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19 : Day -42 : Iogi


 地名としては下石神井あたりになるが、境界化しているので正確にはわからない。

 おそらく南南東にあたる頂上までは、目算で数百メートルから、せいぜい1キロくらい。小高い丘だ。

 いつものように俯瞰的視点を脳内にイメージし、最短ルートを検索するまでもないような気がするな、とチューヤが考えはじめた瞬間。


 シュパァアーン!

 一瞬、なにが起きたかわからない。ほどなく、マフユの蹴りが相手を吹っ飛ばした、と理解する。

 相手は「おどろき、とまどっている」!


「遅えんだよ、おまえら。戦いは先手必勝だろうが」


 すでに敵一匹を仕留めたマフユが言った。

 ──マフユは「速さ」に優れる。

 これは彼女の原初的(プリミティブ)な強さを意味する。

 より原始的な生物ほど、攻撃(捕食)にかける時間は短い。


 比率を人間に置き換えればあり得ない速度で移動する昆虫。それを上まわる速度で捕まえる、カマキリやスズメバチなどの肉食昆虫。

 進化の原点である水中でも同じだ。シャコのパンチは最速だし、チョウチンアンコウからナマズまで、一般に魚類の捕食は一瞬で完結する。

 より原始的な生物ほど、その反射速度は研ぎ澄まされている。

 やるか、やられるかだ。


「おまえが味方にいると、先制取れる確率が高いから助かるよ」


 急いでナカマを召喚するチューヤ。

 いろんな仲間たちと組んできて、それなりに全員の特性を理解している。

 わかりやすい肉弾戦への信頼感が突出するリョージや、魔法攻撃にすぐれるヒナノは、うまく使えば非常に心強い。

 ケートやマフユのメリットは伝わりづらいが、マフユは目先の盤面を攻撃的有利に導くし、ケートは局面全体の優勢を導出する最適解、という感じだ。


「あ? ヤラれるまえにヤルのは当然だろうが。でなきゃ、あたしはここにいねえんだよ」


 自由に戦うマフユの言葉が、チューヤの心に重くのしかかる。

 ──彼女はどんな人生を歩み、どうしてその境地にたどり着いたのか。

 ともかく、ここ「境界」では、戦って敵を倒さなければ、生き残ることもできない。

 そういうファンタジーの世界が、厳然としてある。




「必ず給油に行くからな、サアヤ」


 のほほんと言うマフユ。

 さきほどから何度か戦闘をくりかえしているが、まだ決定的に強い敵には出会っていない。

 石神井は東京の辺遠であり、冒険のスタート地点でもあるので、さほど強い敵がいない設定なのかもしれない。

 イメージとしては、中心部ほど強い悪魔がウジャウジャいる、と感じている。

 それでも油断してはいけない、とチューヤは呑気な仲間たちを眺めながら思った。


「ありがとー。けど、わざわざ練馬から世田谷までこなくてもー」


 マフユの傷を癒しながら言うサアヤ。

 すこし離れた位置から、会話に参加するチューヤ。


「世田谷? 杉並じゃないの?」


「うん、ちょうど境目あたりだよ。ケーたんちも近いかな!」


「そっか、だから、すぐバレたのか」


「無免許で高級車乗りまわしてるケーたんも、どうかと思うけどー。ハナガタミツルかって!」


 ひとり突っ込むサアヤ。

 もちろん聞いているふたりには、まったく見当のつかない比喩だ。

 ──花形満は、昭和を代表する野球マンガ『巨人の星』に登場するキャラで、小学3年生から無免許でスポーツカーを乗りまわす不良だったらしい。おおらかな時代だった。


「免許あるとか言ってたぞ」


「アメリカじゃ14歳から乗っていいみたいだねー」


 女たちがボケるので、しかたなく突っ込むチューヤ。


「ここ日本だから! 日本的に無免許だから!」


「ま、動かせるなら乗っていいだろ」


「……まさかと思うが、マフユはちゃんと原チャリ免許とってるよな?」


「あ? 他人のプライバシーに口を突っ込むんじゃねえよ」


 そういう問題か?

 と、くだらない突っ込みは飲み込んだ。怖くなったので、それ以上は訊かない。


「まあ、マフユレベルになると、無免許とか、いまさら感はあるよな」


「どういう意味だコラ。安心しろ、小学校のころから乗ってるから、運転は慣れてる。これでも地元じゃ有名だったんだぜ。()()()()()()()()()ってな」


 マフユは川崎市の出身で、幼少期を神奈川県で過ごした。

 中学にはいったころ、母親に連れられて練馬に引っ越したらしいが、そのときにあった「世界が溶けるような記憶」については、あえて問わないことにしている。


 ちなみに日本では、16歳から普通二輪免許が取れることになっている。原付はもちろん、400cc以下のバイクにも乗れるため、移動能力は飛躍的に上昇する。

 高速移動をモットーとするマフユも、もちろんバイクは得意中の得意だ。

 ウソかマコトか、20世紀最速と謳われたハヤブサ(2000年式まではリミッターがなく、スピードメーターが350キロまで刻まれていた。現在は規制されている)で、第三京浜をカッ飛んでいた、という証言もある。

 「カワサキのケツァル」が一部で有名だったのは、事実だ。


「ケツァルって、ケツァルコアトルのことかな」


 なんとなく想像するチューヤ。

 その名の意味は「羽毛のある蛇」で、蛇と鳥が混ざった南米の古い神の名だ。

 ケツァルコアトルスは翼竜の名としても知られ、恐竜と鳥が同じ系統に属する進化の事実をほうふつさせる。


「空気が鉛みてえに重くなんぜ。てめーにも教えたろうか、時速300キロの世界」


「遠慮しときます。サアヤさんからどうぞ」


「えー、フユっちバイク乗せてくれるのー?」


「原チャリならいいけど、ハヤブサは危ないからやめとけ、サアヤ」


「おい! なんでそういう危ないもんには俺を乗せようとするんだよ!? だいたい原付は、2ケツだめなやつだろ!」


 マフユと話すと、突っ込みどころが多すぎて疲れる。

 なにより問題なのは、当人にボケているつもりがないことだ。

 つぎの瞬間、マフユの蹴りが再び先制攻撃の機会をつかむ。

 戦いはまだ、はじまったばかりだ。




 丘の中腹まで達するのに、一時間以上もかかった。

 道が曲がりくねっていることもあるが、なにより敵の出現頻度が高い。

 マフユのおかげで危なげない戦闘にはなっているものの、夜が深まっていることが気になる。


 あやしげな月明かりと、星明かり。

 そして土そのものが発する魔法のホタル火が、行く道の先を罠のように照らし出している。


「だいぶダークな雰囲気になってきてるね」


「ぶ……部長のキャラからして、まあダークサイドな流れにはなるやろね」


「サアヤは闇に輝く一筋の光だ」


 本気なのかネタなのか、マフユのセリフはなかなか判断に困るときがある。

 振られたと思ったらしいサアヤが、すぐに引き出しを開けてきて、


「ダークといえばさ、うちのお父さんに、だーくしゅないだー、って言ったら、壁に頭ぶつけてたよ」


「なんだそりゃ?」


「黒歴史らしいから、二度と言わないでくれって。お母さんが、たまにイジってる」


 中2の闇。若気の至り。黒歴史。

 むしろそちらのほうが、現代人の心を桎梏し、責めさいなんでいるかもしれない。


「……よくわからんが、親の心の闇に下手に踏み込むのはやめといたほうがいいな」


「サアヤのオヤジさんって、どんなやつなんだ? やっぱ昭和の歌にくわしいのか?」


「じゃなくて、特撮・ロボット・ヒーロー系のひとかな? お母さんは、アニメ・マンガ系のひとで、なんかコミケとかで知り合ったらしいよ」


 あっけらかんと暴露するサアヤにとっては、オタクはべつだん差別の対象ではない。

 むしろ彼女自身、堂々と「昭和歌謡オタク」を公言している。


「ガチ勢だよな、サアヤの家系は。昭和歌謡の膨大なコレクションは、おばあちゃんからだっけ?」


「うん。で、私がきっちり受け継いだ以上、あと100年は安心だよ!」


「何年生きるつもりだよ……」


「そう言うチューヤだって、ガチ鉄じゃん! だからすぐ馴染んだんでしょ、うちの家風に」


「……否めねえ」


「ヲタはいいね、日本の生み出した宝だよ」


「あたしはサアヤの歌が聴ければ、いつだって幸せなんだ。なんか歌ってくれよ」


 周囲の雰囲気は沈鬱に傾いている。

 全体をダウナーにする魔術回路が組まれているかのようだ。

 もしいま、マフユとふたりでパーティを組んでいたら、と考えてチューヤは少しくゾッとした。

 そんな思わず意気阻喪する気持ちを奮い立たせるのが、いつでも明るいサアヤさん。


「よし、丘を越えよう! 歌え、チューキチ」


「丘を越え行こうよ~口笛吹きつつ~♪」


 やや外れた音程ながら、精いっぱいの歌声を張り上げるチューヤ。

 その横っ面を、サアヤの鉄拳が制裁した。


「この……バカチンがァー!」


「な、なんで?」


 わけもわからず頬を押さえるチューヤ。


「それは敵国の歌だろうがァ!」


 女子挺身隊のように叫ぶサアヤ。

 日本でいう件の曲『ピクニック』は、アメリカの『She'll be Coming Round The Mountain』が原曲と考えられている。


「だって丘を越えるって……」


「あんたバカ!? 『丘を越えて』は藤山一郎でしょ、まったくもう!」


 サアヤの常識は計り知れない。

 ──丘を越えてゆこうよ、真澄の空は朗らかに晴れて、という歌いだしの楽曲『丘を越えて』は、1931(昭和6)年、日本コロムビアから藤山一郎の歌謡曲として発表された。


 お手本に、美しい歌声で朗々と歌い上げるサアヤ。たしかに気分は盛り上がる。

 昭和の歌娘を、やや離れて眺めることしかできない、チューヤとマフユ。

 これで熱血音楽魂に火がついたらしいサアヤは、すぐに曲調を変えて別の曲を歌いだす。


「燃ゆる大空~気流だ雲だ~、あがるぞかけるぞ、はやてのごとく~♪」


 力強くステップを踏み、前進するサアヤ。

 おそるおそるついていく、聴衆2名。


「……えっと、それは、どなたかな」


「鶴田浩二だろ! この非国民がァ!」


 女子高生の口から、藤山一郎とか鶴田浩二の名前が出てくるのは、なかなか稀有な事象である。

 腕を振り、歌いながら進むサアヤ。


「きっさまとお~れと~は、同期の桜~♪」


「……どうかしたのか、サアヤは」


「いや、なんか軍歌にハマってるみたいなんだよね、最近」


 昭和の研究をしていると、当然、戦前・戦中というタイムスパンに絡まざるをえない。

 戦後の豊穣な歌謡世界に比べると色あせて見えるという評価もあるが、モノクロはモノクロでまた味がある、とサアヤは言っている。

 調子に乗ってきた歌娘は、思い浮かぶ曲をつぎつぎと歌い上げる。


「雨は降る降る、じんばは濡れる、越すに越されぬ、アラ田原坂~♪」


 この曲『田原坂(豪傑節)』は、明治初期の熊本民謡が原曲とされている。最初にレコードに吹き込んだのは、大正期の熊本留吉といわれる。

 全国的に知られるようになったのは、やっこ、赤坂小梅などがレコード化したためだ。よって「昭和の歌」と言えないこともない。

 ちなみに美ち奴の実弟は、ビートたけしの師匠であるコメディアン深見千三郎である。


 いま、サアヤの姿には、たしかに美ち奴の芸者魂が宿っているように見えた。

 ここまでくると、チューヤたちも敬意を表さざるを得ない雰囲気すらある。

 一億火の玉状態のサアヤに、敵すら遠慮して出現しない。

 やや離れて、サアヤの前進を見守るふたり。


「すげえよな、サアヤって、ある意味」


「マフユはまだ見たことないのか? サアヤんち、古いもんがアホみたいにあるんだよ。とくに芸能系。引っ越した最大の理由は、マンションにはとても収納できなくなったからだって聞いた。尋常でない数のレコードとか、なんとかシート(ソノシート)とか、奥には蓄音機まであっから」


「まじか。もう博物館だな、それ」


「あれ見たら理解できるよ、サアヤには芸能の血脈が滔々と流れてるって」


 彼女は21世紀に生まれた、昭和の歌娘。

 昭和歌謡という呪いにかかった魔女、と言い換えてもいいかもしれない。


「なるほど、だからあたしと気が合うんだな」


「なんでよ」


「知らんのか。暴力団と芸能界は、昔から切っても切れないんだぞ」


「そういうこと言うと怒られるよ!」


 もちろん現在は表向き、芸能界から反社会的勢力は排除されていることになっている。

 だが「芸能」とは、太古から()()()()()()だった。


「そういう業界なんだ、世ン中きれいごとは通じねえんだよ。あたしには、クソまみれのアイドルに、ハエがたかってるようにしか見えねえけどな」


「アイドルきらいなのか?」


「女は好きさ。ハエに媚びてる女は好かねえが」


「日本のハエは金持ってるからね……」


 自分の言葉に、チューヤは何事かを感知して、我ながらゾッとした。

 これは、もしや「赤羽案件」ではあるまいか?

 アイドルの指など、身体のパーツを集めている変態が事件を起こした、というような話に以前、巻き込まれたことがある。


「AKVN14だな」


 マフユの口からアイドルグループの名前が出てくることに、チューヤは意外さとともに、おそれのようなものを感じた。

 このアイドルグループは、東京の北側を中心とする夜の街から生み出された蝶だ。


「ア・カ・ヴァ・ネ・フォーティーン。マフユも絡んでるわけ?」


 北区、赤羽。恐ろしい土地。

 マフユが絡んでいないわけがない。


「あ? なんであたしが、女のアイドル追っかけなきゃなんねーんだよ」


「そういうキャラじゃん」


「……ふん。わかってんなら話が早い。てめーにも手伝ってもらうことがある。あとで時間空けとけよ」


 その指が蠢く影に、空恐ろしさをおぼえる。

 連想されるのは、人体をバラバラにして、つなぎ合わせるという狂気。

 理想のアイドルをつくるためなら、どこまでも、なんでもする。

 そういう「変態」がいるらしい。


「俺もその事件、ちょっと巻き込まれてた気がするよ、そういえば」


 げんなりするチューヤ。

 チューヤにとっては、自分にかかっていた容疑を晴らす役に立った件だったが、あまりかかわりたくない案件であることは事実だ。

 そこに、マフユはガッツリと噛んでいる……のかもしれない。

 歌うサアヤの姿を眺めながら、チューヤは深くため息を漏らした。



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