20 : Day -42 : Shimo-Igusa
「いる、近くに。私にはわかる。死にかけてるひとが、近くに……」
ぴくぴくとアホ毛を揺らし、サアヤは言った。
「まえから気になってたけど、なんなんだ、それ」
「ある種のセンサーらしいぞ。妖怪アホ毛アンテナ」
やや後方から眺めるマフユに、補足するチューヤ。
──サアヤは変なところにつむじがあるため、前髪の一部がピョコンと逆立っている。これを一般に「アホ毛」と呼ぶ。
このように、ふつうとちがうところに「まいまい」があると夢の世界に旅立つことができる、という設定が高樹のぶ子『マイマイ新子』にある。アニメ映画にもなって有名だ。
「サアヤの場合は、近くに死にかけたひとがいると、アホ毛が反応するらしいんだよ」
「いつからあったんだ、その設定」
肩をすくめるチューヤに、マフユは愛する女の底知れなさを実感する。
ぴくぴくと揺れる毛の先が、闇の彼方を指した。
「……あっちかな?」
トリュフを探すブタのように、とチューヤが表現したところぶん殴られたので、麻薬を探知するイヌのように、灌木のさきの茂みに目を凝らすサアヤ。
ふきの下をめくってみれば……コロポックル。
小さな地霊が、瀕死の状態で横たわっている。
「たすけて……」
弱々しい声で救いを求める悪魔に、
「だいじょぶ、すぐ助けてあげるから」
当然のように回復魔法をかけるサアヤ。
すべてを疑うマフユの目が厳しく光る。
「クサイな」
通常、サアヤのこのアンテナは「役に立つ」ことが多い。
だが、ときにはわるい目を引くこともある。
コロポックルの声が、かすかに響く。
「……ごめんなさい」
「離れろ、サアヤ……っ」
マフユの腕がサアヤを引きもどす。
ぱかっ、と開いた細胞壁の口が、サアヤを噛み裂こうと空を切る。
ぎりぎりで引きもどしたマフユの下で、大地が割れた。
巨大な落とし穴は、自動的にその口を開く。
地霊がもう一度回復魔法をかけた瞬間、開いたのは巨大な「葉」で隠された地面の大穴。
それはオジギソウやハエトリソウなどが、一瞬で葉を閉じる「植物応答」という反応によく似ていた。
ハエトリソウの場合、20秒ほどの間に二度、感覚毛に虫が接触すると葉を閉じる。一度だと、ゴミや埃などが飛んできた可能性もあるからだ。
今回の場合、二度の回復魔法をきっかけとして、活動電位が閾値を超えたらしい。
そういう罠に、彼らは堕ちた──。
「おい、人間オートマッピング野郎」
背後からのマフユの声に、いやそうにふりかえるチューヤ。
「……呼んだ?」
「自覚はあるんだね」
「しょうがないでしょ、3人しかいなかったら、サアヤか俺なんだから!」
「やかましい。方向わかってんだろうな? なんかさっきから、同じところウロウロしてる気がするんだが」
マフユが追及する。
──落とし穴の底は、ご多聞に漏れず「迷路」になっていた。
入り組んだ木の根と幹と枝が、解決困難のダンジョンを形成している。
この手のステージはよくあるパターンで、ゲーム的には慣れているといっていいが、現実に直面してみると──むずかしい。
「気のせいだよ、と言いたいところだけど、そうかもね」
人間オートマッパーをしても、高難易度だ。
「それ以外に取り柄ないんだから、ちゃんと働けよ」
「うるさいなあ。さっきから考えながら歩いてるよ。──たぶん、道が組み替えられてる」
「どういうこと?」
首をかしげるサアヤに、
「さっきは、ここに壁なんかなかったんだよ」
いまはある壁に手を添えて答える。
どうやらリアルタイム・ローグライクRPGらしい。
「じゃ、さっきと別の場所なんじゃない?」
「俺の感覚が正しければ、同じ場所だと思う」
「じゃ同じだ。フユっち、この壁、ブチ抜いちゃって!」
彼が同じ場所だと言ったら同じだ、とサアヤは信じている。
どこか不満げなマフユは、
「信頼してんだな、サアヤ」
「方向感覚だけはね。こいつ目つぶって駅のなか歩けるから」
「それ、ただ黄色い線の上を歩いてただけじゃ……よいこはマネしないでね」
「よっしゃ、この壁ぶち抜いたらいいんだな」
マフユが気合を高める。
なにをする気だろう、と思っている間に、踏み込んだマフユの足が壁を一撃、破壊した。
疑いもなく暴力的な彼女は、幼いころから「壁は破壊するもの」だという体験的な教育を受けてきた。
どこのご家庭にも、思春期の子どもさんが開けた壁の穴のひとつやふたつ、あるはずだ。
マフユの場合、その例が極端なだけである。
「……あいかわらずクセのわるい脚だな」
いつ自分に飛んでくるか、チューヤの心配はそれだけだ。
「ちっ、こんなことなら、最初から壁ぶち抜いて進めばよかったぜ」
「いや、ぶち抜ける壁と、そうでない壁があるっぽい」
「どゆこと?」
首をかしげるサアヤ。
チューヤは、さしあたり前進したらしいダンジョンを再点検しつつ、
「俺の感覚がたしかなら、移動する壁には特徴がある。ないはずの壁の違和感を重ねた末に気づいた。──わざと乗り換えさせないつもりなら、強行振替輸送だ。ここからは、なるべく直行ルートを取る」
春のダイヤ改正後に新しい旅行プランを立てるときに使う脳内領域を、もっぱら転用した結果、見出した処方箋「振替輸送」。
鉄道会社間の暗黙の了解に、意図的に割り込んだ不協和音のみを抽出する。
──移動する壁は破壊できる。
この結論に達してからの進行速度は、一気に増した。
最奥部。
そこまでたどり着けただけでグッジョブではあるが、今回にかぎっては「罠の底に着いた」にすぎなかった。
周囲からはつぎつぎと、悪魔たちが群がってくる。
ここは妖樹の腹のなかで、彼らはただ消化を待っている餌にすぎない。
行き止まりなので、背後を気にする必要なく戦えるが、言い換えれば、逃げ道がない。
いままで進んできた道そのものが、閉ざされてしまった。
鬱蒼と組まれた樹皮の隙間から、悪魔たちが湧き出してくる。
閉じ込めて死ぬまで待つ、というつもりはないようだ。
──そこに違和感がある。
閉じ込めておくだけでは足りないから、攻撃をつづけているのだろう。
さっきから、ずっと考えつづけていたチューヤは、最後にピクシーを呼び出した。
「そんな序盤のキャラ呼んでどうすんのよ」
「こいつの弱点、知ってるってよ。……な、ピクシー」
「ひさしぶりだね、チューヤ。うん、まーね。こいつ、やっかいだよね。倒すには、前面にまわりこまないと」
「どういうことだ、チューヤ」
いいかげん戦い疲れたらしいマフユが、つぎなる処方箋を要求している。
ジャンキーならずとも必要な、ダンジョンのソリューション。
「俺たちは、敵の背中に取り囲まれている……つまり、隙間をつくって正面にまわりこめってことか」
アナライザのデータを参照しつつ答えるチューヤ。
名/種族/ランク/時代/地域/系統/支配駅
スクーズスロー/妖樹/F/中世/スウェーデン/民間伝承/御嶽山
その悪魔は、スウェーデンの妖精伝説に登場する、森の精の一種。
前面は美しい女性の姿だが、背中は樹木そのものであるとされる。狩人の銃に息を吹きかけ幸運を授けたり、森のなかで旅人が眠っている際に炭焼きの火を守るという。
またその見返りとして男に愛を求めてくるが、前面の美しさに惑わされた男は、背面の姿を知ったとたん、逃げ出してしまうのだという……。
スコットランド系の悪魔なので、チューヤはイングランドの妖精に助けを求めた。
当然(?)、イングランドとスコットランドは仲がわるい。敵の弱点くらいは、よく知っている。
現状、自分たちは悪魔の背中に囲まれている。
背中はいくら攻めても倒せない。正面にまわりこむしかない、という。
「結論から言え、どうすりゃいいんだ」
「やっかいな魔術回路が組まれているから、抜けるのはかなりむずかしいみたいだけど……」
要するに、隣り合ったスクーズスローの隙間を、無理やりこじ開けてやる。
相手がそれを閉じるまえに抜け出して正面にまわりこみ、叩きのめす、という算段だ。
──本来、チューヤたちはそうとう疲弊した状態で、この奥まった行き止まりの場所にたどり着かなければならなかった。
しかし現状、まだ隙間をつくれるだけの元気が残っていそうだ、と敵は判断したからこそ、攻撃をつづけている。
行動には理由があり、結論によって解釈される。
その期待に、応えてやろう。
「開くのは一瞬だよ。一瞬で抜けられなかったら、潰されちゃうから」
ピクシーの警告を受け、一歩まえに出るチューヤ。
「どのみち、やんなきゃ死ぬだけでしょ。……さて」
「待て、あたしが行く」
さらにまえへ、マフユが足を踏み出した。
「行けるのか?」
問うチューヤ。
これが戦術だとしたら、彼もそうとう手練れてきた。
マフユに「行け」と言っても、行ってくれるとはかぎらない。
そこで行動をもって、行かせるように仕向けた……としたら、その技量には端倪すべからざるものがある。
「てめえはここでサアヤ守ってろ。いいか、ぜったい守れよ」
「いや待て、だったらおまえが残って」
「あたしは守るのが苦手なんだよ。敵のどてっ腹ブチ抜いて引っかきまわしてくるのは好きだが、ぶちこまれて引っかきまわされんのは好きじゃねえんだ」
「表現よ……」
「その点、女々しいてめえなら、引きこもって女ひとりくらい守れんだろ」
的確である。
悪魔使いは召喚する悪魔によって、攻撃型にもなれれば、防御に徹することもできる。
一方、マフユは先手必勝、一撃必殺を旨とする、著しく偏ったタイプだ。彼女に、ねぐらにこもって民間人を守れというのは、高軌道爆撃機に要塞を防衛させるようなもので、戦略としてナンセンスである。
「わかった、じゃあここは俺が」
「いいか、死んでも守れよ。あたしがもどったとき、もしサアヤ死んでたら、てめえ殺すからな」
「いちいち脅すな。安心しろ。万一サアヤが死んだとして、そんとき俺が生きているとは思えん」
いくら死力を尽くして守っても、力及ばずに死ぬことはある。
守るべき人の盾になって死んだあとの責任までは負えない。
「うるせえ、だから死んでも守れ、守れなかったら、てめえ殺すって言ってんだ」
「何度死ぬんだよ俺」
詭弁とされる循環論理だが、言いたいことはわかる。
衆議は一決し、ピクシーは最後の警告を発した。
「チャンスは一瞬だよ。最速で駆け抜けないと、喰われるよ」
「だれに言ってんだ。あたしが本気出したら、シャブチュウ百万ボルトにだって負けねえんだよ」
「よく意味はわからんが、なぜかそうだろうなと思えるところがすげーわ」
「フユの本気は百万ボルト、地上に堕ちた最後の蛇よ♪」
歌うサアヤに見送られれば、マフユも本望だった。
彼女の「速さ」は、一頭地を抜いている。
いま、プレイヤーはスタートラインに立ち、クラウチング。
チューヤは悪魔を召喚し、戦術を伝える。
「いいか、一点突破の火炎魔法で森に隙間を開ける。森が再生するまえに抜けろ」
「うっせーな、わかってんよ。せいぜいデカい穴ァ頼むぜ」
チューヤの指示で、悪魔が巨大な火炎魔法を使う。
ダメージは微々たるものだが、わずかに破れた包囲網に向け、マフユが突っ込んだ。
「いけー、カワサキのケツァルー」
どこか間の抜けた応援。
その動きはまさに電光石火で、瞬時に見えなくなった。
──その後、マフユがどこで、どう動き、どう戦い、どう勝ったのかはわからない。
ただチューヤたちは、わずかな綻びから森が枯れるという厳然たる事実を見、やるべきことをやったマフユの功績を思った。
彼女は、あらゆるものを引き裂き、破壊する。
そういうタイプの人間であることを、あらためて思い出す。
一瞬、開いた森の隙間から見えたものを、チューヤは忘れない。
あわててふりかえり、サアヤの視線をさえぎった──。




