18 : Day -42 : Kami-Igusa
「成田センセの声かな?」
スピーカーを眺めながらつぶやくサアヤ。
「マフユが呼び出されるのはわかるけど、なんで俺らまで」
「あ? どういう意味だ、おうコラおう」
「いててて、そういうところだよ!」
ケートは、すでに荷物をまとめ立ち上がっている。
この流れをいちばん読んでいるのは、やはりケートだ。
「はしゃぐな。どのみち、同じことだ」
「しかたないな、自首しよう」
「自首と出頭はちがうんだよ、リョージくん」
「自首すると情状酌量がつくんだっけ?」
その確率は高いが、「自首」は犯人がわかってないときに名乗り出ること、「出頭」は犯人がバレてから名乗り出ることだ。
犯罪捜査共助規則には、氏名等の明らかな被疑者の逮捕を依頼した場合には、当該緊急事件手配を「指名手配」とみなす、とある。
「今回はキンパイ(緊急手配)かかってるから、まさに出頭だね」
「さすが警察関係者」
「身内に刺すやついたら、身バレはしゃーない」
さっきのつづきで、追加に一発殴るマフユ。
チューヤは頭を押さえて、
「ちょっと! なんか俺がチクり屋みたいな言いまわし、やめてくれる!?」
「思い当たる節はないのですか?」
ヒナノとしては、自分が呼び出しを食らうなど、本来あってはならない体験だ。
「ないよ! 俺ほど鍋部のこと考えてる部長いないよ!?」
「部長? ……ああ」
先週したばかりの話なので、さすがに全員がおぼえていた。
「先週フルブッチしたろ、オレら全員。それじゃねーの?」
「職員室でも生徒指導室でもなく、校長室ってところが、なんか引っかかるね」
「それ、校長が家とかにフォロー入れててくれてたみたいだよね」
ポンと手をたたくサアヤ。
本来父親から聞くべき話をチューヤに訊かせたのは、サアヤの両親だった。
「うむ、地味に助かったご家庭もおられよう」
「1週間近くも部員全員でバックレてたら、そりゃ怒られるよねえ」
「このご時世、学校に来ている時点で、俺たちはそうとうえらい学生と思われるが」
この発言は意図せず、チューヤの後進性を示してもいた。
全員の視点がゆっくりと、校長室という謎の結節点に向けて収斂されていく。
「ふん、そんなことでボクはごまかされんぞ。校長はな……」
「世間が追いついてくるにはまだ時間がかかりそうだが、オレたちはそれを待ってるわけにはいかない」
「たしかに日本は、ずいぶん平和ボケしていますね」
「もういいよ、バックレようぜ」
「フユっち、メッメ!」
ケートほどではないが、さきを行きはじめているリョージ。
ヒナノもおそらく、とっくにチューヤを追い越している。
暗黒の深みに暮らすマフユは謎だが、サアヤだけはその手綱を離さない。
「これがデフォルト・ルートだ。ここからはじまるんだよ」
ケートの視線が意味する「ルート」のさきを、まだだれも予感できない。
部室から校長室まで、ようやく歩み出す決意を固める。
瞬間、流れ込む境界の空気に、一同のナノマシンが一斉に警鐘を鳴らした──。
「きゃーっ!」
絹を引き裂く女の悲鳴。
さきに部屋から飛び出したのはジェントルマンのリョージ、サアヤに蹴られて追いかけるチューヤ。
背中合わせに、右と左に視線を走らせる先発捨て駒男子2名につづき、ほか4名も左右の状況を見極める。
「……先生!」
リョージの視線のさき、成田先生の影が、ぐにゃりとゆがんで遠のく。
あまりにも彼らの動きが遅いので、呼びにやってきたのかもしれないが……。
「ブ……部長」
一方、反対方向を注視するチューヤの視線のさきには、さっき会ったばかりのオカルト部の不思議少女、ブブ子。
こちらに伸ばした手は、助けてくれ、と訴えているように見えた。
何者かの影がその小さな身体を抱え、走り去っていく。
引き裂かれそうに緊張した境界が、右と左へ割れそうに張り詰めるのがわかる。
「境界ってのは、なんでもアリだな」
チッと舌打ちするマフユの視線は、成田先生から目を背けているように見える。
「魔術回路ってやつだよ。解析すりゃ、理屈は通る」
すくなくともこの場に立ちつづけないほうがよさそうだ、と察するケート。
「理屈うんぬんより、まずは、なにをすべきかでしょう」
ヒナノの身体は、よりリョージに近い。
「どうする、チューヤ?」
いまにも駆けだしそうなリョージの問い。
期せずして、一同の視線がチューヤに集まる。
この事象ひとつでツッコミどころは多数あるのだが、状況は切迫している。
戦場のコントロール、悪魔使いに求められる唯一にして無二の才覚。
全責任を負って、彼は指揮しなければならない。
チューヤは左右に視線を走らせ、直観的に言った。
「リョージ、ケート、それからお嬢、先生を頼む。サアヤ、マフユ、こっち付き合ってくれ」
シナリオ分岐には、速度が重要だ。
その瞬間、一同の表情をよぎる複雑な感情の濁流は、時間をかけて分析しようと思えばいくらでも掘り下げる価値があるが、状況は高速で動いている。
まず、決めたら早い男子、リョージが先頭を切る。
「わかった、行くぞケート、お嬢」
「ええ……いえ、不本意ですが、いいでしょう」
「おまえずるいな、チューヤ。おぼえてろよ」
最後、ケートは不満げに、どこか恨みがましい目線をチューヤに投げてから流れに乗った。
走り出す3人の同級生たち。状況が求める速達性を理解している。
いずれも、取り残されている場合ではない。ほとんど同時に、反対方向に向けて動き出すチューヤ。
「こっちも行くぞ、サアヤ、マフユ」
この背中を見失うと迷子になる、という本能がサアヤには刻み込まれている。
「よくわかんないけど、わかった。行くぞフユっち」
「ちっ、邪魔者が約一名いるが、しゃーねーな」
最後に軽く頭を掻きながら、マフユは気だるげに、その長い手足を動かした。
最善ではないが、モア・ベター。
一同の内心に、その時点で共有されていた理解だ。
走れば走るほど、境界が濃厚になっていく。
そこは「部室棟」から「朽ちた廃屋」の気配となり、やがて「廃墟」へと変わった。
おそらくあちら側の国津石神井高校は廃墟であり、こちら側の資源を食いつくすために侵食してきている。
天井のある空間から吐き出され、それでもなお、さきを走る影を追うしか道はない。
目前に広がる空間に引き寄せられる、というよりも、背後の空間が切り裂かれて崖のようにひび割れ、彼らを呑み込もうとしている危機から逃れるためだ。
途中から、もはや、だれかを追いかけている、という意識はなくなった。
背後の深淵から逃げなければならない、とにかく、死にたくなければ。
境界が「割れる」というのは、以前にも経験したことがある。
おそらく場を支配する悪魔が一種ではない、ということだろう。
全力疾走するチューヤのさきを、軽々と走るマフユ。
彼女だけに行かせれば、さきを逃げる「何者か」も捕らえられたような気がするが、マフユは自分がなんのために走っているのか、よく理解していない。
チューヤはマフユに、「あいつ追いかけて!」と何度か指示したような気がするが、マフユはふつうに無視するか、せいぜい「やなこった」と答えるだけだ。
常日頃から彼自身よく認識していることだが、彼は「悪魔使い」であって「人間を使う」ようにはできていないのだ。
とくにマフユというキャラは、ぜったいに他人の思いどおりに動かない。
動かせるとしたらサアヤ(あるいはロキ?)くらいのものだろうが、サアヤですらチューヤの指示どおりに動くとはかぎらない。
「やれやれ、困ったもんだよ」
自分のコミュニケーション能力にある責任を放り投げて、チューヤはサアヤを置いてけぼりにしない程度にマフユを追いかける。
だいぶ走ったころ、背後の空間が割れるのをやめたので、ようやく足を止めた。
もはや、追いかけている「何者か」の存在は、さきに広がる謎の森の彼方に消え失せていた……。
「で、そろそろ吐いたらどうよ、チューヤ?」
かつ丼やんねえよ? という表情で尋問を開始するサアヤ。
境界の原野で、方途を見失った彼らにできることは──まずその程度だ。
「なんのことだよ!?」
「さっきの女、だれよ?」
どうでもいいことで男子を責める、いわゆる女子的な問い。
女子にとってはどうでもよくないのかもしれないが、じつは女子自身どうでもいいと思っていることを、どうでもよくないフリをしておくというテクニックも、彼女らはしばしば駆使する。
「知らねえよ! いや、知ってっけど、俺もさっき知り合ったばっかで……じゃなくて、まえから知ってたらしいけど、思い出したのはさっきで、ともかく危険に陥ったら助け合おうって約束したんだが、まさか数時間後に速攻、伏線回収してくるとは思わなかったよ!」
「言い訳が下手になったな、チューキチよ、ん?」
かつ丼を引きもどすゼスチャーで言うサアヤに、
「ウソじゃねーってばよ!」
信じてくださいよ刑事さん! の小芝居。
しばらく黙って聞いていたマフユは、
「どっかで見たことあんだよな、あの女」
と言ったきり、どうやら思い出さなかったようで、それ以上なんとも言わなかった。
考えてもらちが明かない、ということで話題を引きもどす。
なぜ、成田先生を助けに行くのがあの三人で、謎のオカルト部部長を助けに行くのがこの三人なのか。
もちろんチューヤが「助け合う」と約束したことが発端であり、サアヤは「パートナー」として当然のチョイス、問題は、そこになぜマフユを加えたかだ。
基本的には、まだ先生と折り合う準備が整っていないマフユを、そちらに行かせないほうがいいと判断した。
マフユ自身、チューヤの判断を是とする。
一方の三人。
リョージと組み合わせておけば、ヒナノから文句は出ない。
が、そのままでは許せない感情的ゆらぎを、ケートという毒薬を加えることによって中和した。
それがチューヤの本性だ、といわれれば是非もない。
「ケーたんは意地悪だからねー」
「だろ? あんなやつ、話すのも嫌だよな」
その点、心から同意のマフユはうなずいたが、サアヤは首を振り、
「ううん、私たちには、ものすごくやさしいよ? ねーチューヤ」
「あいつは極端なんだよな」
ケートの性癖を知るチューヤとしては、複雑な心境だ。
今回の選択でいちばん貧乏くじを引いたのがケートであることを、チューヤも理解している。
極端に好きなふたりと、引き離されたからだ。
「そーなの。で、フユっちとケーたんは、わかりやすく仲悪だけど、ケーたんはヒナノンとも、どっちかというと仲良くないの。慇懃無礼というか、ものすごくイヤラシイ意地悪をするんだよね」
「イヤラシイとか言うな。ケートは天才だぞ。いろいろ理解してる」
だからこそ、見透かされた。
サアヤは、その心理的「ゆらぎ」の深みまで忖度しえてはいないが、とりあえずしたり顔で顎を撫でながら、
「……ははーん。だからケーたん行かせたんだ」
当面、納得したようで、尋問からチューヤを解放した。
──ケートは劇薬だ。頭がいい、というより、良すぎる。あの瞬時にチューヤの「ずるさ」を看破した。
彼が良かれと思うことをやってくれれば、という期待と、それがケートである、という不安。天才すぎて、凡人の思考を逸脱することがままある。
ともかく、今回はこの三人で、ミッションをクリアしなければならないということだ。
あらためて、南のほうに視線を投げる。
そこには小高い丘が広がっていた──。




