38 : Day -40 : Fujimidai
謎を解けば、おまえを殺す。
そんな邪悪な冷気が、部室全体を包んでいることに、だれも気づいていない。
「さっきも言ったとおり、それ以降の出来事については、わかっているし、実験でも確かめられた。だが、それ以前は……」
「それ以前はどうだったの?」
「簡単に訊くな。マイナス27から35乗までの世界は、どうしようもないんだ。この世界では、量子力学も相対性理論も、通用しないんだよ。ボクたちの武器が、なにひとつ通じない。……だが、おかしいだろう? 統一された理論で説明できないなんて、おかしいんだよ。ボクたちの秩序は、そんな中途半端な理論を、けっして認めるわけにいかないんだ!」
一瞬、冷気が引いた。
まだケートは理解していない。
そのことに安堵したかのように、悪魔の気配が引いていく。
「なんだよ、結局わからんって話か。つまんね」
「じゃ、わかりやすい話にもどしてやる。……霊を見たことはあるか?」
「お化けなんてな~いさ♪」
ケートの頭上には、白い影。
ハルキゲニアをお化けと呼んだら、怒られるだろうか?
「ボクもそう思っていたが、悪魔が現れ、境界という世界を体験させてももらった。魔法は使えるし、スキルも実行される。このナノマシンってやつをプログラムしたやつは、ほんものの天才だな。これらは、ひとつの体系によって支配されている。媒介するのが、霊子だ」
「レーシ?」
「虚数質量といってもいいが、数学的に説明できる。これは重要なことだ。数理部の連中も、この話には大興奮していたぜ」
「変態仲間だね」
ケートみたいな男が群れている部活を考えて、サアヤは少しくゾッとした。
「これは、4つの力に含まれる。なぜなら、この世には4つの力しかないからだ」
「あの世の話なんじゃないの?」
「どの世だろうが、統一された理論で説明されるんだよ! なぜ、幽霊はいつも地球上に出現するんだ? 地球は動いているんだぞ。毎秒何十キロものスピードで。つまり幽霊は、物質に引き寄せられている。干渉できないものが、寄り添って存在するわけはないのだ。ということは、霊子は、4つの力のなかのひとつなんだ。わかるか?」
チューヤはすこし考えながら、小さく挙手して言ってみる。
「そのなかのひとつと言われると、やっぱり電磁気力じゃない? この世の力はたいてい、電磁気力なんでしょ?」
「たいていは、そうだな。クーロン力と電磁気で説明できる。重力を除けばな」
「……そうか、重力」
うまく脳のチャンネルを合わせられたチューヤは、突然すとんと納得した。
重力井戸が、悪魔のエサを集める──。
ケートはチューヤの理解に、満足そうに指を鳴らした。
「ビンゴだ。重力は弱すぎて、他の3つの力と、どうしても統一できない。だが、統一しなければ宇宙のはじまりを説明できない。そこで超弦理論では、世界を振動する小さな弦で証明しようとした。
そのなかで重力は、隣り合う次元から漏れ出してくる力として説明される。見ることはできないが、隣り合った世界があって、そこにはいろんなバケモノがいる、って考え方はけっこう人気があるよな」
「隣り合う次元から、霊が漏れてくる……」
「なんか怖いね」
「重力と同じってことは、質量に引き寄せられる。重力ってのは、ゆがんだ空間そのものだ。だからこそ幽霊は、重力圏にしか出現しない」
信憑性がある理屈のようにも思われるが、チューヤは一応、反論を試みる。
「もしかしたら宇宙にも、幽霊いるかもしんないじゃん?」
「探してこいよ。とにかく、これであの世の場所も判明したわけだ。人は死んだら、重力の井戸にもどる。地獄が地の底にあるという考えは、あながち、まちがってはいなかったわけだな」
ケートの理論は、ストレンジレット、エキゾチック物質、虚数質量、超光速粒子などといううさんくさいワードをも巻き込んで、あの世をこの世に引き出してこようとしている。
理屈はついた。目的地は、そのさきにある。
「死んだら、地球のなかに……?」
「そうだ、肉体から引きはがされた魂は、重力のなかにもどる。地球は40億年かけて、みずからの重力井戸に蓄えた魂を、練り上げ、捏ね上げ、磨き上げて、あまたの生命を生み出した。……なあ、ハルキゲニア?」
ケートの耳に揺れるピアスが、ゆっくりと形をなす。
「きみたちがそうだと思うなら、それもひとつの答えではあるだろう」
境界化はしていない。
ただ全員、見るだけは見える種類の人間だ。
「そこで、地球を代表する巨大な魂の話だ」
「巨大な魂?」
「全員、見ただろうが。あのジャバザコクとかいう、ふざけた国で。その後、中華料理屋で裏づけもとってきたんだろ? トドのつまりが、あの校長だ。──われわれ人類の魂は、ふざけた神々のギャンブルのテーブルに載せられ、もてあそばれている」
「つながってきたな」
テーブルに立てた右手に顎を載せ、つぶやくリョージ。
「まさか重力の話から、そうくるとは思いませんでした」
これだからケートという人間は掘り下げる価値がある、とヒナノは思った。
「バカげた話だが、あのシロクマには説得力がある。原初神12柱、調査は済んでるだろうな、悪魔使い!」
突然振られ、ビクッとふるえるチューヤ。
「あ、あの、ええと、鋭意進行中……」
「ふん、あいかわらずトロいやつめ。ともかく、そいつらの立てたギャンブルのテーブルに、ボクたちは載せられている。プレートを怒らせると怖いぜ。そこのアホ毛、どうなる?」
突然振られ、ビクッとふるえるサアヤ。
「え、えっと、その、地震……関東大震災だね!」
「ふん、人類の数は容易に増減する。それが神の意志か、あるいは悪魔なのかは知らんが、みごとな計画じゃないか?」
ケートの陰謀論は、それなりの説得力をもつから始末がわるい。
──一般的には12枚、細かく見て14~5枚、というプレートで、地表は覆われている。これは事実だ。
ユーラシア、北アメリカ、南アメリカ、太平洋、ナスカ、カリブ、アフリカ、アラビア、インド、オーストラリア、フィリピン海、そして南極。
これらのプレートの存在は、GPSや地質の観測などからあきらかとなっている。
それらが身震いすれば、人類の少なくない数が被害を受けることも、また事実だ。
ほかに、ココスやスコシア(南アメリカの一部と見ることもある)、ファンデフカ(北アメリカの一部と見ることもある)などもあり、さらに細かく調査すると、上記に分類できない細かい動きをするプレートが40枚ほど想定されている。
これらはほとんどの場合、一部が親プレートにつながって、連動して動くと考えられる。
さらに、造山運動などで埋没しているプレートや、特殊な動きをするものもあるようだ。
つぎつぎと積み重なる理論と背景、原因と結果。
これを思いついた人間は、病人か天才にちがいない。
「汗かいて柔らかアセノスフェア! 理想の固さリソスフェア!」
「……地質屋のオヤジは、だいぶまえに気づいてたみたいだけどな」
一同の視線がリョージに集まる。
軽くうなずくケート。
ふたりのあいだには、なんらかの合意があったのかもしれない、と察するチューヤたち。
だからこそ先々週末のハロウィン、短い地質図のやり取りで、互いの行動を即断できたのだろう……。
「そう考えると、日本にいろいろ集まってくるのは必然だよな」
日本には多くのプレートが集中している。
地震の巣といわれる国ほど、また神と悪魔の力が強い、と考えることもできる。
「やれやれ、ケートくんのつまらん授業かと思っていたら、とんでもない場所に着地しましたな」
「どうせその頭のハルキンに教えてもらったんでしょ」
ケートは、ピンとピアスを弾きながら、示唆的なことを言う。
「重要なインスピレーションを与えてくれたことは認めよう。だが真実は、見ようとする者にしか見えない。見る準備のできている者が、必死に見ようとして、はじめて見つけられるんだよ」
「そりゃそうだな。練習してない人間が、才能だけで勝利をつかむことはできん」
「リングの世界も厳しいね!」
「けっ。そんで、その悪魔たちが決めたんだろ、人類を滅ぼそうってよォ」
「おまえはなにを聞いていたんだ。こいつらは賭けをしていたんだぞ。人類を」
そこまで言って、言葉に詰まる。
人類を、ギャンブリング・テーブルに載せていることまでは、判明している。
だが具体的に、どういう賭けになっているのかはわからない。
それを「わかる必要」はあるか? いずれにしても……。
マフユはひどく冷めた憫笑を浮かべ、言った。
「どっちに転がろうと、損をするやつと得をするやつがいる。それがギャンブルなんだよ。ってことはだ。人類を生かすとか増やすとか、そっちに賭けてるやつは守ろうとすんだろ。逆によォ」
いっそ滅ぼしたほうが、都合のいいやつらもいる。
それもまた、一方の真実にはちがいない。
「…………」
おそらく当面、その勢力との戦いになってくるのだろう。
一同はじっとマフユを見つめる。
この女は、他の5人とは別の特殊な立ち位置にいる。
他の勢力は、自分の利益を最大化しようとしているが、そのためにはある程度、人類を栄えさせておいたほうがよい。
携挙なり捕食なりの方法によって、得られるパイが大きくなるからだ。
しかしマフユの背後だけは、人類の滅亡を企図している──ように思える。
ロキは、どんなテーブルに賭けたというのか。いや、そもそもロキは原初神なのか。
「滅ぼしたら悪魔も利益ないだろうが。なんでそんなバカなまねを……」
「うるせえよ、カスども。──さて、あたしは迎えに行ってくるぜ、キキを」
すとん、とテーブルから床に降り立ち、マフユは歩き出した。
有無を言わさぬ決然たる態度。
彼女は最初から、そのためにここにいた。
「キキって、あの」
こめかみに指を当てるチューヤよりさきに、思い出すサアヤ。
「商業の子でしょ? 先週から行方不明の」
「数人の数理部の面々といっしょにな。さて、一週間もお待たせしましたね。解決してこようじゃないか、チューヤくん」
つづいて立ち上がるケート。
「みんなで力を合わせれば、だいじょぶだよね。フユっち、待ってよー」
駆け出すサアヤ。
──流れは決まった。
今回は全員で立ち向かうのだ、という士気をくじいたのは、リョージだった。
あー、それなんだがな、と彼は挙手して、首を振った。
「きょうはパスさせてくれ」
「はあ!? そういう協調性のないことで」
ふりかえるチューヤに、逆に誘いをかけるリョージ。
「というか、チューヤにも来てもらいたいところなんだが」
「どういうこと?」
「東京の辺遠にさ、ジプシーがいるらしいんだわ」
もちろんリョージには、リョージの世界がある。
当然の話ではあるのだが、タイミングがわるい。
言い換えれば、詰め込む必要があるほどタイムテーブルが混んでいる。
「エジプト系の悪魔ってこと、だよね?」
「それで、そのことについてナナちゃんが、いろいろ教えてくれるって。知りたいだろ?」
「し、知りたい……」
「おい、チューヤ。ふざけるなよ。数理部に行くんじゃないのか」
ドアのところでふりかえったケートが、苛立った声で言う。
「ジプシーのお話、わたくし興味がありますわ。よろしければ、お付き合いさせていただいてよろしいかしら」
横から割り込んだのはヒナノ。
決意を秘めた言葉は、ヒナノらしく、なんの拘泥もない平板な口調に乗せられていた。
彼女の胆力はすさまじい。
「このミッションは、数理部と商業科の関係者であるケートとマフユがいれば、なんとかなるような気もするな……」
こっそりとケートたちを顧みるチューヤ。
もちろん、この犬猿の仲であるふたりだけを行かせて、ただで済むとは思えない。
そもそもパーティとして成立しないだろう。
「どうすんだ、チューヤ」
一同の視線が集まる。
非常に複雑な意味を含んだ視線だ。
順に一同を見まわし、最後にヒナノを見つめた瞬間の彼女の冷たい視線が、チューヤの心を決めさせた。
「ジプシーのほうは、リョージとお嬢でなんとかしてよ。俺はケートたちと、数理部の件をなんとかしておくから。成田先生にも、それとなく宿題にされちゃってるしね」
それとなくはないが、そう言っておくところが日本人の奥ゆかしさだ。
「そうですか。それでは、これで」
早々に切り上げ、歩き出すヒナノ。
ぽんぽんとチューヤの肩をたたくサアヤ。彼女としても気分は複雑であったが。
「なんで行かせたか、わかってるよ」
「…………」
「いま、ぎくっとしたろ」
「かいもく見当がつきませんなー」
「ナナちゃんが、なんとかしてくれるって思ってるんでしょ」
「どこのどなたですかな、そのナナちゃんとかいうお方は」
「ふふん。残念だったねチューヤ。そのジプシー問題自体が、ナナちゃんらしいよ」
「……は?」
なぜ八百屋お七とジプシーが関係あるのか?
「リョーちんは優しいからなー。困った女の子でも、困ってたら助けちゃうんだよね」
肩をすくめて首を振るサアヤに、機械的に同調するチューヤのなかで、情報不足のあまり方向感をなくす思考。
ここで彼らのシナリオと離れることは正解なのか。
いや、そもそも人生に正解も不正解もない、ただ選んだ道のりで全力を尽くすだけなのだ、というきれいごとが脳内を上滑っていく。
「ナナちゃん、リョージ、お嬢……」
「首尾よくヒナノンたちが解決したら、ナナちゃんも認めるカップル爆誕かもね」
「俺ちょっと用事が」
コペルニクス的転回とともに、足の向きを変えようとするチューヤの襟首をつかみ、サアヤは歩き出した。
「さて、数学部問題、解決しますか!」
すでにシナリオは選択されたのだ。




