24 : Day -41 : Shakujii-Kōen
「自分がどこへ行くかを知るためには、いま自分がどこにいるかを知らなければならない。
そのためには、自分がどこから来たかを知らなければならない」
オセアニアの古いことわざ。
冷たい校舎。
静謐の空気。
真夜中の学校というキャッチーなワードが物語るとおりの印象が、ここにある。
それ以上でも、以下でもない。
沈黙するナノマシン。
境界の気配はなく、ただ静かなだけの夜の校舎に、6人は立っていた。
時刻は午前0時をまわった。
正門はもちろん、各教室、通用路の鍵もかけられている。
「遅れてすいません、って雰囲気かな?」
目のまえの校長室を指さし、チューヤは言った。
非常灯のみが照らす廊下は、歩くには不自由のない程度の明るさはある。
このまま帰る……わるくない選択肢だ。
それでも、目のまえの「校長室」から漏れる明かりと気配は、口ほどにものを言っている。
校長とはいそがしい職業で、毎日が午前さまの激務……なのだろうか?
それとも、呼び出した手前、生徒たちがやってくるのを待っているのだろうか。やっと来ましたね、先生はみなさんを信じていましたよ、と?
ふつうに考えて後者のアイデアはありそうにないが、ふつうに暮らしていて体験できるような経験値のうえにも生きてはいない。
「なんか、みんな疲れてるみたいだねえ」
サアヤが、リョージたちを眺めて言った。
「否定はしませんわ」
ヒナノにしては声に張りがない。
「リョージの人生が退屈しないだろうな、ってことはわかったよ」
ケートの嘆息が多くを物語っている。
「なるほど。もちろん俺たちもいろいろあったわけだけど、そっちも負けず劣らず過酷な冒険だった、ってわけかな?」
「話せば長くなるけど、聞く?」
「こんど、ものすごく暇なときにね」
リョージの問いに、チューヤは苦笑して言った。
わらしべリョージの冒険物語は、きっとおもしろいにちがいないが……。
いまは一同、校長室に向き直り、つぎの行動に移ることにした。
「いらっしゃるようですね、プリンシパル」
「え、敵!?」
ハッとして周囲を見まわすチューヤに注がれるヒナノの目は冷たい。
ケートは肘で強めにどつきながら、
「校長のことだ、アホ」
「仮に天使の位階プリンシパリティと勘ちがいしたとして、即座に敵とは……」
「いや、はは、英語って意味がたくさんあるからむずかしいよね」
校長室を守っている天使の姿は、とくにない。
あらためてノックをするチューヤ。
他の教室のドアと比較して、一応、校長室はフェイクウッドの重厚らしい気配は見せている。
が、触ってみればしょせんプラスチックであり、教育行政が金をかけるべきところは校長室のドアではない、という意志は伝わってくる。
一応、正しい。教育者としての正義を感じられる、というほどでもないが。
「どうぞ」
校長らしい声。
ノブに手をかけるチューヤ。
長かった旅路の果て──。
「こんな夜遅くまで部活動かね、生徒諸君」
すっとぼけた問いを向けてくるのは、国津石神井高校・校長・白泉税。
そこそこ高級らしい年齢相応のスーツに、やや小太りの体躯、首から上は60代相応で、みごとにハゲ散らかしている。
ヒゲは伸ばしておらず、声は特徴的なハスキーボイス。
彼は、かけていた大きめの老眼鏡をゆっくりと外し、椅子に座ったまま、ゆっくりとドアのほうに視線を向けた。
「あんたが呼び出したんスよね、校長」
チューヤの問いに、白泉は手元の資料をテーブルにもどしながら、
「そうかもしれんが、部室から校長室まで8時間もかかるとは、想像もしていなかったよ」
まともな言い分だが、聞きようによっては皮肉にも受け取れる。
含意しだいで、チューヤたちの言い分が通用する可能性は高いかもしれない。
そもそも校長は、完全に「スッとぼけている」としか思えない。
そう考える根拠を、だれよりも強く握っているケートが、一歩、踏み出して言った。
「こちとら疲れてるんだ。御託はいい。さっさと正体を現してもらおうか、校長」
「きみは……ええと、そう、理系特進の西原くんだったかね? たいへん優秀な成績で感心しているが、アメリカ帰りとはいえ、日本では年長者に対し、もうすこし敬意を払うものだよ。とくに校長という立場の人間には」
ケートは血管を浮かせつつ、慇懃無礼な態度に切り替える。
「……なるほど。時に校長、ボクは先日、熊本のほうに行きましてね」
「あ、そういやケート、アオガエルに乗ってきたって自慢してたよな。くっそー!」
アホなチューヤを無視して、つづけるケート。
「白泉校長。あなたのご実家、熊本でしたよね?」
「え、そうなの? なんだよ、ケートのことだから、俺を悔しがらせるためだけに熊本に行ったんだと思ってたのに」
「否定はしないが、それほど暇じゃない」
「シライズミ・ゼイのご実家訪問だ!」
妙なテンションのサアヤに、校長は冷静に指摘する。
「シロイズミ・チカラです。ひとの名前をまちがうのは失礼ですよ。気をつけなさい」
「はーい」
並んで、すなおに返事をする、いつものチューヤとサアヤ。
もちろんお互いに、わざとやっている。
「父が忠臣蔵が好きでしてね」
赤穂義士として登場する大石主税は、内蔵助の息子だ。
「由来などどうでもいい。校長、そうやって、ふつうの日本人のフリをするのもやめていただきたい。あんたの正体は全部わかってるんですよ」
「……ならば、聞くことはありますまい」
のらりくらりする校長。ケートのこめかみの血管が、いよいよピクピクしてくる。
「訂正する。一部わかってるんだ。それ以外のことは知らんから、聞かせてもらいたい。すくなくとも、あんたは校長じゃない」
「いいえ、わたしは校長ですよ。あなたたち、生徒の学習と成長を願い、守る者です」
視線が交錯する。
あくまでも「校長」のロールを堅守する校長と、その化けの皮を剥ごうとする天才的「探偵」ケート。
すでに謎は半分ほど解けている、らしい。
「ふん、ごりっぱな指導要綱は承ったが、それにしては不安な履歴書じゃないか」
「学歴詐称?」
「教育者の風上にも置けないな!」
乗っかるチューヤたち。
昨今は学歴詐称に厳しい。とくに公的立場であれば、なおさらだ。
「そうじゃないが、そのほうがマシかもな。……白泉税という人物、たしかに熊本市内を本籍として、存在はした」
「そりゃそうだろ。……え、した?」
「5年まえまでは生きていて、現地の高校で校長先生をなさってらした。6年ほどまえ、体調不良を理由に依願退職後、病死され、現在は墓のなかだ」
「……え?」
一同の視線が、ゆっくりと校長に集まる。
なかば以上、剥がされた皮の下、どんな化け物が出るのだろう?
「あんた、何者ですか? 白泉校長……いや、アクマダモンさん?」
「…………」
校長はゆっくりと立ち上がり、両手を後ろに組んだまま、チューヤたちにくるりと背を向けた。
それから部屋の奥のクローゼットへ歩み寄り、大きく開いたそのなかから、なにやら巨大な白いものを取り出した。
唖然とするチューヤたちのまえで、校長は、その「着ぐるみ」に手足を突っ込んでいく。
同時に、生徒たちの作業記憶にも、いくつかの断片的なパーツが呼び出され、組み立てられていった。
石神井公園、千歳烏山、蓮根、渋谷、恵比寿、代官山──。
シナリオの要所となる各地、各タイミングで、視線の端をよぎっていた「アクマダモン」という名の着ぐるみ。
一般に流通している熊本県の非公認ゆるキャラだから、必ずしも校長とつなげる必然性はないが……つなげないわけにはいかなくなった。
「アクマダモンだモン?」
かぶりものでスポッと頭部を覆うや否や、まんま校長のハスキーボイスで、くりっ、と小首をかしげるゆるキャラポーズの白泉。
この奇妙な展開は境界的にエキセントリックでありながら、しかしいぜんとして世界は現世側にある。
現状、彼がただの着ぐるみ好きな変態校長である、という可能性も捨てきれない……。
アクマダモン。
一時期、熊本県のご当地キャラとして人気を博したが、現在は地味に活躍している、シロクマをモデルとした非公認ゆるキャラである。
言うまでもないが、熊本はもとより鹿児島、北海道にもシロクマは存在せず、さらに言えばヒグマやツキノワグマさえ、熊本県にはいない。
「アク(↑)マダモン、あんた……」
「ちーっちっち、アクマダモン(→)」
どうやら発音を訂正されたらしい、と気づいてチューヤのこめかみにも血管が浮いた。
──アクマダモンの呼び方は、一般に頭高のイントネーションが普及しているが、正解は平板だという。
しゃべり言葉による自己紹介「あ、熊本のモンだ」が由来で、その意味を重視し、オフィシャル・サイトでは一時期「熊本弁らしく平べったいのがいいんだもーん」と、平板なイントネーションで呼ぶように要求していた。
その後の人気の凋落は、このえらそうな態度が原因だった、という分析が根強い。
なにが正解だてめえたかがゆるキャラのくせにふざけんじゃねえぞクソが、という囂囂たる非難を受けて、どちらでもいいですよ呼びやすいほうで(ひきつった笑い)という見解が、オフィシャルにも引き出されることとなった。
首都圏キー局の発音もばらばらで、統一しろ、という強制力を非公認キャラごときがごり押しするわけにもいかなかった。
実際問題、大手広告代理店の暗躍もひどかった。
ライセンス料などで、うまいこと儲けてやろう。よかったら海外利用を解禁するもーん。そんな背後の「マネーゲーム」が露骨になった。
たかが知れている人気が、そのあたりから、しょせんゆるキャラがえらそうにしている、金の亡者、という空気に押し流され、いまではあまり見かけなくなった「昔のキャラ」。
アクマダモンに対する一般的評価は、そんなところだ。
ケートが熊本に行ったのは、この自称熊本県キャラクターの調査のため、というわけではもちろんなく、校長の正体を暴くためだった。
熊本発の大災害「Aso-4」の調査はついでだったらしい。
「そんなこったから人気なくなるんスよ、校長」
「校長ではないモン。アクマダモンだモーン」
白泉校長が、奇妙なポーズで挑発してきている、と一同は感じた。
居並ぶ全員のこめかみに、血管が浮き上がった。
──うわさは、ときどき流れていた。
校長が着ぐるみでウロチョロしている。そんなバカな、と一笑に付すきらいが強かった。
たとえそうだとしても、だからなに? という話だ。
シロクマ校長が、世間に与えるインパクトなどない。
ない、はずだった。
「あくまでアクマダモンだモーン」
着ぐるみが、特徴的なハスキーボイスでくりかえす。
平板に。
「もうわかったよ、校長。脱いでいいスよ」
「だモン?」
せっかく着たので、脱ぐつもりはないらしい……。




