29 : Day -41 : Kami-Igusa
膨らむアクマダモン。
白い影は天井を突き破る勢いで、いや事実その靄ははるか上空まで達し、横にも巨大な足として広がりを見せた。
白い、巨大な「ニンゲン」が、そこに出現したかのようだ。
直後、その影はアクマダモンの白い身体に吸い込まれて消えた。
「──われわれ原初神が生まれたのは、おおよそ42億年まえのことだ」
響く校長の声。
顔を見合わせる高校生たち。
これまで見せられた人類史、数十万年の記憶については、まあ認めてやってもいい段階かもしれないと合意する。
しかし万年と億年では、ちょっと飛躍しすぎるのではないか?
「……いきなり話を聞く気が失せるようなことを言うな」
「そうだよ校長、いくらなんでもテキトー抜かしすぎ!」
「アメーバさえ生まれていませんね」
ヒナノは言いながらも、ケートのほうを気にしていた。
──ケートは黙っている。頭上のハルキゲニアも。
彼らは、どうやら自分たちの認識の一歩先にいるようだ、と直感的に認めるヒナノ。
本来、地質年代レベル、つまり宇宙的な話になったら、ケートがまっさきに突っ込んでいかなければならないのだ。
しかし彼は、黙して聞き耳を立てている。
これは妄言の類ではないのか……?
「まあ聞きたまえ。地学の授業だと思って」
アクマダモンは教育者らしく言った。
──地球は、およそ45億年まえに誕生した、ということになっている。
原初の神であれば、45億歳だ、と言い放ってもおかしくはない。
しかしアクマダモンは別段、遠慮して42億年まえ、と言ったわけでもない。
45億6700万年まえ。
蓋然性の高い推測として、若き日の天の川銀河が近傍の矮小銀河と衝突し、無数の星が生まれる「スターバースト」が発生した。
そのひとつとして誕生したのが、われわれの太陽系である。
誕生したばかりの太陽系内部では物質大循環が起こり、数千万年をかけて現在残っているような物質の「分布」が生まれた。
やがて双極流が停止し、物質大循環のフェーズが終了。
各領域では、引力による衝突が頻繁に起こり、小さなかけらが徐々に大きなかけらへと成長していった。
この過程で誕生したのが、地球、そして月である。
42億年まえ。
まだ巨大な隕石の「重爆撃」は、地球上にも頻繁に起こっていた。
ドライな原始地球に降り注いだ微惑星で、2億年をかけ、大気と海洋が生まれていたが、まだ生命にとっては猛毒の海だった。
諸説あるものの、一般的には「生物」誕生以前である。
大陸地殻に比べ、密度が高くて薄い海洋地殻は、このころ、直径1000キロに達する巨大隕石の衝突によって生まれた。
落下点の地殻はプラズマ化して消失、表面はマグマに覆われる。
クレーター中心部に玄武岩質の中央丘ができ、これをきっかけとしてマントル上昇流を生み出した。冷えて固まったマグマ表層は、薄く密度の高い海洋地殻となった。
この巨大クレーターが、初期の「海洋」となった。
マントル上昇流が海洋地殻に裂け目をつくり、海嶺となった。
持ち上げられたプレートは、自己重力によって横滑りを開始。密度が高いため、周辺の大陸地殻の下へ沈み込みをはじめた。
プレートテクトニクスの開始である。
「そういうわけだ」
ひと仕事、終えた感じのアクマダモン。
ポカーンとする生徒たち。
なにを言っているのだろう、このハゲ散らかしたシロクマは。
「おい、このハゲ殴っていいだろ?」
「よろしくてよ」
腕をまくるマフユに、ヒナノのフリをして同意するチューヤ。
本物のヒナノは、あえてこの低偏差値どもを無視しつつ、
「お待ちなさい。まさか校長、それで教育者の義務を果たしたというつもりではないでしょうね?」
「そう……できたての地球は当初、ぐらぐらと煮え立つ鍋のようなものだった。きみたちの大好きな、鍋だ」
アクマダモンは言った。
地球が鍋だったころ、自分たちは生まれたのだという……。
「おれが鍋だったころー、あいつはシロクマだったー、わっかるかなー、わっかんねーよー」
サアヤが頭を抱えて、うんうん言っている。
鍋部にわかりやすいように説明してるつもりらしい、と高校生たちは察していたが、だからといってこのシロクマを殴らなくていい理由にはならない。
しかしもうすこし、話を聞いてやろう。
──温度が低下することによって、溶けていた表面は固まり、おそらく単一のプレートになったと考えられる。
たとえば火星は、いまでも単一のプレートによって固まっているらしい。
なぜなら現在までのところ、地質的な活動の痕跡はほとんど確認されていないからだ。
しかし地球は、そのような「死んだ惑星」と異なり、風化侵食やプレートテクトニクスなどによって、つねに新しい地面と入れ替わっている。
これはすばらしいことである反面、過去の重要な痕跡を残した証拠が、消し去られてしまうことを意味する。
事実、月はその全体がほぼ45億年まえの状態で保存されているのに対し、地球上には、地球成立の前半(22億年以上まえ)の痕跡を発見できる場所が5%以下しかない。
なかでも40億年というオーダーになってくると、該当する岩石そのものがほとんど見つからず、地質の成立過程やプレート運動などの証拠を発見するのは、きわめてむずかしい。
「理屈で考えれば、そうだったんだろうな、と想像してくれたまえ」
指を立てるアクマダモン。
その通りのことができるのは、素養のあるケートくらいのものだが。
彼は、あくまで懐疑的科学者の立場に立とうと努力している。
「証拠がなければ確定はできない。あくまで仮説だ。それが科学的態度というものだ」
ケートの知識によれば、現在、もっとも古いプレートテクトニクスの証拠が、オーストラリアの「ハニーイーター玄武岩」に見つかっている。
32億年まえのものと考えられ、すくなくともそのころには、地球には現在とほぼ同じ速度で移動するプレートが存在した。
さらに遡るアクマダモンの主張では、プレート活動の開始は42億年まえ。
すでに部分的な表面の冷却は進んでおり、猛毒ではあるが、海もあった。
きっかけは隕石であり、その後、地球内部の活動がプレート分割を促進して、いくつものプレートが生まれては消えていった。
そのころには地球の中心には液体の外核ができており、発生した電流が強い磁場を生みだして、宇宙線から地表をシールドした。
生命を生み出す準備が整っていく──が、生命はこのさい重要ではない。
問題は、プレートテクトニクスが開始されたことだ。
「生命が重要ではない? ふざけてんのか、校長」
「事実だ。われわれは、プレートテクトニクスとともに誕生した。……古い原初神が、全員残っているわけではない。むしろ地球深部に飲み込まれて消えてしまったものも多い。だが43億7000万年まえくらい……控えめにいっても42億年まえには、われわれの仲間はすでに誕生していた」
頭のいい生徒から順に、卒然と、理解がやってきた。
プレートテクトニクス……プレート。
原初神……12。
「なんのことー?」
頭のわるい生徒代表で声を上げるサアヤ。
「原初神は……」
息をのむヒナノ。
「プレートの神、ということか」
短く息を吐くケート。
想像はしていても、信じてはいなかった、という表情に諦めがよぎる。
ここまではっきりと告げられては、とりあえず受け入れておかないわけにもいかない。
そもそも最初から暗示は受けていた。それを確認するために、熊本くんだりまで行ったのだ。
そしていま、校長は原初神の出自を語った。
それが事実だとしたら、人類が生み出した神や悪魔のもつ何万年ていどの歴史とは、桁ちがいに「原初」の神であることは、まちがいない。
彼らは地球を覆う十数枚のプレートを根拠とする、まさしく原初の存在──。
瞬間、チューヤの眼球の裏に、悪魔相関プログラムのノーティスが走った。
──地霊ダイダラボッチ(41)の合体制限が解除されました。
「おおお? な、なにこれ、校長!?」
チューヤだけが騒いでいるが、他の面々にもなんとなくその意味は伝わる。
悪魔名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
ダイダラボッチ/地霊/F/3世紀/呉/三五歴紀(盤古)/若林
「必要なときは呼びたまえ。まだそのレベルではないようだが」
「こ、校長って、ダイダラボッチなの?」
「校長ではない。創世の巨人、ダイダラボッチという概念が、きみの世界に開かれたという意味だ」
プレートの神という概念に、もっとも近い悪魔として割り当てられた名が、ダイダラボッチ──そう理解すべきだ。
「創世の巨人、か」
一同の声が重なった。
──世界各地に創世神話があり、巨人が死んでその身体が多くの動物や植物、自然、地形などを生み出したという類型は、ごくスタンダードなパターンである。
盤古、アトラスなどの巨人を代表して、今回、校長はダイダラボッチというガワを選んだ。
「唯一神は5分割されてるのに、創世の巨人はまとめて一体ってか」
ゲーム脳的な悪魔使いの発言に、露骨にいやな顔をするヒナノ。
キリスト教、イスラーム、ユダヤ教、それぞれの神に別の名を割り当て、ゲーム化しているという時点で、世が世なら異端審問で火あぶりだ。
「信じる者の数が桁外れでね」
肩をすくめるアクマダモン。
──かつては強い力を持っていた八百万の神々、妖怪、幽霊といったたぐいも、現在はその力を著しく減殺されている。
だれも信じてくれないものに、力などありようはずがない。
一方で、信仰の力は集中し、唯一神という巨大なアブラハムの宗教に、全人類の半分が心を寄せ集めている。
「わかってますよ、校長。悪魔使いが呼んでいるのは、あくまで分霊だってことは」
なぐさめるように言うチューヤ。
悪魔には悪魔の世界があり、悪魔使いは契約にもとづいて、かぎられた幅だけ次元の扉を開き、その力を引き出してくる。
わずかな割合の分霊でも、人間にとってはじゅうぶんに強力だ。
「しかし原初神なんだろ? もっと強くてもいいような気もするが」
素朴なリョージの疑問に、自虐気味に答えるアクマダモン。
「あくまでプレートにへばりついたアメーバ状の自意識のカケラ、みたいなものなのだよ。巨大な一枚のプレートに集まる意思を集めて、ようやく1個の人格らしきものになる程度でしかないのだ」
サアヤがちょんちょんとチューヤの袖を引き、プレートってなに? と問うた。
チューヤは、きょろきょろと左右を見まわし、俺も自信はないが、たぶん地球の表面を覆う地殻のことじゃないかな、と答えた。
そのやりとりを、鋭く指さすケート。
「地学ちゃんと受けないからそうなるんだ! リピート・アフター・ミー! 理想の硬さリソスフェア、汗かいて柔らかアセノスフェア!」
「り、理想の硬さリソスフェア」
「汗かいて柔らかアセノスフェア……」
そういえば聞いた気がする、と思いながら返すチューヤ。
どうでもいいなー、と思いながら棒読みのサアヤ。
──プレートが薄くてアセノスフェアが直下まで上昇している場所では、地殻とプレートはイコールといってもいいが、基本的に両者は異なる概念である。
大陸の安定地塊では、地殻厚は30キロメートル、対して海洋は5キロメートルほどしかない。その下、マントル上層のモホ面までを含むのがプレートだ。
「……わかったよ、原初神はプレートであると」
「ふわぁ……」
めんどくさくなって受け入れることにするリョージと、すでに寝ているマフユ。
それでも教育者はあきらめず、丹念に言を継ぐ。
「そのカギをもっている、と言ったほうが正確だろう。きみたちにわかりやすいような表現方法や人格のようなものは、完全に後付けだ。……日本列島のような島弧で、われわれが出現しやすい理屈は伝わっているかな?」
いちいち考えさせるやり方が、教育者らしいといえばらしい。
経験が知識とつながる瞬間ほど、教育に最適なタイミングはない。そのことを見透かしたかのような、連結する記憶。
日本列島で、チューヤたちが見た、4体の原初神──。
「プレート境界面……」
くぐもった声でその事実を口走ることにより、受け入れがたい事実を事実として受け入れる段階へ。
「四体のそれらしき影が見えましたね、たしかに」
「日本に集まった四枚の……プレートってことか」
地震大国に暮らしていれば、チューヤでもその程度の知識はある。
ぱちぱちぱち、と拍手をする校長。
「いまのところは、それでよいだろう」
原初神の秘密が、明かされた──。




