30 : Day -41 : Kami-Shakujii
「さあ、そろそろ夜が明ける。もどろうではないか……」
アクマダモンが東の空を見上げる。
魔法の明かりで薄明るい体育館の外は、まだ漆黒の闇だが、どうやら払暁は近いらしい。
アクマダモンが伸ばした腕が床に触れ、そこから引っ張り出してきたものは……ドア。
奇妙な現象だが、だれも突っ込む気力をなくしている。
1枚、また1枚、と床から引っ張り出されてきたドアが、4枚を数えたとき、ふとチューヤが問いを口にする。
「それじゃ校長、あんたは? どのプレートなんだ?」
「わたしは人間を載せていない、白い大地だ。ゆえに力はない」
アクマダモンの答えには説得力がある。
ケートはかすかにうなずき、
「……南極プレートか」
「南極にシロクマはいないけど、白いニンゲンが現れてインパクトの走るような話はあったよね」
「セカンダリーウェーブなやつな」
一応チューヤも乗っかる。
──世界中に残る、創世の巨人という神話。
ナルムクツェ、だいだらぼっち、ギガンテス、ゴリアテ、クンバーカルナ、盤古、ヨトゥン、アダム(?)……。
世界には数々の巨人がいる。
そのなかには、しばしば「創世神話の巨人」として、この大地と空を創った根源的な存在をアサインされるパターンも多い。
日本神話も例外ではなく、オオクニヌシは国引きのオオミツヌとして登場している。
その後、巨人は自然の一部となって、キャラクター的な存在感はなくなるが──。
「わたしは地球の味方だ。きみたちも、そうであってくれればいいと願っている……」
アクマダモンが両手を広げる。
4枚のドアが、ゆっくりと四方に散っていく。
このドアをくぐって、現世へもどれ、ということだろうか?
「地球は大事だよね。だったら校長も、悪魔たちの侵略とは戦うってことなのかな?」
首をかしげるサアヤ。
だれが敵で、だれが味方か。
自分はどこに属し、彼は、彼女はどこなのか?
いよいよハッキリさせなければならない段階に、達しているのかもしれない。
チューヤが「邪教の味方」と一体であるように、「地球の味方」である校長は、異世界線からの略奪をいまいましく思っている──のだろうか。
しかし異世界線にも異世界線の原初神がいて、それらは異なるようでいて同一でもある……かもしれない。
並行する世界線のバランスをとることは、きわめて困難だ。
「最有力なのは、ユーラシアプレートの〝鍵〟を手にするヤハウェだろう。彼を原初神と呼んでいいかはともかく、結果的に世界は彼に支配されているに等しいからな」
背中に腕を組み、校長の姿勢。
ヒナノは苦々しい表情をつくり、
「父なる主を、彼などと呼ぶのはおやめなさい」
「地球を覆う12枚のプレートを源泉としている、としたら原初神は当然、地球の味方ってことにはなるよな」
「だが、地球に味方することと人類に味方することは、当然、イコールではない」
リョージの言葉に、目を細めるケート。
問題はつぎに発されたマフユの言葉にも、一理あることだ。
「むしろ滅ぼしちまったほうが、地球にとっては都合がいいかもな」
「自然を大事にしてる人間も、いっぱいいるから!」
サアヤの言葉に首を振りながら、アクマダモンは静かに言った。
「それは、われわれにとっては皮相的な些事にすぎない。言い換えれば、きみたちの決定こそがすべてであり、われわれはなんの干渉もできない。知っておいてくれたまえ。原初神のうち、わたしを含め、ほとんどは強い力をもたないのだ。──きみにわかりやすく言うなら、最上位Sクラスの原初神は、12体中2体だけだ」
チューヤはごくりと息を呑んで、ほんとうにわかりやすいその指摘を身に染みた。
──全人類の半分以上を乗せた大陸、ユーラシア。
そのプレートに宿るSクラス原初神、ヤハウェ。
西日本のほとんどが載っており、東京にも多くの「唯一神系」悪魔の名を刻んでいる。
ホモ・サピエンスに対する、産めよ、増えよ、地に満ちよというギャンブルに、どうやら彼らは勝った。
神学機構という強力な組織を立ち上げ、ヨーロッパを中心に、異世界線との「取引」がもっとも活発に行なわれているのが、その証拠だ。
莫大な利権を握っているだけに、異世界線とのディールも巨大なものになる。
彼らは強力な宗教体系によって、被害を最小限にしての「乖離」を模索している。
一方、その他の地域での事情は大きく異なる。
たとえばインド亜大陸の原初神はブラフマーだが、さきほどまでの展開を見るかぎり、さんざんな体たらくだ。
アクマダモンのガチョウに乗った友人は、アモンにサイコロを奪われても簡単には取り返せないくらい、弱いのである。
「アクモダモンは……じゃなくて校長は、地球はどうあるべきだと思ってるの?」
何気ないサアヤの問いは、意外に重要だ。
いや、ほとんど核心的な問題提起といっていい。
──現在、自然破壊や温暖化が取りざたされている。
だが、全生命の96%を死滅させるような巨大な自然破壊、大量絶滅は、まさに地球自身あるいは宇宙によって行なわれた。
度重なる大量絶滅は、すべて人類以外がやったことだ。
それが地球の意思である、あるいは、そもそも地球に意思などない。
そう考えると、校長が地球の側に立つということの意味が、とてもあいまいな姿勢に思われる。
校長はわずかに首をかしげ、
「地球にやさしい、というコマーシャルの目的は、利益だよ」
「俗悪な。しかし、はっきりしました。おっしゃい、あなたの望みを。白泉校長」
かなり疲れた表情のヒナノ。
地球最大勢力に属する彼女を、あたかもその代表のように、校長はじっと見つめる。
彼の目には、ヒナノを通したところにいる唯一神の姿が、見えているのかもしれない。
「何度も言うが、わたしではない、問題は、きみたちなのだ。きみたちの選択肢に、わたしは一定の同意を寄せる。──ヤハウェの選択が、人類にとって正解に近いのだと、きみは信じたいのだろうね?」
アクマダモンの目は、まっすぐにヒナノを向いている。
「お嬢に、ボクたちを代表してもらいたくはないんだがな」
「とはいえ現に人類の過半数が、アブラハムの宗教に牛耳られているわけだからなあ」
「待て、逆に考えるんだ。残り人類の半分は、そのアブラに毒されてはいない」
「毒すとはなんですか、毒すとは」
「けっ、ザコどもは生きてるだけで毒なんだよ」
「もう、みんな、ちょっと静かに!」
いつもの鍋部ディスカッションが静まるのを待って、校長がゆっくりと言った。
「わたしが、きみたちを集めたのは、そうやって話し合ってもらうためなのだ」
地球の未来は、きみたちが決める。
最初から校長は言っていた。
たしかに、このような議論自体が、地球による人類への「教育」の一環である、という可能性もある。
顔を見合わせる鍋部部員たち。
再び沸騰してあふれ出しかける鍋、いや議論に先んじて、アクマダモンは言を継ぐ。
「だが、もちろん話し合いだけで解決できはしないだろう。──北内マフユくん。きみの仲間たちがやっていることは、地球の時計をあまりにももどしすぎるかもしれない」
ゆっくりと、マフユの横を歩くアクマダモン。
ひとりずつ、片づけていこうとしている気配。
あるいは、問題の要点をまとめようとしている。
アクマダモンの言葉と同時に、1枚のドアがマフユに寄り添っていく。
「あ? やっぱてめえもセンコーかよ。いいって、てめえらがあたしの味方になってくれたことなんて、ほとんどありゃしねえんだ」
そのドアを開ければ帰れるよ、と教えてやれば彼女は即座に出ていくだろう。
──いや、どちらかといえばわたしの立ち位置は、きみの側に近い可能性すらあるが。
その最後のつぶやきは、だれにも聞き取れないくらい小さかった。
つぎに校長と向き合うのは、ヒナノ。
「──南小路ヒナノくん。すくなくとも現在の地球のなかでは、神学機構の選択がもっとも重いことを忘れないでくれ。人類を加重平均した、という意味で」
「あなた自身、同意はなさらないわけですね。けっこうですよ」
いずれにしても、彼女は彼女の道を行くしかないのだ。
アクマダモンはゆっくりと、視線を男たちのほうに向けなおす。
「──東郷リョージくん。きみの生きざまは、ほんとうに気持ちがいい。心情的には同意したいが、むずかしい道のりであることは心得たまえ」
「どうでもいいけど校長、その着ぐるみ好きだね」
気持ちのいい笑みを浮かべ、ぐっと親指を立てるリョージ。
「──西原ケートくん。きみが答えだとしたら、自然とは、ずいぶん思い切ったことをするものだ。やはり宇宙は広いと言わざるを得ないな」
「ふん。議論があいまいすぎて、答える気にもならん」
ケートは自分の横に漂うドアを、うっとうしそうに眺める。
校長は最後に、チューヤとサアヤのほうを見つめ、言った。
「──中谷シンヤくん。きみの見上げるさきに、切り開くべき道のりがあればよし。──発田サアヤくん。きみの見下ろすさきに、救いを求める人々が多くいるだろう」
「僕のまえに道はない」
「黙れドーテー」
高村光太郎リスペクトのフリをするチューヤに、すかさず突っ込むサアヤ。
校長も、彼らのさきにある運命が、いちばん難解であると認めていた。
それ以外の4人には、多かれ少なかれ、明瞭な道のりが示されている。
もちろん平坦ではないが、解決すべき問題が比較的わかりやすい。
対してチューヤたちは、結局のところ「選択の問題」になりがちだ。
もちろん、それじたいがひとつの道のりではあるが──。
「わたしは、きみたちの選ぶ道に、意見を述べるつもりはない。ただ、きみたちの帰る場所として、あの部室を最後まで守ると約束しよう。あの場所でだけは、きみたちに、きみたちらしい時間を過ごしてほしい。わたしはそう願い、そのために努力する」
彼ららしい時間。
それが彼らの背後にある意思に沿うのか、反するのかはともかく。
「感謝しますわ、校長」
はじめて優しい笑みを浮かべるヒナノ。
「ま、鍋さえ食えりゃいい」
うなずくマフユ。
「よかったら校長もどうスか?」
つくるのはリョージなので誘う資格がある。
「シロクマ鍋ってのも、なかなかオツじゃないか」
あいかわらず皮肉な物言いのケートに、
「もう、ケーたん、想像しちゃったでしょ!」
サアヤの脳内ではアクマダモンが鍋に切り刻まれて浮いている。
「とにかく、部室が使えるのは助かるな。ありがとう校長」
部長として締めるチューヤ。
壊れていく世界のなかで、あの部室だけが最後まで残ってくれるとしたら。
それはそれで、シュールだがわるくない──。
「最後に教えてくれ、校長」
ケートが口を開く。
アクマダモンはもっさりと、ひとまわり年をとったかのような声を返す。
「なにかね」
「あんたは、だれを支持する?」
その問いをまえに並ぶ、6人の男女。
一瞬、彼らは見た。背を向ける校長の姿を。
だがそれは幻覚で、残念ながら見えるのは、こにくらしい着ぐるみの死んだ魚のような目だけだ。
「わたしは特定の生徒をひいきしたりはしないよ」
「きれいごとはいい。ボクにはわかっている。あんたの思想は、リョージに近いな?」
地球代表。地球を守れ。人間は自分の分限を守って、自分たちの世界に引きこもれ。外に出ていくなら、自然のルールにしたがって、パンイチで飛び出せ。
大量殺戮兵器も、化学物質も、見栄も外聞もなく、ただ裸の人間として自然に参加するなら、挑むのは自由だ。
リョージは笑顔で、
「そうか、校長。あんたも無人島サバイバルが好きなんだな」
「勘ちがいしないように。わたしは〝自然〟を守りたい。なるほど、それは否定しないが、それぞれの人間にとっての自然状態を、どう定義するかの問題がつねにある」
自分たちの「正義」を貫きたい人々にとって、その理想とする世界こそがきたるべき世界、あるべき自然といえる。
その指摘は、ケートにも受け入れやすい。
「自然の定義か、なるほど」
人間は動物の一種なので、ごく原始的な人間が参加する状態も含めて自然だ。
しかし日本では、一定ていど文明化した人間の手がはいってこそ成立する「里山」という形態も、循環的な自然として示される。
そのような主張は、しかしてすべて「人為的自然」と言えないこともない。一瞬でも人間の手がはいったら、それは「人為」なのだ。
そこまで考えを進め、ぎくり、とケートの肩が揺れた。
あるいは校長は、リョージなどとは比較にならないほどラディカルなのではないか。
「……あんたは、まさか」
「地球の意図を忖度しようなど、おこがましいとは思わんかね?」
大きすぎる尺度、地球。
自然とは、人間を排除した状態、と定義すべきだ。なぜなら地球は事実、人間がいない状態で何十億年もやってきたのだから。
地球にとっては、どう考えても人間がいないほうが「自然」なのである。
一方、人間にとっては、人間がいることが当然で、人間のいない「自然」こそが不自然だ、そんな「自然」はいらない、ということにもなりかねない。
「自然」とは、そのくらい強力に定義されるべきものである。
「人間を滅ぼしたいのか」
「なんだよ校長、あたしの仲間かよ!」
やおら笑顔で、校長の肩をバンバンたたくマフユ。
「ごほごほん。だから勘ちがいしないでもらいたいと言っている。わたしは、どの勢力にもくみしない。きみたちの敵ではないが、味方でもない。そう思ってくれ」
賢すぎる生徒を相手に、ややあわてる校長という体。
「突き放すね、校長! 教育者としてどうなの?」
「個別の問題は担任に……」
「ことなかれ主義! 校長!」
「……もういい、よくわかった。きみたちはとても優秀だ。さあ、選びたまえ。きみたちの道を」
両手を開くアクマダモン。
4枚のドアが、4人の帰りを待っている──。




