼らを呼んだですよ」
ぞくりとふるえる。──また、その言葉。
「どういうことなんだ」
「ぼくたちは、あの世界を使いすぎたですよ。お互い様に、もううんざりなのですよ」
たゆん、たゆん、と壁が揺れていることに、チューヤは気づいた。
全員、臨戦態勢を整える。
揺れているように見えた壁は、無数に這いまわる虫のようだと気づく。その虫は、部屋の隅にあるアリ塚のような構造物から這い出していた。
「ブ……」
チューヤにブブチョウを言わせるまえに、
「心配しなくても、攻撃はしてこないですよ。ぼくは、この虫に巣を貸してやってる大家なので」
「この虫は……」
チューヤには見おぼえがある。
「ウブという妖虫ですよ。ここから、いろんな部室に巣を張り巡らしているので、中谷くんたちも、おなじみさんかもしれないですよ」
アルケニー先生と戦ったとき、敵の強力なバックアッパーとして活躍してくれた悪魔だ。
なるほど、ここに巣を張っていたと……。
そのとき、ガルルル、とサアヤの頭上で犬が威嚇音を発した。
ひさしぶりにケルベロスが自己主張をしている。
「そうですよ。この部屋が、犬を殺したですよ」
「聞き捨てならないんですけど」
くふふ、と笑うブブ子に、ケルベロスの頭を押さえつつ警戒するサアヤ。
「猫や鳥や猿も、殺そうとしてるですよ」
「……なんかの冗談? それとも比喩?」
笑みを深めるブブ子に、チューヤも警戒の度を増す。
「人間、知らなくてもいいことというのが、ちょいちょいあるもんですよ。もちろん、知っていたほうがいいこともあるですが」
ブブ子は言って、ポケットからなにかを取り出した。
一瞬、動きを止める一同。
その「モノ」に、だれもが見おぼえがある。
「……デメトリクス」
「カプセル」
とっくに気づいていたことだが、もちろん彼女も「悪魔」の関係者だ。
ただ支配されているだけか、それとも主体的か、その他の事情があるのか、くわしいことはまだわからないが、当然、デメトリクス・カプセルによって「強化」を受けているはずだ。
まだ彼女がどのタイプの保因者かはわからないが、チューヤの予感だと、タイプRらしい。
マフユと同じ「ニオイ」がする……。
ブブブブ……と、ハエが羽ばたくような音が、どこかから聞こえた。
「そうですよ。中谷くんのデヴコとは、発現がちょっとちがうですが、モノは同じですよ」
「でぶ?」
「でぶならー、ハニワがー、有田焼になれるですよー、フォッフォッ……って、なにやらせるですか!?」
ひとりボケ突っ込むブブ子。
ブブ子はどうやら昭和のCMにくわしいらしい、と察知したサアヤが、やや警戒心をゆるめた。だれにもわからない元ネタを拾えるのは、彼女だけだ。
昭和の歌娘は、昭和の香りのするものに対して一律、心を開く傾向がある。
「デヴィル・コーデックのことか?」
プログラムに関してはケートがくわしい。
「ちょうど中谷クンも、3個目の受け入れ態勢が整ったようにお見受けするですよ。よかったら、これいかがですか?」
差し出されたカプセルを、思わず受け取るチューヤ。
それは「渡りに船」だった。
デメトリクス・カプセルは、レベル1で1個、レベル10で2個、レベル25で3個、レベル50で最大の4個まで摂取可能で、その機能を最大限開放できる。
たまにマフユのようにオーバードーズで暴走する者もいるが、基本的には安全マージンを保って摂取するかぎり、危険はない──とされている。
現状、チューヤは3個目のカプセルを受け入れられる状態だ。
悪魔相関プログラムは、どうやら全東京に感染拡大しつつある。
ということは、ユーザー数も爆発的に増えているはずで、部分的には品薄状態であってもおかしくない。
逆にいえば、それなりの供給網があるはずだ。
ジャミラコワイ博士からの宿題には、そちらの調査も含まれている。
残念ながら、カプセルの供給網についての調査は、あまり進んでいないのだが。
「デメトリクスに封入されたプログラムって、コリレーション(相関)を記述してるんじゃないの?」
カプセルを眺めながら言うチューヤに、ブブ子は冷たい見解を返す。
「いろんな解釈があるですよ。悪魔も人間も、しょせんデータなのですですよ?」
「そんなことないよー、世の中まだまだアナログだよー?」
サアヤがどのレベルから世の中を体しているのかは不明だが、さして深い意味があって言っているわけではあるまい。
「そういや最近、カプセルの値段が高騰してるらしいね」
「うちらにはケーたんという大金持ちがいるから、必要になったらお願いすればいいよ!」
貧乏人たちの視線を受けて、複雑な表情のケート。
モノが同じなら、だれから供給を受けても同じことだ。ケートを信じて、逆に高くつく可能性もある。だからといって、ブブ子からの供給を受け入れるべきか?
「ルートはいろいろあるですよ。中谷くんがどのルートを選ぶかで、デヴコの意味そのものが大きく変わるです。楽しみですよ」
「おそろしい子……」
冗談抜きで空恐ろしい、とチューヤは思った。
しかし、カプセル自体に罪はない。
チューヤは手刀を切って、カプセルを嚥下した。
それを見つめるケート、ブブ子、マフユ、サアヤの視線の意味は、複雑だ。
「ねえ、ちょっと変じゃない?」
と、サアヤがテレビのほうを指して言った。
──さっきまで死体が映っているだけだったが、その死体が……動いている。
内臓は外にぶちまけたまま、顔だけ起こして、こちらを見つめている。
目の周りが黒く、手足も変な方向に曲がっている。
その伸ばした指が、画面に触れた……瞬間、ぐにゃり、と曲がって指が突き出した。
「やべえぞ、こいつ」
壁際に飛び退くチューヤたち。
テレビから這い出してくる男。ホラーによくある風景だ。
いざ立ち会ってみると、たしかに気味はわるいが、滑稽さも感じる。
……部屋そのものが、おかしなことになっている、と気づいた。
直線であるはずの壁と天井の境目がゆがみ、柱が曲がり、椅子が壁に埋もれ、電灯がギザギザになっている。
ホワイトボードは歪んだ楕円で、窓ガラスは虹色だ。
空間が裏返されようとしている。脳髄まで裏返されたような感覚。気持ちがわるい。
あちら側に──引き込まれる。
「ぼくの部室に、なんてことしてくれるですか」
ブブ子の声が、遠くに聞こえた。
つぎの瞬間、テレビから伸びてきた腕が、いちばん近くにいたチューヤをつかもうとした──刹那。
ブブ子が飛び出して、みずからその腕に捕まった。
ずりゅっ、と引きずり込まれるブブ子。
彼女が消えた瞬間、部屋の景色がもとどおりの輪郭をとりもどした。
ハッとしてテレビを注視する。
そこでは、ブブ子と悪魔が対峙している。
「やばい、助けないと」
動こうとするチューヤの肩を、マフユが押さえる。
「やめとけ。あいつは、そういうやつじゃねえ」
そのとき、画面内でふりかえったブブ子は、にやり、と笑って指を伸ばし、壁のほうを指さしたように見えた。
直後、ぱつん、とテレビが消えた。
唖然としたまま、動けないチューヤ。
「だけど俺、約束したんだよ。お互い困ったときは助け合うって」
チューヤにとっては「知人」、いや、カプセルをもらうくらいの「友人」なのだが、
「ふん、くだらねえ。ブブ子だぞ。いちばんやっかいな相手だ」
マフユにとっては「敵」らしい。
もっとも彼女の場合は世界中が「敵」なので、ことさら特別視する必要はないのかもしれない。
ケートは、最後にブブ子が指さした方向を気にして、なにやら探している。
そちらは任せ、チューヤはマフユを見つめた。
「──やっぱ知ってんのか、マフユ」
「むしろ、なんで知らねーんだよ。おまえ大好きだろ、都電」
うんざりした表情で言うマフユに、
「王子電車ね! 王電については、俺に語らせたら2時間は」
破顔一笑のチューヤを制すべく、絶妙のタイミングで割り込むサアヤ。
「ハウス! 正座して口チャック!」
「むぐむぐ……」
「ともかく、荒川線ってところはヤベエんだよ。北の闇の半分は、あのラインに集まってるからな」
悪魔が「駅」に集まる理由は、マフユもようやく把握した。
人間の生命力と感情の変動が、生体エネルギーとして悪魔のエサになる。
それを集める最大効率の拠点が、駅だ。
基本的に利用客の多い駅が、エキゾタイトを集める効率としては高いが、悪魔自身にとって有力な駅を支配することが、必ずしも自分の利益に直結するとはかぎらない。
むしろ「逆の戦術」をとっている大悪魔も少なくない。
自分の拠点とする駅の利用客は少なく、むしろ少数精鋭で要塞化する。エキゾタイトが必要なら、奪いに出かければいい、という考え方だ。
エリアを支配する悪魔に関係のない悪魔が、各地で勝手に境界を張っていることが多いのも、そのためだろう。
そうして、荒川線や世田谷線などから出撃した「略奪部隊」により、境界の各地で戦闘がくりひろげられている、と考えられる。
とくに顕著なのが「秋葉原」で、その支配悪魔は「スライム」だ。
あらゆるゲームで序盤を支える重要なモンスターではあるが、もちろんそれじたいの力は非常に弱い。
一方、秋葉原を利用する客数は非常に多く、その特殊な傾向とも相まって、偏った膨大なエネルギーが、スライムという種族に注がれることになる。
言い換えれば、悪魔たち自身にとっても、スライムは非常においしいエサになりうる、というわけだ。
荒川線は、そういう戦略をとった「大悪魔」が巣くう路線だ。
想像すると、チューヤにも冷汗が垂れた。
各路線にそれなりの「傾向」は、たしかにある。なかでも荒川線は、おそらく「終盤の難所」という理解が正しい。
その駅(停留場)に巣食う悪魔の名前が、ルシファーからベルゼブブにいたるまで、軒並み高レベルすぎるのだ。
ブブ子──もちろん、ベルゼブブだろう。
恐ろしすぎる終盤の悪魔と、どうやって向き合うべきか、真摯に考えなければならないと思った。
と、そのとき、壁際を探していたケートが、一冊の本を見つけた。
「あいつが指さしてたの、これか?」
それは『アッピンの赤い本』──。




