表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PanDemonicA/2 -パンデモニカ/第2部-  作者: フジキヒデキ
境界線上の未解決問題
33/93

32 : Day -41 : Hikarigaoka


 午前8時半。

 保健室でひと眠りしていたチューヤが、ちょうど養護教諭に蹴りだされたところだ。


「乱暴なババアだな……」


 背後からのヒステリックな罵言に送られ、校舎を歩く。

 考えてみれば、朝のHRから学校にいたことが、ここ最近あっただろうか?

 いや、ない。

 まさか、昨夜から学校に居残り佐平治とは、お釈迦さまでも気づくまい。


「ふわー。朝だねえ」


 お釈迦さまの声が聞こえた気がして、チューヤはふりかえった。

 螺髪ならぬアホ毛がぐりんぐりん回転しているところをみると、どうやらサアヤらしいと認める。


「早起きだな、サアヤ」


「チューヤもね。もう住んだらいいよ、学校」


 並んで教室を目指す。

 世界は異常な方向へと舵を切っているらしいのに、校内は事実、異常な平穏に満たされている。

 この学校にも、トラブルらしきものは何度か訪れたはずだ。

 それでも、奇妙なくらい「日常」を保っているのは、校長の力か、あるいは──。


「八百万の神々のご加護だな、きっと」


「御仏の加護だよ」


 うなずくエセ神道に、仏教徒が釘をさす。

 1時間目は日本史だ。




 日本史で、本当におぼえるべき年号は、7個しかない。

 それが歴史教師・成田の主張である。

 復帰初日ということで、概論的な「討論型授業」を展開していた。


「ムシゴろし、ついでに蘇我も、乙巳いっしの変」


 大化の改新は、蘇我入鹿暗殺をきっかけに、その後数年にわたって行なわれた政治改革のことだ。

 645年に起こったのはただのクーデターであり、厳密には大化の改新ではない。


「ナクヨうぐいす平安京」


 794年、桓武天皇により平安京へ遷都。

 なんと、その後1075年間、明治2年まで日本の首都でありつづけた場所、それが平安京である。


「イイハコつくろうキャバクラ幕府……」


 かつてはイイクニをつくっていたが、頼朝は武家政権の成立を明確に宣言していないため、1192年、源頼朝が征夷大将軍に任官して始まったとみるか、実質的には壇ノ浦で勝利し文治の勅許を得た1185年であるとする説を採るかは、先生の気分による。


「ヒトミナサンザン、カマロぶっ壊れ」


 1333年、元寇で弱体化した鎌倉幕府は、後醍醐天皇・新田義貞らの挙兵により、北条一族とともに滅亡する。カマロはもちろんシボレーの名車だが、往年のアメ車はまあ、よくぶっ壊れた。

 要するにカマ=鎌倉幕府が壊れて、マロ=室町幕府へ、という流れだ。

 足利氏が室町幕府を起こしたのが1336年なので、そちらの年号でおぼえてもよい。七つの年号のなかではもっともマイナーなので、忘れるならここから忘れよう。


「ヒトヨムナしい、応仁の乱!」


 1467年。応仁の乱を知らない者は、日本人ではいないだろう。

 ほとんどDNAに刻まれているレベルの応仁の乱は、あまりにも長い長い戦国時代へとつながる契機であり、ワリを食った京都は、この後いやというほど灰燼に帰した。

 先の火事はえらかったどすなあ、と生粋の京都人が言った場合、太平洋戦争ではなく、この応仁の乱を指す。


「ヒーロー大勢、関ケ原」


 区切りがいいので、おぼえやすい。関ケ原の合戦は1600年だ。

 東軍が勝利し、徳川幕府260年という、おそるべき天下泰平へとつながる。


「いやイヤムナしい、大政奉還」


 1867年、大政奉還。で、徳川幕府終了。

 史上最後の征夷大将軍、15代将軍・徳川慶喜の在位が、実質たった1年間であることからも、その存在の虚しさが偲ばれる。

 応仁の乱もそうだが、ムナしい事件は重なるものだ。


 その後、日清戦争があったり太平洋戦争があったりと、歴史は激動しつづけてはいるが、それらの年号は「けっこう最近あった」という程度でよい。

 明治以降のムナしいアフターのケアについては、各々の性癖とご相談を、という話だ。

 歴史を大きくとらえるなら、こまかい数字にさしたる意味はない。なんとなく、こんな流れで来た、という点だけ理解できればじゅうぶんだ。


 無理くり年号をおぼえさせようとするから、歴史死ね、と言われるのだということを、われわれ歴史の教師はもっと反省すべきだ、と成田は思っている。

 この重要な七つの流れをおぼえたうえで、それぞれに区分される時代のなかで起こった、それなりにおもしろい出来事を、興味をもった人間が学び、知っていけばいいのだ。


 バカみたいに年号をおぼえさせて、テストで点を取れればオールオッケー。

 そんな教師に遭遇したら、それこそ己が歴史の不幸を嘆くべきだろう。

 ──テストで点が取れない?

 取れますよ、このツリーをちゃんと完成させればね。


「せんせー、本能寺の変がはいってないけどいいの?」


「ホンノジーノヘン! という動画もよいですが、ツリーを観なさい」


 黒板の中央あたりを指して、成田は答えた。

 点数を取りたい生徒はもちろん、成田の書いた「木」をノートに写している。

 本能寺の変は、応仁の乱の枝に吊られて起こった、政治的な変革をともなった戦いだ。


「この区分で言うと、応仁の乱の流れなんだね。全国の武将が参加して戦ったんだもんね。ふーん。そう考えるとおぼえやすいかも」


 出来事は、それじたいが突然、勃発するというわけではない(まれにはあるが)。

 そうなる流れがあり、連続する事象を把握することで、より理解が深まる。


「ヒストリー・セブン! ですよ」


 国津石神井高校の歴史教師・成田がたどり着いた答えが、それだ。

 日本史は、七つの年号だけおぼえるところからはじめ、あとはその太い枝に吊り下げる形で、興味のある案件から順におぼえていけばよい。

 じつにシンプル。これこそ本来あるべき歴史である、と成田は言った。


「セブンーセブンーセブンー、ヒストリーセブン♪」


 サアヤの歌声を聞きながら、窓際の席であくびをするチューヤ。


「おもしろい先生が多いな、この学校」


「変な先生もいたけどねー」


 たしかに成田の代理教師は、エモノを探しにやってきたクモ女だった。


「死者に鞭を打つな。そもそも校長からして変人だろ。いや、人ですら……」


「アクマダモンだもーん!」


 トン! と杖を突く成田。

 まだ授業は終わっていないが、比較的自由な「討論」を許容するのも、彼女らしい進行である。


「やっぱ、選択は日本史と地学にかぎるよねー」


「プレートも知らなかったくせに、よく言うな。ま、たしかに比較的楽だと言われてるけど」


 そういう浅はかな考えで、彼らは日本史を選択している。

 最近まで「日本史」と「世界史」で縦に分割されていた科目が、「歴史総合」となり、おおむね「近代」と「それ以前」に横分割された。

 歴史総合は必修で、追加の選択科目からチューヤたちは「日本史探求」を選択している。

 「世界史探求」をとると、従来の内容に加えて関連する日本分野の学習が必要になるが、日本史なら外交史だけ集中して押さえておけば、たとえ世界史をまったく履修していなくても点がとれるから、お得よ! と、勧められたからだった。


「はいそこー。そんなあなたの日本史」


「ダウト!」


 成田の「指導」に重ねて、何人かの生徒が両手でペケをつくる。

 ぱんぱんと手をたたく成田。彼女は人気者だ。

 教師としては優秀。ただ部分的に「壊れた」ところがある。

 そんな人物はいくらでもいるが、社会的には厳しい目で見られることが多い。


 そういえばケートは、そういう考えを批判していた。

 たとえラーマパパがどんなに犯罪的嗜好をもっていても、たまたま現在という時代がそれを犯罪と定義しているだけで、教育者としては昔もいまも最高なんだから……。

 だからといって、わるいことをしていいのか?

 この点、ケートとは意見が割れる。


 たしかに、犯罪者だからといって優秀ではないなどと、だれにも言えない。

 いや、どこか偏った才能を持ち合わせているからこそ、べつの偏ってしまった部分が社会の規範を破いてしまうこともある……。

 もちろん才能のカケラもない、ただのクズ(であるがゆえに)犯罪者も、たくさんいるわけだが。


「共テに出ない勉強ばっかり、最近してるよな」


 意識を授業にもどし、ぼやくチューヤ。

 日本史の教科書の最初のページは、「ゆとり教育」の一時期を除いて、たいてい縄文時代から開始されている。

 それよりずっと以前の時代について、彼らは体験的に見てきたが、点数にはつながりそうもない。


「あーね。歴史になる以前って、生物? 地学? 世界史でもやらないよね」


 うなずくサアヤ。

 世界史探求では一応、先史時代の話が最初にすこしだけ出てくる。昔ふうにいえば「世界史B」だ。

 もし試験範囲がそこまでなら、チューヤたちはかなりの高得点をたたき出すかもしれない。


 ──「地学」的年代から「考古学」を経て、人類の「歴史」が刻まれる。

 西はヘロドトス、東は司馬遷によって大成される「歴史」というジャンルは、まさにおぼえることだらけの科目であるが、それ以前の話になってくるとさほど範囲は広くない。

 もちろん楽な科目には、わるいところもある。

 受験科目として使えないことが多いので、選べる大学の幅が狭まるのだ。


「はい、テストのことばかり考えない。歴史に興味をもってください。先生からのお願いです」


 言う成田に、ぱらぱらと拍手が集まる。

 暗記科目と呼ばれた「歴史」に、資料を読み込む力、仮説を立てて検証する問題を多く導入し、新たな「探求」をつづけている彼女は優秀な教師だ。

 チューヤも一応、拍手した。

 こんな教室になじんでいる自分が、どこか誇らしい。


 自分は敬意と憎悪を集める悪魔使いでもなければ、軽蔑と同好を集める鉄ヲタでもない……いや、鉄ヲタは受け入れるが、それ以外の血と死に満ちた世界に暮らす自分は、本来あるべき自分ではない。

 教室でぼんやりしている自分、これこそが正しい世界線なのだと、正常化の温水に漂いつつ思う。


 そのとき、チャイムが鳴った。

 無駄に授業を引っ張らない成田は、教材をまとめて杖を手に歩き出した。

 ふとふりかえり、目顔でチューヤを呼んだ。

 気づかなければよかったと思うが、もう手遅れだ……。




「日本史最大の怨霊を、知っていますか?」


 廊下に出た途端、成田に問われ、


「ええと……マサカドさんですか」


 チューヤは反射的に答えた。

 『デビル豪』のおかげで、超高レベル悪魔として登場する「首塚の人」、マサカドの印象がきわめて強い。


 首を振る成田。

 もちろん日本史の教師として、そのようなゲーム脳は許容できない。


 ──日本史上最大の怨霊は、崇徳院である。

 なぜか、そういうことになっている。

 もちろん、それなりの理由はある。


  せをはやみ いはにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ


 という『小倉百人一首』で知られ、落語のネタにもなっているくらい、エピソードとしては強い。

 保元の乱の遠因にもなった。


 センセーショナルなエピソードとして、作者不詳の軍記『保元物語』に、みずから舌先を食い破り、その血で「日本国ノ大悪魔」となることをしたため、生きながら天狗の姿になった、などと記されている。

 他の版でも「舌を噛み切って」「魔縁」云々は定番のように使われており、いかに怨みの気持ちが強かったかを表現している。


 文献学的には、多くの不自然を指摘されているものの、あくまでも脚色の範囲であり、「武者むさの世」になりつつあった当時の世相を、よく反映している。

 相次ぐ戦乱や大飢饉、大地震も含め、ひさびさに京を灰燼に帰した理由を「怨念」に求めたい気持ちが、よく伝わってくるのだ。虚構を交えて編まれた『保元物語』には、それを作成することじたいに大きな意味があった。

 ちなみに歴史上は、崇徳院は讃岐配流後、後生の菩提を祈念して和歌を詠むなど静かな暮らしを送った、とされている。舌を噛み切って天狗になった気配は、あまりない。


 要するに、崇徳院という「名前を使って」、宮廷内や周辺の社会に怒っていた不安、不慮の死などの悲劇を「説明した」のだ。

 『方丈記』や『愚昧記』の作者が、あいついで起こる悲惨な状況をどうにか説明する方法として採用したのが、世の無常であり、怨霊であった。


 原因がわかれば、対策も可能だ。

 崇徳院の名誉を回復するのである。

 官位の追贈や、諡号しごうを付すことで鎮魂がはかられた。

 それによって、ともかく自分たちが世の悲劇に対して対策を打ったんだよ、と言える。

 効果などなくていい。それじたいが効果なのだ。


「なるほど、崇徳院ですね。メモメモ……」


 掌にモノを書くゼスチャーのチューヤ。

 成田はうなずいて、


「最悪の場合、そうかもしれません。さすがに現在のレベルでは、崇徳院はきついでしょうね。願わくは、そうではないことを祈りなさい」


「……は?」


 他人事の物言いが気になる。


「校内に、気配があります。おそらく部室棟、数理部の周辺でしょう。──本校に怨霊など住みつかれては困ります。立入禁止になっていますが、特別に許可を与えます。今週中に、なんとかしておくように」


「……は?」


 口を開けるチューヤを残して、


「宿題ですよ。では、よろしく」


 コツコツと杖をついて去る成田。

 ポカーンと見送るチューヤ。

 背後に、ため息を漏らすサアヤ。


 あらゆる方面から積み上げられ、詰め込まれる無数の課題、宿題、問題の渦に、唖然として言葉もない。

 ひどい学校だ……。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ