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PanDemonicA/2 -パンデモニカ/第2部-  作者: フジキヒデキ
マクスウェルの悪魔
40/93

39 : Day -40 : Nerima-kasugacho


「ジプシーの話には、じつはボクも興味がある。あいつら、なんかやってるぞ」


 廊下を歩きだしながら、アゴに指を当て考え込むケート。

 数理部問題に足を踏み出しつつも、すべての問題は必ずしも無関係ではなく、いずれかの場所あるいは時期をもってリンクしてくる蓋然性が高い。


「ハトホルに訊いてみる?」


「そういう問題じゃないだろ」


「そもそも日本とエジプトはすごく似てるんだよ、と有名なエジプト学者の先生が言ってたぞ」


 情報共有を進めるチューヤとケート。

 ──ピラミッドは墓ではない、という学会的にはアウトの発言で知られる学者がいる。

 だからエジプトの悪魔(神様)に、日本人は親しみをもつ。スフィンクスなど、よく見れば神社の狛犬だ。ピラミッドは儀式、祭礼を行う神社であった。現在、スフィンクスは一基しかないが、正面の横からすこしずれているため、もう一基あった可能性がある。


「じっさい世界において多神教はめずらしいからな。親しみがあっても当然だ」


 古代エジプト、インド、日本は、少数派の文明といっていい。

 もっとも一神教においても、神に準じる天使や悪魔などは多数いるわけだから、同工異曲だ、という考え方もある。


「古代エジプトの神々も、ムハンマドに席巻されている現在の母国(90%がイスラム)より、意外にこの東方の果ての国の住み心地が、気に入っていたりもするらしいぞ」


 チューヤは、歴代のナカマたちを思い出して言った。

 ──セベク、ハトホル、バステトとは親しんだ。さらにこのさき、ホルス、アヌビス、メジェドらにも、かかわっていくことになるのだろう。

 彼らはチューヤにとって、もっとも心強い味方になってくれるかもしれない。

 あるいは──。


「あ、サアヤ! 待てよ、そんなさき行くなって」


 先行するサアヤの背中が、呼び声を無視するように突き当りの角を曲がる。

 いや、どうやら突き当りに近い部屋にはいってしまったようだ。


「……行くぞ、チューヤ。もはや完全に」


「おう。境界案件だな」


 もともと部室棟には、ところどころ境界が残っていた。

 先週来のキープアウトは解かれたが、怪しげな雰囲気が濃厚だ。

 そして夜、境界の活動が、もっとも活発になる時刻。

 薄暗い部室棟は、すでに「あちら側」に取り込まれはじめている──。




 そこには「裏返った屍体」が転がっていた。


「うっ……」


 思わず口元に手を当て、一歩退がるチューヤ。


「やっぱり、こうなったかよ」


 ケートの独言は、冷えきったバターのように闇を転がり落ちていく。

 チューヤも小耳にははさんでいた。

 行方不明事件。猟奇的死体。

 悪魔のしわざ……。


「悪魔?」


「これじたいは、数学だ」


 ケートの回答は、あいかわらず端的すぎる。


「数学が人を殺すの?」


「ぶっちゃけ、殺す。だが今回は、そういう殺し方じゃない。こいつは、逆数問題の解き方をまちがったんだ」


 ケートが見上げる空中には、無数の数式と理論がある。

 チューヤに同じものを見ることはできなかったが、無数の魔術回路的な「罠」が空間に張り巡らされている、という気配は理解した。


 突如、空間が裏返る。自分の肉体を裏返して。

 そんな不条理な世界も、計算上ありうる、ということだ。

 その世界に、能力の足りない人間が触れようと試みたら、天罰が下るということらしい。

 どうせ聞いてもわからないんだろうなと思いながら、チューヤが質問を口にしようとした瞬間。


「グォワァァアーッ!」


 スプラッターな死体がホラー映画よろしく突然起き上がり、襲いかかってきた。

 ただのゾンビだ、それほど手ごわい敵ではない。

 一撃を食らって傷つきつつも、ほどなく戦闘は終わる。


「遺体には憎悪が溢れている、か」


 ゾンビを倒したときは、いつもそう思う。


「サアヤは?」


「はぐれるなと、いつも言ってるんだけど」


 回復役を探すケートとともに、あたりを見まわすチューヤ。

 ケートは注意深く、状況を判断しつつ、


「ふん……蛇女がついてるだろうから、だいじょうぶだとは思うが」


「マフユはサアヤが好きだからね」


 窓、天井、隣室へのドアなど、ここから移動可能なさきを探索する。


「ボクたちみんな大好きだろ、サアヤのことは。……しかし、なつかしいな。数理部か」


 備品に触れながらつぶやくケート。

 チューヤも、コンパスや三角定規や函数計算機が転がっているこの部屋が、彼には似合っていると思う。


「もと数理部だったっけ?」


「以前、オブザーバーとして参加していたことはある。かけもち禁止だから、そっと引いたけどな」


「そっか。じゃ、彼も」


「知り合いかどうかはわからん。このありさまじゃ。ま、たぶん知り合いだろうが」


 ケートは軽く肩をすくめ、死体から視線を逸らす。

 チューヤは、サアヤの痕跡を探るため、ピクシーを召喚して飛ばす。

 窓の外から探索させられるのはアドバンテージだ。

 ケートは備品のホワイトボードのまえに立ち、そこに書き記された数式の羅列に指を添える。


「バカが、ここがちがうんだよ……」


 数式に修正を加える。それが彼なりの「感傷」なのかもしれない。

 チューヤはふりかえり、遠慮がちに問うてみる。


「で、逆数問題ってなんだよ」


「世界線を動かす方法、だ」


 その重要性には、さすがにピンとくるが、理解できるとはかぎらない。


「どういうこと? 異世界はむこうからやってきて、あたり一面、勝手に巻き込んでいくもんだろ」


「それを逆転させてやろうって考える天才がいたんだよ。ま、ボクのことだけどな」


「諸悪の根源は、またおまえか……」


「失礼なことを言うな。数理的チャレンジこそ、新たな時代を切り開くんだぞ」


 ケートは「解答」にアンダーラインを引き、マーカーを放る。

 むこうがくるなら、こっちからも行ってやる。

 というわけで、世界線を巻きもどそうとして、生贄になった少年の肉体が、裏返されてしまった。


「じゃ、死んだ数理部の生徒は、自滅したようなもんか?」


 問いへの答えが得られるまえに、がらりと開いた背後のドアから、マフユの声。


「なんだ、てめえらかよ。サアヤどうした?」


 ──さきへ行ったはずのマフユが、背後のドアからやってくる。

 どうやら、まずいことになっているようだ。




「こっちのセリフだ。なんでおまえがそっちからくる?」


 眉根を寄せるチューヤ。オウム返しのマフユ。


「それこそ、こっちのセリフだ」


「くそ、まずいな。チューヤ」


 ケートは舌打ちし、動きを速める。


「ああ、探索範囲を広げる──おっけ、ナイス、ピクシー。直下だ、すぐ下の部室にいる」


 言うが早いか、走り出したマフユが窓を蹴破って飛び出す。

 必要以上に説明する必要がないのが、このメンバーのいいところだなとチューヤは気づいた。急いでベクトルを修正し、男たちも召喚したハーピーの力を借りて追跡する。

 階下には、すでにマフユの手によって確保されたサアヤがいた。


「やれやれ。まったく、すぐ迷子になるやつだな、おまえは」


 安堵と迷惑をないまぜにしてチューヤが言うと、


「なんだと! チューヤがちゃんと見てないからだろ」


 サアヤにとっては保護責任者遺棄だ。


「はいはい、すんませんでした。で、ここどこだ?」


「手芸部だ。キキに一度、連れてこられたことがある」


 一同の問いに、答えるのはマフユ。

 ようやく話が進められそうだ。

 チューヤとケートは、マフユに詰め寄った。


「で、もう一度聞こうか。数理部の男子に対して、おまえは商業の女子に、なんてけしかけた?」


「ちっ、どうでもいいだろ、そんなもん」


 壁に寄り掛かるマフユに、詰め寄るチューヤ。


「よくないから訊いてんだ。拉致監禁してぶっ殺せ、だっけ?」


「ま、そんなところだ。だが、ここまで大規模にやれとは言ってない」


「これじたいは、その子のしわざじゃないだろう。他の多くの事象と並列して、たまたまこうなっちまっただけだ」


 むしろケートの逆数問題がきっかけ、という説もある。

 上の状況を考えれば、そちらのほうが想像しやすい。


「ふん。わるいことってのは、重なるほうがあたりまえなんだよ」


 最悪の状況には慣れているマフユ。

 いろんな歯車が絡まって、こうなっているくらいの予測はつく。

 今回の場合、諸悪の根源はケートであり、マフユだとも考えられる。

 よって、彼らがここに立っているのは、責任者として当然ということになる。


「どんなマーフィー(の法則)だよ。……で、おまえのけしかけた女生徒ってのは、何者だ?」


「さあな。悪魔に取り憑かれていたか、って訊かれれば答えはイエスだ」


 あっさり答えるマフユ。

 意外そうな表情は一瞬で、ケートにとってはあくまで「計算問題」だ。


「イエスかよ。それじゃ、いろんな計算も狂うだろうな」


「あたしのせいにするつもりか、てめえ」


「この手の計算は微妙なんだよ。量子コンピュータがむずかしい最大の理由は、量子ビットが周辺の影響を受けやすいからで、まちがい訂正の技術も……」


 長くなるまえに割り込むチューヤ。


「コンピュータの話はいいよ、ケート、そうなるとどうなるんだ?」


「……境界を越えて、()()()()に行ったのかもな」


 答えとしてはシンプルだ。


「あちら側って、つまり……?」


「なにもない世界だよ。ボクたちの世界にすべての富を奪われたと、逆恨みして、八つ当たりしてるクズみたいな連中の群れてる、並行世界だ」


 ケートは「多元宇宙論」を支持している。

 ということは当然、並行世界という便利な概念を受け入れる。

 4人はなんとなく視線を交わし、状況の理解を確認する。

 こちら側のプレイヤーが魂を奪い合う、という設定以前に、あちら側からすべてを奪おうとしている勢力が、そもそも仕掛けてきた戦いだ。


「考えてみれば、ここは()()なんだよな。こちら側とあちら側の中間地点、ってことは」


 腕組みをして考え込むチューヤ。


「そのまま()()()()ってところに、行き過ぎちゃうってこともあるのかな?」


 一応、乗っかって考えるふりをするサアヤ。


「エサになって取り込まれるってパターンが多いけどな。そうではなく、こちらから反撃するために考えられた新しいやり方を、アメリカさんがさきに実用化しているらしいぜ」


 きちんと考え、価値のある答えを出す男、ケート。


「関係ねえ話はどうでもいいんだよ。さっさとキキ探し出して、助けるとかなんとかしねーと」


 即物的なマフユ。

 ──その瞬間、空間に奇妙な網がかかる。

 天才的な英知が、ケートにチューヤの腕をつかませた。


「おっと」


 ふっ、と視界が遠のきかけたチューヤは、ハッとして意識を引きもどす。

 自分が、いま、ここにいる、というオリエンテーションを確立し、両足を踏ん張る。

 同時にマフユも、おそらく直感的だろう、離れていきかけたサアヤの腕を支えている。

 目のまえで指を振られて、サアヤは軽く頬をたたく。


「……なんか、変だよね? さっきから」


「どういうことだ、ケート」


「だから最初から言ってるだろう。大事なことだからもう一度言ってやる。()()()()()()()だ。ボクのような天才には一歩及ばないが、それでもまあまあ頭がいいと勘ちがいをしている、どこぞの永遠の二番手野郎が、数学で構築した空間だ」


「話がなげえんだよ、クソチビ。だったらどうなんだ」


「ここにいる、と()()()()()()。気をつけろ。油断してると吹っ飛ばされるぞ。()()()()()()()()()()な」


 ケート自身、手早く処理すべきと判断し、早口で言った。

 ──だからサアヤが突然、見えなくなった。

 まえを歩いていた人間が、うしろから出てきた。

 上が下で、横が後ろ。要するにこの世界は、


「あちこちにワープゾーンがある、めんどくさい系のダンジョンなんだね!」


 チューヤの言葉に、やれやれとため息を漏らすケート。

 小一時間とっちめてやりたいところだが、当たらずとも遠からずのような気もする。


「数学の悪魔か。さきに、どうにかしないとな。……よろしい、キミたちにも説明してやるから聞け」


 その一瞬、全員に流れた「しらけ鳥」な気配を、ケートはまるで汲み取らなかった。

 ものすごくいやそうな表情をしている女子の意見を、しかたなくチューヤが代弁する。


「いや、いらない。ケートの説明は、どうせ聞いてもわからないから」


「だな」


 同時にうなずく女子。


「わかりやすく噛み砕いてやんよ」


「無駄だと思う。ケート的にわかりやすく説明されても、たぶん根本的に理解できない世界だから。なのでワイ、説明いらない」


 挙手するチューヤに、


「ワイも」


「ワイも」


 サアヤ、マフユがつづく。

 憮然とするケート。


「……向上心のないやつらめ。複雑に見えるものが、ひらめきによって理解できる感動を、分かち合おうとしてやっているのに」


「いや、わかるよ。たしかに、むずかしいパズルとかやってて、わかった! っていう瞬間の感動は理解するし、共有したいけど、いかんせんケートのレベルが斜め上すぎるんだよな」


「英語の授業でもないのに、数字が出てこない数学とか、わかりようがないよね!」


 応用数理、制御理論、数値解析、最適化……。数字はその場に合わせて繰り込むもので、基本的には「考え方」を「組み合わせ」る学問だ。

 これは、高等数学だから、というわけではない。小学校の算数からして、本来は「どうすれば答えが出るか」を「考える」授業であるべきなのだ。


 そのとき、ぷーん、と虫らしきものが空間を横切った。

 背後から、異臭が漂う──。



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